うちのトラックは、轢いた相手を異世界に飛ばせるらしい
第8話 『見知らぬ生き物』
「ただいま……」
トラックでひたすら走り続けて、空も白み始めたころにようやく帰ってこられた。
寝ているだろう二人を起こさないよう、気をつけながら静かに家に入る。
「お帰りなさいませ、ご主人。お疲れ様でした」
「うわっ!? ……って、アシハナか。もしかして起こしたか?」
いくら静かにしているつもりでも、エンジン音までは誤魔化せないからな。
それで起こしてしまったのならば申し訳ないが……。
「いえ、最初からご主人を待つために起きていました。タバサも一時間くらい前までは起きていたのですが、さすがに限界だったようで今は寝ています」
「ずっと起きていたのか……無理せずに寝ていて良かったのに」
呆れ気味にそう言うが、アシハナはとんでもないと首を横に振った。
「それはできません。家長が仕事をしているのに、私たちが寝ているなんて」
「気にしすぎだ。でもその気持ちはありがたく受け取っておくよ。ありがとう、アシハナ」
生真面目なアシハナに苦笑しながら、俺はその感謝の気持ちを表すように頭を撫でる。
途端、アシハナの頬が赤く染まり始めた。
「ご主人、私はもう子供ではありませんからっ」
「そういや、アシハナのいた世界では何歳で成人なんだ?」
「男も女も十五歳で成人です。私も、すでに成人の儀を済ませていますから……だから、その、頭から手を離して貰えますと……」
「ちなみに、この世界では成人は二十歳からだ。だから、まだまだアシハナは子供だってことだな」
言いながら、俺は更に勢いよくアシハナの頭を撫でた。
軽くぽんぽんと手のひらを置くようにして撫でるやりかたならともかく、こうじっくり撫でられると照れるのだろう。
だが、嫌ではないようだ。恥ずかしがりながらも、大人しく頭を撫でられている。
「と、ところでご主人、仕事のことですが」
「アシハナ。『社長』、だろ?」
「あ、申し訳ありません。ですけど……ご息女の結花に言われたのです。会社では社長でも良いけど、家でもそれだとおかしい……と」
そう言えば、送っていくときに「どうして社長って呼ばせているの?」と聞かれたな。
そのときは公私の区別を付けていると説明したが、いまいち納得はしていなさそうだった。
確かに会社内ならともかく、家で社長と呼ばせるのはおかしいか……。
「それでも、ご主人はやめてくれ。それは奴隷に落とされたときの名残なんだろ?」
「そうですが……では、なんてお呼びすれば良いのでしょうか?」
「結花みたくお父でも良いし、お父さんでも、パパでも、好きなように呼んでくれ」
「……では、旦那様では──」
「それは義娘が父親を呼ぶときの呼称じゃない……」
そんな風に呼ばせていたら、結花のように勘違いする奴が多発するだろう。
しかし、どう呼べば良いのかアシハナ自身思いつかないらしい。そんな様子を見て、俺は深々と溜息をつく。
どうやら、アシハナには父親と呼ばれるのは難しいみたいだ。
タバサは無意識にだろうけども、俺と『お父様』と呼んでいたが……。
「わかった。それじゃあ、名前で呼んでくれ。流行……さん付けでも、君付けでも良いから。ただし、様付けだけは無しで頼む」
「し、承知しました。では家では流行さん……と、呼ばせていただきます」
「了解、それで良い。それで仕事のことだったか?」
「あっ、はい。大丈夫だとは思いますが、無事に済んだのでしょうか?」
俺が頭から手を離したことでアシハナはホッと息をついた。
少し残念そうな顔をしつつも、気を取り直して俺にそう質問してくる。
「それが、ちょっと奇妙なことになってな」
「奇妙なこと……ですか?」
首をかしげるアシハナに、あの場であったことを説明する。
おそらく同業者だろう男がいて、そいつが俺の目の前で対象を轢いていったこと。
多分あの自称・神が仕事を依頼して派遣したわけではないと思う。
あいつについては色々と思うところはあるが、さすがに俺に依頼しておきながら他の人間にも……なんて、わざとダブルブッキングさせるような真似はしないだろう。
それに関しては、また夢枕に立ったときにでも問い詰めるつもりだ。
あの大型トラックの男もきっと、俺があそこにいるとは思わなかったんだろう。
こちらを見てぎょっとした顔をしていたのがその証拠だ。
おそらく目撃者がいないと思っていただろうから、今頃は見られたと思って震えているかもしれない。
あの毛玉の生き物を拾わずに慌てて逃げたのが、その良い証拠だ。
「で、その流行さんが持っているのが、その白い物体……と言うわけですか」
小脇に抱えたそれを見て、アシハナが手を伸ばしてきた。
俺はそれを、軽く放るようにしてアシハナへ手渡す。
『ブー!』
「ひゃぁっ!?」
突然、鳴き声を上げる白い物体。
完全に予想外だったのか、アシハナが可愛らしい声を上げながらとっさに手を引っ込めていた。
白い毛玉はそのまま床に落ち、ころころと転がり始める。
「な、な、な、なんですか、これは!?」
「俺も知らん。少なくとも、この世界にこんな生物がいるなんて聞いたこともないな」
もちろん広く知識を持っているわけでは無いので、絶対にいないとは断言しない。
あえて言うのならば羊やヤギ的な体毛を持った、鳴き声的に豚……っぽい生き物?
