ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、焦がれる。

 トウカは夢を見る。 それは特別ではないが、特別なものでもあった。 彼が畑を耕し、首に掛けたタオルで汗を拭く。そのような夢。夢の中にはトウカ以外に彼の兄、妹二人に弟一人、そして両親も一緒になって畑を耕し、それを終えた場所に種を蒔いている。 それは、二度と送る事の出来ない、さして特別な事などない、何時もの日常であった。彼はもう家族と一緒になって畑を耕し、作物を育て、収穫し、売りに行く事も出来ない。一緒になって御飯を食べ、風呂に入り、寝る事も出来ない。もう二度と、家族と一緒に過ごす事が出来ない。 トウカが見た夢。それは彼の願望だ。ゴーストになってしまった事を仕方がないと割り切ったとしても、家族の事は恋しいと思うのが人間の性だ。 畑を鍬で耕しながらも、トウカは目覚めたくないと思っている。彼は、今自分が夢を見ていて、その中にいる事を自覚している。しかし、彼の体は自分の意思を無視して勝手に動く。声を出そうとしても、舌が強張って音を声として出せない。 彼の視界が段々と白んでいく。それは彼の体が睡眠を必要としなくなった事を意味している。つまり、もう直ぐ夢から覚めてしまうと言う事だ。 トウカは、まだ覚めたくない、もっと見ていたい、と切に願うが、彼の意思を無視し、彼の体は覚醒していく。「…………あ」 トウカは意識が夢から現実へと引き戻され、ゆっくりと閉じられた瞼を上下に開かせていく。 目の前には曲がる木の枝と、笹のような葉、四色の花に舞い落ち、上へと昇って行く光が映った。そして、右手を眼前へと持っていく。その手は肌色ではなく、向こうが透ける薄い青色であった。「……夢、だったんだ」 胸に妙な圧迫を覚える彼は蚊の鳴くような声でそう呟いたが、呟かなくともトウカには先程の事が夢であったと分かっていた。 何故なら、あの夢の中でのトウカは十五歳の人間の姿であり、今のトウカはゴーストである。夢の中では今では出来ない地面を二本の足で踏み締めている感覚があった。それはとても懐かしく、とても切なかった。 もしかしたら、ゴーストになっていた自分の方が夢だったのかもしれない。そう思ってしまう程に、トウカはあの夢を切望していた。その切望は無慈悲にも靄が開け、綺麗に消え去った。 トウカは目を細め、口を横一文字にきつく結ぶ。いくら割り切ったかと言っても、切り替えを行ったと言っても、彼は生前十五の少年であったのだ。 人生五十年と言われるが、その半分も生きていなかったトウカは、今までの日常と家族が恋しくて仕方がないのだ。 睡眠をとり、目を覚ましたからこそ、その気持ちが振り返り、知らず知らずのうちに張り詰めていた緊張の糸がほぐれてしまったのだ。 帰りたいと思ってしまう。帰りたいと願ってしまう。それが例え叶わないと分かっていても、トウカは、思ってしまう、願ってしまう……。「目が、覚めましたか?」 ふと、彼の視界にセイルの顔が上下逆さまになって上の方から現れた。その顔は柔らかく笑っていたが、トウカの顔を見た瞬間に目を見張る。「あ…………おはよう」 トウカはセイルの顔を見た瞬間に目を開け、きつく結んでいた口を綻ばせる。 彼はセイルには弱みを見せないようにする。それは男のプライドから来るものではない。彼女を心配させないようにする為だ。セイルは望まずにここに来てしまったのだ。それも、人間に切り傷を負わされた際に、だ。 セイルを無事に住んでいた場所へと送り届ける。それが現在のトウカの最優先事項である。 ゴーストとなってしまった彼はもう二度と村には帰れない。だが、最初から人魚であるセイルには元の場所へと帰る事が出来、家族とも会う事が出来る。 彼女の家族は、セイルが行方不明となって心配しているだろう。その心配を早く解消する為にこの洞窟――未だにダンジョンであるとは気付いていないが――の外へと繋がる出口を見付けようと心に決めている。 自分が帰れない分、せめてセイルだけでも、と。自分の気持ちを抑え、その気持ちを原動力とし、自分が抱いてしまっている切望感を彼女にも抱かせたくないと思いながら、セイルを無事に外へと連れ出そうと。 そんなトウカだが、彼とて村に帰れなくなったので新たなねぐらを見付けなければならない。 しかし、それはもう叶っていると見てもいいのだ。トウカは、この水の空間がある隠し部屋を住処にしようと決めている。ここの扉は外からはどう見ても壁と同化しており、部屋があるとは到底思えない。 