きみのその手はやさしい手
第74話
*
「──な、なにかしら?」
唐突に集まったいくつもの視線に圧され思わず吐いたのはそんな平凡ななにかしらだった。いったい何がきっかけでそうなったのか、一斉に視線を向けられた側の私にはとんと心当たりがない。
戦況も月ヶ丘帝が『シャドウエッジ』の二人を救出(?)してからこのかた、それ以上の変化は見られず、といったところ。当真瞳子と当真瞳呼は互いに火花を散らし、篠崎と刀山が『調停者』を抑え、一見するともはや決着寸前と思われた月ヶ丘の内紛もなぜか膠着状態に落ち着いていた。
前者の二つはともかくとして、月ヶ丘帝が動かないのがいまいちわかりかねるのだけれど、拘束した『シャドウエッジ』達を抱えながら攻め手に回るのはリスクが高いのか、月ヶ丘清臣の『異能』が厄介なのか、おそらくそのあたりだろう(そうでなければ手数・頭数に分がある月ヶ丘帝が手をこまねく理由がない)。
ついでに言及すると、リタイアした『新世代』達は目を覚ます様子はなく、成田稲穂も同様に当真瞳子から引き受けた凛華の肩越しに今も規則正しい呼吸音をさせてもたれかかっている。
そんな中での私へと向かってくる、いかほどかの思惑が込められた瞳の矛先。敵である当真瞳呼や月ヶ丘清臣、『調停者』はもとより、味方(といっていいか少々悩むけれど)である当真瞳子、篠崎空也、刀山剣太郎、月ヶ丘帝が戦闘・膠着の別なく、である。
生徒会長という役職柄、大勢に注目を浴びるのは日常茶飯事なので慣れているつもりでも、人間離れした戦闘力を持っている異能者達の“それ”はやはりひと味もふた味も違っていて、認めたくはないが内心の動揺は今も波立ったままだ。
「(──いや、これは私じゃなくて)」
それは慣れているがゆえに生じた違和感。よく見れば彼ら彼女らの視線はこちらにあっても結ぶ焦点は私を通り越して一点へと絞られている。自意識過剰な勘違いで浮き足立った自分を殴りたくなるが、それならそれで私の背後に何かあるというのか?   という新たな疑問が出てくる。
講堂内に足を踏み入れたのは『調停者』と名乗る女が最後、それ以降で2つある出入り口を通った者はおらず、私のあずかり知らぬ第三者がいる可能性はない。今、私の背にあるとすれば備え付けの座席と壁くらいだ。当然、今更そんなものを注視する意味などない。ならば、いったい──
「──な、なに!?」
再び口にしてしまった何の捻りもないなには、異能者達が見ているものの如何について、そしてそれを辿るように振り返ろうした際に起こった地響きへの驚き、その2つを意図せずして満たしていた。
轟音とともに講堂を揺らした発生源は、もはや偶然の類ではなく、件の方向から起きているらしい。地下にいるので推測になるが方角から考えて学生寮──あるいは校門の周囲か?
まるではかったようなタイミングの異能者達の反応はこれを予期してのことだろう。異能者というくらいなのだから、何か普通の人間とは違う勘のようなものが働くのかもしれない。何か不思議な信号でも受信していたと言われたら多分私はそれを信じると思う。
「そのあたり、あなたはどうなのかしら? 凛華」
どうせ私の考えてることなどとうに読めているのだろう、と半ばなげやりな気分で凛華に水を向けてみる。
「……残念ながら彼らほど明確に感じ取れたわけではありません」
それは逆に言えば、『怪腕』の異能者としてうっすらとでも気づけるものがあったのではないのか?   しかし微量の皮肉か毒が効いたいつもの返しとは違い、凛華の様子はその言葉どおり芳しくはない。 
「ですが」
「ですが?」
彼女にしては珍しい言い回し。その続きとばかりに自らの肩を──正確にはその肩に頭を預けている人物、成田稲穂をこちらへと近づける凛華。
「いや、そんな風に近づかれても扱いかねるのだけれど……ん?」
意図がわからず凛華にただそうとして止まる。寄せられたことで成田の口元がかすかに動いているのがわかったからだ。どうやらこれを見せたかったらしく、私の理解する反応に合わせてもう一段階分、凛華が歩みを寄せる。
「──せんぱいだぁ」
そんな甘えの含んだくぐもった声は凛華の横から、間違いようもなく成田が発したものだった。
起きている時はまず耳にすることはないであろう無防備というか無垢というのか、ともかく数日前の生徒会室やほんの数十分前の講堂での言動からすれば考えられないような性質(声質か)だと思う。私の知らないところで別人に入れ替わったか、それとも二重人格か。いずれにしても本人か疑いたくなる。
「この“せんぱい”というのは?」
「誰を指すのかまでは。講堂が揺れる少し前からこの調子ですが、“せんぱい”と連呼するだけでしたので特定するのは無理です。ただ──」
「ただ?」
「──気づかないか?」
最近はそうでもないがそれでもまだ珍しい部類か、能動的に私と凛華の会話に加わったのは桐条さん。その顔には妙に物分かりがいいというのか、変に悟っている様子を貼り付けている。
「あぁ……そういう事……」
凛華が状況から察し、桐条さんにこんな顔をさせる相手、そして何よりいったいどこをほっつき歩いているのか事ここに至ってまで姿を見せていない──そんな条件を全て満たしたこの学園の誰よりも騒動に関わる可能性の高いやつなんて1人しか思いつかない。
