彼の心にわたしはいないシリーズ

ノベルバユーザー225269

伝えなければならなったのに (前編)



あの子を引き取ったのはあの子が七歳のときだ。あの子は家を出て行った息子によく似た子供だった。冴えない顔に勉強も運動も人並み程度。全てが息子にそっくりだった。



息子は自由な男だった。自分が兄たちに容姿も勉強も運動も何一つかなわないと知っていた。だからこそ兄たちができないことをしようとしていた。その結果か息子は私たちとは全く違う輝きを放っていた。



そんな息子だから家に縛られることを嫌がった。親の決めた道を進むような男ではなかった。夢をひたすら追いかける子だった。だから息子が教師になりたいと言ってきたとき、やっぱりそうなのかと思った。けれど私はその夢を応援することができなかった。心の中でやはり息子にも会社のために働いてほしかった。




夢を追って家を出て行った息子は数年たったある日一人の美しい女性を連れて家に来た。名前は島涼子。息子が初めて務めることになった高校で出会い付き合うようになったと言われた。結婚をするからその報告に来たのだと。





それから二年後に子供が生まれたと手紙が来た。手紙には写真が同封されていた。笑顔で写る息子と涼子さんと私の孫にあたる春がそこにはいた。幸せな息子を見ると嬉しくなった。けれどもう二度と戻ってこないという現実を目の当たりにした。私はずっと思っていたのだ。息子はいつか戻ってきてくれると、自分が間違っていたとそう言ってくるのを待っていたのだ。親として子供の成長を喜べないのは最低かもしれない、けれど私たち違う輝きを持つあの子を手放したくはなかった。







春が生まれてから二か月に一回アルバムが届くようになった。涼子さんが写真を撮るのが好きらしく、写っているのは春と息子の姿が多かった。最初はそのアルバムを見ることを拒んだ。けれどいつからかそれを夜に眺めることが日課になった。他にも子供はいるし、孫もいる。なのにどうしてか心惹かれるのは末の息子家族だった。





春が三歳になった頃、一度だけ会ったことがある。それは本当に偶然だった。気まぐれで公園を散歩していた時に春が話しかけてきたのだ。「おじいちゃんは一人なの?」って。「そうだよ」そう言うとあの子は笑って「春もなの!」って言った。「お父さんとお母さんはどうしたの?」「お母さんはお仕事でお父さんは今トイレなの」息子に春と話しているのがばれるのが嫌で私はその場をすぐに離れようとした。「そうなのか。じゃあ、私は行くから」去っていこうとする私の服の裾を掴むと春は言った。「お父さんとお話しなくてもいいの?」かと。私は久しぶりにあんなに驚いた。この子が私を知っていると思っていなかった。そして息子と私の今の関係を知っているとは思いもしなかった。動揺した私は何も言わずその場を立ち去った。




それからもアルバムは送られてきた。けれど急にそれが途切れた。春が小学校入学のアルバムを機に止まったのだ。一ヶ月待っても来ず二ヶ月待っても来なかった。さすがに何かあったのかと部下に調べさせたら息子夫婦は交通事故で亡くなっていた。春を残して・・・。





私は急いで春がいるという施設に連絡をとって春を引き取った。ここに来た頃の春は光を失っていた。死んだように生きている姿が今でも思い浮かぶ。必要最低限の会話しか無く、笑顔を見せることは無い。私たちの前で泣くこともなかった。




妻が春に聞いていた。「どうして家になじもうとしないの?」と。「お父さんとお母さんがいないからです」あの子はそう答えた。私と妻は言葉を失った。「お母さんが言ってました。お父さんは、あなたのお祖父ちゃんと喧嘩してるの。だから今は一緒に暮らせないけどもう少ししたら一緒に暮らせるようになるからねって」あの子は表情を変えることなくそう続けた。




息子と昔のように暮らせたらどれだけいいだろう。私たちと違う輝きを放つあの子たちといれば私の知らない世界を知ることができたかもしれない。けれどそれはもう叶わない。どれだけ望んでも彼らが帰ってくることは無いのだ。それをあの子も知っている。だけどあの子も私も認められないのだ。彼らが死んでしまったことを。








私たちではあの子を変えることはできないと思った。だから私たちとは違う世界を持つ彼と引き合わせた。それが各務俊也だった。各務財閥の三男坊で、亡くなった息子と似たような輝きを持つ人間だった。





春は彼といるようになって明るくなったように思った。笑顔を見せるようになったし私たちと会話をする機会も増えた。私たちの距離感は変わらないが、少しずつ良い方向に向かっていると思えた。あの子が彼を気に入ったから婚約者にした。その時のあの子の笑顔を私は一生忘れることは無いだろう。息子が帰ってきたのかと思った。それくら息子の笑顔に似ていてそして輝いていた。






あの子はやっと両親の死を受け入れ乗り越えられたと思っていた。彼のおかげで。だから信じて疑わなかった。彼はこれからも何があっても春を支えてくれると。





けれど橋田美雪という女性が現れたことによってあの子の平穏な日常は崩れ出した。橋田美雪という女性は庶民の家の子だった。それがどういうわけか各務俊也と知り合いだったのだ。そして各務俊也は橋田美雪に恋をしていた。それは誰から見ても明白だった。人の気持ちに敏感なあの子は彼のそんな姿を見てどう思ったのだろうか。裏切られたと、思ったのだろうか。





そんな私の考えとは反対にあの子は毎日笑っていた。はたから見たらあの子は何をへらへらしているんだと思われただろう。自分の婚約者をとられるかもしれないのにどうしてそんなに笑っていられるのかと。私はそうは思わなかった。あの子はそうすることで自分を必死に保っているのではないかと思った。




そう思っていても私は何もしなかった。ただ傍観していた。思えばそれが間違いだったのかもしれない。もしあの時行動を起こしていればあの子は離れて行かなかったのだろうか。





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