偏食な子犬拾いました

伊吹咲夜

決意

 身体のあちこちが痛くなって目が覚めた。
 カーテンの隙間から射し込む日射しの眩しさに目を細めながら時計を見ると、もう八時をとっくに回っていた。

「あててて……。それにしてもよく寝たなぁ」

 よっぽど疲れたのかまだ眠い。
 料理教室がなくなったから、このまま起きてご飯を食べて、仕事に行く準備を手伝ったりしなくていいんだし、もう少し眠っていようという気分になった。
 モゾモゾと手元の毛布を手繰り寄せてくるまり目を閉じる。

「ん? 毛布?」

 昨夜そんなもの出してきたっけ?
 もう全て明日にしようって、着のみ着のまま床に転がった記憶がある。 

「香西さん、正気に戻った!?」

 自分の隣を慌てて見る。
 が、そこには同じように毛布にくるまって寝息をたてている香西さんがいるだけだった。
 正気に戻っていたならば、一緒になって床に寝ているなんてことはない。
 見た目通りの腕力で僕をベッドに運んで自分も寝室に戻って寝るか、叩き起こしてベッドに寝かせるかどっちかだ。

「じゃあこの毛布は……」

 まさか夜中の寒さに耐えられず夢遊病のように毛布を取りに行って掛けたのか?
 でもそれは考えにくい。
 リビングから寝室までドア二枚を隔てているというのに、キチンと開け閉めまでしてるのはおかしい感じがする。

「まさか!?」

 いや、ありえなくはない。
 昨夜メールだって送っていたし、こんなピンチな時に見捨てるなんて薄情なことをする人ではない筈。

 一気に目が覚めて、毛布を投げ捨て香西さんの部屋へ行く。
 次に寝室。そしてキッチン。

「いない……」

 都合よく考えすぎたのだろうか。僕の手には負えなくなったのを見兼ねて戻ってきてくれるなんて。
 そもそも手紙ひとつで理由も言わず出ていく人間を、薄情でないと思う方が間違っていたのかもしれない。

「そうだよな、大樹さんが帰ってくるなんてありえないよな……」

 飲み物だけ持ってリビングへ戻ろうと、冷蔵庫を開ける。
 ふとキッチンカウンターに目を遣ると、存在していなかったものがそこにあった。

「おむすび……」

 ラップが掛けられたおむすびが皿に乗ってカウンターに置かれている。
 上から手をやるとまだほんのりと温かい。

「やっぱり大樹さんなの?」

 それ以外考えられない。この家に入れるのは大樹さんと香西さんだけだし、こんな三角になりそこねた丸いおむすびを握るような不器用な人間は大樹さん以外いない。

「どうして何も言わないでまた出ていっちゃうんだよ」

 冷めきっていないところから、数十分前まではキッチンにいたのだろう。
 僕達がすっかり眠りに入った頃に帰ってきて、寝室から毛布を持ってきて掛けてくれて、そして起きるであろう時間を見計らっておむすびを作って置いていってくれた。

「そこまで心配なら戻ってこいよ! ちゃんと顔見せて、安心させてからまた出掛けるなりなんなりしろよ!」

 ここにもういないと分かっていても叫ぶしかない。
 叫ばずにはいられない。理不尽すぎる。

「大樹さんの大馬鹿ヤロー!!」

 ずっと我慢していた分、急に泣きたくなってくる。
 何で僕ばかりがこんな目に遭わなくてはいけないんだ。
 これは僕が家出した罰なのか!?

「罰を与えるなら他の方法にしてくれよぉ……」

 やっと信じられる人達が出来たというのに、こんな形で裏切られるのは御免だ。
 同じ罰を与えるなら、二人との関係が繋がったまま、別な形で与えて欲しかった。
 連れ戻されて二度とこの家に戻れなくなるのも嫌だが、理由も分からず去られたままよりはよっぽどいい。

 泣くまいと思っていたのに、意思とは関係なく涙が頬を伝う。
 止めようと歯を食いしばっても、次から次へと目からは滴がこぼれ落ちる。

「何で……だよ」

 **********

 流れ落ちるまま涙を流し、止まった頃には少し心が楽になっていた。
 スッキリしたというか、吹っ切れたというか。
 もう少しだけ大樹さんが戻ってくるまで頑張ってみようという気力が湧いてきた。

「うん。こっそり戻ってきたってことは、帰ってくる可能性もあるってことだ」

 まだ希望は捨てなくていい。
 僕からのメールだって読んでいてくれている。本当のピンチだと思ったから帰ってきてもくれた。

 そう考えたら急に現金なお腹が大きな音を鳴らして主張し始めた。

「昼にハンバーガー食べたっきりだった……」

 幸い大樹さんが作っていってくれたおむすびがある。
 大皿にどーん、といびつな丸いおむすびがいっぱい。
 何合分の米で作ったんだろう。二人分にしては多すぎる。

「ありがたく香西さんといただこう。香西さん、食べられるかな?」

 人形のように反応がない香西さん。
 食事を受け付けてくれなかったら、それこそ病院に連れて行かなくてはいけなくなってしまう。
 僕には大樹さんのように口移しで食べさせるなんて芸当は無理なんで、自主的に食べてくれるといいんだが。

