うちのトラックは、轢いた相手を異世界に飛ばせるらしい
第9話 『予兆』
「きゃっ……もう、シロちゃんったら」
足にじゃれつくシロの様子に、タバサが楽しげで弾んだ声を上げた。
戯れているところを見るとなんとも微笑ましい。
それにタバサの髪質ももこもこしているため、毛玉のようなシロとなんとなく似ているような気もする。
「社長、準備はできました。いつでも出られます」
「了解、それじゃさっさと運んでしまうか。タバサ、俺たちは荷物を送り届けに行ってくるから、その間の留守番は頼む」
「はい、わかりました。気をつけて行って来てくださいね」
「タバサ、シロのことはよろしくお願いします」
「任せてください、アシハナさん」
今朝、初めて顔を会ったばかりだというのに、妙にタバサとシロは馴染んでいるようだった。
いつの間に仲良くなったのか……そんな疑問が込み上げるが、それをのんびり質問するほどの時間的余裕は無い。
俺は質問を飲み込むと、タバサとシロをおいて早速アシハナとともにトラックへ乗り込む。
「アシハナ、タバコを吸ってもかまわないか?」
「ええ、どうぞ。……やはり寝不足ですか?」
「三時間も寝られなかったからな……」
エンジンをかけながら慣れた手つきでタバコを取り出し、いつものように火をつける。
ゆっくりと紫煙を吸い込むと、それだけでわずかに目が覚めるような気がした。
「はぁ……タバコが美味い」
「くすっ。思い出します、私の実の父も、そのようにしてキセルを吹かしていたことを」
「アシハナの世界にもタバコがあったのか?」
「こちらの世界の物と同じかはわかりませんが、精神高揚と痛みを和らげる効果のある葉をいぶし、煙を吸う習慣ならありました。私は苦手で、手を出したことはありませんが……」
「……それ、もしかして麻薬じゃないか?」
この世界でも医療用に使われることもある大麻とか、その系統の葉っぱな気がする。
そんなことを考えながら一本目を吸いきり、灰皿に押しつけてからトラックを発進させた。
「そう言えば、タバサはずいぶんとあの毛玉……シロに懐かれていたようだな?」
「タバサにシロのご飯を用意して貰ったのですが、それですっかり餌付けされてしまったようで……」
「ははっ、そうか。あいつも現金なもんだな」
食べ物をくれる相手に懐くとは、何ともわかりやい。
そんな俺の言葉に、アシハナは少しだけ真剣な表情で首を横に振った。
「異世界から送られてきたということは、シロも私やタバサのように贄になったということです。動物にしろ人にしろ、供物として捧げる前は絶食させたりしますので……」
「ああ……そうか、久し振りの食事だったって可能性もあるのか」
だとすれば、食べ物をくれた相手に懐くのは無理もない話か。
もっともシロは言葉を話せないため、本当のところはどうなのかを聞くことは出来ないだろうけども。
「社長の方はどうだったのでしょうか? 神様にはお会いできたのですか?」
「ちゃんと夢枕に立っていたよ。顔を合わせるなり謝られたけどな」
謝られたというところで、アシハナは驚いたような表情を浮かべていた。
だが、夢の中でのことを説明すると納得したような様子で頷く。
「そのような事情だったのですね。しかし、何と言いますか……最後の、女神様が残したという言葉が気になりますね」
意識が暗転する寸前に言っていた、『歪みが生じた』と『何か良くないことが──』という言葉が頭によぎる。
元々は、異世界に人を送らなければ世界のバランスが崩れて天災が起こるということだった。
俺は頼まれた分は全てこなしているし、おそらくだがもう一人のあの大型トラックのドライバーも異世界に人を送り続けているはずだ。
なのに歪みが生じるとはどういうことなのか。
俺と、あの大型トラックのドライバーは会ってはいけなかったとも言っていたし……。
「社長、先方の会社が見えてきました」
アシハナの言葉に、考えごとに沈み込みそうだった意識を現実に引き戻した。
今は仕事の時間だし、何より運転の最中だ。もっと集中しなければ。
