偏食な子犬拾いました
たまにはヘルシーで
ポチに強引な許可を取ってからというものの、大樹は家に帰ると必ずキスをするようになった。
玄関入ったらその場で、みたいな。
こっちからしてこいと無言で訴えてくることもあるが、大体は強引に引き寄せられて奪われる。
軽くなんてものじゃない、濃厚なやつが殆ど。
そして当然ながら、呼び方も『マネージャー』から『大樹』に変えさせる。
ポチが来てから意識してずっと『マネージャー』呼びをしていたものだから、すっかり俺の中で定着してしまい、逆に意識しないと『大樹』と呼べない感じになっている。
家の中で『マネージャー』なんて呼ぼうものならば、眼鏡の奥をキラリと光らせ、
『アウト。今日の夜はいつもより長く愛してあげるからな。それとも今ポチに喘ぐ姿見せて、夜はいつもと同じコース。どっちがいい?』
なんて言ってくる。
ポチにそんなの見せられる訳ないから、前者を選ぶが、前者は前者でかなり濃厚にされるので身体が持たない。
そんなちょっとした事に神経を張りながら家で寛ぐ日々になっている。
大樹は大樹でご機嫌な毎日だ。
今も我が家に届いた大樹宛ての宅急便を鼻歌まじりに開封している。
「それ何? うちに届けたって事は仕事の道具?」
「そう、仕事に使うもの。これが来るのを心待ちにしていたんだ」
段ボールの封を開け、中の領収書等を除ける。
現れるビニール包みの衣類っぽいもの。
「うん。イメージ通りの色だ。作りはどうだ?」
仕事で使う衣類といえばエプロンくらい。
俺のは年度替わりに新調したばかりだから、大樹のか?
ハサミで丁寧に袋を開けて出てきたのはやはりエプロンだった、が。
「ほら、ポチお前のだ。着けてみろ」
何故かポチのエプロン。
まさか大樹はポチを仕事場に連れて行くというのか!?
広げられたエプロンは薄いベージュで、胸のあたりに『ポチ』とアップリケで付けられている。
その下には、大きい半月のポケットに、そこから顔を覗かせる柴犬のアップリケ。
「可愛いだろう? まさにポチって感じ。うちのポチは柴犬っていうよりもシェルティって感じはするんだけどな」
「な、な、何なんですかこれ!? 僕にこれを着けろと言うんですか!?」
「言う。さあ付けてごらんポチ。折角特注で作ったのだから」
特注ってことは、この間身長聞いたのはこれの為って事か。
大樹のやつ、何考えてるんだ。
こんなの男が、しかもいい歳した少年が付けるもんじゃない。
可愛いのは認めるが、ポチが嫌がるのも分かる。
「なあ大樹、これはさすがに恥ずかしいよ。俺のエプロンじゃダメなのか? それと、いつポチを仕事に連れて行くと決めたんだ? 何も聞いてないぞ」
「お前のエプロンじゃ長すぎるだろう。お前のも身体に合わせて作ったんだぞ。仕事に連れて行くって決めたのは、いつだっけかな?」
確かにポチとの身長差は約十五センチ。
俺のを使うとなると、首の部分の紐が少し下に来てしまうから色々と不便が生じる。
大樹はとぼけたフリをしながら、ポチからエプロンを奪う。
首に素早くエプロンの紐をかけ、クルリと背後へターン。
リボンを結ぶのかと思いきや、ギュッとポチを抱きしめた。
「俺がこんなに愛情を込めているというのに、ポチには分かって貰えていないんだな。この色もお前の髪の色に合わせて薄めの色を選んだんだ。女性たちに可愛がって貰えるよう、こんなデザインを選んでみたというのに……。なのにお前は……」
首筋に顔を埋め、切なげにポチに訴える。
抱きしめた腕から逃れようと一瞬暴れたものの、大樹の声に動きを止める。
「隙あり」
やはり演技だったか。
顔を上げ、ポチの首筋に思いっ切り吸い付く。キスマーク決定な勢いだ。
「わー!! 何してんですか!? 大樹さんヤメテ!」
「はい出来上がり。リボン結びとキスマーク」