以前ネットで見かけたマンガリッツァ豚という奴に似ていないこともないが、あくまでも似ているだけでまったく別の生物だ。
そもそもサッカーボール大で、こんな転がりそうなほど丸々とした動物は見たことがない。
『ブナー』
そいつは転がるのをピタリと止め、アシハナを見上げながら再度鳴き声を上げた。
アシハナはしばしそれをジッと見つめると、次第に微笑みへと表情が変化していく。
「か、可愛い……」
ぽつりとそんなことを呟き、それを拾い上げた。
寝間着にしている浴衣ごしでもはっきりわかるくらい豊満な胸の膨らみに埋めるようにして抱きしめ、キラキラとした眼差しを俺に向けてくる。
「流行さん、この子はうちで飼うのですか!?」
「あー……それだけどな、多分そうするしかないだろ。あの場所に戻してくるわけにもいかないし……」
「そう言えば、別のトラックの人が先に仕事をして、その報酬で出て来た子なんでしたね」
そう、本来ならこいつは俺ではなくてあの軽薄そうな若い男の報酬だったはずなのだ。
だがあいつはこいつを回収せずに、逃げ出してしまった。
気持ちはわかるので逃げたことには何も言わないが、さすがにこいつをあの場に残しておくわけにはいかなかった。
おそらくこの世界にはいないだろう生物。あのまま残しておけば、間違いなく騒ぎになっていたはずだ。
結花の住んでいる街でもあるし……ってことで、俺はそいつを回収してきたのだ。
報酬を横取りしたみたいであまり気分は良くないが……。
自称・神に文句を言いがてら、何か補填するように言っておくとしよう。
「さて、今からだと三時間寝られるかどうかだが……俺は一眠りするよ。アシハナも早く寝た方が良い」
「はい。……この子はどうしましょう?」
「箱にでも閉じ込めておきたいが……」
こいつが何かわかっていないし、今は大人しいが狂暴で危険な生物な可能性もある。
だが、アシハナは白い毛玉を抱きしめながら顔をプルプルと横に振った。
「そんなのは可哀そうです! 私が面倒を見ますから、世話をさせてくれませんか?」
「……もし、そいつが狂暴な獣だったらどうする?」
「そのときは私が責任を持って処分します。これでも腕には自信がありますから」
「そうか……まぁアシハナがそう言うのであれば任せる。ただ、気をつけるようにな」
「はい、ありがとうございます、流行さんっ」
ぱぁっと華やいだ笑顔を浮かべ、アシハナは頷いた。
そのままその白い毛玉を自分の部屋……と言うか、あてがった和室へと連れていく。
それを見送り、俺も自分の部屋に戻ることにした。
「はぁ……今日は散々だったな……」
ベッドに横たわりながら、思わずそう愚痴ってしまう。
あそこまで行ったことが無駄だったとは思わない。車で片道四時間。その間、じっくり娘と話をすることができたのだから。
二年という時間が埋まるわけではないが、それでも少しは昔の絆を取り戻せたような気はする。
しかし、本当に今日のあれはどういうことなのか……。
ダブルブッキングだとしたら、どうしてあんなことになってしまったのか。
俺は初めて、あの自称・神が夢枕に立つよう祈りながら眠りに落ちていく。
ふと気が付けば、そこは最近よく見る白亜の世界だった。
そのことに気が付くなり、俺はとっさに声を上げる。
「おい自称・神、今日のアレはいったいどう言う──」
『申し訳ありませんでした、流行。今回のことは完全にこちらの落ち度です。責めはいかようにも受けましょう。謝罪いたします』
「お、おう……」
機先を制するかのように謝罪されてしまい、俺の言葉は尻すぼみに小さくなってしまう。
自称・神は俺の方を向き、深々と頭を下げていた。
そのことに一気に毒気を抜かれてしまい、そっと溜息をつく。
「謝罪してくれるなら良いさ。あの街へ行ったこと自体は無駄だとは思っていないからな。だが……どういうことか説明はしてくれるんだろうな?」
『ええ、もちろんです』
そして、自称・神は今回のことを説明してくれる。
と言ってもおおよそ俺の想像通りだった。
この世界には俺以外にも一人だけ、同じように依頼を受けて異世界に人を送っている者がいるそうだ。
今回遭遇したのが、その相手だったらしい。
そちらにも別の自称・神がついており、担当する地域が違うらしいが……。
で、今回の件だ。
今回の異世界に送るのに一番相応しい人間のいる場所──結花の住んでいる街は、俺ともう一人のどちらの担当地域からも外れていたらしい。
