うちのトラックは、轢いた相手を異世界に飛ばせるらしい
第1話 『うちのトラックは』
暗がりの中でライターの明かりが静かに灯る。
慣れた手つきで取り出したタバコに無造作に火をつけ──
「っと、悪い。もしかしてタバコの煙は嫌だったか?」
助手席に座る女性の存在を思い出し、慌ててて確認を取った。
断りもなく火をつけるのは、さすがにマナー違反だが……。
「いえ、お構いなく。わたしなら大丈夫ですので」
「そうか……ありがとう」
どうやら、心配しすぎだったようだ。
暗くて表情は良く見えないが確かに微笑んでくれたのを感じ、お礼を言ってから改めてタバコに火をつける。
「すぅ……はぁ……」
肺に紫煙が満たされていく感覚。
若いころはこれだけでむせていたが、今はそんなことはなく……それどころか、これがなければ落ちつかない身体になってしまった。
「緊張されているのですか?」
「そりゃあ、なあ……。何度やっても、こればかりは慣れんよ」
「ご一緒するのは初めてですし、わたしにはまだ良くわかりませんが……。きっと、とても辛いことなんですよね」
いたわるように声を掛けられ、ハンドルを握る左手に彼女の手がそっと添えられる。
その手は少しだけひんやりとして、なぜか落ちつくような温かみを感じられた。
「お辛いのでしたら、一人で抱え込まずにわたしにも話してください。全身全霊でお慰めしますから」
「はは……ありがとう、そう言ってもらえるとありがたいよ」
その言葉が事実だとわかるだけに、それだけでもありがたかった。
だからこそ彼女は、今回別の場所で待っていることもできたのに同乗することを選んだのだろうから。
「だが俺も良い歳したおっさんだからなぁ。若い娘に弱みを見せるのは、さすがに気が引けるな」
「年齢なんて関係ありません。確かにわたしはあなた半分も生きていませんが、そもそも生きてきた世界が違うのですから、価値観からなにからなにまで違うわけですし」
「……そりゃ、確かに」
自分の娘みたいな年齢の女性に慰められ、思わず苦笑してしまう。
どうやら嫌なことを前にして、変に神経質になってしまっていたようだ。
もう一度タバコを吸い、ゆっくりと肺から紫煙を吐き出していく。
不意に、彼女が持つスマートフォンがメッセージ着信の音を立てた。
一瞬ビックリしたように肩を震わせ、慣れない手つきで画面をいじり始める。
「あっ……どうやら、目標が予測していた道を通って例の場所へ向かっているようです。一人……のようですね」
「つまりは予定通りってことか」
溜息交じりにそう言い、タバコを灰皿に押しつけた。
このままスムーズに進むのであれば、もう動かなければならない。
そして予定がズレたことなど、今まで数回行って来た中で、いまだに一度としてなかった。
「しかし、神様も残酷なことをするよな……っと。ちゃんとシートベルトは締めたか!?」
車のキーを回し、エンジンを始動する。
同時にうるさいくらいの大音量でカーステレオから音楽が流れ始めた。
その音に一瞬だけ怯んだよう声を詰まらせてから、彼女は音楽のボリュームに負けじと俺へ怒鳴り返して来た。
「教えていただきましたとおりに!」
「ちゃんと付けておけよ!? 激しく揺れたりするが、シートベルトをしていれば大丈夫だ!」
「はい、わかりました!!」
素直なのは良いことだ。
気持ちの良い返事に頷き返し、車のヘッドライトを点灯させた。
まだ夜も更けきっていない時間だが、お膳立てされたかのように周囲には人気がない。
自分たち以外の車も通らず、この様子だと今回も邪魔は入らなさそうだ。
「っし、行くぞ!」
シフトレバーを操作しつつアクセルを踏み込む。
目的の場所にたどり着くまでに時速八十キロメートルまで加速していなければならない。
この車は重量があるため、距離だけは無駄に余裕を持たせていた。
試したことはないが、最低速度を維持できなければおそらく大変なことになってしまう。