背中を押され、寝室に置かれた鏡の前に出されるポチ。
ちゃんと付けてみれば、可愛らしいデザインながらもポチによく似合っていることが判明した。
少し茶色がかった髪と薄いベージュの組み合わせはさることなく、崩れた顔の柴犬が幼さの残るポチの顔と何故か似ているように見える。
さっき大樹の言っていた『女性たちに可愛がって貰える』がピッタリとくる。
「どうだ? そんなに違和感はないだろう? ほら、これも着けろ」
ポイっと投げてよこされた布切れ。三角巾らしい。
同じく薄いベージュで出来ている。
「!? 大樹さん!?」
着けてみて判明。こちらにも細工があった。
何と頭の前の部分のに犬耳のプリントがしてあったのだ。
あー。完全に犬ってことね。
ポチ、大樹に何かしたのかなぁ……。
「うん、実にいい。これでマダム達の人気も独り占めだ。しっかり可愛がってもらえよ、ポチ」
「これは無理! 出来ない!」
「じゃあ香西、お前着けろ」
ポチの頭からスポっと三角巾を抜くと、俺の方へ投げて寄越した。
絶対似合わないと思うんだが、たまには笑いでも取っておくか。
結び目を解き、自分の頭に三角巾を被る。
「どう? 可愛くなった?」
わざとらしい笑顔と裏声で言ってやったセリフに、大樹が盛大に吹き出した。
ポチは手を口に充てて笑いを堪えてはいるが、しっかり肩は震え涙目になっている。
「可愛くない! 思いっきり似合わない! ははははは! これで講習行ったらファンが減る! あはははは!」
「似合ってたまるか。こんなオッサンが似合うって、どんだけの女性顔なんだよってなるわ」
「お前はしっかり男前だしなー」
まだ腹を抱えて笑っている大樹に対して、ポチはもう大分笑いが収まったらしい。
涙を拭い、エプロンを脱ぎにかかっていた。
「オッサンって年なんですか? 香西さんって」
「オッサンだよ。今年で二十七」
「もう少し下だと思ってました。大樹さんが三十位で、香西さんが二十三あたりかと……」
ここで俺が吹いた。
大樹が三十!?
「ポチ、大樹はいっこ下なんだよ。こう見えてもまだ二十四。今年で二十五」
「ええ!?」
「『ええ!?』とはなんだ。そんなに老けてるか? 俺は」
「いえ、あの、その……」
エプロンを握りしめて大樹から距離を取るポチ。ずりずり下がりながら、徐々にドアへと近づいていく。
「逃げるのはいいが、家出は許さんぞ。ちゃんと帰って来なければ……。分かってるよな?」
かなり上に見られて不機嫌になったのか、いつも以上に声が冷たい。
年齢以上に見られるのは、今に始まったことじゃあない。
大樹にも言った事はあるんだが、あいつは年齢の割に落ち着いている。判断力もかなりある。
それだけでも上に見えるというのに、少し長めの髪をワックスで固める事なく軽く流し、眼鏡も渋いシルバー。
これを二十四に見れと言う方が難しい。
俺は反対に硬い髪を短くし、時にワックスで固める。
クール眼鏡の大樹のように切れ長の目ではなく、二重瞼だがさほど大きくない目に、凛々し過ぎる眉。
あいつが理系なら俺は体育系に見えるらしい。
でも俺は筋肉なんて必要以上にない。大樹の方が全然ある方だ。
「明日からポチも出勤。以上」
それだけ言うと、大樹はポチを押し退けて自分の部屋に帰っていった。
うん、かなり不機嫌。
ポチ、大樹に何かしたのかな?
身支度を終えた大樹が、朝食の時間にやって来た。
昨日の不機嫌はどこへやら、いつものポーカーフェイスでダイニングの椅子に座りコーヒーを飲む。
「今日は一日の確認だけしたら出てくる。後は任せた」
「それはいいけど、珍しいね」
「ちょっと用事がある」
黙々と朝食を終え、ビルに向かう車で大樹が言った。
作業確認をしてから出ていくのはよくあるが、そのまま帰ってこないのは殆どない。
やはりまだ、ポチの事を根に持っているんだろうか?
