ダンジョンテストプレイヤー

島地 雷夢

01

 訪れる毎に内部構造を変えるダンジョン『千変万化』では同じ場所に来る事はほぼないと言っても過言でもない。なので、見知らぬ場所に出ても何ら不思議ではないし、問題もない。 問題は、その見知らぬ場所がどう見てもダンジョン『千変万化』ではないからだ。 目の前に広がるのは大広間。ダンジョン内にある殺風景のような物ではなく、何処かの屋敷の中だ。床は板張りでその上に高級そうな絨毯が敷かれており正面には二階へと続く階段、左右には扉が二つずつ存在する。柱はいたってシンプルな装飾だけ施されており、二階部分の廊下からこの大広間を見下ろせるよう吹き抜けになっている。天井には、巨大なシャンデリアが数多の火を燈して揺らめく光を下に届ける。 シャンデリアの光を眺めていると、腰に提げている筈の剣の重みが感じられない事に気が付き、そちらに目をやる。重みが感じられなかったので、当然剣は存在しない。「……ない」 どうしてなくなったんだ? という疑問が生じる。ダンジョンに入る際に荷物は消失する事が無くなった。だが、現に剣が無くなってしまっている。 ふと、他に何かなくなっているものはないか? とケイトは背負っているバッグを降ろして中身を確認する。入れていた回復薬は一つ残らず消え去り、財布も消失している。唯一残っているのは『千変万化』テストプレイ時に手に入れたかわりの箱だけだ。 不意に、背後で扉が閉まる音が聞こえる。ケイトは慌てて後ろを見ると、そこには自分が下ってきた階段は存在せず、代わりに固く閉ざされた扉があるだけだ。 ケイトは扉を開けようとあの手この手と色々試してみるも、微動だにしない。まるで巨大な岩を相手にしているようだ。鍵穴が存在しないので、かわりの箱を鍵に変える事も出来ない。 この扉からは出られない。なら、他に出られそうな場所を探そうと改めて辺りを見渡す。ここからでは二階がどうなっているか確認出来ない。階段を上って直接確かめないといけない。 一階部分の扉四つは、左側奥のものが僅かに開いているのが見て取れる。ケイトは、僅かに開いている扉の方へと向かう。 もしかしたら。いや、もしかしなくてもここは新たに作られているダンジョンだろう。何かの拍子で、ケイトは迷い込んでしまった。 アオイによる説明も無く、同じテストプレイヤーのミーネもいない。完全な一人。もし、春斗かアランがケイトがここにいる事を知れば、直ぐ様転移させただろう。 しかし、生憎と二人は体力の限界を迎え、爆睡してしまっている。なのでケイトがここにいる事は知らず、気付く事も無い。アオイは本日もミーネと一緒で町での依頼に同行している。 誰も、彼がここに迷い込んでしまった事を知らない。 ケイトは開いている扉に近付いていく。
 ぴちゃ……ぴちゃ……
 すると、扉の奥から湿った音が聞こえている。
 ぴちゃ……くちゃ……くちゃ……
 湿った音と共に、咀嚼音までもが鼓膜に響いてくる。 訊いていて気分のいいものではない。単なる食事……にしては汚い音だ。汁気のある料理を口を閉じずに食べているかのようだ。 そして、血生臭い臭いと腐ったような臭いが扉から漏れ出している。思わず、ケイトは鼻を摘まんでしかめっ面をする。
 ぐちゃ……くちゃ……くちゃ……
 扉の前まで来たケイトは、そのまま立ち尽くしてしまう。ここが作っている途中のダンジョンなのは分かっている。そして、自分以外に冒険者はいない事はほぼ確定している。なら、一体何者が食事をしているのか? それも、臭いからして腐りかけのものをだ。 人間ではない。なら、魔物か。ケイトはバッグからかわりの箱を取り出し、片手で抱えながら扉をゆっくり開く。「ひっ⁉」 扉の先を見たケイトは顔を恐怖で引き攣らせ、尻餅をつく。 そこは誰かの部屋のようだ。書棚に机、ソファ、それにベッドがある。壁には肖像画が掛けられており、描かれた主は部屋の中央にいる。
 …………喉を噛み千切られ、内臓を食まれた姿で。
 性別は男。年の瀬は四十後半と言った感じか。白髪混じりの髪はオールバックで、髭は綺麗に剃られている。程よく皺が刻まれ渋さが醸し出されているが瞳に光が宿っておらず、半開きの口からは血が流れている。 壮年の男性を貪っているのは、人だ。ケイトに背を向け、一心不乱に壮年の男性の腹に顔を突っ込み、下品な音を響かせながら内臓を噛み千切り、咀嚼している。 それは、ケイトが尻餅をついた際の音に反応し、ゆっくりと壮年の男性の腹から顔を上げ、ケイトの方へと顔を向ける。 口元は血にまみれ、内臓の欠片が付着している。 それ以上に、ケイトの目を引いたのはそれの外観だ。 白濁した眼、所々腐り落ちた皮膚、明らかに死んでいると分かる胸に大きく開いた穴。「ぞ、ゾンビ……」 ケイトはカタカタと震えながら、後退していく。 ゾンビ。ケイトは本物を見た事はないが、存在自体は知っている。両親の冒険譚で何回か訊かされた。 死んでいるのに、動いている。生者に反応し、襲い掛かってくる。ゾンビに殺された者は、同じくゾンビになる。しかも、ゾンビは聖なるものでないと完全に倒す事が出来ず、四肢を吹き飛ばしても這って生者に襲い掛かってくる。 そんな事を子供の頃に――それも、ゾンビによる捕食風景及び村の住人を次々と仲間へと引き摺り込んで行く光景を事細かに訊かされたものだから、ケイトは大泣きをした。 