End Cycle Story

島地 雷夢

第39話

「…………何が、お疲れ様だよ」 俺は衝動的にこの場から去りたいと願う足の動きを意思を総動員させてこの場に留めさせる。去りたいと願うのはファイネと顔を合わせたくなかったからだ。キルリと同じ顔をしたファイネが仲間を拉致したなんて考えると、どう言った対応をしたらいいのか自分の中で一つの答えも出ずに複雑に思考が絡まって真面な受け答えなんて出来ないだろうと思っていたから足は独りでに動こうとした。 でも、この場を去っても結局は勝ち残っていけばだが明日か明後日には大会で戦う。勝ち負けは関係ないだろうけど、俺と戦いたがっているファイネ相手に手を抜くとか本調子ではない試合をしたくはないと思う。もしそうしてしまえば人質を取っても合出して俺と戦おうとしているファイネに対して失礼に値するだろう。だから俺はこの場に留まって顔を合わせる事に少しでも抵抗感を失くそうと努力する。 俺の心の中の葛藤なぞ気付きもしないファイネは朗らかに笑いながらドアに預けていた背を離し、こちらへゆったりと歩いて近づいてくる。「今日の予選ブロックでの試合お疲れ様、って事だよ」 と、ファイネはだらりと下げられた俺の右手を両手で包むように握ってくる。右手の甲と平に人肌の温もりがじんわりと伝わってくる。「っ!?」 何の予兆も無く自然に右手を握られた俺は咄嗟に手を引き上げて抜こうとするが、結構な力で握られていた為、ファイネの両手を振り解く事は出来なかった。「ちょっと、いきなり手を抜こうとしないでよ。折角の労いの行為なんだから、そんな事されると傷付くじゃない」 ファイネは俺の行動に不満を強く感じたらしく、少し頬を膨らませて眉を下げて半眼を作ると握る力を強くしてきた。「あっ、ひょっとして女の子から手を握られるのなんて初めてとか? 初だねぇ」 俺の行為を変に誤解したファイネは半眼を即座に止めて開き、瞳をあやしく煌めかせながら目尻を少し下げて意地悪そうに笑みを歪める。そう、ファイネは誤解している。別に俺は女子からいきなり手を握られた事がない男子ではない。尤も、いきなり握られたのはこの世界に来てからだけど、それでも何度かされているのでこう言って何だがそれなりに耐性は出来ている。俺が右手を抜き出そうとしたのはどぎまぎしてしまったから反射的にだ。好きだった人と同じ顔をした少女にいきなり手を握られれば取り乱しもする。それ故に、初とかは否定はしないけど。「……だったら」 そう言うとファイネは俺の右手を解放してくれる。正直胸のどぎまぎが収まるので大変に有り難いのだけど、何が「だったら」なのだろうか? とか思っていたら、ファイネはにししっと笑いながら俺の側頭部を両手でホールドして首の角度を右へ二十度程無理矢理回される。あと、顔の位置もやや下方へと向けるように修正される。「ちゅっ」 そしてあろう事か俺の左頬にファイネは自身の唇を触れさせた。 一瞬ではあったが、瞬間的に俺の頭は真っ白になる。「…………あ、えっ!?」 フリーズ状態から解除された俺は顔面に血液が集中するのを自覚すると即座にバックステップをかまして二メートルもの距離を取る。いきなり何をするんでしょうねこの子は!? 普通会って間もない異性に頬にとは言えキスをするかね!? いや、日本以外だと挨拶で頬にキスをする国とかあるらしいけど、それはそれこれはこれだ。別にこのバルーネン国ではそんな風習は皆無だってのはエルソの町で一ヶ月過ごしていて分かっている。だからこの行為の真意は何だ!?「あ〜あ、そんなに一気に離れなくてもいいのに。折角のファーストキスだったんだし」 二メートル離れた位置にいるファイネは残念そうに言っているが、顔は明らかに笑っていた。つまり、俺はからかわれているんだろう。しかも、ファーストキスを掛けてまで。普通そこまでするか? いや、待て。このキスはあくまで俺の頬に対してのものだからファーストキスには入らないだろう。ファーストキスはマウストゥマウスで受理される筈だ……と俺は思っている。だからこれはノーカンだノーカン! ファイネはファーストキスを失ってはいない!「あ、安心しろ。頬にキスしただけじゃファーストキスとは見なされないから。