行くなと引き留められるものでもないし、引き留めた所、講習中は大樹に出来ることはない。
大樹を見送った後、ポチをどうするかまだ考えていなかった事に気がついた。
大樹が何か考えているとばかり思って、ポチをここに連れてきてからの事なんて気にもしていなかった。
「うーん……。ポチ、エプロンと三角巾は持ってきているんだよね?」
「はい」
嫌そうな顔で、紙袋からエプロンを取り出す。
「ここに置いておく訳にいかないから、エプロン着けて一緒に来て」
「……まじで」
「マネージャーの言うように、マダムの目の保養にでもなってて」
頭を切り替えて、仕事しごと。
『大樹』から『マネージャー』に切り替えて、あいつの事は考えない。
ポチの事もその場で考えよう。
あいつが選んだ黒いエプロンを身に付けて、本日最初の講習へと挑んだ。
最初は壁の花だったポチも、時間が経つにつれ雰囲気に慣れてきた。
本日最後の講習にもなると、無言ながらも計量スプーンなり調味料なりを横からそっと渡してくるようにまでなった。
当然ながら、最初から最後まで女性達の『あの子誰?』『かわいい』『何でポチなの?』という、キャーキャーと歓喜する声は止まなかった。
大樹の狙い通り、エプロンと三角巾効果も絶大だった。
そんな大樹から、帰りがけにラインが入っていた。
『怒っても、根にもってもいない。本当にただの用事だ。
今日の夕飯は講習でやったハンバーグがいい』
こんなことわざわざ言ってくる辺り、実は怒ってましたというのが大樹の本音。
こっちから言われるのが嫌で、先回りして言ってくる。
クールでいて実はツンデレ? なんて思わせる所が大樹の可愛いところでもある。
可愛いなんて本人の前で言ったら確実にヤバい事にはなるが……。
リクエストをいただいたので、迷う事なく本日はハンバーグ。
ハンバーグと言ってもただのハンバーグではなく、おからのハンバーグという和風なもの。
和風&ヘルシーって事で、若い年齢の多い時間の講習にこれを入れていた。
この時のポチの反応もまた……、な感じではあったが。
多分生おからを見たのが初めてだったんだろう。
休憩中に、
『あの白い粘土みたいな、消しゴムカスみたいなのって、食べ物だったんだ……。ホントに食えるの?』
なんて言ってきたくらいだ。
『豆腐の材料の絞った後の物だよ』って言ったら、予想通り、ゴミの部分といい放った。
ゴミとはおからに失礼な!
試食では食べなかったが、家では絶対に食べさせてやる!
キッチンからポチを追い出し、料理開始。
玉ねぎのみじん切りをレンチンし、火を通しておく。
おから二に対して豚挽肉一の割合で入れ、酒等の調味料を加えてよく捏ねる。
そこにあら熱を取った玉ねぎとひじきのみじん切りを入れてさらに捏ねる。
固さを見ながら、水きりした木綿豆腐を少々加えて、あとは形成。
サラダ油でもいいが、ポチを匂いで釣るので胡麻油で焼いていく。
仕上げに大根おろしにカボスを少々。
食べる時にお好みでだし醤油を掛けさせればオッケー。
「いいタイミングで帰って来れた」
冷めてもいいや、と思って焼き上げたところに大樹が帰ってきてキッチンのドアを開けた。
手には何やら買い物したと思われる紙袋。
「お帰り。本当にいいタイミング。これダイニングに運ぶの手伝って」
「ポチはどうした?」
おからの件をざっくりと話し、これを食べさせるのにも作る過程を見せたくなかったからキッチンから追い出したと説明した。
講習で作った時はひじきは入れなかったし、大根おろしも無し。
なので一見すれば別物に思えるかな? との俺の考えなんだけど。
うまく騙されてくれるといいんだが……。
二人でダイニングに夕飯を運び、寝室にいるポチを呼びに行った。
「ポチ、ご飯出来たよ」
「ただいまポチ。いい子にしてたか?」
二人で寝室に行くと、ポチは暇そうに俺の本を捲っていた。
読む、というより捲る。ただ手持ち無沙汰で弄っている風だった。
「今行きます」
本をその場に置くと、大樹の後に続いてダイニングに入る。
肉の焦げたいい匂いと胡麻油の香り。
講習で殆ど食べなかったポチは目を輝かす。