そのためブレーキを踏むことを考えず、手慣れた操作でギアを切り替えながら、ひたすらに加速を続けて行く。
「連絡です! 対象が横断歩道に差し掛かりました! 周りに誰もいないため、巻き込む危険もないとのことです!」
「おう、わかった!!」
大ボリュームの音楽の中でも彼女の声は妙にクリアに耳に届いた。
その声にわずかに癒されながらも、俺は最後の一押しとばかりにアクセルを思いっきり踏み込む。
音楽に合わせて、エンジンがものすごい音を立てて噴き上がった。
目標までは一直線だ。一気に速度メーターは時速八十キロメートルを越え、さらに上がっていく。
「目を瞑っていろ!!」
「はい~~~~っ!」
急加速でシートに身体を押しつけられる感覚に、悲鳴のような返事が返ってきた。
これから起こることを、好き好んで見る必要はない。助手席の方を見る余裕はないが、おそらく言われたとおりに目を瞑ったはずだ。
あとは、目標を捉えるだけ──
「見つけたぁぁぁっ!!」
付近の街灯に照らし出される人影が一つ。
周りに誰もいない状況を不思議にも思っていないのか、横断歩道のど真ん中を、手に持ったスマホをいじりながらのんきに歩いている。
まだ、気が付いていないだろう。
だが近づいて来るエンジン音に不審なモノを覚えたのか、不意に顔を上げてこちらを見た。
一瞬、目が合った──気がした。
その目は恐怖を示すように見開かれている。
少年……まだ、中学生くらいだろう。こんな時間にこのような場所を出歩いているのは、塾に行った帰りだからなのか。
彼がどんな人間なのか、俺はまったく知らされていない。
毎回依頼のたびに夢枕に立つ神様を名乗る女性だって、そんなことはいっさい教えてくれない。
そして自分自身、それを知ろうとは思わなかった。
知ってしまえば必ずためらいを産んでしまう。
それでなくとも何も知らない子供を親から取り上げるようなことをするのだ。
すでに俺の胸は罪悪感で張り裂けそうになっていた。
もしより詳しい情報を知ってしまえば、今よりも辛くなるのがわかりきっている。
「衝撃に備えろ、来るぞっ!」
「~~~~~っ!!」
助手席からは返事がなかった。今まで体験したことのない速度にその余裕すらないのだろう。
俺自身、彼女が今どんな表情をしているのかを、確認することもできない。
すでに少年がヘッドライトに照らし出されるくらいに近づいていた。
そして──
ドガッ!!!!!
大音量で音楽をかけているのにもかかわらず、その音が耳に飛び込んできた。
激しいまでの衝撃と、重いモノを跳ね飛ばす鈍い音。
何か踏んづけたのか重い車体がわずかに浮き、さらに車体自体が弾むような衝撃が襲いかかって来る。
「くっ……こな、くそがぁぁっ!!」
勝手に暴れる車体を押さえようと全力でハンドルを抑え込んだ。
とっさにアクセルから足を離し、かわりにブレーキを一気に踏み込む。
「きゃぁああぁぁぁぁぁっ!!」
急激な減速で今度は前につんのめりそうになりつつ、歯を食いしばりながら停車するのを待つ。
今は空荷とはいえ、車の──中型トラックの制動距離は長い。
数十メートルの距離を減速しながら走り、ようやく止まったときには先程の横断歩道からはかなりの距離が離れてしまっていた。
完全に停車したのを確認し、もどかしく思いながらシートベルトを外してトラックから降りる。
現場はかなり遠い。当然見えるわけもないのだが、俺はそこにある、無残な轢死体を幻視してしまった。
だがその位置にあるのは空中に描かれた、まるで漫画やアニメのような光り輝く魔法陣。
ゆっくり回転しながら薄れ、中央から何かを排出して掻き消える。
「どうやら、今回はわたしたちのときのように、人間ではないようですね?」
「そのようだな」
いつの間にか助手席から降りて来た彼女の問いかけに頷き、排出された物を回収するため魔法陣へ向けて歩き始める。