「俺は担当の人に挨拶をしてくるから、その間アシハナは荷下ろしを頼む。多分事務員さんが指示をしてくれるから、それに従ってくれ」
「承知しました。私にお任せください」
仕事の手順を確認し、先方の会社の裏手……倉庫のある場所にトラックを停車させる。
エンジンを止めてトラックから降り──
ドンッ! と、地面がから突き上げるような衝撃が襲いかかって来た。
「~~~~っ!!」
同じように降りたところだったアシハナが、よろけて慌ててトラックへと掴まる。
「地震か?」
そこそこでかい。
俺もしばらくトラックに掴まり、揺れが収まるのをジッと待つ。
幸い、揺れはそれほど長くは続かなかったようだ。
「社長、大丈夫ですか!? どこかお怪我はっ」
「大丈夫だ。アシハナこそどうだ?」
「私も問題はありません。地が揺れるなど経験がなく驚きましたが、幸いすぐにトラックに掴まりましたので」
特に問題は無かったようで、俺はほっと胸を撫で下ろした。
そうしてる間にも、会社の裏手の出入り口から事務員らしい女性が出て来る。
「アシハナ、スマートフォンでタバサが無事か確認してみてくれ。そのあと事務員さんの指示に従って、事前に打ち合わせたとおりに頼んだ」
「承知しました」
アシハナが頷くのを待って、俺は近付いてきた事務員さんへと挨拶をした。
出てくるときに地震が起きて驚いたようだが、社屋の中は特に問題は無かったらしい。
念のため倉庫を確認して荷崩れしていないか調べるらしいが、俺はアシハナを紹介し、もしよろしければ……と、荷崩れをしていた場合の手伝いも申し出た。
さっきの揺れくらいなら大丈夫だとは思うが、ここで少しサービスしておけば後々に仕事で役に立つ日が来るかもしれない。
さらに二~三ほど言葉を交わし、俺はこの場はいったんアシハナに任せ、担当の職員に挨拶するため社屋の中へ入るのだった
「地の下から唸り声が聞こえたときはとても怖かったです。シロちゃんと一緒に、事務所の隅っこで小さくなっていましたけど……泉に身を投げたときよりも生きた心地がしなくて……」
事務所に戻ってきた俺たちを見て、心底ホッとした様子で駆け寄ってきたタバサ。
俺たちを見てはにかんだ笑顔を浮かべ、地震があったときのことを話してくれる。
先方の会社内のテレビでちらりと見たのだが、どうやら震度は四だったらしい。
今ではそれほど珍しい数字ではないが、突き上げるような揺れだったので数字以上のものを感じてしまった。
ましてやアシハナやタバサは、元の世界で一度も地震を経験したことが無かったらしい。
そんなだから、タバサが怯えるのも無理はないだろう。
「日本は地震列島って言われるくらいだから、今度もたびたび揺れるはずだ。あとで地震が来たときの対処法を教えるよ」
「はい、よろしくお願いします、社長」
にっこりと微笑むタバサに、俺も微笑み返した。
そのまま頭を撫でてから自分の席へと戻る。
「で、タバサ。事務仕事はどれくらい進んだ?」
「社長がいなくて出来なかった物もありましたが、わたしがわかるものは一通り済ませました」
「さすがだな。助かるよ」
貧乏暇無しとはよく聞くが、お金を稼ぐためには一つ仕事が終わったからとのんびり休むこともできない。
俺は早速タバサのやった書類のチェックを始め、タバサはタバサで、俺の隣で自分の仕事にミスがなかったかどうかドキドキしながら待っている。
「社長、今日はもう外出する予定はありませんでしたよね? 私は事務仕事ではお役に立てませんし、トラックでも洗ってきます」
「悪いな、アシハナ。それが終わったら、少し休憩していてくれ」
「承知しました。シロも一緒に行きましょう」
『ブナナー』
毛玉のような丸い物体がアシハナの言葉に頷いた様に見えた。
転がりながら……ではなく、かすかに毛の中から見え隠れしている短い手足で、ちょこちょことその後を付いて歩いていく。
何というか……本当に不思議な生物だ。
「アシハナ、シロを連れて行くのは良いが、あまり人に見られないようにな」
「はい、気をつけます!」
誰かに見られ、何という動物かを聞かれると誤魔化すのも大変だろう。
