きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第89話

「──なるほどな。どうりで剣太郎が仕損じたわけだ」

「なにが“なるほど”なのかしら御村くん」

 知らず独白していた俺の呟きを咎めるように会長が睨みを入れる。いつの間に隣──しかも瞳子が居る反対側──を確保したのかはさておき、おそらく飛鳥か真田さん経由で剣太郎の異常に気がついたものの、詳細がわからないので俺に解説をさせるつもりのようだ。

 それはいいとして、まるで俺がなにかしでかしたみたいに顔を覗き込むのはどうにかならないものか、と思う。ていうか、瞳子の機嫌がみるみる悪くなるのであまり詰め寄らないでほしい。

 などと思うところはあるが、会長が追求の手を緩める様子はないので、二人が揉め出す前に望みのまま口を滑らせる。

「──騎士峰が別の異能を使ったからだ。会長達は見たんだっけ?   『調停者』の重力制御能力だよ」

 種明かしを聞いた会長達の顔が一様に曇る。それは単に重力制御という異能の脅威以外にも序列持ちクラスの異能者が『新世代』と同じく、異能を新たに付与された事実に対しても含まれている。

「単純に言えば不意を突かれた格好だけど、いくら初見だからといって剣太郎がみすみす嵌められたところを思うに騎士峰もなかなかやるもんだな。まぁ、そんな感じでいろいろ納得したから“なるほど”といったわけさ」

 そう締めくくる俺に対し、深刻さを増したまなざしを向ける会長。その目が、なにを呑気な、と雄弁に語るが、特に気にせず剣太郎と騎士峰の方がへと向き直る。

「──大丈夫だ。あの程度の“付け焼き刃”でどうにかなるなら序列三位なんて名乗れない」

 だから黙って見てろ──思わず出かかった台詞を飲み込んで剣太郎の方へと目を向ける。それははたからすれば根拠のない身内びいき。普通なら到底納得されるものではなく、会長からもう一言二言あるかと内心身構える。

 しかし、おそらく俺が言いかけた中身を察したであろう会長はそれ以上問い詰める事はせず、俺に倣って戦況を見守る事にしたようだ。あんな啖呵を切っておいて相手のいちいち反応が気になる小物ぶりに情けなさを感じるが、今度こそ剣太郎に意識を集中させる。

「(頼むぞ、剣太郎。これで負けたら、会長に何言われるかわからないんだからな)」

 もっとも負けるそんな心配は欠片もしていないわけだが。


      *


「──まぁ、そんな感じでいろいろ納得したから“なるほど”といったわけさ」

 御村のどこか能天気さを感じる解説に、なにを呑気な、という私の憤りはしかし、こちらの抗議などおかまいなしとばかりにかわされてしまう。

 いっそ胸ぐらでも掴んで見せようかと思うものの、御村と私の身長差を考えると迫力も効果もなくあしらわれるのが落ちだろう。第一、そういう直接的なものは凛華に任せるタイプだ。ならばさっさと凛華に命じて吊るし上げれば──比喩と物理的の意味で──いいはずが、それを実行しなかったのは、こちらを一顧だにしない御村の中にある種の確信を見たからだ。

 黙ってみていろ。言外に告げた御村に圧されたわけではない。けして。

 なぜか負けた気分になりながら、御村と同じく刀山と騎士峰を見る。その戦況を改めて注意深く観察するとたしかにどこか思い当たる節のある光景だった。『調停者』と名乗った異能者が視線だけで刀山の剣と動きを封じたのをただ見たままならば覚えがある。

 あの時も今も、説明されるまでわからなかったが、刀山剣太郎の異能は防御不可能の斬撃を繰り出すもの──厳密には違うようだけれど──らしい。それゆえに真っ先に警戒される対象らしく、刀山を知るものはたとえわずかな牽制でもいいので斬撃を少しでも鈍らせるのを第一に計算するとの事。それは序列一位である『調停者』ですら同じだったようだ。