だが、その必要はなかったようだ。
横断歩道の近くに控えていた女性が魔法陣へ向かい、それを拾ってこちらに駆け寄ってきた。
俺たちがトラックで移動中、連絡をしてくれていた相手だ。
「ご主人、拾って来ました!」
「……ご主人はやめろ。せめて社長と呼んでくれ」
「む……それはすみません、ついクセで。で、社長。拾って来たこれなのですが……」
「ああ、ありがとう、助かった。どうやら今回は宝石のようだな」
受け取り、それを月にかざすようにして眺める。
なんという宝石なのかはわからないが、それは街灯の光を受けて静かな光をたたえていた。
まるで内側で炎が揺らめいているような、この世の物とは思えない不思議な宝石。
いや、実際にこれは、この世──この世界の物ではないのだろう。
しばらく不思議な光をたたえるそれを眺め、溜息をつきつつポケットにしまう。
「さっさと引き上げるぞ。大丈夫だろうが、さっきのを見ていた奴がいると面倒だ」
「はい、わかりました」
「あっ、社長、帰りは私に運転させてください! 一度あのトラックを操作してみたく思っていたんです!」
「ダメだ。公道を走りたければ免許を取ってこい。まぁ中型免許は普通免許を習得してから二年経たないと取れないがな」
「うっ、そんな殺生な……」
ガックリと肩を落とす彼女の頭にぽんっと手を置き、軽く髪を梳くようにして撫でる。
「公道じゃなければ大丈夫だから、とりあえず帰ってからだ。ほら、行くぞ」
「あっ……承知しました!」
途端に表情を輝かせ、忠犬のように俺の後ろをついてくる。
そして女性二人をトラックに乗せ、すみやかにその場を移動するのだった。
俺の名前は多嶋流行、三十七歳。いわゆるアラフォーと呼ばれる世代だ。
多嶋運送という運送会社の社長をやっており、現在バツイチ。
二年前、借金のせいで会社の経営が傾き始めたのを切っ掛けに妻に三行半を突きつけられ、当時小学六年生だった娘を連れて出て行かれてしまった。
それ以後は全盛期には十数人いた従業員の全てが退社してしまい、俺一人になってしまった会社を必死に建て直しつつ、娘の養育費を払い続ける毎日が続いていた。
だが赤字経営が続き、もう潮時かと思っていたある日。
俺の夢枕に、神などと自称する妙齢の美女が現れて、こう言いやがった。
『そなたのトラックには人を異世界に送る力があります。ぜひその力で異世界に送って欲しい人がいるのです』
わけがわからない。
最初、あまりにも疲れすぎて幻覚でも見ているのかと思ってしまった。
真剣に精神科医のお世話になろうかと悩んだものだ。
当然そんな自称・神のお願いは無視していたんだが。そうしたら連日連夜、そいつが俺の夢枕に立つわけだ。
曰く、異世界の神との取引で必ず人を送らなければいけない。
約束を違えれば釣り合っていた世界のバランスが崩れ、酷い天災に見舞われて無作為に大量の人が死んでしまう。
もし異世界に人を送る手伝いをしてくれれば、その異世界の神から代償として送られて来るものを報酬として与える。
それでも無視し続けていたら、今度はその自称・神は俺を脅してきた。
近々起こるだろう天災の被害予想を見せつけられ、娘が無残に巻き込まれる光景に毎日の夢見は最悪。
一ヶ月も経ったころには、俺は自称・神からの圧力に屈して頷いてしまっていた。
そして強制されたのが、先程もやったトラックで人を轢くという行為だ。
どういう仕組みなのかはわからないが、俺のトラックで時速八十キロメートルを出し任意の相手を轢くと、その相手を神が定めた異世界へと送ることができるらしい。
転移だか転生だか良くわからないが……ともかく、轢いた相手はその異世界の神の求めに応じ、勇者やら英雄やらになるのだそうだ。
最初は当然抵抗があった。なにしろかなりの速度を出して人を轢かなければならないのだ。
車を運転する人間ならば誰しも忌避するような行為をしなければならない。