と言うか何故した!?」 少しどもりながらも俺はファイネに右の人差し指を突き付けてそう告げて置く。あぁ、何か調子が狂うな。四日前にあった時にはこう言う事をしない人だと思っていたんだけど。……いや、もしかしたら予兆はあったのかもしれない。あのパーソナルスペースを無視するように接近したりする様がそうだったのかも……何て取り留めもなく思っているとファイネは笑みを崩さずに腰に手を当てる。「そうだねぇ……、無理矢理大会に参加させちゃった迷惑料って事にしておこうかな?」 しておこうって事は、他に理由があるのか? やっぱりからかうのが第一目的だったのだろうな。こうも笑ったまま話されると余計にそう思えてしまう。「それにしても、頬にキスされてそこまで取り乱すなんて……ソウマはキスされるの初めてだったのかな?」 にやにやとしながらファイネは俺に悪戯心マックスの光を宿した目を向けてくる。「……確かに、頬にキスされたのは初めてだよ」「そっかそっか初めてかぁ………………ん?」 何か知らないけど満足気に頷いていたファイネは三秒くらいで怪訝そうな表情を作る。「…………ねぇ、ソウマ?」「……何だよ?」 ちょっと声音が低くなったファイネが開いていた距離を縮め、ずずいと俺に顔を近付けてきた。俺はその分だけずずいと顔を遠ざけた。けど、昨日と同じで距離を取った分だけ近付けて来たので意味が無いと悟る。「今、『頬に』って言ったよね?」「言ったな」「…………もしかして、それ以外の箇所にキスをされた事はあるの?」「え? あぁ、まぁ」 あれ? どうして俺はこんな答えなくてももいいような質問に律儀に答えてるんだろうか?「それっておでこ?」「…………そう、だな」 俺は敢えて嘘の答えを言った。だって、何故か知らないけどファイネの眼が据わっているんだ。返答によっては一悶着ありそうな予感がしたから、お茶を濁そうと嘘を吐いてみた。「嘘だね」 が、どう言う訳か一発で嘘だと見破られてしまった。どうしてだ? 嘘を吐く事にはこう言っては何だけど定評はありそうだぞ、俺は。この世界に来て直ぐの時には自分の身を守る為に嘘を吐いていて、しかも一時とは言え信じられてバレなかったんだ。目の動きとか挙動とかも不自然にしなかった筈だ。「……本当は何処にされたの?」 ヤバい。眼の据わり具合が先程よりも増している。瞳のハイライトが徐々に消え失せている! 感情が無くなっていくようで怖い! 何コレどうなってんの!? 俺ファイネに何かしたっけ!? 否、何もしていないと断言出来る! と言うか、何かされたのはどちらかと言えば俺の方だ! 仲間を拉致されたのも、強制的に大会に参加させられたのも、いきなり手を握られたのも、唐突に頬にキスされたのも、全てファイネがしてきた行いだ! 被害(?)を受けてるのは俺! なので責められる覚えはない! て言うかこの展開は何ですか!? 俺は何時の間にラブコメの世界線へと足を踏み入れてしまったんだ!? と言う心の中の叫びは当然ながらファイネには聞こえておらず、据わっておられる両目で俺の瞳の中の感情を読み取ろうとしているが如く覗き込んでくる。「……………………………………もしかして」 ファイネはおどろおどろしい声音で俺に確認を取る。「唇?」「…………」 黙秘権発動。「……ビンゴ、ね」 内心を悟られました。「だったら、何だよ?」 一応の強がりを見せる。俺。「べっつにぃ。ただの確認だよ」 目のハイライトは戻っていたけど、それでも声に刺々しい質感が付加された。何なんだよ一体?「相手はあの赤茶の髪の子? それとも灰色の子?」「どっちでもねー……」 またもや勝手に誤解をしてきたので俺は呆れながら即座に否定する。スーネルやリルにキスをされた覚えはないし、迫った覚えも無い。確かにスーネルは美人だしリルも可愛いけど俺より年下だ。俺はロリコンではない。どぎまぎする事はあっても欲情はしない。もしキスなんてしたら警察の御用になるだろう。この世界に警察はいないだろうけど。「じゃあ誰?」「それは……」 ファイネの質問に俺は口を開き、そのまま言葉を失くす。誰? と言う問いにはキルリと答えればいいが、ファイネはキルリの事は知らないし、知る必要も無い。