結局目の前にいる女性が受け持ったそうなのだが、もう一人の自称・神が横取りして、自分の担当の奴にやらせてしまったとか。
「なんだ、そりゃ……」
その説明を聞いて、思わずそう言ってしまったのもしかたないだろう。
っと、そうだ。
「なぁ、向こうの世界から送られてきた報酬を俺が回収したんだが……あんたの方から、そいつに何か補填してやってくれないか? もしくは、俺が直接届け──」
『それはおやめください。補填に関しては、わたくしがしておきます。とはいえ、元々はあちらが横から入って来ただけのこと。流行が気にするようなことではありません』
「あ、ああ、それなら良いが……」
少し強めな彼女の言葉に、少し面食らってしまった。
まぁ彼女がそう言うのであれば、その通りにするが……。
『本来、そなたたちは出会うことはなかったのです。いえ、出会ってはいけなかったのです。今回のことは完全にこちらの不手際でした、申し訳ありません』
「もう良い。ったく、本当にあんたらは神なのか? ますます信じられなくなったんだが……」
目の前の女性は能面のような顔をしているが、今回の件では人間臭さを感じてしまった。
確執でも無ければ、普通は他人の仕事を横取りしようなんて考えないだろう。
不手際といい、もう一人のいると言う自称・神と確執がありそうなことといい、人間味に溢れているような気がする。
「で、夢枕に立ったってことはまた仕事があるのか? それとも謝罪をしに来ただけなのか?」
『謝罪だけです。今は流行にお願いすることはありませんし、あったとしても依頼が続きましたので少し間を空ける方が良いでしょう。どうぞゆっくり休んでください』
そう言って、再度彼女が俺に頭を下げてきた。
同時に白亜の世界がぐにゃりと歪み始める。
ああ、これはいつもの夢の終わりと同じ光景だ。
俺はそれに逆らおうとはせずに、大人しく身をゆだねる。
だが自称・神のことを認識出来なくなる、その寸前。
『気をつけてください、流行。今回のことで歪みが生じました。この世界で、何か良くないことが──』
そんな彼女の声を聞きながら、俺の意識は暗転する。
ペロリと、顔を何かに舐められる感触で目を覚ました。
「なん……って、うわぁああぁぁっ!?」
重いまぶたを持ち上げると、俺の胸に乗るようにして白い毛玉が鎮座していた。
鋭い牙の奥から妙に長い舌を出して、ちろちろと俺の顔を舐め回している。
そして至近距離から見て気付いたが、ちゃんと毛玉にも瞳がついていた。
虫類にも似た縦長の瞳孔がジッと俺のことを見つめていて、妙に気味が悪い。
「……なんでこいつがここにいる?」
「あっ、流行さん、おはようございます。ちょうど起こそうとしたところだったのですが……シロはここにいたのですね」
「シロ?」
聞き覚えのない名前に、思わず問い返してしまった。
……いや、聞き覚えはないが、何のことを言っているのかはわかる。
「この白い毛玉のような子のことです。先程タバサと相談して名付けました。もしかして、流行さんの方で考えていた名前がありましたか?」
「いや……特に何もなかったし、それでかまわない。世話はアシハナに一任したんだしな」
何より覚えやすい名前だ。白い毛玉にはピッタリだと言っても良いだろう。
だが……。
「寝不足なのもあるが、目覚めとしては最悪な部類だな」
できればアシハナかタバサに起こしてもらいたかった。
そう思ってしまう俺は、一人で暮らしていた二年間に比べるとずいぶん贅沢になったもんだよな……。
トラックでひたすら走り続けて、空も白み始めたころにようやく帰ってこられた。
寝ているだろう二人を起こさないよう、気をつけながら静かに家に入る。
「お帰りなさいませ、ご主人。お疲れ様でした」
「うわっ!? ……って、アシハナか。もしかして起こしたか?」
いくら静かにしているつもりでも、エンジン音までは誤魔化せないからな。
それで起こしてしまったのならば申し訳ないが……。
「いえ、最初からご主人を待つために起きていました。タバサも一時間くらい前までは起きていたのですが、さすがに限界だったようで今は寝ています」
「ずっと起きていたのか……無理せずに寝ていて良かったのに」
呆れ気味にそう言うが、アシハナはとんでもないと首を横に振った。