もしあの神を自称する女性が俺の妄想の産物だったとしたら、間違いなく人殺しになり、檻の中に入れられてしまう。
幸い、すでに離婚しているため娘に迷惑はかからないだろうが……。
それに、異世界へ送る相手は何故か年若い相手だ。
当然だが相手にはこの世界で家族もいれば想い人もいるだろう。
俺も人の親だから、まるで親から子を誘拐し奪うのに等しい行為には激しい忌避感がある。
かなり悩んだ末に、結局俺は行うことにした。
これ以上あの夢にうなされたくないのもあったが、もし夢で見せられた天災が実際に起こってしまったら、間違いなく娘も巻き込まれる。
娘を助けられるなら、自分が泥をかぶることなどたいしたことではないと考えてしまったのだ。
そして俺は、自称・神が指定した男子高校生を轢いた。
するとどうだろうか。
無残な死体がその場に残るわけでもなく、跡形もなく男子高生がいた痕跡は消え、あとには漫画やアニメで見るような魔法陣があるだけだった。
さすがにそんな光景を見せられたらものだから、俺もあの自称・神が本物なのではないかと思い始めていた。
だとしたら、仕事の報酬として異世界の神から送られて来たものを貰えるはず。
そう思っていたら、魔法陣の中心から何かが飛び出してきた。
おそらくこれが報酬なのだろう。そう思い、魔法陣から飛び出してきたものに近づき──
そこで俺は、現在トラックの助手席に座ってどこか楽しげに俺を見つめてくる少女。
こことは違う世界で神に仕える巫女をしてた、勇者召喚のための生け贄に自ら志願したというタバサと言う名の少女と出会ったのだった。
慣れた手つきで取り出したタバコに無造作に火をつけ──
「っと、悪い。もしかしてタバコの煙は嫌だったか?」
助手席に座る女性の存在を思い出し、慌ててて確認を取った。
断りもなく火をつけるのは、さすがにマナー違反だが……。
「いえ、お構いなく。わたしなら大丈夫ですので」
「そうか……ありがとう」
どうやら、心配しすぎだったようだ。
暗くて表情は良く見えないが確かに微笑んでくれたのを感じ、お礼を言ってから改めてタバコに火をつける。
「すぅ……はぁ……」
肺に紫煙が満たされていく感覚。
若いころはこれだけでむせていたが、今はそんなことはなく……それどころか、これがなければ落ちつかない身体になってしまった。
「緊張されているのですか?」
「そりゃあ、なあ……。何度やっても、こればかりは慣れんよ」
「ご一緒するのは初めてですし、わたしにはまだ良くわかりませんが……。きっと、とても辛いことなんですよね」
いたわるように声を掛けられ、ハンドルを握る左手に彼女の手がそっと添えられる。
その手は少しだけひんやりとして、なぜか落ちつくような温かみを感じられた。
「お辛いのでしたら、一人で抱え込まずにわたしにも話してください。全身全霊でお慰めしますから」
「はは……ありがとう、そう言ってもらえるとありがたいよ」
その言葉が事実だとわかるだけに、それだけでもありがたかった。
だからこそ彼女は、今回別の場所で待っていることもできたのに同乗することを選んだのだろうから。
「だが俺も良い歳したおっさんだからなぁ。若い娘に弱みを見せるのは、さすがに気が引けるな」
「年齢なんて関係ありません。確かにわたしはあなた半分も生きていませんが、そもそも生きてきた世界が違うのですから、価値観からなにからなにまで違うわけですし」
「……そりゃ、確かに」
自分の娘みたいな年齢の女性に慰められ、思わず苦笑してしまう。
どうやら嫌なことを前にして、変に神経質になってしまっていたようだ。
もう一度タバコを吸い、ゆっくりと肺から紫煙を吐き出していく。
不意に、彼女が持つスマートフォンがメッセージ着信の音を立てた。
一瞬ビックリしたように肩を震わせ、慣れない手つきで画面をいじり始める。
「あっ……どうやら、目標が予測していた道を通って例の場所へ向かっているようです。一人……のようですね」
