オレンジ色の魂

ノベルバユーザー225269

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 もうずいぶん前の話になるけれど、死ぬ間際だった母は夜になるといつも私を傍に置いて顔も知らない父の話を私に言って聞かせた。 正直私は父に対して何の思い入れもなく、母の話はどこか他人事のように聞いていた。 母は話を終えるときいつも言っていた。
「自分の好きな人が、同じように自分のことを想ってくるなんて世界中の半分の人だけが経験することよ。いいえ、もしかしたらそれよりも低いかもしれないわね」
 母は父のことを愛していると言いながら、そんなことを言った。父には本妻がいて母は父の浮気相手だった。いや、浮気相手というと語弊があるのかもしれない。 母は国中を回る踊り子で、それを父が見て母を誘った。そして母は了承した。相手に妻と子供がいると知りながら。 結局二人はその後、母が街を去るということで別れた。たった二か月の逢瀬だった。しかしその二か月で母は妊娠し、私が生まれた。父には私の存在を知らせてあり、認知もされた。養育費も二人で暮らしていくには有り余るほどもらった。けれど一度も父に会ったことはなかった。
 母は綺麗な人で、長い黒髪に、緑色の瞳が印象的な人だった。私からしたら儚げな印象な人だったが、誰かと会うときは必ず赤い口紅をつけていた。そのためか皆母のことを気の強そうな女性だと言った。また一人で何でもできる人だと、だから母一人子一人で今までやってこれたんだろうと皆口にした。 けれど実際の母は違っていた。私の知る誰よりも弱く、何かの拍子ですべてが壊れてしまいそうな雰囲気を持っていた。きっと私が不用意な発言をしたら母は壊れてしまっただろう。 そんな母だったが、決して悪い母ではなかった。むしろ良い母になろうと必死に努力していた。できない料理を覚え、家のどこかが壊れたら直し、畑を耕しと踊り子だった昔では考えられないような生活の中絶えず笑っていた。 母にも父にも似ていないこの平凡な容姿をした私を愛し慈しんでくれた。
 そんな母は私が六歳の時倒れ、その一年後に病で亡くなった。私は何だかんだ言いつつも母が好きだった。だから母の死を悔やみ、泣いた。 そして母が亡くなって一か月後、葬式にも現れなかった男が、「私が君の父親だ」と言ってきた。「君を引き取りに来たんだ」、そう言ってその男は私の気持ちを考えることなく、グレイス家の一員とした。
 父には本妻との間に生まれた一人娘サマンダがいた。サマンダは生まれつき心臓が悪く二十歳まで生きられないと言われていた。 本妻であるクレイアは、私のことをまるで本当の娘かのように扱った。どちらを贔屓するわけでもなく、どちらに辛く当たるわけでもなく、本当によくできた妻であり母であった。 けれど私はそんな義母が苦手だった。私は母とずっと暮らしてきて人間が裏では何を考えているか分からないと言うことをこの時すでに知っていたからだ。母の友人だと言う女は、母の前ではいい子を演じて、町では母の悪口を言っていた。私はその母の友人が好きだったから相当ショックを受けた。そして学んだ。人の一面だけを見てその人を判断してはいけないと。 だから私は義母をずっと観察していた。けれど一緒に過ごす日々が一年二年となっていっても義母は正体を現さなかった。そしてついに私は一つの結論に至った。義母は本当に私の母親になろうとしてくれているのだと。 その結論に至って数日後に母は私を呼んで言った。
「やっとあなたが私のことを母親と認めてくれたみたいで嬉しいわ。これからもよろしくね」
 それを聞いたとき、私は顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかった。ばれていないと思っていたが、母は全部知っていた。知った上で何年も付き合ってくれていた。
「私はあなたのお母さんをこの目で見たことがあるわ。もちろん最初はいい気はしなかったけれど、あなたのお母さんがあなたを一人で育てているのを見て、同じ母親として何だか泣けてきてしまったの。あなたのお母さんがあなたを愛しているのがすぐに分かったわ。だから夫があなたのお母さん、リリスさんが亡くなったと聞いたとき私も随分落ち込んだわ。本当ならいい気味だと思うのかもしれないけれど、そうは思えなかった。お疲れ様、と言いたくなったの。…会ったことも話したこともないのに不思議よね」
 そういう母の目には涙が溜まっていた。私はこんなにも綺麗な心を持った人に会ったことがなかった。
「あなたを引き取ると夫が言った時、周りはやっぱり反対したの。でも、私は賛成だった。だってあんなに美しい人が必死になって育てたあなたを見捨てること何てできなかったんですもの。これからはリリスさんの分も私があなたを育て支え、愛そうと決めたのよ。…だからね、時間はかかるだろうけどいつかは私を母と慕ってほしいわ」
 嘘偽りのない言葉で、そう告げる母に私は初めて「お母様」と呼んだ。その時の母の嬉しそうな顔は今でも忘れられない。


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