 そして今、それが現実のものとなっている。いかに斬れ味鋭い刀山の太刀筋も、動きを鈍らされれば比例して鈍ろうというもの。まして遠間かつ不可視の妨害を防ぎきるのは困難だ。おそらくは重力制御の枷によってだろうか、倒れこむように態勢が崩れてゆく刀山の姿を見れば一目瞭然だった。

 騎士峰はその機を逃さず追撃する。遠目でかろうじて視認できたのは、先ほど見せた高速ステップ『スレイプニル』による動線と、片手では扱いかねるはずの長大な切っ先が生み出した刺突へ至る軌跡。二種類の異能を同時発動させた当人は勝利を疑わず高らかに叫ぶ。

「これで決着だ! 刀山剣た──」

「──違う」

 その呟きは誰のものだったのか、それは確信とも驚愕とも困惑とも取れる一言。しかし、込められた感情の先が明白とはいえ、一瞬の出来事で私には仔細がわからない。ただわかるのは重力制御によって引き倒されたはずの刀山と、そこを突いた騎士峰の立場が逆転していたという結果だけ。なぜ重力制御によって動きを封じられたはずの刀山が回避と反撃を同時に行えたのか? 当然ながら私には皆目見当がつかない。

「いったいなにが起きたの?」

 今日に入って何度目かの事態の確認。それに答えたのは正体に気づいた凛華だった。ちなみに御村は隣にいる当真瞳子と二人して刀山を食い入るように見つめたままだ。付き合いの長い友人から見慣れた光景でしょうにこちらを気にかけてもいいのでは? と思わないわけでもない。どうでもいいけれど。

「おそらく刀山が自分を抑えつける重力の枷を斬って反撃したと思います。あらゆるものを斬れるというなら不可視の重力すら含まれるでしょうから」

「……恐ろしい能力ね」

 平凡な反応と自覚しながらそう一言添える。あらゆるものーー実体の有無すら問わないのだから、本当にそうとしかいいようがない異能だ。

「それは違うぞ、会長」

 思い違いを正そうと桐条さんが間に入る。普段の付き合いを考えると私に絡もうとする事自体、かなり珍しいが、それを忘れるほど刀山に度肝を抜かれたようだ。

「たしかに異能そのものも驚愕に値するが、本当に恐ろしいのは、動けないはずの状態から斬れ味を発揮したという事実の方だ──比べるまでもなく、な」

 そういって、かぶりを振る桐条さん。凛華も同意見なのか、無言で頷いてみせる。その凄みや違いが私にはいまいちピンとこない話ではあるけれど、二人して比較にならないというならそうなのだろうと納得出来る。ただ一つ、桐条さんの言い回しに気になる点があるとすれば、

「……“動けないはずの状態から斬れ味を発揮したという事実”とやらも異能によってじゃないの? 今の言い方だとただの技で斬ったとしか──」

「──ただの技で斬ったんだよ」

 愛想の欠片もなく御村が断言する。今になって口をきいたかと思えば、私に向けて話しかけたというより無意識に訂正しただけらしく、当真瞳子と接するように割合ぞんざいな口ぶりだ。その態度に引っかかりを覚えないわけでもなかったけれど、なんとなく指摘する気にもなれず、続きを促す。

「異能ってのは一見万能そうでその実、なにかしらの物理現象が足かせになるもんだ。異能を使えばカロリーを消費する、なんてもっともわかりやすいやつだな。その中で剣太郎の異能は、強力だが発動条件がシビアってタイプの能力──発揮するには自分の技量で斬る必要がある」

 あらゆるもの斬る異能を発動させるには使用者本人に剣腕が必要なんて出来の悪い落語のような話だ。しかし、御村の声に冗談の混じる余地はない。もちろん、私も笑い話と受け取る気はない。ただ、倒れかかった態勢から本領を発揮したのが真実というだけだ。そして御村から解説を継いだのは同じ剣の使い手である当真瞳子だった。

