ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、出口に向かう。

 セイルの容体が安定してきたので、トウカの意思によってその場を移動する事となった。「所でシーフェさん」「何?」 荷車を引いているトウカは荷台で眠っているセイルの汗をタオルで丁寧に拭っているシーフェに声を掛ける。「あの、リビングデッド――と言うよりもゾンビの事で質問したいんですけど」「うん」 トウカは前方を向かないままシーフェに顔を向けて質問をする。暫くは真っ直ぐな道が続くので前を見なくとも平気だと思ったからだ。「死体がモンスターになるって言いましたよね?」「言ったね」 シーフェはトウカの質問に首を縦に振りながらも、拭う手は止めないでいる。「もし、いやそれが本当なんでしょうけど。そうだったらどのくらいの確率でなるんですか? 極稀って言ってましたけど」 勘繰りながらトウカは疑問を口にした。死体がモンスターとあるとは聞いたが、もしそうならば不慮の事故や寿命で死んだ人間なども平気でモンスターとして動き出す筈ではないか? と当然の事ながら思ったのだ。 しかし、シーフェの説明では極稀になるとしか言われておらず、どうして死体がモンスターになる事が極稀なのか分からなかったので訊いてみたのだ。 シーフェはトウカの意図を汲み取って口を開く。「そうだね。条件が揃った上で、魄が留まってたらだから、かなり確率は低いよ」「かなり低いんですか」「うん。まず、少なくともゾンビになる死体は五体満足じゃないといけない。そして焼かれていない、埋められていない、水に沈められていない、食べられていないってのが前提条件に入って来るから」 シーフェは開いている片手で指を折り曲げながらゾンビになる条件を天井を仰ぎながら述べる。「あの、何でそれが前提条件なんですか?」 怪訝そうな顔でトウカは疑問符を頭に浮かべながらシーフェに訊き返す。「魄は体を動かす機能を持ってるって言ったよね」「はい」 確認を取るシーフェにトウカは頷く。「魄は結構繊細でね。体内に留まって体を動かしてるんだけど、これは決まった経路を循環してるんだ。もし、四肢の一つが欠損してたら、経路が断たれて、そこから外に流出しちゃうの。魂があれば、魄は魂に引き寄せられて、経路が断たれて外に流されても外から取り込まれて循環されるんだ」 シーフェの説明にトウカは食らい付いていく。ともかくとして、魂があれば魄は身体に留まる事、そしてなければ魄は出て行く事を頭の中で捉えて置く。「じゃあ、焼かれてない、埋められてない、それに水に沈められてないってのは?」「それらは魂が体に宿っていない場合の魄を無理矢理外界に押し出すからだよ。焼けば大気に、埋めれば土に、沈めれば水に魄は流出する」「食べられてないってのも、同じようなものですか?」「そうだね。死んだ生き物を食べれば、食べた生き物に魄が移動するんだ。でさ、モンスターが捕食で情報を蓄積させるって言ったけど、これは魄が影響してるってあたしたちは考えてるの」「あたしたち?」 シーフェの言葉に引っ掛かりを覚えたトウカは思わず聞き返してしまう。「そう、あたしたち精霊はね。人間は魂の定義くらいはあるんだろうけど、魄の存在は全く知らないよ」 シーフェは目を伏せながら溜息を吐く。トウカはどうしてここで溜息を吐くのか分からずに首を傾げる。そして、当然思い浮かんだ疑問を口にする。「それって、精霊は人に魄の事を教えてないんですか?」「そう言う訳じゃないよ。結構昔に人間に魂魄の事を話したらしいんだけど、てんで相手にされなかったらしくてね。だから、それ以降は魂魄の事を人間に言う事は無くなったとか」 シーフェが溜息を吐いたの理由はそれだった。事実を言っているのにそれを受け入れようとしない人間の傲慢さに呆れたのだ。他種族の言う事なぞに耳を貸さないと言う風潮が蔓延していたが為の結果だ。 と、シーフェは自分で言った言葉に一つ首を傾げる。「あ、だったら人間だったトウカくんが魂魄の事知らなくても当然か。御免ね、知ってるなんて聞いて」 セイルの汗を拭っているので、片手だけを眼前に立たせて謝る。「いえ」 トウカは特に気にした様子も見せずに首を横に振る。「で、さっき言った前提条件をクリアしたうえで、何の因果か魄が流出しなければ晴れてゾンビと言う名のモンスターになるの。