……何か言い訳を考えておいた方が良いかもしれない。
「社長、シロちゃんは本当に可愛いですよね……」
外へ出ていくアシハナとシロを見送りながら、タバサがうっとりと呟いた。
「タバサはああいうのが好きなのか?」
「はい、もふもふで、ふかふかで、とても幸せな感触だと思います。この世界に来てテレビでいろんな動物を見ていて、すっごくうらやましい……って思っていたんです」
「そっか、動物好きなんだな、タバサは」
だとしたら、シロを拾ってきたことは良かったのかもしれない。
あの同業者らしい男から報酬を横取りしたようなものだし、心苦しくもあるが……。
だが自称・神が補償をしてくれるようなことを言っていたし、そこまで気にすることもないか。
と、そんな時だった。
ズシンッと、先程も感じた振動が襲いかかって来る。
「きゃぁあぁぁっ!!」
「おっと」
悲鳴を上げて尻餅を付きそうになったタバサをとっさに抱きとめた。
タバサは強く俺にしがみつくようにして掴まってくる。
「また地震か……」
先程よりも揺れは小さいので恐らくは余震だろう。
震えるタバサを落ち着かせるため、その背中をトントンッと何度も優しく叩く。
振動は、程なくして収まった。
俺はタバサを抱きしめながら、耳元に口を寄せてささやきかける。
「もう大丈夫だ、地震は収まったぞ」
「は、はい……」
恐る恐る俺の胸に押しつけていた顔を上げ、ホッとした様子で息をつく。
「ごめんなさい、社長。わたし、驚いてしまいまして……」
「気にするな。慣れていないんだからしかたない」
そう答えながら、タバサの身体を俺から引き剥がす。
近くに置いてあったリモコンを手に取ると、震度を調べようとテレビをつけた。
そのタイミングで、外に出ていたアシハナも戻ってくる。
「社長、タバサ、無事ですか!?」
「こっちは問題ない。そっちはどうだ?」
「あ、はい、私の方も問題ありません。シロが驚いて、丸くなってしまいましたが……」
「いや、あいつは最初から丸いだろ」
どうやら、アシハナたちも驚いただけで問題は無かったらしい。
だが、また余震が来るかもしれないし、今のうちに地震のときの注意事項をしておいた方が良いか……。
そう思い、俺は二人をイスに座らせた。
つけっぱなしのテレビからは、先程の地震の震度が二であったことが表示されていた。
同時に、ニュースキャスターが「ただいま速報が入って来ました」と、起きたばかりだという事故のことを報道し始める。
俺は何気なくそちらに視線を向け、思わず二度見してしまった。
「なっ……」
「社長? どうかされたのですか?」
「テレビに何か気になることでも?」
俺の様子を見て、注意事項を大人しく聞いていた二人が同時に首をかしげる。
だが俺には、それに答えるだけの余裕が無かった。
ただ、テレビに映された二十代だろう男の写真をマジマジと見つめてしまう。
金に染めた髪を伸ばし、チャラチャラとした軽薄ないでたちをしている男。
見覚えがある。
それもそのはずだ、俺はこいつを、昨夜の衝撃的な場面で見たばかりなのだから。
「自動車の人身事故ですか。白昼堂々と大型トラックを暴走させて、何人もの人を巻き込んだ……。怖いですね、社長が車を凶器だと言った意味がよくわかります」
テレビ画面上に表示されている文字を読み、アシハナは眉をひそめた。
タバサはそれを聞いて、気遣わしそうに俺を見る。
自称・神に強要されるようにしてとは言え、俺も同じようなことはしているのだ。
タバサは、そのため俺がこのニュースを気にしている……と思っていることだろう。
だが、違う。そのことも確かに気になるが、今俺の頭の中は「何故?」という言葉がひたすら繰り返されていた。
あれは昨夜見た、もう一人の同業者だ。暗がりでちらっと顔を見ただけだが、間違いないと断言できる。
しかし選ばれたトラックに乗っていれば人払いされ、轢く瞬間は誰にも見られないはずだ。なのにニュースになっている……?
それにドライバーの人格も選考基準にあったはずだが、こんな事件を起こすような奴だったのか?