「それはできません。家長が仕事をしているのに、私たちが寝ているなんて」
「気にしすぎだ。でもその気持ちはありがたく受け取っておくよ。ありがとう、アシハナ」
生真面目なアシハナに苦笑しながら、俺はその感謝の気持ちを表すように頭を撫でる。
途端、アシハナの頬が赤く染まり始めた。
「ご主人、私はもう子供ではありませんからっ」
「そういや、アシハナのいた世界では何歳で成人なんだ?」
「男も女も十五歳で成人です。私も、すでに成人の儀を済ませていますから……だから、その、頭から手を離して貰えますと……」
「ちなみに、この世界では成人は二十歳からだ。だから、まだまだアシハナは子供だってことだな」
言いながら、俺は更に勢いよくアシハナの頭を撫でた。
軽くぽんぽんと手のひらを置くようにして撫でるやりかたならともかく、こうじっくり撫でられると照れるのだろう。
だが、嫌ではないようだ。恥ずかしがりながらも、大人しく頭を撫でられている。
「と、ところでご主人、仕事のことですが」
「アシハナ。『社長』、だろ?」
「あ、申し訳ありません。ですけど……ご息女の結花に言われたのです。会社では社長でも良いけど、家でもそれだとおかしい……と」
そう言えば、送っていくときに「どうして社長って呼ばせているの?」と聞かれたな。
そのときは公私の区別を付けていると説明したが、いまいち納得はしていなさそうだった。
確かに会社内ならともかく、家で社長と呼ばせるのはおかしいか……。
「それでも、ご主人はやめてくれ。それは奴隷に落とされたときの名残なんだろ?」
「そうですが……では、なんてお呼びすれば良いのでしょうか?」
「結花みたくお父でも良いし、お父さんでも、パパでも、好きなように呼んでくれ」
「……では、旦那様では──」
「それは義娘が父親を呼ぶときの呼称じゃない……」
そんな風に呼ばせていたら、結花のように勘違いする奴が多発するだろう。
しかし、どう呼べば良いのかアシハナ自身思いつかないらしい。そんな様子を見て、俺は深々と溜息をつく。
どうやら、アシハナには父親と呼ばれるのは難しいみたいだ。
タバサは無意識にだろうけども、俺と『お父様』と呼んでいたが……。
「わかった。それじゃあ、名前で呼んでくれ。流行……さん付けでも、君付けでも良いから。ただし、様付けだけは無しで頼む」
「し、承知しました。では家では流行さん……と、呼ばせていただきます」
「了解、それで良い。それで仕事のことだったか?」
「あっ、はい。大丈夫だとは思いますが、無事に済んだのでしょうか?」
俺が頭から手を離したことでアシハナはホッと息をついた。
少し残念そうな顔をしつつも、気を取り直して俺にそう質問してくる。
「それが、ちょっと奇妙なことになってな」
「奇妙なこと……ですか?」
首をかしげるアシハナに、あの場であったことを説明する。
おそらく同業者だろう男がいて、そいつが俺の目の前で対象を轢いていったこと。
多分あの自称・神が仕事を依頼して派遣したわけではないと思う。
あいつについては色々と思うところはあるが、さすがに俺に依頼しておきながら他の人間にも……なんて、わざとダブルブッキングさせるような真似はしないだろう。
それに関しては、また夢枕に立ったときにでも問い詰めるつもりだ。
あの大型トラックの男もきっと、俺があそこにいるとは思わなかったんだろう。
こちらを見てぎょっとした顔をしていたのがその証拠だ。
おそらく目撃者がいないと思っていただろうから、今頃は見られたと思って震えているかもしれない。
あの毛玉の生き物を拾わずに慌てて逃げたのが、その良い証拠だ。
「で、その流行さんが持っているのが、その白い物体……と言うわけですか」
小脇に抱えたそれを見て、アシハナが手を伸ばしてきた。
俺はそれを、軽く放るようにしてアシハナへ手渡す。
『ブー!』
「ひゃぁっ!?」
突然、鳴き声を上げる白い物体。
完全に予想外だったのか、アシハナが可愛らしい声を上げながらとっさに手を引っ込めていた。
白い毛玉はそのまま床に落ち、ころころと転がり始める。
「な、な、な、なんですか、これは!?」
「俺も知らん。少なくとも、この世界にこんな生物がいるなんて聞いたこともないな」
もちろん広く知識を持っているわけでは無いので、絶対にいないとは断言しない。
あえて言うのならば羊やヤギ的な体毛を持った、鳴き声的に豚……っぽい生き物?