「大樹のご機嫌取りで、今日は和風ハンバーグにしたよ」
見た目は和風ハンバーグ。実はおからのハンバーグ。
そんなことも知らず、ポチはいただきますと言って箸を取る。
警戒もなくひと口。
モグモグとよく噛んでいる間も、それといって変わった様子はない。
「ポチ、旨いか?」
「おいしい! 和風って食べた事なかったけど、あっさりしてるけど、ちゃんとボリュームある!」
大樹に聞かれて普通に美味しいと答えるポチ。
食わず嫌い決定だった。
「ポチ、そのハンバーグ、実はおからのハンバーグなんだよ?」
「えっ!?」
「ほぼ半分はおからなんだよ?」
「嘘……」
じーっと食べかけのハンバーグを見つめる。
見つめた所で白い生おからが出てくるわけでもないのに。
断面はちょっと白っぽいかな? くらいのものだし、普通のハンバーグと違う点といえば、黒くひじきのみじん切りが所々に見えるくらい。
「全然食べられるだろう? ゴミとかじゃないだろう?」
少し怒った様な口調で言ってやると、ポチは箸を置いてシュンとした。
「食材の中には、廃棄物いわゆる皮とか種の事なんだけど、加工次第ではちゃんと食べられるようになるものだってある。あんまり知られていないけど、米糠だって糠床にする以外にも、煎って食べる事も出来るんだ。甘いんだぞ?」
ポチには糠床が分からなかったらしい。
俺の顔と大樹の顔を交互に見て首を傾げた。
「ぬかどこって何ですか?」
「糠床も知らないのか、今の子は!? じゃあ糠漬けなんかも食ったことないな?」
「名前は知ってます」
「香西、今度糠漬け作ってくれ」
「無理だ。俺では糠床の世話をするのを忘れる。きっとポチにはあの臭いは耐えられんだろうし」
あの独特の糠床の発酵臭。
俺も最初に嗅いだときは瞬時に鼻を塞いだくらいだ。
「糠漬けと言えばお咲さんの糠漬け、旨かったなぁ」
「ああ、あれは絶品だったな」
「お咲さんって?」
二人して淋しそうな顔でもしてたのだろうか、ポチが不思議そうに覗き込む。
「ああ、そのうち話してやるよ。夕飯終わったら渡したい物があるから、満腹だからって寝落ちるんじゃないぞ」
分かったらさっさと食え、と大樹はポチに食事開始を命令する。
シュンとなって一回は箸を置いたものの、残すつもりはなかったらしい。
促されて箸を取り、今度はおからの味を確認するかのようにゆっくりと食べ出した。
「ほら、開けてみろ」
ポチの前に差し出されたのは、帰ってきた時に持っていた紙袋。
言われて紙袋をゴソゴソとやると、出てきたのはポチに似合いそうな明るいブルーのシャツとデニムのパンツ。そして黒いキャップ。
もひとつオマケと言わんばかりに少し大きめのレザーのショルダーバッグまで入っていた。 
「マダムの人気絶大だったらしいからな。家で着るラフな服でもいいんだが、香西の隣を歩かせるのには少し惨め過ぎる」
確かに今着ているのは部屋着の様なもの。外を歩くにはラフ過ぎるかもしれない。
「少しずつ増やしていくが、毎日出勤させる訳でないから今日はそれだけ。バッグはエプロン持っていくのに紙袋じゃあ格好つかないだろう?」
何だかんだ言って、ポチを一番気遣っているのは大樹だと実感する。
昨日不機嫌になったのも、ポチだからこその態度なのかもしれない。
「あとこれだ」
ポイっとポチへ投げて寄越す。
手の中に落下したのはシルバーのスマホ。
「持ってないと、三人バラバラの時に色々と困るからな。紙袋にケースも入れてたから付けとけ」
紙袋をひっくり返すと、家電店の袋が落ちる。
中を開けるとケース。しかも柴犬の顔がでーん、と真ん中にプリントされている。
ポチはありがとうと言いかけた『あ』の口のまま固まっている。
「大事に使えよ。全部俺のポケットマネーから出てるからな。前のスマホみたいに売るなんて真似するなよ」
やはり少し根に持っていたようだ。
ここにも柴犬あり。
格好付けたいのか、文句言われる前に逃げたいのか、大樹は『バイバイ』と手を振って出ていってしまった。
ん?
『前のスマホみたいに』ってどういう事だ?
大樹はポチの情報を何か掴んできている?