魄が流出しないってのは死んだ場所なんかも影響するらしいよ。どう言った場所なら魄が流出しないかは分からないけど」「そうなんですか?」「うん、こればっかりは何ともね」 乾いた笑みを浮かべながらシーフェは頬を指先でかく。 トウカは精霊でも知らない事があるのか、と意外に思いながらも、また一つ浮かんだ疑問を解消するべく風の精霊に問う。「あの、ゾンビって魂が無いんですよね? だったら何かしらで直ぐに魄ってのが出て行っちゃうんじゃないんですか?」「あぁ、それはないよ」 トウカの見解にシーフェはあっけらかんと首を横に振って否定する。「ゾンビのモンスターとしての特性で、魂が無くても魄を引き寄せる力があるから欠損しても焼かれても埋められても沈められても魄は外界に流出しなくなる」「はぁ、そうですか」 ゴーストにも怪我が瞬時に治ると言う特性もあるし、モンスターは不思議な生き物だな、とトウカは感嘆する。「因みに、なるとしたら人間が多いかな。動物やモンスターだと直ぐに食べられちゃうけど、人間の場合は同族で食べるなんて真似は殆どしないし。けど、葬儀で火葬や土葬、鳥葬なんかもするからそれでもやっぱり確率は低いかな」「成程」 トウカはゾンビが結局の所認知されていない事実にそれなりにと納得する。 人間は死んだとしても五体満足な場合があるが、それでも葬儀で土に埋めたり遺体を燃やしたりするので必然的にゾンビになる確率はぐっと減る。戦争などで多くの人が死んだとしても、隙を見ては死体の処理はそれなりに行われるようになっているので戦後でも死者が歩き出すような情報が世に流れる事はまずないのだ。 質問を終えたトウカは軽く会釈すると前に向き直って荷車を引き続ける。「まぁ、だから。君のリビングデッドが殺した人間は絶対にゾンビにはならないから」「……え?」 シーフェの取り留めのない呟きに、トウカは目をしばたかせて振り返る。「懸念してたんじゃないの? もしかしたらゾンビになって彷徨ってるかもしれないって。それをセイルちゃんが見たらトウカくんの顔を見た以上に恐怖が膨れ上がるって」「……はい」 シーフェの言葉に、トウカは少し沈黙し、肯定する。「リビングデッドは人間の腕をもいで食べてたし、あまつさえ止めは首を捩じ切ったから百パーセントゾンビにはなりえない。それに、人間の死体はもうモンスターに食べられてるだろうからね」「そうですか」 よかった、と内心で呟くトウカ。人が死んでしまった事に素直に喜ぶ事が出来ないが、それでも二度とセイルの前に姿を現さない事に安堵し、そして死んだ後も彷徨う事が無く救われない道を辿らずに済んでいる事に胸を撫で下ろす。「……で、トウカくんさ」「何ですか?」 セイルの汗を拭き終えたシーフェはタオルを荷車の縁に掛けながらトウカに質問をする。「今、何処に向かってるの?」「……出口です。地図が無いので記憶頼りですけど」 シーフェの質問にトウカは少々困ったような顔をしながら答える。出口まで記した地図は一週間前に人間の男に奪われたままで、シーフェは風で回収していない。なので、トウカが出口を目指すのは自分の記憶だけが頼りとなる。「だったら、あたしがナビゲートするよ。風の流れで分かるから」 シーフェは右の人差し指で天井を指すように立てながら告げる。風の精霊であるシーフェは風に敏感であり、例え僅かであっても風の流れが手に取るように分かるのだ。なので、出口に行くだけならば彼女にとっては造作も無い事だ。「すみません」「いえいえ」 頭を下げるトウカにシーフェは手を横に振る。「でさ、どうしてトウカくんは出口を目指してるの?」「セイルさんを、帰す為ですね」 トウカはほんの僅かな間を置いてから口にする。「セイルちゃんを……ってあぁ、このダンジョンで生まれたんじゃないんだっけ」 シーフェは一人で納得して手を打つ。「あれ? シーフェさんに話しましたっけ?」「ううん。君が寝てる間に、セイルちゃんから訊いた。セイルちゃんも不幸だよね。いや、ある意味で幸運って言えばいいのかな?」「幸運な訳ないじゃないですか。セイルさんは人に襲われて、見ず知らずの場所に来て、軽く無い怪我をしたんですよ」 トウカはしかめっ面をしながらシーフェの言葉を否定する。「確かにそうなんだけどね。