単純にただの運転ミスからの事故という可能性はあるが──
色々考えるが、そのどれもが根拠はない想像だ。
だが言い知れない不安な気持ちが、俺の中に芽生え始めていた。
足にじゃれつくシロの様子に、タバサが楽しげで弾んだ声を上げた。
戯れているところを見るとなんとも微笑ましい。
それにタバサの髪質ももこもこしているため、毛玉のようなシロとなんとなく似ているような気もする。
「社長、準備はできました。いつでも出られます」
「了解、それじゃさっさと運んでしまうか。タバサ、俺たちは荷物を送り届けに行ってくるから、その間の留守番は頼む」
「はい、わかりました。気をつけて行って来てくださいね」
「タバサ、シロのことはよろしくお願いします」
「任せてください、アシハナさん」
今朝、初めて顔を会ったばかりだというのに、妙にタバサとシロは馴染んでいるようだった。
いつの間に仲良くなったのか……そんな疑問が込み上げるが、それをのんびり質問するほどの時間的余裕は無い。
俺は質問を飲み込むと、タバサとシロをおいて早速アシハナとともにトラックへ乗り込む。
「アシハナ、タバコを吸ってもかまわないか?」
「ええ、どうぞ。……やはり寝不足ですか?」
「三時間も寝られなかったからな……」
エンジンをかけながら慣れた手つきでタバコを取り出し、いつものように火をつける。
ゆっくりと紫煙を吸い込むと、それだけでわずかに目が覚めるような気がした。
「はぁ……タバコが美味い」
「くすっ。思い出します、私の実の父も、そのようにしてキセルを吹かしていたことを」
「アシハナの世界にもタバコがあったのか?」
「こちらの世界の物と同じかはわかりませんが、精神高揚と痛みを和らげる効果のある葉をいぶし、煙を吸う習慣ならありました。私は苦手で、手を出したことはありませんが……」
「……それ、もしかして麻薬じゃないか?」
この世界でも医療用に使われることもある大麻とか、その系統の葉っぱな気がする。
そんなことを考えながら一本目を吸いきり、灰皿に押しつけてからトラックを発進させた。
「そう言えば、タバサはずいぶんとあの毛玉……シロに懐かれていたようだな?」
「タバサにシロのご飯を用意して貰ったのですが、それですっかり餌付けされてしまったようで……」
「ははっ、そうか。あいつも現金なもんだな」
食べ物をくれる相手に懐くとは、何ともわかりやい。
そんな俺の言葉に、アシハナは少しだけ真剣な表情で首を横に振った。
「異世界から送られてきたということは、シロも私やタバサのように贄になったということです。動物にしろ人にしろ、供物として捧げる前は絶食させたりしますので……」
「ああ……そうか、久し振りの食事だったって可能性もあるのか」
だとすれば、食べ物をくれた相手に懐くのは無理もない話か。
もっともシロは言葉を話せないため、本当のところはどうなのかを聞くことは出来ないだろうけども。
「社長の方はどうだったのでしょうか? 神様にはお会いできたのですか?」
「ちゃんと夢枕に立っていたよ。顔を合わせるなり謝られたけどな」
謝られたというところで、アシハナは驚いたような表情を浮かべていた。
だが、夢の中でのことを説明すると納得したような様子で頷く。
「そのような事情だったのですね。しかし、何と言いますか……最後の、女神様が残したという言葉が気になりますね」
意識が暗転する寸前に言っていた、『歪みが生じた』と『何か良くないことが──』という言葉が頭によぎる。
元々は、異世界に人を送らなければ世界のバランスが崩れて天災が起こるということだった。
俺は頼まれた分は全てこなしているし、おそらくだがもう一人のあの大型トラックのドライバーも異世界に人を送り続けているはずだ。
なのに歪みが生じるとはどういうことなのか。
俺と、あの大型トラックのドライバーは会ってはいけなかったとも言っていたし……。
「社長、先方の会社が見えてきました」
アシハナの言葉に、考えごとに沈み込みそうだった意識を現実に引き戻した。
今は仕事の時間だし、何より運転の最中だ。もっと集中しなければ。
「俺は担当の人に挨拶をしてくるから、その間アシハナは荷下ろしを頼む。多分事務員さんが指示をしてくれるから、それに従ってくれ」
