世界を呪った鬼は願う

白波ハクア

第18話 復讐者と残酷な現実

 地面に着地したシルフィードは、一歩、また一歩とウォントに近づく。
「や、やあ、シルフィさん! 貴女もこの無礼者達に何か――ギャ!?」
 シルフィードに縋ろうとした馬鹿領主だが、彼女に手が触れる直前にそれはポトリと地面に落ちた。
「あぁあああっ! 手が……あ、ああっ――私の手がァアアア!?」
 誰の目にも見えぬ速さで、シルフィードがウォントの腕を斬り落としたのだ。
 ウォントの絶叫が会場全体に響き、手の付け根から噴き出す血飛沫が石畳の地面を赤く濡らす。
(……意外と容赦ないわね)
 まさか温厚そうなシルフィードが、有無を言わさず手首を斬るとは思わなかった。
「ファインドさん、止血お願いします」
 結構血が噴き出しているので、このままだと血が足りなくなって死んでしまうかもしれない。
 仕方なく本当に本気でマジで仕方なくファインドに回復をお願いしたが、彼は嫌そうな顔をする。
(いや、そんな嫌そうな顔されても……あ、やばい。領主の顔が青く……)
「はあ……仕方ないですね」
 嫌そうな顔をしたファインドも、さすがに殺してしまうのはやり過ぎだと判断したらしく、彼に回復魔法をかけ始める。
「なぜだ……わ、私は正しいことを……」
 うわ言のように呟くウォント。 そろそろアカネも彼の反応を見るのは飽きてきた。
 だから――洗脳を解除する。
「――ハッ! 私は何を――どうして縛られているのだ!? おいファインド、貴様なんのつもりだ! ――ッ、ギァアアアッ!? 腕が……わ、私の手首がっ!」
 【侵蝕之死視】の洗脳中の記憶は一切ない。
 だから縛られていることに混乱し、すぐ側で回復魔法をかけているファインドに怒鳴り散らして、手首がなくなって切断面から血が噴き出していることに気付いて泣き喚く。
 彼にとっては突然の出来事であり、その反応は正しいのだ。 だが、その正しい反応も彼以外の者にとっては不愉快にしか感じない。
 ふと見ると、観客席で行く末をジッと見守っていた冒険者達も、各々の武器を取り出して立ち上がり始めていた。
 もちろん理由は、シルフィードとリーフィアに対して行った下劣な行動への制裁と、何度も叫ぶ領主を物理的に黙らせるためだ。
「し、シルフィさん……たす、たすけ――ひっ!」
 シルフィードに手首を斬り落とされているのも忘れ、助けを懇願しようとしたところで、情けない悲鳴をあげる。
 ウォントはシルフィードを見た瞬間に悲鳴をあげた。 アカネはそれを不思議に思って、領主の視線の先を辿る。
 ――ゾクゾクゾクッ!
 アカネは全身が震えるのを感じた。
(その目。その瞳……いいわ。……ああ、素敵! だってその目は……)
 ――同じ【復讐者】の目なのだから。
 見る者全てを凍てつかせる感情ない瞳。 しかし、その奥には業火の炎が揺らめいている。
(まさかシルフィも【復讐者】だったとはね。それにしてもいい目をしてる。彼女は『素質』がある)
 アカネは皆を止めるのを止めて、シルフィードの一挙一動を観察していた。
 【復讐者】は、心から憎いと思う相手がいると称号として付与される。 この称号はデメリットしかない。最悪の称号だ。
 ただただ憎い。
 復讐対象を見ると、悪くて憎くて殺したくなる。 つまり、理性を抑えられなくなってしまうのだ。
 殺すことしか考えられなくなって、目標を達成した後は、魂が抜けたように何も考えられなくなってしまう。 アカネが出会った中で、復讐をやり遂げた者達は、ほとんどがそのようになってしまった。
 そうならなかった者は数えられる程度しかいない。
 アカネを含む魔王、七人。 そう、たったの七人である。
 魔王全員は【復讐者】として復讐を果たしている。 それでも理性を保ち、別の復讐に憎悪の炎を揺らめかす。 『神』すらも敵と定めた『終わりなき復讐者』。 それが【魔王】という存在なのだ。