外敵から身を守れると言う最低限の基準をクリアし、かつ飲料水を常に得られるので優良物件となっている。 それに、ここは彼が人間であった頃に住んでいた農村近くの山にあるのだ。そこに戻れないならば、せめて近くにいたい。そのような想いも相まって、この隠し部屋を新たな住処にしようと決めたのだ。「セイルさん、どうしました?」 目を見張って固まってしまっているセイルにトウカはわざと首を傾げつつもおどけたように質問をする。「……いえ、何でもありません。おはようございます、トウカ様」 セイルは彼がどのような気持ちを胸の内に秘めているのかを分からないでいるが、それでもトウカは自分に対して気を遣っていると言う事は見抜いている。 彼女は見抜きながらもそれを見て見ぬ振りをして、再び柔らかい笑みを浮かべる。見抜いた事を指摘したとしても、今のままでは結局はぐらかされてしまうのが目に見えている。 セイルはトウカと出逢ってからまだ少しの時間しか経っていないのだ。互いの事なぞ、殆ど知らない仲だ。そのような間柄では、互いの心の奥深くへと入り込む事は出来ない。 それをしかと分かっているセイルは、もし問い質すのであれば彼ともっと関係を深くしてからだ、と心に決めた。「セイルさんは眠れました?」 セイルの決心を知らないでいるトウカはセイルにきちんと睡眠がとれたかどうかを尋ねる。 自分は意識を手放すようにして眠りについたから大丈夫であるが、見知らぬ地と、人に襲われた恐怖でセイルが眼る事が出来るかどうか心配だったのだ。「はい、ぐっすりと眠れましたよ。少々お腹と胸が苦しかったですが」 トウカの心配は杞憂に終わる。よく見れば、セイルの眼の下には隈まぞ見当たらないので彼女が彼に気を遣っていた訳ではないという事も分かる。トウカはセイルが眠れていた事に安堵の息を吐く。「って、え? 苦しかったの?」 しかし、ぐっすりと眠れたとセイルは申したが、苦しかったとも言った。「ちょっと、大丈夫ですか?」 トウカは直ぐ様体を起こして上半身を捻り、セイルへと顔を向ける。 と、ここで彼は気付いた。どうしてセイルが苦しかったのを。「……セイルさん?」「はい?」 口元をわなわなと震わせるトウカの様子にセイルは何故そうなっているのか分からずに首を傾げる。「どうして」 トウカは一度口にしようとしたが、酸素が足りなかったので急遽肺に酸素を送る為に呼吸をして言葉を一旦切る。そして、少々大きくなった声で疑問をぶつけた。「どうして僕の下で寝てたんですかっ?」 そう、セイルはトウカの体の下で寝ていたのだ。トウカを上に乗せていれば、胸や腹が苦しくなるのは当たり前であった。その行動の心理が分からずにトウカはやや捲し立てるように問い質す。「トウカ様が寝苦しくならないように、と思いまして。トウカ様の頭を私の胸の位置に置きました」「ぶっ!?」 けろりとさも当然であるかのように答えたセイルにトウカは一瞬で顔を赤らめながら吹いた。 事の顛末はこうだ。意識を失うように眠りに入ったトウカはそのまま頭から水底へと向かっていた。セイルは慌ててトウカを追い掛け、水底に着く前に彼を捕まえる事が出来た。 急に倒れたので心底心配したが、規則正しい寝息を訊くとほっと安心し、それに誘発されて彼女も急に訪れた眠気に負けそうになる。 が、負ける前にと腰を落ち着かせて眠れる場所――この場合は木の枝へと背中を預け、トウカが寝やすいようにやや高さのある胸に頭を乗せて血が昇らないようにし(セイルはゴーストに血が通っていない事を知らない)、固さで寝苦しさを与えないようにと彼の背中には柔らかな腹を当て、そしてトウカが寝返りを打って落ちないようにと両腕をトウカの胸の上で祈るように組んで固定をしていたのだ。彼が起きた時に胸に圧迫感を覚えていたのはこれが原因である。「な、な、なななななななななななななななななななっ!?」 元十五歳の少年であったうぶなトウカにとって、それはとてつもない衝撃を与える攻撃であった。自分は人様の――それも女性の胸に頭を預けて寝ていた。そう思ってしまうだけでも頭がくらっとなってしまう。 トウカはセイルを背負って運んでいたので、当然胸が背中に当たっていたりするのだが、その時はあまりにも必死で運ぼうとしていたので背中の柔らかな双丘の感触は神経を伝って脳へと送られなかったのだ。なので、セイルを背負っていた際は顔を真っ赤に染め上げる事は無かった。「ふふっ、どうしました?」 