「承知しました。私にお任せください」
仕事の手順を確認し、先方の会社の裏手……倉庫のある場所にトラックを停車させる。
エンジンを止めてトラックから降り──
ドンッ! と、地面がから突き上げるような衝撃が襲いかかって来た。
「~~~~っ!!」
同じように降りたところだったアシハナが、よろけて慌ててトラックへと掴まる。
「地震か?」
そこそこでかい。
俺もしばらくトラックに掴まり、揺れが収まるのをジッと待つ。
幸い、揺れはそれほど長くは続かなかったようだ。
「社長、大丈夫ですか!? どこかお怪我はっ」
「大丈夫だ。アシハナこそどうだ?」
「私も問題はありません。地が揺れるなど経験がなく驚きましたが、幸いすぐにトラックに掴まりましたので」
特に問題は無かったようで、俺はほっと胸を撫で下ろした。
そうしてる間にも、会社の裏手の出入り口から事務員らしい女性が出て来る。
「アシハナ、スマートフォンでタバサが無事か確認してみてくれ。そのあと事務員さんの指示に従って、事前に打ち合わせたとおりに頼んだ」
「承知しました」
アシハナが頷くのを待って、俺は近付いてきた事務員さんへと挨拶をした。
出てくるときに地震が起きて驚いたようだが、社屋の中は特に問題は無かったらしい。
念のため倉庫を確認して荷崩れしていないか調べるらしいが、俺はアシハナを紹介し、もしよろしければ……と、荷崩れをしていた場合の手伝いも申し出た。
さっきの揺れくらいなら大丈夫だとは思うが、ここで少しサービスしておけば後々に仕事で役に立つ日が来るかもしれない。
さらに二~三ほど言葉を交わし、俺はこの場はいったんアシハナに任せ、担当の職員に挨拶するため社屋の中へ入るのだった
「地の下から唸り声が聞こえたときはとても怖かったです。シロちゃんと一緒に、事務所の隅っこで小さくなっていましたけど……泉に身を投げたときよりも生きた心地がしなくて……」
事務所に戻ってきた俺たちを見て、心底ホッとした様子で駆け寄ってきたタバサ。
俺たちを見てはにかんだ笑顔を浮かべ、地震があったときのことを話してくれる。
先方の会社内のテレビでちらりと見たのだが、どうやら震度は四だったらしい。
今ではそれほど珍しい数字ではないが、突き上げるような揺れだったので数字以上のものを感じてしまった。
ましてやアシハナやタバサは、元の世界で一度も地震を経験したことが無かったらしい。
そんなだから、タバサが怯えるのも無理はないだろう。
「日本は地震列島って言われるくらいだから、今度もたびたび揺れるはずだ。あとで地震が来たときの対処法を教えるよ」
「はい、よろしくお願いします、社長」
にっこりと微笑むタバサに、俺も微笑み返した。
そのまま頭を撫でてから自分の席へと戻る。
「で、タバサ。事務仕事はどれくらい進んだ?」
「社長がいなくて出来なかった物もありましたが、わたしがわかるものは一通り済ませました」
「さすがだな。助かるよ」
貧乏暇無しとはよく聞くが、お金を稼ぐためには一つ仕事が終わったからとのんびり休むこともできない。
俺は早速タバサのやった書類のチェックを始め、タバサはタバサで、俺の隣で自分の仕事にミスがなかったかどうかドキドキしながら待っている。
「社長、今日はもう外出する予定はありませんでしたよね? 私は事務仕事ではお役に立てませんし、トラックでも洗ってきます」
「悪いな、アシハナ。それが終わったら、少し休憩していてくれ」
「承知しました。シロも一緒に行きましょう」
『ブナナー』
毛玉のような丸い物体がアシハナの言葉に頷いた様に見えた。
転がりながら……ではなく、かすかに毛の中から見え隠れしている短い手足で、ちょこちょことその後を付いて歩いていく。
何というか……本当に不思議な生物だ。
「アシハナ、シロを連れて行くのは良いが、あまり人に見られないようにな」
「はい、気をつけます!」
誰かに見られ、何という動物かを聞かれると誤魔化すのも大変だろう。
……何か言い訳を考えておいた方が良いかもしれない。
「社長、シロちゃんは本当に可愛いですよね……」
外へ出ていくアシハナとシロを見送りながら、タバサがうっとりと呟いた。
