ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

幽霊と生ける屍、決着がつく。

 吸魂鏡。魂をその鏡に封じ込める事の出来る武具。 断魄鏡。魄を断ち、体経路さえも損傷させる武具。 この二つは、本来ならば存在してはならないものだ。魂は輪廻転生されるべきものであり、魄は自然のありようで吸い寄せられ、霧散されるべきものだ。 しかし、吸魂鏡と断魄鏡はその摂理さえも歪めてしまう。 生きている者でさえも、その一撃で致命傷を与えてしまえば魂を封じ込める事が出来る吸魂鏡。周りから補充が利くとは言え、無理矢理に体内の魄を断つ事が出来る断魄鏡。これら二つは禁宝と呼ばれる種類の宝だ。 禁宝とは、一般の歴史書にも載る事はない、自然の摂理を歪めてしまう性能を有する忌むべき宝の総称だ。階級としては神宝に劣るとは言え、霊宝とほぼ同等の価値がある。しかし、ダンジョンの宝箱における封入確率は神宝と同等であり、出現する事は稀だ。 禁宝二つを二週間以内で、それもダンジョンの地下一階で引き当てたトウカはある意味で稀に見る幸運でもあり、稀に見る不運でもある。 もし、トウカがダンジョンの外へとこれらを持って出てしまったのなら、即殲滅対象となる。それ程に危険視されている品なのだ。 それは、十数年前に起きた戦争がとある禁宝によって引き起こされたものであり、その影響によって国土は荒れ、人の心も荒んだ。また、先の戦争以外にも、歴史書に乗っている大規模な戦争のうち二つに禁宝が影響していると言われている。その事実もまた、一般には伝えられておらず、各国の重要機密事項として王族とそれに連なる者にしか知らされていない。 禁宝は独特な波動を常に流しているらしく、各国はその波動を感知する特別な水晶を精霊に作らせ、自国の近くに禁宝が出現した際には水晶に簡易的な地図が浮かび場所を知らせ、封じる為にその場へと即座に向かうシステムを有している。 ただ、ダンジョン内であれば外界へと出ないように遮断される。ダンジョン自体が巨大な宝箱のような機能を有しているのだ。 宝箱とは、宝を内包するだけでなく、内部にある宝の持つ能力も封じ込める力を有する。そうでなければ、例えば燃え盛る剣なぞが収められていれば瞬く間に宝箱が燃え、辺りに燃え広がる事だろう。 吸魂鏡と断魄鏡。この二つの禁宝自体の脅威度は過去の物に比べれば微々たるものだが、それは用途によって変動する。しかし、それでもやはり禁宝としての脅威度は低いのだが、禁宝と言う存在自体が世界を敵に回しているようなものだ。 なので、禁宝を二つ手に入れたトウカは運が無く、ダンジョンモンスターとして生まれ変わったのでダンジョンから出る事はないので禁宝の波動が外へと流れ出ない事に対しては運がいいのだ。 自分が手に入れた宝が世界を敵に回す要因となる物騒な物だとは露知らず、ただの焦げ付かず、汚れも簡単に落ちてとても頑丈な高性能フライパンとしか思っていないトウカは対峙しているリビングデッドを倒す事にだけ意識を集中させる。「はぁ、はぁ、はぁ」 肩を上下に動かし、荒い息を吐きながらもトウカは振り切った断魄鏡をリビングデッドの左腕から離し脳天に目掛けて振り落とすが、それはリビングデッドの持つ吸魂鏡によって防がれる。 ゾンビであるならば防ごうとは思わなかっただろう。しかし、断魄鏡の一撃で左腕が使い物にならなくなったと理解しているリビングデッドは何が何でもあれでの一撃を貰ってはならないと学習している。 リビングデッドは断魄鏡に注意を向けながらも、自分の魂を取り込む為に吸魂鏡でそれを弾き飛ばし、トウカの胸に向けて突き出す。ただ振るうだけではなく、水の抵抗を受けにくいように面での攻撃ではなく縁で相手に当てていくように角度を変える。 トウカはそれを咄嗟に断魄鏡で防御するが、リビングデッドのように弾き返す事は出来ず、押される形で距離がまた開く。至近距離から二メートルの間合いへと状況は変化する。 息を荒げるトウカの体力は限界に近い。しかし、リビングデッドの筋力も衰えている。先程のトウカの連撃によって筋肉に負荷が掛かり、十全な力が発揮出来なくなっているのが起因している。 二人は互いに視線を交わし、そしてまた打ち合っていく。 逃走をしないと言うダンジョンモンスターの特性は関係ない。互いに必要だからこそ、相手を倒そうとしている。 片や自分の魂を得る為に、片や人魚の危険と不安を完全に無くす為に。それぞれがそれぞれの意思、欲に従って手を止める事はない。止める時は、どちらか片方が動かなくなった時だけだ。 もう分裂する事も出来ないが、トリックゴーストは持てる限りの速さでリビングデッドに攻撃していくが、リビングデッドは当たるまいときっちりガードをする。 