以前ネットで見かけたマンガリッツァ豚という奴に似ていないこともないが、あくまでも似ているだけでまったく別の生物だ。
そもそもサッカーボール大で、こんな転がりそうなほど丸々とした動物は見たことがない。
『ブナー』
そいつは転がるのをピタリと止め、アシハナを見上げながら再度鳴き声を上げた。
アシハナはしばしそれをジッと見つめると、次第に微笑みへと表情が変化していく。
「か、可愛い……」
ぽつりとそんなことを呟き、それを拾い上げた。
寝間着にしている浴衣ごしでもはっきりわかるくらい豊満な胸の膨らみに埋めるようにして抱きしめ、キラキラとした眼差しを俺に向けてくる。
「流行さん、この子はうちで飼うのですか!?」
「あー……それだけどな、多分そうするしかないだろ。あの場所に戻してくるわけにもいかないし……」
「そう言えば、別のトラックの人が先に仕事をして、その報酬で出て来た子なんでしたね」
そう、本来ならこいつは俺ではなくてあの軽薄そうな若い男の報酬だったはずなのだ。
だがあいつはこいつを回収せずに、逃げ出してしまった。
気持ちはわかるので逃げたことには何も言わないが、さすがにこいつをあの場に残しておくわけにはいかなかった。
おそらくこの世界にはいないだろう生物。あのまま残しておけば、間違いなく騒ぎになっていたはずだ。
結花の住んでいる街でもあるし……ってことで、俺はそいつを回収してきたのだ。
報酬を横取りしたみたいであまり気分は良くないが……。
自称・神に文句を言いがてら、何か補填するように言っておくとしよう。
「さて、今からだと三時間寝られるかどうかだが……俺は一眠りするよ。アシハナも早く寝た方が良い」
「はい。……この子はどうしましょう?」
「箱にでも閉じ込めておきたいが……」
こいつが何かわかっていないし、今は大人しいが狂暴で危険な生物な可能性もある。
だが、アシハナは白い毛玉を抱きしめながら顔をプルプルと横に振った。
「そんなのは可哀そうです! 私が面倒を見ますから、世話をさせてくれませんか?」
「……もし、そいつが狂暴な獣だったらどうする?」
「そのときは私が責任を持って処分します。これでも腕には自信がありますから」
「そうか……まぁアシハナがそう言うのであれば任せる。ただ、気をつけるようにな」
「はい、ありがとうございます、流行さんっ」
ぱぁっと華やいだ笑顔を浮かべ、アシハナは頷いた。
そのままその白い毛玉を自分の部屋……と言うか、あてがった和室へと連れていく。
それを見送り、俺も自分の部屋に戻ることにした。
「はぁ……今日は散々だったな……」
ベッドに横たわりながら、思わずそう愚痴ってしまう。
あそこまで行ったことが無駄だったとは思わない。車で片道四時間。その間、じっくり娘と話をすることができたのだから。
二年という時間が埋まるわけではないが、それでも少しは昔の絆を取り戻せたような気はする。
しかし、本当に今日のあれはどういうことなのか……。
ダブルブッキングだとしたら、どうしてあんなことになってしまったのか。
俺は初めて、あの自称・神が夢枕に立つよう祈りながら眠りに落ちていく。
ふと気が付けば、そこは最近よく見る白亜の世界だった。
そのことに気が付くなり、俺はとっさに声を上げる。
「おい自称・神、今日のアレはいったいどう言う──」
『申し訳ありませんでした、流行。今回のことは完全にこちらの落ち度です。責めはいかようにも受けましょう。謝罪いたします』
「お、おう……」
機先を制するかのように謝罪されてしまい、俺の言葉は尻すぼみに小さくなってしまう。
自称・神は俺の方を向き、深々と頭を下げていた。
そのことに一気に毒気を抜かれてしまい、そっと溜息をつく。
「謝罪してくれるなら良いさ。あの街へ行ったこと自体は無駄だとは思っていないからな。だが……どういうことか説明はしてくれるんだろうな?」
『ええ、もちろんです』
そして、自称・神は今回のことを説明してくれる。
と言ってもおおよそ俺の想像通りだった。