でも話してくれないということは、聞いた所で教えてくれないということ。
やはりあいつ、ただ者ではない……。
玄関入ったらその場で、みたいな。
こっちからしてこいと無言で訴えてくることもあるが、大体は強引に引き寄せられて奪われる。
軽くなんてものじゃない、濃厚なやつが殆ど。
そして当然ながら、呼び方も『マネージャー』から『大樹』に変えさせる。
ポチが来てから意識してずっと『マネージャー』呼びをしていたものだから、すっかり俺の中で定着してしまい、逆に意識しないと『大樹』と呼べない感じになっている。
家の中で『マネージャー』なんて呼ぼうものならば、眼鏡の奥をキラリと光らせ、
『アウト。今日の夜はいつもより長く愛してあげるからな。それとも今ポチに喘ぐ姿見せて、夜はいつもと同じコース。どっちがいい?』
なんて言ってくる。
ポチにそんなの見せられる訳ないから、前者を選ぶが、前者は前者でかなり濃厚にされるので身体が持たない。
そんなちょっとした事に神経を張りながら家で寛ぐ日々になっている。
大樹は大樹でご機嫌な毎日だ。
今も我が家に届いた大樹宛ての宅急便を鼻歌まじりに開封している。
「それ何? うちに届けたって事は仕事の道具?」
「そう、仕事に使うもの。これが来るのを心待ちにしていたんだ」
段ボールの封を開け、中の領収書等を除ける。
現れるビニール包みの衣類っぽいもの。
「うん。イメージ通りの色だ。作りはどうだ?」
仕事で使う衣類といえばエプロンくらい。
俺のは年度替わりに新調したばかりだから、大樹のか?
ハサミで丁寧に袋を開けて出てきたのはやはりエプロンだった、が。
「ほら、ポチお前のだ。着けてみろ」
何故かポチのエプロン。
まさか大樹はポチを仕事場に連れて行くというのか!?
広げられたエプロンは薄いベージュで、胸のあたりに『ポチ』とアップリケで付けられている。
その下には、大きい半月のポケットに、そこから顔を覗かせる柴犬のアップリケ。
「可愛いだろう? まさにポチって感じ。うちのポチは柴犬っていうよりもシェルティって感じはするんだけどな」
「な、な、何なんですかこれ!? 僕にこれを着けろと言うんですか!?」
「言う。さあ付けてごらんポチ。折角特注で作ったのだから」
特注ってことは、この間身長聞いたのはこれの為って事か。
大樹のやつ、何考えてるんだ。
こんなの男が、しかもいい歳した少年が付けるもんじゃない。
可愛いのは認めるが、ポチが嫌がるのも分かる。
「なあ大樹、これはさすがに恥ずかしいよ。俺のエプロンじゃダメなのか? それと、いつポチを仕事に連れて行くと決めたんだ? 何も聞いてないぞ」
「お前のエプロンじゃ長すぎるだろう。お前のも身体に合わせて作ったんだぞ。仕事に連れて行くって決めたのは、いつだっけかな?」
確かにポチとの身長差は約十五センチ。
俺のを使うとなると、首の部分の紐が少し下に来てしまうから色々と不便が生じる。
大樹はとぼけたフリをしながら、ポチからエプロンを奪う。
首に素早くエプロンの紐をかけ、クルリと背後へターン。
リボンを結ぶのかと思いきや、ギュッとポチを抱きしめた。
「俺がこんなに愛情を込めているというのに、ポチには分かって貰えていないんだな。この色もお前の髪の色に合わせて薄めの色を選んだんだ。女性たちに可愛がって貰えるよう、こんなデザインを選んでみたというのに……。なのにお前は……」
首筋に顔を埋め、切なげにポチに訴える。
抱きしめた腕から逃れようと一瞬暴れたものの、大樹の声に動きを止める。
「隙あり」
やはり演技だったか。
顔を上げ、ポチの首筋に思いっ切り吸い付く。キスマーク決定な勢いだ。
「わー!! 何してんですか!? 大樹さんヤメテ!」
「はい出来上がり。リボン結びとキスマーク」