だから口にしようとは思わないけど、俺が言葉を失くしたのは別の理由からだ。 また、ファイネとキルリの顔が重ね合った。 けど、今回のは今までのとは少々異なっていて、ファイネの言葉、表情から重ね合わされたのではないので完全には一致していない。ファイネの顔に重ね合わされたキルリの表情は、幸せそうに笑っている。その笑顔は、彼女が死ぬ間際に俺に見せたものだ。それが脳裏にフラッシュバックされ、半ば無理矢理にファイネの顔に重ね合わされた。 視界が急速に遠ざかり、がりっと、胸の奥が削り取られた。物理的にではなく、精神的に、心の一部が抉られた。 痛い。痛い。痛い……っ。 でも、この痛みは受け入れなければいけない。捨ててはいけない。あの時キルリを助ける事が出来なかった俺が背負うべき痛みなんだ。だから、癒そうとするな、目を背けるな、消し去ろうとするな。誰かに助けを乞う事もせず、一人でしっかりと噛み締めてその身に刻んで受け入れろ……っ!「……御免」 ふと、いきなりファイネが目を細め、口をやや下に引きながら謝り、俺の右の笑窪に右手の親指を、左の笑窪に右の人差し指と中指を這わせる。「辛い記憶……思い出させちゃったみたいだね」 這わせていた指を拭い取るように笑窪から離す。ファイネの瞳は揺れ、指の先は濡れていた。もしかして……俺は泣いていた? 俺は自分の指を目元へと触れさせると、液体を触った感触が伝わってきた。指を離すと濡れていた。やはり、泣いていたようだ。「本当に、御免」 急にしおらしくなったファイネは頭を下げてくる。流石は騎士団と言った所か、頭を下げる角度がきちっとしている。変な所で感心してしまった。「あ、いや。別に謝る事でもないから顔上げて」 うん、これはファイネの所為じゃない。無意識で涙を流したのは俺がまだキルリの死をきちんとした形で受け入れていなくて、未練がましくしているからだ。ファイネが気を負う必要なんてない。だから謝らないで欲しい。「…………あの子なんだね」 あの子、って?「私と顔が似てたって子とキス、したんだね」「えっ」 頭を下げたままファイネは知り得る筈も無い事を口にした。どうして、ファイネはキルリの事を知っているんだ?「昨日、赤茶の髪の女の子から訊いた」 ファイネは俺の心の内に湧いた質問を感じ取ったのか、ぽつりと呟いた。「赤茶の子は私の顔を見て驚いてたから、どうしてって訊いた。そしたら、私に似てる子と一ヶ月共に過ごしてたって。そして、その子は『エルソの災害』でもう……いないって事も」 そうか、スーネルがファイネに教えたんだ。やっぱり、スーネルもファイネの顔を見て驚いたんだな。ここまでキルリと瓜二つの顔をしていれば、驚かない方が可笑しいか。「御免。本当は私と顔を合わせてるだけでも辛いんだと思う。……けど」 ファイネは顔を上げて真っ直ぐと俺の眼を見て言葉を続ける。「それでも、私は…………」 と、何かを言い掛けたが口を噤み、目を伏せて首を静かに左右に振る。「……もう、行くね。今日も見回りがあるから。じゃあ、また明日」 ファイネは弱々しい笑みを作って、軽く手を振ると俺の横を過ぎて階段を下りて行った。俺は振り返ってファイネの背中を見る事もなく、自分に嫌悪の感情を向ける。「…………俺の、馬鹿」 俺の所為でファイネにあんな顔をさせてしまった。ファイネはただキルリと顔が似ているだけだ。なのに、ファイネの顔を見てキルリの事を思い出し、勝手に悲しんだ俺を見てファイネは気が咎めてしまった。ファイネは何も悪くない。悪いのは俺だ。俺の心が弱いから。 俺は自分を責めながら、明日ファイネに会ったら謝ろうと思い、床に就いた。 で、翌日。
「私、バルーネン国騎士団副団長ファイネ=ギガンスは異邦人ソウマ=カチカに結婚を申し込む!」
 顔を合わせた際の第一声により、これは何てラブコメだ? と思ってしまったのは無理も無いだろう。ファイネのプロポーズにより、俺の中で考えに考え抜かれた謝罪の言葉、それに自責の念は綺麗に何処かへと吹っ飛んでしまった。 本当、何がどうしてこうなった?


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