この世界には俺以外にも一人だけ、同じように依頼を受けて異世界に人を送っている者がいるそうだ。
今回遭遇したのが、その相手だったらしい。
そちらにも別の自称・神がついており、担当する地域が違うらしいが……。
で、今回の件だ。
今回の異世界に送るのに一番相応しい人間のいる場所──結花の住んでいる街は、俺ともう一人のどちらの担当地域からも外れていたらしい。
結局目の前にいる女性が受け持ったそうなのだが、もう一人の自称・神が横取りして、自分の担当の奴にやらせてしまったとか。
「なんだ、そりゃ……」
その説明を聞いて、思わずそう言ってしまったのもしかたないだろう。
っと、そうだ。
「なぁ、向こうの世界から送られてきた報酬を俺が回収したんだが……あんたの方から、そいつに何か補填してやってくれないか? もしくは、俺が直接届け──」
『それはおやめください。補填に関しては、わたくしがしておきます。とはいえ、元々はあちらが横から入って来ただけのこと。流行が気にするようなことではありません』
「あ、ああ、それなら良いが……」
少し強めな彼女の言葉に、少し面食らってしまった。
まぁ彼女がそう言うのであれば、その通りにするが……。
『本来、そなたたちは出会うことはなかったのです。いえ、出会ってはいけなかったのです。今回のことは完全にこちらの不手際でした、申し訳ありません』
「もう良い。ったく、本当にあんたらは神なのか? ますます信じられなくなったんだが……」
目の前の女性は能面のような顔をしているが、今回の件では人間臭さを感じてしまった。
確執でも無ければ、普通は他人の仕事を横取りしようなんて考えないだろう。
不手際といい、もう一人のいると言う自称・神と確執がありそうなことといい、人間味に溢れているような気がする。
「で、夢枕に立ったってことはまた仕事があるのか? それとも謝罪をしに来ただけなのか?」
『謝罪だけです。今は流行にお願いすることはありませんし、あったとしても依頼が続きましたので少し間を空ける方が良いでしょう。どうぞゆっくり休んでください』
そう言って、再度彼女が俺に頭を下げてきた。
同時に白亜の世界がぐにゃりと歪み始める。
ああ、これはいつもの夢の終わりと同じ光景だ。
俺はそれに逆らおうとはせずに、大人しく身をゆだねる。
だが自称・神のことを認識出来なくなる、その寸前。
『気をつけてください、流行。今回のことで歪みが生じました。この世界で、何か良くないことが──』
そんな彼女の声を聞きながら、俺の意識は暗転する。
ペロリと、顔を何かに舐められる感触で目を覚ました。
「なん……って、うわぁああぁぁっ!?」
重いまぶたを持ち上げると、俺の胸に乗るようにして白い毛玉が鎮座していた。
鋭い牙の奥から妙に長い舌を出して、ちろちろと俺の顔を舐め回している。
そして至近距離から見て気付いたが、ちゃんと毛玉にも瞳がついていた。
虫類にも似た縦長の瞳孔がジッと俺のことを見つめていて、妙に気味が悪い。
「……なんでこいつがここにいる?」
「あっ、流行さん、おはようございます。ちょうど起こそうとしたところだったのですが……シロはここにいたのですね」
「シロ?」
聞き覚えのない名前に、思わず問い返してしまった。
……いや、聞き覚えはないが、何のことを言っているのかはわかる。
「この白い毛玉のような子のことです。先程タバサと相談して名付けました。もしかして、流行さんの方で考えていた名前がありましたか?」
「いや……特に何もなかったし、それでかまわない。世話はアシハナに一任したんだしな」
何より覚えやすい名前だ。白い毛玉にはピッタリだと言っても良いだろう。
だが……。
「寝不足なのもあるが、目覚めとしては最悪な部類だな」
できればアシハナかタバサに起こしてもらいたかった。
そう思ってしまう俺は、一人で暮らしていた二年間に比べるとずいぶん贅沢になったもんだよな……。
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