対するリビングデッドも隙を見ては振る事よりも突き出すと言う単純な出の早さを追求した一撃をトリックゴーストに向けて放っていく。しかし、それもトリックゴーストは防いだり、間一髪のところで避けたりする。 両者はほぼ互角の戦いを繰り広げている。武の心得がある訳でも無く、武術や剣術と言った戦う為の修練を一切行っていないのであまり見栄えのいいものではないが、トリックゴーストとリビングデッドの一騎打ちは、もし見ている者がいるとすれば茶化す事は出来ないで固唾を飲む事だろう。 それ程までに、二人の戦いは真剣であり、全力であり、迫力があった。 やはりそう思える理由は意思と欲によるものが大きいだろう。大切なものを得ようとする欲が、大切なものを守ろうとする意志が浮き彫りになり、それがこの場の空気を作り出している。 この戦いも、何時までも続く事は決してない。 何合目かの吸魂鏡と断魄鏡の接触に、両方にひびが入った。上級の剣でさえも傷一つつかず、岩を砕いても拉げる事の無かった吸魂鏡。それと同級で同等の強度を誇る断魄鏡と打ち合ったからこそ、互いに傷つけ合い、ダメージを蓄積させていった。 それが遂に耐えられなくなり、ひびと言う形で現れた。それぞれの面と縁に走る亀裂はこれ以上の打ち合いは危険であると両者に告げている。 ただ、完全に壊れたのでなければ双方の能力は失われず、未だにリビングデッドの望みは叶う状態にあり、トウカがリビングデッドを倒す事が出来る状態でもある。 トウカはもう一撃しか打ち出せない体力しか有していない。リビングデッドも筋肉疲労故にトウカと同様に満足に繰り出せるのはあと一撃。 次の、双方の攻撃に全てが掛かっている。「トウ、カ」「僕の体」 互いの間に空いている距離は三メートル。トウカは両手でしっかりと断魄鏡の柄を握り締め、リビングデッドは吸魂鏡を横に構える。「戻……ッテ」「もう」 トウカはリビングデッドへと飛び出し、リビングデッドは悠然とトウカを待ち構える。「オ、イ……デ」「眠って!」 両手で振り下ろされた断魂鏡に、横から振り抜かれた吸魂鏡がぶち当たる。 トウカは決して吹き飛ばされまいと全身全霊を込めて断魄鏡で押し返そうとする。対するリビングデッドも押し切ろうと吸魂鏡を握っている右手に力を加える。 この時点で、両者の力は拮抗している。トウカには後がなく、リビングデッドにも余力はない。正真正銘、最後の一撃で相手に止めを刺さんばかりに手を緩める事はない。 また、打ち合っている二つの鏡をそれぞれ逸らして相手に当てようとも思っていない。リビングデッドの場合は単にそう言う考えが無いだけであるが、トウカの場合は正々堂々と相手を打ち破ろうと言う気持ちが打ちあっているうちに芽生えてきたのだ。 ぎりぎりと互いの方向へと前後する一見すれば白と黒のフライパンにしか見えない二つの禁宝。双方の亀裂は更に走り、欠片が舞い落ちるヒカリゴケと共に水底へと向かう。 ほぼ同時に壊れるだろう。そのような亀裂の走り具合だ。 だが、そうはならなかった。 バキャァァ……ン。 水中でも鋭く響く、金属が砕け散った音。 先に壊れたのは――――――吸魂鏡であった。同等の強度を誇る断魄鏡はまだかろうじて原形を留めているが、吸魂鏡は柄もろとも粉々に砕け散って沈んで行った。 どうしてこのようになったのかと言えば、使用された回数及び使用方法が影響している。 吸魂鏡は断魄鏡よりも早い段階で宝箱から出され、武器として使われたり、調理器具としても利用された。だが、それ自体は断魄鏡も同じであるので、耐久度的に遅く取り出された断魄鏡が僅かに高いと言うだけで、それならば同時に砕け散っていた。 ここで重要なのが回数及び使用方法だ。吸魂鏡は最初トウカが使用していたが、後にリビングデッドの手に渡った。リビングデッドは徘徊する際にモンスターを吸魂鏡で殺していった。リビングデッドの腕力は以前の使用者であるトウカよりも強大であったので負荷もそれ相応に増していた。 使用回数もリビングデッドは見付けたモンスターを誰彼かまわずに吸魂鏡で殺していったのに対し、トウカは手に入れた断魄鏡で倒したモンスターはホーンラビットにティアーキャタピラーくらいのもので、他の獲物であったフリットサーディンやシェードバットはもう素手で倒していた。また、倒した数もリビングデッドよりも一桁少ない。 いくら外見に変化がなくとも、負荷は確実に掛かっており、それが極限を迎えれば壊れる。きちんと休ませていれば徐々に負荷も抜けて行ったのだろうが、そこまで考えが回らなかったのが、リビングデッドの敗因である。 原型が残っている断魄鏡は、そのまま振り抜かれてリビングデッドの胸に埋まるようにぶち当たる。それと同時に、リビングデッドから魄が断たれ、経路までも傷つけられた。