顔を赤らめ、言葉を発する事が出来なくなっているトウカが愛おしく可愛く見えてしまったセイルは口元に手を当ててころころと笑う。 そんな彼女は、トウカが顔を赤らめている理由は自分が胸を枕代わりにしていたからだと自覚していない。 人魚は女性の乳房を子育ての時に用いるものとしか認識しておらず、最初から服も着ていないので人間のように見せても恥らう事もなかったので、あっけらかんと胸を枕の代用にやってのけたのだ。「なななななななななななななって、あれ?」 なを連呼していたトウカは、ふと、セイルの額に視線が行き、有り得ないと目を擦る。目の錯覚かと思ったが、擦り終わった瞼を上げて再び額へと目を向けても、そこは何ら変わりなく、白く細やかな肌があるだけだった。 それはつまり、傷が痕も残さずに完治している事を意味していた。「セイルさん、額の傷治ってますよね?」「え? ……本当ですね」 トウカの指摘にセイルは自分の額へと指を走らせる。確かに、そこには人間の刃物によって与えられた刀傷が綺麗に無くなっていた。 彼女が寝る前までは確かにそこには傷があった。その証拠に、水に触れてひりひりと痛んでいたのだ。起きた際に痛みが無くなっていたのは単に傷口が塞がったからだろうと簡単に思っていたが、まさか感知しているとは思ってもみなかった。「どうしてでしょう?」「いや、僕に訊かれても」 トウカに問うても彼もどうして完治したのか知らないので、二人は互いに首を捻り合うばかりだ。 セイルの傷が完治したのは、この水の御蔭である。この水は純度が極めて高く、遠くを見通せる程に透き通っている。だが、最初からこのような性質を持っていた訳ではない。この池を形成している湧水は普通の水であり、決して遠くまで見通せる程に透き通っている訳ではない。 この水の純度を高くしているのは、この池の底に生えている木の浄化作用が影響している。 いや、正確に言えば浄化作用と言うよりも栄養摂取と捉えた方がいいだろう。この木は根から養分を吸収するだけではなく、葉から直接栄養素を吸収しているのだ。 ここは陽の光が入り込まない場所であり、それでも不自由ないくらいに明るく、ヒカリゴケもあって光は確保されているが、光合成に適さない。 その中で栄養を得る為に木は進化し、水中の栄養素を効率よく得る為に根からだけでなく葉からも吸収出来るように進化したのだ。葉が光合成をしなくなったが、それでも呼吸は葉で行われている。 そして、栄養を取り込むようになった葉だが、そこから呼吸によって二酸化炭素を吐き出すだけではなく、光合成をする際と同じように酸素を体内に取り込んだ栄養素を元にして作り出して排出している。 その際に、酸素と同時にいわゆる老廃物であるが、微弱ながらも治癒作用のある成分をも出しているのだ。その効果は市販されている回復薬に劣るものだが、十時間以上浸かっていれば傷口を治すくらいの作用は備えている。 なので、トウカがダンジョン探索時にはずっと池の中で過ごし、ここで睡眠をとったセイルは傷を癒すのに充分過ぎる程の時間この水に浸かっていたのだ。なので、彼女の傷は痕も残さず綺麗に完治したのだ。「まぁ、よかったですね。傷が治って」「そうですね」 疑問に思ってもトウカはそんな事よりも傷が癒えた事に喜び、セイルもつられて笑みを浮かべる。「じゃあ、僕は一刻も早く出口を見付けますね」「え? 出口、ですか?」 セイルは目を軽く見張りながら聞き返す。「あ、言ってませんでしたっけ? ここを探索する理由」「はい……」 トウカは説明した気でいたのだが、セイルは訊いていないと言っているので簡潔に説明をする。「セイルさんを住んでいた海に返す為にも、まずはここの出口を捜そうと思いまして」「そう、ですか」 自分の為を想ってわざわざ出口を探してくれている。それはとても有り難い事なのだが、何故かセイルの胸に小さな棘が刺さるような痛みが走る。「なので、僕は水から上がって、探索をしようと思います」「あの、私は」「セイルさんはここで休んでいて下さい。部屋の外には罠やモンスターがいて危険なので」 そう言ってトウカは上へと目指そうと泳ぐが、フライパンも自分と一緒に池の中へと落ちてしまった事を思い出し、まずはフライパンを見付けてからだ、と上から下へと進行方向を変え、鏡のように反射する白いフライパンを捜す為に泳ぎ出す。 そんなトウカの後ろ姿を、セイルは何かを堪えるかのような表情を作りながら見つめていた。

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