「香西さん、ご飯です」

 大樹さんが作ったであろうおむすびを持ってリビングへ戻った。
 香西さんは寝転がった体勢のままだったけど、僕がキッチンにいる間に起きたらしく、目だけは開いていた。

 目の前におむすびを持っていくが、全然興味を示してくれない。
 匂いに反応することもなく、見ているのか見ていないのか、一番不恰好なおむすびを目の前に出しても笑いもしない。

「これ、大樹さんが戻ってきて作ったっぽいですよ。見てくれは酷いですが、味は多分大丈夫ですよ」

 以前ご飯は炊けると言っていた。
 おむすびの塩加減だって、香西さんより上手いと自負すらしていた。

「香西さん食べないなら、僕がひとりで全部食べちゃいますよ?」

 実際そんなことはしないし、出来る量でもない。
 何となく挑発したら食べるかな? くらいの気持ち。
 無反応の香西さんの前で、見せていた不恰好なおむすびをかぶり付いた。
 ほんのりと利いた塩味のおむすびは、空腹だったのもあるが物凄く旨く感じた。
 米の甘味と塩気のバランス。
 これ以上薄味だったらお味噌汁や漬物が欲しくなるし、逆に濃ければ海苔で巻いて欲しくなるし飽きる。
 このおむすびは小振りに握られているせいもあって、次々に食べられる感じのするものだ。

「うまい。おむすびってこんなに旨かったっけ?」

 香西さんにもおむすびは作ってもらったことはあったが、中にちゃんと具が入っていたり、混ぜご飯だったりとひと工夫されたものだった。
 それだって絶品だったが、今食べているおむすびはシンプルなだけに素材の旨さと、作り手の食べる側を気遣った感じがダイレクトに伝わってくる。

 そういえばここに来たばっかりの時に食べさせられたお粥も、今思えばこのおむすびに近いものがあった。
 僕の体調を気遣った香西さんの優しさが、でろでろしていて嫌いだったお粥を美味しく感じさせてくれていたのかもしれない。

「大樹さんのおむすび、おいしいですよ。さすが自負していただけあります」

 騙されたと思って食べてみてください、とかじっていない側のおむすびをほんの少し摘まんで香西さんの口に入れた。
 咀嚼されなくても、これくらいの量なら後で水を含ませた時にでも飲み込めるだろうという気持ちだった。

 当然無反応だろうなぁ、と食べかけのおむすびを口に運びながら見ていると、全然動きもしなかった香西さんの口元がピクリと動いたように見えた。

「!?」

 気のせいか? とじっとその口元を見つめた。
 しばらく見つめていた全然動く様子はなかったが、もしかしてと思ってもう一度おむすびを数粒、口に入れてみた。
 少しして、香西さんの唇がわずかに動いた。

「食べてる?」

 多分食べた。ひょっとしたらもう少し多くても食べられるかもしれない。
 詰まらせない位に加減したおむすびひと口分。指で口を開ける形になってしまったが、さっきと同じように口の中に入れてみる。

 今度はすぐに反応があった。
 本当にゆっくりだけど、ひと口分のおむすびを咀嚼しているのがはっきりと分かる。

「口元に運べば食べれるってことかな」

 あの廃墟アパートにこもっていていつまで自主的に食べていたか分からないが、見た感じ、触った感じだとマンションから失踪してすぐ位から食べていないように思えた。
 栄養面云々は全然分からないけど、まるっきり食べさせないよりはマシだ。
 すぐにでもお粥とか作れればいいけど、作ったことなんてない。消化出来ないとかそんなのはおいといて、食べれるなら食べさせるまでだ。

「香西さん、食べれるなら食べて」

 少しずつ、少しずつ、おむすびを摘まんでは口へと運んでいった。
 入れた分はゆっくりと咀嚼されて飲み込んでいったが、一個食べ終わるかと思った段階でピタリと口は動かなくなった。

「もうお腹いっぱいってこと?」

 満たされたのか咀嚼に疲れたのか、それっきり。
 開けていた目を静かに閉じてまた眠りに入ってしまった。

「次起きた時のためにお粥を用意しておいた方がいいよな?」

 おむすびよりは食べやすいだろうし、消化もいいだろうし。 
 ただお粥といえども料理未経験者が、香西さんが起きてすぐに上手く作ってあげられるとは到底思えない。
 出来れば上手くできたものを食べさせてあげたい。

「香西さん、台所お借りします。食材は失敗しても捨てませんから」

 うんともすんとも言わないと分かっているけど、一応礼儀として声をかける。
 少し大きい音を立てても起きないとは分かっているが静かに立ちあがり、音を立てないようにドアを閉めてキッチンへと向かった。

「初料理。どうか成功しますように」

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