それが現在も尾を引いており、ケイトはゾンビが怖い。超が尽く程に。両親のような冒険者になって世界各地を旅しようと思っても、絶対にゾンビの出現する地域は避けようと心に決めている。 だが、不運にも出会ってしまった。 ここは春斗とアランの作ったダンジョンだ。なので、ゾンビにやられても仲間になる事はなく、強制的にダンジョンの広間に転移される。いっそやられてしまえばここから脱出出来る。 しかし、ケイトは実行しようとは思わなかった。 何せ、目の前で壮年の男性が死んでいるのだ。ダンジョンの仕様上、死ぬ事はないし、死ぬような大怪我をしそうな時は強制転移される。なのに、死んでいる。それが意味する事は、強制転移が何かの不具合で発動出来ない状況にあると言う事だ。もしくは、作っている最中のダンジョンにまだ実装されていないかだ。 ここで死ぬような目に遭ったら、本当に死んでしまう。 不安と恐怖が綯い交ぜになり、身体を奥歯をガタガタ震わせながらも後退していくケイト。そんなケイトを新たな食料と認識したゾンビが覚束ない足取りで彼に向かって歩いて行く。 更に。「あっ……あっ……」 ゾンビに食まれていた壮年の男性も起き上がったのだ。白濁した瞳でケイトを見据え、横にふらりとよろけながら歩き出す。壮年の男性もまた、ゾンビに成り果ててしまったのだ。 目の前にはゾンビが二体。逃げなくては。ケイトは両足を思い切り叩き、無理矢理に力を入れて立ち上がって一目散に駆け出す。ゾンビから逃れる為に。 階段を上り、二階へと向かう。そこから更に奥へと続く廊下を疾走しようとした足が止まる。 廊下にもゾンビがいたのだ。それも、四体。四体とも階段を駆ける音に反応したのか、ケイトの方へと向かっているではないか。 慌てて階段を降りようとするも、既に先の二体が階段を上っているのが見えた。今から戻るのは無理。そして、目の前の廊下を進むのも無理だ。 ケイトは左の道を行き、直ぐに扉を開けて閉める。扉の先は一本道で、ゾンビの姿は見えない。扉越しの恐怖から逃げる為にケイトは一心不乱に一本道を進む。一本道の先にも扉があり、迷わずに開け放つ。 開け放って、後悔をする。 扉の先は書斎であり、数多の本が備わった書棚に所狭しと並んでいる。その間を縫うように何体ものゾンビが徘徊している。数にして軽く十は超えている。 ケイトは思わず扉を閉めようとするも、先程開け放った衝撃で番が壊れてしまい、盛大な音を立てながら扉は床に倒れる。 一斉に、音がした方へとゾンビは振り向き、近付いて行く。完全に近付かれる前にケイトは意を決して駆け出す。床を蹴る音に反応し、ゾンビはケイトの後を追い掛ける。「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 ケイトは逃げる。「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 脇目も振らずに逃げる。「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 前だけを見据えて逃げる。 息が絶え絶えになっても逃げる。 足が鉛のように重くなっても逃げる。 喉の奥がからからに乾いても逃げる。 目の前が霞んできても逃げ続ける。「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 悪態を吐く余裕も、もうない。 しかし、止まる訳にはいかない。 死の淵が直ぐ真後ろに待ち構えているのだから。「はぁ、はぁ、はぁ……」 それでも、現実は常に無情だ。 書斎には、他に続く道が存在しない。逃げ続けていれば、いずれ囲まれ行き止まりに追い込まれてしまう。 ケイトは今まさに、絶体絶命のピンチだ。ほんの十数秒後には、ゾンビに寄って集られ身体の肉に喰らいつかれる未来が待っている。 もう駄目だ。ケイトはへなへなと床に座り込み、目尻に涙が溜まってくる。こんな所で死にたくない。ゾンビに殺されたくない。自分はまだ生きたい。ここから出たい。でも、出れない。諦めるしかない。 全てを諦めた時、彼の持っていたかわりの箱が姿を変える。指で軽く摘まめるくらい薄く、年季が入っているのか表紙は古めかしい、題字は記入されていない一冊の本に。かわりの箱は簡易魔法書へと変化したのだ。 咄嗟に、ケイトはページを開き、魔法名に目を通す。魔法名を目にした時、彼の瞳に希望が甦った。「『帰還』っ!」 中に書かれた魔法名『帰還』を声に出して唱えると燐光がケイトを包み込む。光は徐々に強くなり、彼の視界を白に染め上げる。 そして、光が弱まると彼は春斗とアランの居住空間にいた。何時も彼等が座っている炬燵はもぬけの殻で、しんとしている。 物寂しさが漂う空間になっているが、それでもケイトはゾンビの蔓延る場所から生きて帰って来れた事を実感する。「…………うっ、うぅ……」 安心から涙腺が緩み、とめどなく涙があふれ出てくる。 膝を抱え、声を殺しながら泣き続けるケイト。「ふぁぅ……さて、今日もダンジョン作成をケイトくんどうしたんですかっ⁉」 奥の方からあくびをしながら出て来たアランは泣いているケイトを見て慌てふためき、彼をあやし始めるのだった。

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