「つまりは予定通りってことか」
溜息交じりにそう言い、タバコを灰皿に押しつけた。
このままスムーズに進むのであれば、もう動かなければならない。
そして予定がズレたことなど、今まで数回行って来た中で、いまだに一度としてなかった。
「しかし、神様も残酷なことをするよな……っと。ちゃんとシートベルトは締めたか!?」
車のキーを回し、エンジンを始動する。
同時にうるさいくらいの大音量でカーステレオから音楽が流れ始めた。
その音に一瞬だけ怯んだよう声を詰まらせてから、彼女は音楽のボリュームに負けじと俺へ怒鳴り返して来た。
「教えていただきましたとおりに!」
「ちゃんと付けておけよ!? 激しく揺れたりするが、シートベルトをしていれば大丈夫だ!」
「はい、わかりました!!」
素直なのは良いことだ。
気持ちの良い返事に頷き返し、車のヘッドライトを点灯させた。
まだ夜も更けきっていない時間だが、お膳立てされたかのように周囲には人気がない。
自分たち以外の車も通らず、この様子だと今回も邪魔は入らなさそうだ。
「っし、行くぞ!」
シフトレバーを操作しつつアクセルを踏み込む。
目的の場所にたどり着くまでに時速八十キロメートルまで加速していなければならない。
この車は重量があるため、距離だけは無駄に余裕を持たせていた。
試したことはないが、最低速度を維持できなければおそらく大変なことになってしまう。
そのためブレーキを踏むことを考えず、手慣れた操作でギアを切り替えながら、ひたすらに加速を続けて行く。
「連絡です! 対象が横断歩道に差し掛かりました! 周りに誰もいないため、巻き込む危険もないとのことです!」
「おう、わかった!!」
大ボリュームの音楽の中でも彼女の声は妙にクリアに耳に届いた。
その声にわずかに癒されながらも、俺は最後の一押しとばかりにアクセルを思いっきり踏み込む。
音楽に合わせて、エンジンがものすごい音を立てて噴き上がった。
目標までは一直線だ。一気に速度メーターは時速八十キロメートルを越え、さらに上がっていく。
「目を瞑っていろ!!」
「はい~~~~っ!」
急加速でシートに身体を押しつけられる感覚に、悲鳴のような返事が返ってきた。
これから起こることを、好き好んで見る必要はない。助手席の方を見る余裕はないが、おそらく言われたとおりに目を瞑ったはずだ。
あとは、目標を捉えるだけ──
「見つけたぁぁぁっ!!」
付近の街灯に照らし出される人影が一つ。
周りに誰もいない状況を不思議にも思っていないのか、横断歩道のど真ん中を、手に持ったスマホをいじりながらのんきに歩いている。
まだ、気が付いていないだろう。
だが近づいて来るエンジン音に不審なモノを覚えたのか、不意に顔を上げてこちらを見た。
一瞬、目が合った──気がした。
その目は恐怖を示すように見開かれている。
少年……まだ、中学生くらいだろう。こんな時間にこのような場所を出歩いているのは、塾に行った帰りだからなのか。
彼がどんな人間なのか、俺はまったく知らされていない。
毎回依頼のたびに夢枕に立つ神様を名乗る女性だって、そんなことはいっさい教えてくれない。
そして自分自身、それを知ろうとは思わなかった。
知ってしまえば必ずためらいを産んでしまう。
それでなくとも何も知らない子供を親から取り上げるようなことをするのだ。
すでに俺の胸は罪悪感で張り裂けそうになっていた。
もしより詳しい情報を知ってしまえば、今よりも辛くなるのがわかりきっている。
「衝撃に備えろ、来るぞっ!」
「~~~~~っ!!」
助手席からは返事がなかった。今まで体験したことのない速度にその余裕すらないのだろう。
俺自身、彼女が今どんな表情をしているのかを、確認することもできない。
すでに少年がヘッドライトに照らし出されるくらいに近づいていた。
そして──
ドガッ!!!!!