背中を押され、寝室に置かれた鏡の前に出されるポチ。
ちゃんと付けてみれば、可愛らしいデザインながらもポチによく似合っていることが判明した。
少し茶色がかった髪と薄いベージュの組み合わせはさることなく、崩れた顔の柴犬が幼さの残るポチの顔と何故か似ているように見える。
さっき大樹の言っていた『女性たちに可愛がって貰える』がピッタリとくる。
「どうだ? そんなに違和感はないだろう? ほら、これも着けろ」
ポイっと投げてよこされた布切れ。三角巾らしい。
同じく薄いベージュで出来ている。
「!? 大樹さん!?」
着けてみて判明。こちらにも細工があった。
何と頭の前の部分のに犬耳のプリントがしてあったのだ。
あー。完全に犬ってことね。
ポチ、大樹に何かしたのかなぁ……。
「うん、実にいい。これでマダム達の人気も独り占めだ。しっかり可愛がってもらえよ、ポチ」
「これは無理! 出来ない!」
「じゃあ香西、お前着けろ」
ポチの頭からスポっと三角巾を抜くと、俺の方へ投げて寄越した。
絶対似合わないと思うんだが、たまには笑いでも取っておくか。
結び目を解き、自分の頭に三角巾を被る。
「どう? 可愛くなった?」
わざとらしい笑顔と裏声で言ってやったセリフに、大樹が盛大に吹き出した。
ポチは手を口に充てて笑いを堪えてはいるが、しっかり肩は震え涙目になっている。
「可愛くない! 思いっきり似合わない! ははははは! これで講習行ったらファンが減る! あはははは!」
「似合ってたまるか。こんなオッサンが似合うって、どんだけの女性顔なんだよってなるわ」
「お前はしっかり男前だしなー」
まだ腹を抱えて笑っている大樹に対して、ポチはもう大分笑いが収まったらしい。
涙を拭い、エプロンを脱ぎにかかっていた。
「オッサンって年なんですか? 香西さんって」
「オッサンだよ。今年で二十七」
「もう少し下だと思ってました。大樹さんが三十位で、香西さんが二十三あたりかと……」
ここで俺が吹いた。
大樹が三十!?
「ポチ、大樹はいっこ下なんだよ。こう見えてもまだ二十四。今年で二十五」
「ええ!?」
「『ええ!?』とはなんだ。そんなに老けてるか? 俺は」
「いえ、あの、その……」
エプロンを握りしめて大樹から距離を取るポチ。ずりずり下がりながら、徐々にドアへと近づいていく。
「逃げるのはいいが、家出は許さんぞ。ちゃんと帰って来なければ……。分かってるよな?」
かなり上に見られて不機嫌になったのか、いつも以上に声が冷たい。
年齢以上に見られるのは、今に始まったことじゃあない。
大樹にも言った事はあるんだが、あいつは年齢の割に落ち着いている。判断力もかなりある。
それだけでも上に見えるというのに、少し長めの髪をワックスで固める事なく軽く流し、眼鏡も渋いシルバー。
これを二十四に見れと言う方が難しい。
俺は反対に硬い髪を短くし、時にワックスで固める。
クール眼鏡の大樹のように切れ長の目ではなく、二重瞼だがさほど大きくない目に、凛々し過ぎる眉。
あいつが理系なら俺は体育系に見えるらしい。
でも俺は筋肉なんて必要以上にない。大樹の方が全然ある方だ。
「明日からポチも出勤。以上」
それだけ言うと、大樹はポチを押し退けて自分の部屋に帰っていった。
うん、かなり不機嫌。
ポチ、大樹に何かしたのかな?
身支度を終えた大樹が、朝食の時間にやって来た。
昨日の不機嫌はどこへやら、いつものポーカーフェイスでダイニングの椅子に座りコーヒーを飲む。
「今日は一日の確認だけしたら出てくる。後は任せた」
「それはいいけど、珍しいね」
「ちょっと用事がある」
黙々と朝食を終え、ビルに向かう車で大樹が言った。
作業確認をしてから出ていくのはよくあるが、そのまま帰ってこないのは殆どない。
やはりまだ、ポチの事を根に持っているんだろうか?