(けど……よくよく考えたらまずいわよね)
 復讐を果たしたら抜け殻のようになってしまう可能性が大いにある。 アカネに親しく接してくれた者の、そんな姿を見るのは気が引ける。
 だからって称号を消すことはできない。 アカネではどうにもできない。 唯一できるのは、ことの行く末を見守るだけだ。
(…………いや、本当にそうかしら)
 もしかしたら抜け殻になる可能性を変えることができるかもしれない。
(シルフィが【復讐者】になったのは、リーフィアちゃんが石化してしまったから。真面目なシルフィのことだから、自分の力がなかったからと己に余計な罪を重ねている可能性がある。 …………それに、リーフィアちゃんが石化のせいで苦しんでいることが原因だとしたら、それはもう治ってるから復讐の効果もほとんど……とはいかないだろうけど、半減はしているはず。それならまだ止められるかもしれない)
 しかし、アカネが見たシルフィードの目は本物だった。
(何か……彼女の心を抑制できることがあれば…………そうか、リーフィアちゃんが鍵なんだ)
 シルフィードはリーフィアを世界で一番大切に想っている。 そのリーフィアが苦しんでいるから、シルフィードも同じく苦しんでいる。
 確証はないけれど、やってみるしかない。
「ファインドさん。少し……シルフィを止めておいてください」
「何を…………わかりました。おまかせください」
 ファインドも今のシルフィードは異常だと判断していた。 そして、このタイミングで動き出すアカンに、何か策があるのだと察した彼は、快くそれを引き受ける。
 アカンは観客席……その一角でこちらを心配そうに見ているリーフィアの隣に、一瞬で移動する。
「リーフィアちゃん……」
「えっ、アカネさん!? あれ? さっきまであそこに……」
 急に現れた彼女にとても驚いて、ウォントが泣き喚く会場とアカネを交互に見る。
「リーフィアちゃん、よく聞いて……」
「…………何か、あったんですか?」
 ただならぬ雰囲気にリーフィアも気づいて、すぐに真剣な表情でアカネを見つめる。
 その真剣な表情からは、姉を心配しているのが痛いほど感じられた。
(私ってば残酷よね……)
 アカネが今からやろうと思っていることは、勝手に姉妹の絆を試すようなことだ。
 全ては姉妹任せ。 自分が特別何かをする訳ではない。
(けれど私は【魔王】。 一人の犠牲なんかのために『力』を使う訳にはいかない。そんなことのために私は、私の大切な部下を、大切に築き上げてきた『京』を危険な目にあわせるなんてできない)
 【魔王】は非情で残忍な絶対的君臨者でなければ、神に支配されたこの世界を生きていけない。
 本来ならばターニャのように人と殺し合うのが普通であり、人と交流してみたいという考えは異常なのだ。
(あーあぁ、またクソジジ――コホンッ、頭の硬い老竜に愚痴愚痴言われるんだろうなぁ…………はあ、頭痛くなってきた)
 それでもやると決めたのなら、やり通すまでアカネは止まらない。
 【魔王】は我儘なのだ。(リンシア論)
「教えてください。お姉ちゃんは……お姉ちゃんは……!」
 リーフィアだってわかっていた。 自分のせいで姉は変わってしまった。
 這いつくばって逃げようとしているウォントに、止めを刺そうと一歩一歩近づく姉は、本当の姉なのか。
 いつも笑顔でカッコいい、リーフィアの大好きな姉は帰ってくるのか。
 それを聞きたくても、最悪な考えが頭をよぎって言葉が詰まってしまう。


「今のままでは――貴女の姉はもう帰ってこない」
 アカネは彼女の代わりに、最悪な言葉を紡いだ。

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