「タバサはああいうのが好きなのか?」
「はい、もふもふで、ふかふかで、とても幸せな感触だと思います。この世界に来てテレビでいろんな動物を見ていて、すっごくうらやましい……って思っていたんです」
「そっか、動物好きなんだな、タバサは」
だとしたら、シロを拾ってきたことは良かったのかもしれない。
あの同業者らしい男から報酬を横取りしたようなものだし、心苦しくもあるが……。
だが自称・神が補償をしてくれるようなことを言っていたし、そこまで気にすることもないか。
と、そんな時だった。
ズシンッと、先程も感じた振動が襲いかかって来る。
「きゃぁあぁぁっ!!」
「おっと」
悲鳴を上げて尻餅を付きそうになったタバサをとっさに抱きとめた。
タバサは強く俺にしがみつくようにして掴まってくる。
「また地震か……」
先程よりも揺れは小さいので恐らくは余震だろう。
震えるタバサを落ち着かせるため、その背中をトントンッと何度も優しく叩く。
振動は、程なくして収まった。
俺はタバサを抱きしめながら、耳元に口を寄せてささやきかける。
「もう大丈夫だ、地震は収まったぞ」
「は、はい……」
恐る恐る俺の胸に押しつけていた顔を上げ、ホッとした様子で息をつく。
「ごめんなさい、社長。わたし、驚いてしまいまして……」
「気にするな。慣れていないんだからしかたない」
そう答えながら、タバサの身体を俺から引き剥がす。
近くに置いてあったリモコンを手に取ると、震度を調べようとテレビをつけた。
そのタイミングで、外に出ていたアシハナも戻ってくる。
「社長、タバサ、無事ですか!?」
「こっちは問題ない。そっちはどうだ?」
「あ、はい、私の方も問題ありません。シロが驚いて、丸くなってしまいましたが……」
「いや、あいつは最初から丸いだろ」
どうやら、アシハナたちも驚いただけで問題は無かったらしい。
だが、また余震が来るかもしれないし、今のうちに地震のときの注意事項をしておいた方が良いか……。
そう思い、俺は二人をイスに座らせた。
つけっぱなしのテレビからは、先程の地震の震度が二であったことが表示されていた。
同時に、ニュースキャスターが「ただいま速報が入って来ました」と、起きたばかりだという事故のことを報道し始める。
俺は何気なくそちらに視線を向け、思わず二度見してしまった。
「なっ……」
「社長? どうかされたのですか?」
「テレビに何か気になることでも?」
俺の様子を見て、注意事項を大人しく聞いていた二人が同時に首をかしげる。
だが俺には、それに答えるだけの余裕が無かった。
ただ、テレビに映された二十代だろう男の写真をマジマジと見つめてしまう。
金に染めた髪を伸ばし、チャラチャラとした軽薄ないでたちをしている男。
見覚えがある。
それもそのはずだ、俺はこいつを、昨夜の衝撃的な場面で見たばかりなのだから。
「自動車の人身事故ですか。白昼堂々と大型トラックを暴走させて、何人もの人を巻き込んだ……。怖いですね、社長が車を凶器だと言った意味がよくわかります」
テレビ画面上に表示されている文字を読み、アシハナは眉をひそめた。
タバサはそれを聞いて、気遣わしそうに俺を見る。
自称・神に強要されるようにしてとは言え、俺も同じようなことはしているのだ。
タバサは、そのため俺がこのニュースを気にしている……と思っていることだろう。
だが、違う。そのことも確かに気になるが、今俺の頭の中は「何故?」という言葉がひたすら繰り返されていた。
あれは昨夜見た、もう一人の同業者だ。暗がりでちらっと顔を見ただけだが、間違いないと断言できる。
しかし選ばれたトラックに乗っていれば人払いされ、轢く瞬間は誰にも見られないはずだ。なのにニュースになっている……?
それにドライバーの人格も選考基準にあったはずだが、こんな事件を起こすような奴だったのか?
単純にただの運転ミスからの事故という可能性はあるが──
色々考えるが、そのどれもが根拠はない想像だ。
だが言い知れない不安な気持ちが、俺の中に芽生え始めていた。
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