でも、このダンジョンに来た御蔭でトウカくんに出逢えたんじゃん」 シーフェがうっすらと笑みを浮かべながら口にした言葉に、トウカは意味が分からずに呆ける。「…………それの何処が幸運なんですか?」「分からない?」 以外だとばかりに目を開くが、それでもシーフェは笑みを消さない。「分かりません」「そっか」 シーフェはそれだけ言うと、うなされなくなったセイルに視線を向け、頭を撫でる。「ねぇ、トウカくん」「何ですか?」「セイルちゃんの事、どう思ってるの?」「どうって?」 トウカはシーフェの言葉の意味を測りかねて訊き返してしまう。「言葉通りの意味って、このやり取りが既視感が」 シーフェは一週間前のセイルとのやり取りを思い出し、額に手を当ててやや眉根を寄せる。「で、どう思ってる訳?」 改めて問い掛けられたトウカは顎に手をやって暫し考える。「僕は……どう思ってるんでしょうね?」「自分でも分からない?」「はい。でも、一刻も早く家族の下に帰したいなって思います」「どうして?」「悲しい想いをさせたくないから」 トウカは言い淀む事も無くはっきりと言葉にする。「それはセイルさんにも、セイルさんの家族にも言える事です。家族が急に帰って来なくなったら、心配するでしょ? 家族に会えないだけで、会いたいって焦がれる。会えないと寂しくなる」 トウカは一度荷車を停め、首だけを回してシーフェの方へと顔を向ける。「ほら、僕はゴーストになって――生まれ変わったので、家族に会う事はおろか、ここから出る事が出来ない。僕だって家族に会いたいって焦がれます。でも、無理なんです。それが寂しいんです。セイルさんは家族に会う事が出来る。だから、僕はセイルさんには同じような想いを味あわせたくないなぁって」 そう言うと、トウカは目を潤ませる。「そっか」 シーフェは涙目になりかけているトウカの頭に手を置き、髪を掻き分けるかのように撫でる。「トウカくんは偉いね」「偉い、ですか?」「偉いよ。セイルちゃんの事を思ってやってる。けどで、セイルちゃんの想いは分かってないよ」 トウカの頭を撫でるシーフェの手の力は変わらなかったが、少しだけ雑になる。「セイルさんの想い?」 想いとは何だろう? と理解出来ずにいるトウカにシーフェは溜息を吐きたくなるがそれをぐっと堪える。「前にも話したと思うけど、セイルちゃんはね、トウカくんと一緒にいたいんだよ」「はい、それは覚えてますし。それに……」「それに?」「いえ、何でもないです」 何時までも一緒にいるとセイルに言われた事も口にしようとしたトウカだが、それは胸の内に秘めた。こればかりは、もう無効となってしまっているのだから。「まぁ、いいや。で、そんな彼女の意思を無視してでも、トウカくんはセイルちゃんを家族の下に帰したいって言うの?」 シーフェは言い淀んだトウカを特に気にする事も無く、少しだけ険の籠った瞳でトウカを睥睨し、少々きつく問い掛ける。「言います。こんな危険な場所よりも安全です。……それに、ここにいれば、僕を見ただけで震え上がらせちゃうし」「あ……」 シーフェはつい荷台で眠るセイルに目を向ける。彼女はトウカのリビングデッドに先程襲われたのだ。トウカの顔であるならばゴーストであろうがリビングデッドであろうがそれは些末な事でしかなく、見るだけで腕をもがれた記憶がフラッシュバックしてしまい、恐怖する。 事実、先程もトウカの顔を見て悲鳴を上げたのだ。セイルと、そしてトウカの事を思ってトウカに襲われたばかりのセイルに近付かないように制止を掛けたのはシーフェ自身だ。なのに、その事を失念してしまっていた。 セイルはもう、トウカの事を快く思っていないのかもしれない。そのような考えがシーフェの頭を過ぎってしまう。「だから、セイルさんは家に帰るべきなんです。こればっかりは、もう譲れません」 セイルを怖がらせたくないトウカは、当初の目的であったセイルを帰すと言う意思を奮い立たせて実行させようとする。「で、シーフェさん。この分かれ道はどっちに行けばいいんですか?」「え? あぁ、左だよ」 真っ直ぐの道は終わり、分かれ道へと差し掛かったトウカは一度停車してシーフェにどちらが出口へと続く道かを訊き、彼女の指した方向へと荷車を向けて移動する。

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