断魄鏡はその役目を終え、先に散った吸魂鏡と同様に柄もろとも粉々に砕けてヒカリゴケのようにきらきらと煌めきながら沈んで行った。「…………ア」 リビングデッドは全身に力が入らなくなり、視界がどんどんと薄らいでいく感覚に陥ってしまう。それもそうだ。断魄鏡の一撃を受けた胸は魄が巡る経路の始点であり終点でもある場所だ。そこを突かれれば、全身を巡る為にもっとも重要な経路が壊され、末端から中心へと戻ってこようとする魄は壊れた経路を通過する事も出来ずに体質に関係なく漏れ出てしまう。 あと数十秒でリビングデッドはただの死体に戻る。 動かない身体はそのまま水底へゆっくりと向かっていく。「はぁ……はぁ……はぁ……」 勝利を収める事が出来たトウカだが、未だに意識があるリビングデッドを注視しながら、荒い息を整えようと無理に呼吸をしながらリビングデッドの後を追っていく。「ト、ウカ……」 段々と動かなくなっていく口で、リビングデッドは目の前のトリックゴーストに向けて必死で懇願する。「一、緒……ニナ、ロ……ウ……」「無理だよ」 肩で息をしながらトウカは目を細めながら告げる。「君は僕の魂を取り込む事なんて最初から出来ない」 吸魂鏡の性能は身を持って体験して知ったが、魂が死体に入り込むような状況に陥る場合がある事は知らないトウカの台詞は意思や心の無いリビングデッドに伝わらない。リビングデッドはその虚ろで生気の感じさせない眼をひたすらにトウカに注ぐだけだった。「それに、セイルさんを傷付けた君と一緒になる事は出来ないし、許せない」 きっぱりと自分の体であるリビングデッドを拒絶するトウカ。それさえも感じ取る事が出来ないリビングデッドは己の欲に従い、消え去る前でもトウカに対して口を閉ざす事はない。「一緒、ニ……ナッ……テ……」 とうとう口さえも動かなくなり、舌だけを必死に動かすリビングデッドの声。トウカはただただ目の前のモンスターが動かなくなるまで注意を向ける。そんなトウカの耳に、最後の力を振り絞って出したリビングデッドの声が響く。
「一、緒……ニナ、ッテ……家族、ノ……所ヘ、戻……ロ、ウ…………」
 そして、ついにリビングデッドは完全に動かなくなった。体から完全に魄が抜け出てただの屍に戻ったのだ。生気を感じさせない虚ろな目はそのままだが、眼球もトウカを追わなくなった。「……今、何て?」 トウカが肩を震わせながら問い掛けるが、もう死体は何も話す事はない。いや、この問い掛けは自分自身へと向けたものだ。ある種の確認である。「……そっか」 トウカは底へと辿り着いた己の死体の見開かれた瞼をそっと閉じる。「君も……いや、もう一人の自分も、家族に会いたかったんだ」 初めて、リビングデッドの欲を理解した。 魂を求めていた理由。それは家族の元へ戻りたかったから。家族に会うには、死ぬ間の状態に戻らなくてはならないと無意識下で感じ取り、トウカを内に取り込もうとした。 人魚を傷付け恐怖を与えた許す事の出来ない存在であるが、根底にあった想いはゴーストに生まれ変わったトウカと同じであった。 家族に会いたい。どれだけ切望しても決して叶う事の出来ない儚過ぎる望み。 トウカはリビングデッドともし違う出会いをしたならば、互いの事を分かり合えたかもしれないと思ってしまう。いや、それは虚言でしかない。意思も心も持たない相手との意思疎通は不可能なので、違う出会いをした所で分かり合う事はない。「君の気持ちは充分に分かる。僕だって、家族に会いたい。会える事なら、どんな事でもすると思う。……でもね」 トウカは横たわる自分の死体を見下ろし、ゆっくりと口を動かす。「僕はやっぱり君を許す事は出来ない。君は、君にとっては無関係でも僕にとっては大切な人の心と体を傷付けた。同情はするけど、やっぱり、僕は君を殺した事に後悔はないよ」 トウカは目を閉じ、頭を横に振る。「……いや、後悔はないって言うのは可笑しいかな。悔やんでるよ。もし、僕が死ななければ、君が二度の死を体験する事は無かったんだ。それだけは、謝らせて」 死体の傍らにより、眠っているようにしか見えない自分と同じ顔を覗き込む。「御免」 謝罪と同時に、死体の額に右手を置き、その後黙祷を捧げてトウカは地上に戻ろうと泳ぎ出すが、流石に体力の限界から、道半ばで力尽き、強制的に意識を刈り取られて底へと沈んで行った。

 池の底では、まるで兄弟のように横たわる二つの影がある。 一つは人間の死体であり、一つは幽霊モンスターである。 二人は同じ顔をしており、その両方の表情は何処か寂しげで、だが、何処か安らいでいるようなものだ。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品