行くなと引き留められるものでもないし、引き留めた所、講習中は大樹に出来ることはない。
大樹を見送った後、ポチをどうするかまだ考えていなかった事に気がついた。
大樹が何か考えているとばかり思って、ポチをここに連れてきてからの事なんて気にもしていなかった。
「うーん……。ポチ、エプロンと三角巾は持ってきているんだよね?」
「はい」
嫌そうな顔で、紙袋からエプロンを取り出す。
「ここに置いておく訳にいかないから、エプロン着けて一緒に来て」
「……まじで」
「マネージャーの言うように、マダムの目の保養にでもなってて」
頭を切り替えて、仕事しごと。
『大樹』から『マネージャー』に切り替えて、あいつの事は考えない。
ポチの事もその場で考えよう。
あいつが選んだ黒いエプロンを身に付けて、本日最初の講習へと挑んだ。
最初は壁の花だったポチも、時間が経つにつれ雰囲気に慣れてきた。
本日最後の講習にもなると、無言ながらも計量スプーンなり調味料なりを横からそっと渡してくるようにまでなった。
当然ながら、最初から最後まで女性達の『あの子誰?』『かわいい』『何でポチなの?』という、キャーキャーと歓喜する声は止まなかった。
大樹の狙い通り、エプロンと三角巾効果も絶大だった。
そんな大樹から、帰りがけにラインが入っていた。
『怒っても、根にもってもいない。本当にただの用事だ。
今日の夕飯は講習でやったハンバーグがいい』
こんなことわざわざ言ってくる辺り、実は怒ってましたというのが大樹の本音。
こっちから言われるのが嫌で、先回りして言ってくる。
クールでいて実はツンデレ? なんて思わせる所が大樹の可愛いところでもある。
可愛いなんて本人の前で言ったら確実にヤバい事にはなるが……。
リクエストをいただいたので、迷う事なく本日はハンバーグ。
ハンバーグと言ってもただのハンバーグではなく、おからのハンバーグという和風なもの。
和風&ヘルシーって事で、若い年齢の多い時間の講習にこれを入れていた。
この時のポチの反応もまた……、な感じではあったが。
多分生おからを見たのが初めてだったんだろう。
休憩中に、
『あの白い粘土みたいな、消しゴムカスみたいなのって、食べ物だったんだ……。ホントに食えるの?』
なんて言ってきたくらいだ。
『豆腐の材料の絞った後の物だよ』って言ったら、予想通り、ゴミの部分といい放った。
ゴミとはおからに失礼な!
試食では食べなかったが、家では絶対に食べさせてやる!
キッチンからポチを追い出し、料理開始。
玉ねぎのみじん切りをレンチンし、火を通しておく。
おから二に対して豚挽肉一の割合で入れ、酒等の調味料を加えてよく捏ねる。
そこにあら熱を取った玉ねぎとひじきのみじん切りを入れてさらに捏ねる。
固さを見ながら、水きりした木綿豆腐を少々加えて、あとは形成。
サラダ油でもいいが、ポチを匂いで釣るので胡麻油で焼いていく。
仕上げに大根おろしにカボスを少々。
食べる時にお好みでだし醤油を掛けさせればオッケー。
「いいタイミングで帰って来れた」
冷めてもいいや、と思って焼き上げたところに大樹が帰ってきてキッチンのドアを開けた。
手には何やら買い物したと思われる紙袋。
「お帰り。本当にいいタイミング。これダイニングに運ぶの手伝って」
「ポチはどうした?」
おからの件をざっくりと話し、これを食べさせるのにも作る過程を見せたくなかったからキッチンから追い出したと説明した。
講習で作った時はひじきは入れなかったし、大根おろしも無し。
なので一見すれば別物に思えるかな? との俺の考えなんだけど。
うまく騙されてくれるといいんだが……。
二人でダイニングに夕飯を運び、寝室にいるポチを呼びに行った。
「ポチ、ご飯出来たよ」
「ただいまポチ。いい子にしてたか?」
二人で寝室に行くと、ポチは暇そうに俺の本を捲っていた。
読む、というより捲る。ただ手持ち無沙汰で弄っている風だった。
「今行きます」
本をその場に置くと、大樹の後に続いてダイニングに入る。
肉の焦げたいい匂いと胡麻油の香り。
講習で殆ど食べなかったポチは目を輝かす。
「大樹のご機嫌取りで、今日は和風ハンバーグにしたよ」
見た目は和風ハンバーグ。実はおからのハンバーグ。
そんなことも知らず、ポチはいただきますと言って箸を取る。