「剣術流派にはあらゆる体勢から斬る技法が確立されているわ。しゃがみ込んだり、肩や肘、膝を固定させたまま、様々な状況を想定してね。居合の試技で正座から移行しての巻き藁を斬るのを見た事ないかしら? 例えるとすればあれが一番わかりやすいはずよ」

 無論、それら全てが実用的とは限らないけど、と注釈を忘れずに当真瞳子が続ける。

「剣太郎のはいわゆるへし切りの変形ね。態勢を崩した相手目掛けてさらに押し倒す組み技の一種、あるいはひざ下、脛狙いの奇襲に用いられる技法よ」

 いつもと違い、当真瞳子に嫌味の一つもなくすらすらと解説が入るのは私に喧嘩を売る手間が惜しいのかもしれない。今日のところは立ち合い役に徹する為か、夜でも映える白鞘の愛刀を置いてきたようで時折、手の中を絞るように握っては開きを繰り返しているのが見える。私には理解しがたいけれど、あれが剣士としての本能なのだろう。その射抜くような視線はとても友人に向ける“それ”ではない。

 もっとも当の刀山といえば、自ら返り討ちにした騎士峰の立ち上がるさまを眺めながら、タフだな、などとどこか他人事じみた呟きをこぼすだけで当真瞳子を気にした様子はない。刀山の性格ゆえか、それともいつものことなのか、どちらにしても並みの神経では成立しない人間関係だ。

「……念動力で傷口を強引に塞いだか。だが所詮はその程度だ、。いかに異能で強化しようが、武器の取り回しがマシになるわけじゃない。有り体に言えば、剣技を修めていながら槍を振るうようなものだ。月ヶ丘ではどうだったか知らんが俺達には通用しない」

「っ」

 珍しく──私の知る限りはじめてではないか──饒舌に煽る刀山。御村の話では刀剣の質や時には身につけた技術ですら頓着がないと聞いたが、やはりそれなりに思うところはあるようだ。

「──なるほど、貴公の言うとおりだ」

 刀山の指摘を素直に──言いまわしは相変わらずだけれど──認める騎士峰。

「たしかに私は己が異能の強さにかまけて剣腕を錆びさせていたようだ。異能とて我が力だと、それを勘違い──いや、自分の力だからこそ練磨せねばならなかったはずなのに。……認めよう、刀山剣太郎。私の振る舞いが滑稽であったことを」

 一応、自覚はあったようね、とは口に出しにくい空気の中、それでも騎士峰の戦意は欠片も損なっていない。言葉尻では負けの宣言と取れなくもないが、むしろここから一波乱あるようだ。

 不意に気づく。空気が重苦しい。殺気立った雰囲気のせいではなく、物理的に重いのだ。騎士峰が操る重力制御能力の余波だ。

「──負けを認めながら潔くはないと思うだろう。自分でもみっともないと自覚している。だがそれでも──それでも彼女に勝利を届けられるなら私のこだわりなど犬のエサにしてくれよう」

「重力制御能力を限界以上に引き出したか……随分と無茶をする」

 このわずかな間に脂汗を噴き出す騎士峰の状態が刀山の推察の正しさを雄弁に物語る。自身の念動力異能を余すことなく使用した時や、たいした出力──この場合、刀山の動きを鈍らせる程度──ではないものの他人の異能とを組み合わせた時ですら見せなかった余裕のない表情はもはや苦悶の、と言い換えてもいい。

 そして眼前に広がるのは講堂で見た光を遮るほどの高重力。一見、暴走しているようにもとれるが、見た目ほど周囲の崩壊はなく風船が破裂する一歩手前の様子を保っている。どうやら念動力によってかろうじて抑え込んでいるようだ。

 しかし、それも永遠に続くものではなく、なかば決壊した高重力の行き先が獲物を求めて刀山に殺到する。

「──くらうがいい、ブリューナク・ブラックレイ」

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