大音量で音楽をかけているのにもかかわらず、その音が耳に飛び込んできた。
激しいまでの衝撃と、重いモノを跳ね飛ばす鈍い音。
何か踏んづけたのか重い車体がわずかに浮き、さらに車体自体が弾むような衝撃が襲いかかって来る。
「くっ……こな、くそがぁぁっ!!」
勝手に暴れる車体を押さえようと全力でハンドルを抑え込んだ。
とっさにアクセルから足を離し、かわりにブレーキを一気に踏み込む。
「きゃぁああぁぁぁぁぁっ!!」
急激な減速で今度は前につんのめりそうになりつつ、歯を食いしばりながら停車するのを待つ。
今は空荷とはいえ、車の──中型トラックの制動距離は長い。
数十メートルの距離を減速しながら走り、ようやく止まったときには先程の横断歩道からはかなりの距離が離れてしまっていた。
完全に停車したのを確認し、もどかしく思いながらシートベルトを外してトラックから降りる。
現場はかなり遠い。当然見えるわけもないのだが、俺はそこにある、無残な轢死体を幻視してしまった。
だがその位置にあるのは空中に描かれた、まるで漫画やアニメのような光り輝く魔法陣。
ゆっくり回転しながら薄れ、中央から何かを排出して掻き消える。
「どうやら、今回はわたしたちのときのように、人間ではないようですね?」
「そのようだな」
いつの間にか助手席から降りて来た彼女の問いかけに頷き、排出された物を回収するため魔法陣へ向けて歩き始める。
だが、その必要はなかったようだ。
横断歩道の近くに控えていた女性が魔法陣へ向かい、それを拾ってこちらに駆け寄ってきた。
俺たちがトラックで移動中、連絡をしてくれていた相手だ。
「ご主人、拾って来ました!」
「……ご主人はやめろ。せめて社長と呼んでくれ」
「む……それはすみません、ついクセで。で、社長。拾って来たこれなのですが……」
「ああ、ありがとう、助かった。どうやら今回は宝石のようだな」
受け取り、それを月にかざすようにして眺める。
なんという宝石なのかはわからないが、それは街灯の光を受けて静かな光をたたえていた。
まるで内側で炎が揺らめいているような、この世の物とは思えない不思議な宝石。
いや、実際にこれは、この世──この世界の物ではないのだろう。
しばらく不思議な光をたたえるそれを眺め、溜息をつきつつポケットにしまう。
「さっさと引き上げるぞ。大丈夫だろうが、さっきのを見ていた奴がいると面倒だ」
「はい、わかりました」
「あっ、社長、帰りは私に運転させてください! 一度あのトラックを操作してみたく思っていたんです!」
「ダメだ。公道を走りたければ免許を取ってこい。まぁ中型免許は普通免許を習得してから二年経たないと取れないがな」
「うっ、そんな殺生な……」
ガックリと肩を落とす彼女の頭にぽんっと手を置き、軽く髪を梳くようにして撫でる。
「公道じゃなければ大丈夫だから、とりあえず帰ってからだ。ほら、行くぞ」
「あっ……承知しました!」
途端に表情を輝かせ、忠犬のように俺の後ろをついてくる。
そして女性二人をトラックに乗せ、すみやかにその場を移動するのだった。
俺の名前は多嶋流行、三十七歳。いわゆるアラフォーと呼ばれる世代だ。
多嶋運送という運送会社の社長をやっており、現在バツイチ。
二年前、借金のせいで会社の経営が傾き始めたのを切っ掛けに妻に三行半を突きつけられ、当時小学六年生だった娘を連れて出て行かれてしまった。
それ以後は全盛期には十数人いた従業員の全てが退社してしまい、俺一人になってしまった会社を必死に建て直しつつ、娘の養育費を払い続ける毎日が続いていた。