「なるほど。どうやら講堂は物事の肝とは少し外れていたようね。根拠の材料が少しどころではなく馬鹿馬鹿しいけれど、妙に納得してしまった」
「そのとおりよ」
頭上から降ってきた言葉に思わず身構える。正体がわからなかったわけではない。むしろ聞き覚えがあるからこそ無意識の警戒から出た行動といっていい。生徒会の前に降りたった女生徒、当真瞳子はそんな私の反応をよそに会話を続けようとする。
「天乃宮姫子、学園中に校門近くの広場には近寄らないようアナウンスなさい」
「何が起きているのか、納得のいく説明を聞くのが先よ。察するにこれも織り込み済みだったのでしょう?」
ついさっきまで真剣を振り回していた相手を捨て置いてまで私のところまで来たくらいだ。不測の事態なら中断まではありえても、あらかじめ用意していたような提案は事前にどうなるのかある程度読めていなければ無理だ。
当真瞳呼にしても同様だ。引き下がる当真瞳子に追撃することなくなすがままにさせているのは、それが両者の利害にかなっているからだろう──もしかすると単純な損得を超えた思惑からかもしれないけれど、それ込みで何らかの意図が一致したからこその一時休戦のはず。
「説明……ね。してもいいけど不用意に近づこうとする生徒がいないとも限らないし、人払いが先じゃないかしら?   学園に在籍する全生徒・職員の預かる身としてならなおさらよね?」
「──そうね」
悔しいが、当真瞳子の指摘はこの上なく正しい。私は携帯を取り出すと事務局へ連絡、校門近くへの立ち入りの禁止と一連の騒ぎに対して取り乱さないよう言付けて放送することを指示する。
「あぁ、それと──」
もののついでと対応した事務員に海東姉妹が姿を見せたかを確認してみる。
返答は「いいえ」。本当の緊急事態だったなら保身めいた行動と批判されてもしかたないけれど、気になったものは仕方がない。それにこの地揺れに関わっている──事務局へ辿り着くための向こうの手段だった可能性もある──ならまったくの無関係とはいえず、彼女達の動向を知ることは決して無意味ではないだろう……やはり言い訳じみているだろうか?
まぁ、よくよく考えてみれば学園が本当に緊急事態に陥っていたのなら解任要求どころではない。そんなタイミングで提出したとして受理はおろか、逆に彼女達に対する批判の材料にしかならないだろう。解任要求が目的ならまず打たない手段だ。
ならば、海東姉妹は無関係か? それもまた考えにくい。当真瞳子(と当真瞳呼)に心当たりはあるようでも手持ちのカードと見るには少し無理があり、月ヶ丘側も同様だ。私の学園で表に裏にといろいろ動いているので忘れがちになるけれど、そもそもの話、当真も月ヶ丘も天乃宮と敵対を是としているわけではない。だからといって海東姉妹と繋がっていないかといえば違うのだが、少なくとも講堂にいる面々の思惑に沿ったスケジュールには組み込まれていないハプニングといえる。
と、するなら消去法になるが海東姉妹しかいない。ただすでに挙げたとおり解任要求の手段としては下策中の下策、そんなことは彼女達なら頭からわかっているはずだ──案外、解任要求は彼女達にとって別の目的の手段でしかないのかもしれない。仮にそうだとして彼女達の本意がどこにあるのか不明でもこちらのやることには変わりはないのだけれど……。
「──これで問題はないはずよ」
携帯をしまい、当真瞳子に向き直る。そこで気づいたのだが、『調停者』と戦っていたはずの篠崎と刀山もいつも間にか戦闘を中断し当真と二言三言会話を重ねている。私の言葉が聞こえていた様子もなく(聞こえていたとしても彼女にとっての優先順位は目の前にいる篠崎と刀山だろうが)、また話が途切れる感じもない。
微妙な手持ち無沙汰をまぎらわすように視線を他へ向けてみる。当真瞳呼と『調停者』は同じく何事かを話し合っているようで、月ヶ丘帝と『ロイヤルガード』達は馴れ合うつもりはないとばかりに私達とは離れた座席の一角を占領し『シャドウエッジ』の二人を介抱していた。その月ヶ丘帝と対峙していたはずの月ヶ丘清臣の姿は見えない。当真瞳呼と合流することもなく、どこかへと行方をくらませている──『新世代』を残して。
ただ単に逃げおおせたのか、それとも他に行くべきところへと向かったのか、それはわからない。けれど、なんとなく後者ではないかと漠然とながら思う。
それにしても、よくもまぁ好き勝手にしてくれたものだ。究極的には負けるつもりはないけれど、ことの当事者──それも私のテリトリーが舞台の出来事でありながら私のいないところでクライマックスを演じようとしている。
それに対してどこかの誰かは騒動の中心にいることに関しては天才的──もはや天災的か──とばかりに外すなく、どうにかことを収めてしまう。どこの誰かとは言わないけれど、悔しいくらいに。
「──本当にいったいどう始末をつけてくれるのかしらね」
「どうせいつもの通り、私達をなんだか負けたような気にさせるのでしょうよ。今回はいったいどんな結末でそうさせてくれるのか、乗っかってあげた以上、それらしいものを見せないと承知しないわよ──『アウトナンバー』」
ひとりごちた私に今も続く当真瞳子達の会話が漏れ伝わってくる。それは偶然なのか、私の愚痴に同意しているようで妙に強く耳に残った。
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