警戒もなくひと口。
モグモグとよく噛んでいる間も、それといって変わった様子はない。
「ポチ、旨いか?」
「おいしい! 和風って食べた事なかったけど、あっさりしてるけど、ちゃんとボリュームある!」
大樹に聞かれて普通に美味しいと答えるポチ。
食わず嫌い決定だった。
「ポチ、そのハンバーグ、実はおからのハンバーグなんだよ?」
「えっ!?」
「ほぼ半分はおからなんだよ?」
「嘘……」
じーっと食べかけのハンバーグを見つめる。
見つめた所で白い生おからが出てくるわけでもないのに。
断面はちょっと白っぽいかな? くらいのものだし、普通のハンバーグと違う点といえば、黒くひじきのみじん切りが所々に見えるくらい。
「全然食べられるだろう? ゴミとかじゃないだろう?」
少し怒った様な口調で言ってやると、ポチは箸を置いてシュンとした。
「食材の中には、廃棄物いわゆる皮とか種の事なんだけど、加工次第ではちゃんと食べられるようになるものだってある。あんまり知られていないけど、米糠だって糠床にする以外にも、煎って食べる事も出来るんだ。甘いんだぞ?」
ポチには糠床が分からなかったらしい。
俺の顔と大樹の顔を交互に見て首を傾げた。
「ぬかどこって何ですか?」
「糠床も知らないのか、今の子は!? じゃあ糠漬けなんかも食ったことないな?」
「名前は知ってます」
「香西、今度糠漬け作ってくれ」
「無理だ。俺では糠床の世話をするのを忘れる。きっとポチにはあの臭いは耐えられんだろうし」
あの独特の糠床の発酵臭。
俺も最初に嗅いだときは瞬時に鼻を塞いだくらいだ。
「糠漬けと言えばお咲さんの糠漬け、旨かったなぁ」
「ああ、あれは絶品だったな」
「お咲さんって?」
二人して淋しそうな顔でもしてたのだろうか、ポチが不思議そうに覗き込む。
「ああ、そのうち話してやるよ。夕飯終わったら渡したい物があるから、満腹だからって寝落ちるんじゃないぞ」
分かったらさっさと食え、と大樹はポチに食事開始を命令する。
シュンとなって一回は箸を置いたものの、残すつもりはなかったらしい。
促されて箸を取り、今度はおからの味を確認するかのようにゆっくりと食べ出した。
「ほら、開けてみろ」
ポチの前に差し出されたのは、帰ってきた時に持っていた紙袋。
言われて紙袋をゴソゴソとやると、出てきたのはポチに似合いそうな明るいブルーのシャツとデニムのパンツ。そして黒いキャップ。
もひとつオマケと言わんばかりに少し大きめのレザーのショルダーバッグまで入っていた。 
「マダムの人気絶大だったらしいからな。家で着るラフな服でもいいんだが、香西の隣を歩かせるのには少し惨め過ぎる」
確かに今着ているのは部屋着の様なもの。外を歩くにはラフ過ぎるかもしれない。
「少しずつ増やしていくが、毎日出勤させる訳でないから今日はそれだけ。バッグはエプロン持っていくのに紙袋じゃあ格好つかないだろう?」
何だかんだ言って、ポチを一番気遣っているのは大樹だと実感する。
昨日不機嫌になったのも、ポチだからこその態度なのかもしれない。
「あとこれだ」
ポイっとポチへ投げて寄越す。
手の中に落下したのはシルバーのスマホ。
「持ってないと、三人バラバラの時に色々と困るからな。紙袋にケースも入れてたから付けとけ」
紙袋をひっくり返すと、家電店の袋が落ちる。
中を開けるとケース。しかも柴犬の顔がでーん、と真ん中にプリントされている。
ポチはありがとうと言いかけた『あ』の口のまま固まっている。
「大事に使えよ。全部俺のポケットマネーから出てるからな。前のスマホみたいに売るなんて真似するなよ」
やはり少し根に持っていたようだ。
ここにも柴犬あり。
格好付けたいのか、文句言われる前に逃げたいのか、大樹は『バイバイ』と手を振って出ていってしまった。
ん?
『前のスマホみたいに』ってどういう事だ?
大樹はポチの情報を何か掴んできている?
でも話してくれないということは、聞いた所で教えてくれないということ。
やはりあいつ、ただ者ではない……。
コメント
水精太一
今回も美味しそうなご飯。食べた気になって読みました。マネージャーさんが凄く若い事にビックリ!歳下って書いてあったかな…読み返してみます。ポチの過去の匂わせもあり、続きが気になりました。