だが赤字経営が続き、もう潮時かと思っていたある日。
俺の夢枕に、神などと自称する妙齢の美女が現れて、こう言いやがった。
『そなたのトラックには人を異世界に送る力があります。ぜひその力で異世界に送って欲しい人がいるのです』
わけがわからない。
最初、あまりにも疲れすぎて幻覚でも見ているのかと思ってしまった。
真剣に精神科医のお世話になろうかと悩んだものだ。
当然そんな自称・神のお願いは無視していたんだが。そうしたら連日連夜、そいつが俺の夢枕に立つわけだ。
曰く、異世界の神との取引で必ず人を送らなければいけない。
約束を違えれば釣り合っていた世界のバランスが崩れ、酷い天災に見舞われて無作為に大量の人が死んでしまう。
もし異世界に人を送る手伝いをしてくれれば、その異世界の神から代償として送られて来るものを報酬として与える。
それでも無視し続けていたら、今度はその自称・神は俺を脅してきた。
近々起こるだろう天災の被害予想を見せつけられ、娘が無残に巻き込まれる光景に毎日の夢見は最悪。
一ヶ月も経ったころには、俺は自称・神からの圧力に屈して頷いてしまっていた。
そして強制されたのが、先程もやったトラックで人を轢くという行為だ。
どういう仕組みなのかはわからないが、俺のトラックで時速八十キロメートルを出し任意の相手を轢くと、その相手を神が定めた異世界へと送ることができるらしい。
転移だか転生だか良くわからないが……ともかく、轢いた相手はその異世界の神の求めに応じ、勇者やら英雄やらになるのだそうだ。
最初は当然抵抗があった。なにしろかなりの速度を出して人を轢かなければならないのだ。
車を運転する人間ならば誰しも忌避するような行為をしなければならない。
もしあの神を自称する女性が俺の妄想の産物だったとしたら、間違いなく人殺しになり、檻の中に入れられてしまう。
幸い、すでに離婚しているため娘に迷惑はかからないだろうが……。
それに、異世界へ送る相手は何故か年若い相手だ。
当然だが相手にはこの世界で家族もいれば想い人もいるだろう。
俺も人の親だから、まるで親から子を誘拐し奪うのに等しい行為には激しい忌避感がある。
かなり悩んだ末に、結局俺は行うことにした。
これ以上あの夢にうなされたくないのもあったが、もし夢で見せられた天災が実際に起こってしまったら、間違いなく娘も巻き込まれる。
娘を助けられるなら、自分が泥をかぶることなどたいしたことではないと考えてしまったのだ。
そして俺は、自称・神が指定した男子高校生を轢いた。
するとどうだろうか。
無残な死体がその場に残るわけでもなく、跡形もなく男子高生がいた痕跡は消え、あとには漫画やアニメで見るような魔法陣があるだけだった。
さすがにそんな光景を見せられたらものだから、俺もあの自称・神が本物なのではないかと思い始めていた。
だとしたら、仕事の報酬として異世界の神から送られて来たものを貰えるはず。
そう思っていたら、魔法陣の中心から何かが飛び出してきた。
おそらくこれが報酬なのだろう。そう思い、魔法陣から飛び出してきたものに近づき──
そこで俺は、現在トラックの助手席に座ってどこか楽しげに俺を見つめてくる少女。
こことは違う世界で神に仕える巫女をしてた、勇者召喚のための生け贄に自ら志願したというタバサと言う名の少女と出会ったのだった。
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