きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第72話



    *


 日原山の山道を走り、学園の大仰な校門を抜けると各施設の行き来を結ぶ広場が姿を見せる。広場といっても用途としては搬入路や通学バスのターミナルを兼ねているので、一般に想像する校庭くらいの広さがあり、校門をくぐり向かって左手が校舎や講堂、右手には学生寮がここからでも確認出来る。

 事務局のある管理棟も同様で、ここから学生寮の方角──瞳子と空也の初期配置場所であるアスレチックコースより手前といったところか。林立していてどれが事務局の入った建物かは判別出来ないが、まず迷う事なく目的地へと辿り着けるだろう。

 そんな少し顔を上げるだけでどこに何があるのかがわかる見晴らしのいい空間に“その人”は居た。

 もはや一つの様式とばかりに天乃原ここの学生服を着こなし、どこか遠くを見ているらしく・・・・・・・・・・・・・、こちらを一顧だにせず、また気づく様子も無い。

 ふとすればただの勘違い、人違いかと錯覚しそうになるが、時間帯的に人通りがほぼ皆無な中、事務局へと続く道の前に立つのは“俺に用がある”という意思表示。いくつもある通路の終端からわざわざそこにいるのだから誤解のしようもない。そもそも、あからさまともいえる周りの言動から嫌でも気づいていたはず、しそうになったのは錯覚ではなく逃避だ。

せんぱい・・・・

 近年では使う相手がおらず、ご無沙汰だった単語。久方ぶりの呼び名はどうにもイントネーションに自信が無く不安定な響きだったと思う。呼び止めた事でようやくこちらに気づき向けられる目には驚きと気恥ずかしさが多分に含まれている。

「──観光地とかにある望遠鏡ってあるじゃない? お金を入れて見るの。あれ使っている時に声をかけられた気分よ」

「あぁ、なるほど、なんとなくわかります」

 再会の第一声が驚きに対する弁解ってなんだ? と思いつつ、せんぱい──先輩を見る。

 肩まで伸びるウェーブのかかった髪は、ストレートがよかったと挑戦してみるも髪質的にうまくいかず、さりとて短いのも躊躇われ結局は現状維持ということで今の髪型に落ち着いた。

 頭二つ分は低い身長は先輩としての威厳が無いと上げ底で嵩ましてみるも、やりすぎたせいで盛大にコケて取り止めに。そして身長に比してフラットな体型は(今思えば)命知らずに指摘すると最後、散々追い回されたのはまぁ、いい思い出だろう。

 頭の中でイントネーションが整うにつれ、先輩の姿かたち、それに伴う記憶が鮮明になっていく。──優之助、返礼代わりに当時と変わらぬ呼び方で声をかけた先輩も同じ気持ちだったのかもしれない。遠目がちだった焦点がピントを合わせる様に数度瞬き、こちらを捉える。

「視覚の調節が難しくてね、まだ少し慣れないのよ。生来の能力とはいえ、よくこんな感覚を使いこなせるもんだと感心するわ」

 その間も目頭をほぐす事でどうにか調子を落ち着かせると、押さえていた側の手をそのままに先輩が軽く指を鳴らす。少し洒落た所作はつかの間、俺と先輩の前に四角張った突起が地面からせり上がる。数は三つ、どうやら椅子と机代わりらしい。

「──土と石と操る能力。関ヶ原大地せきがはらだいちの『我は大地、大地は我ジアース』ですか?」

「より正確に言うなら操作しているのは主に珪素だそうよ。『導きの瞳』と違って無機物への操作系は一番触れる機会があったからこちらはそんなに苦労はないの」

「ていうか、こんな目立つ場所で能力を使わないでください。あと、これ元に戻せるんでしょうね? 後で請求されても知りませんよ」

 と言いつつ、ちゃっかりと座らせてもらう。ここへ来るまで上りの山道を駅伝よろしく走ってきたのだ。先輩への見栄もあって誤魔化しているが、実は息も切れ切れで少しむせる一歩手前のところ。正直腰を下ろせるのはありがたい。

「いろんな意味で大丈夫よ。この時間帯なら誰も来ないでしょうし、通学用のバスもあと二時間は到着が先でしょ。それに何が来ても私ならすぐ気づくわ」

 懐かしさと白々しさが絡み合う会話が続く。先輩向こうは別に隠しているつもりはなく、単にこちらが核心に入らないから白々しくなっただけだが。

「聞かないの?」

「──聞きたいのは山々ですけど、出鼻を挫かれるとどうにも。それに聞かなくてもほとんど喋ってるし、見せてるじゃないですか。いろいろと」

 そうね、と短く頷く先輩には開き直りとは違う落ち着きがあった。驚かないのか、と聞かないあたり、先輩もわかっている。
 “異能を生み出し、与える”異能者の正体とか、月ヶ丘──ひいては当真瞳呼に協力しているとか。

 とはいえ、これらが重要かといえばそうでもない。そういう存在がいると頭から確信しているのだから。意地が悪いと思う。本当に聞きたい事、言いたい事はしっかりと除外しているのだから、ちゃんと言葉にしないといけない。数週間前に思い知った教訓を胸に俺ははじめからやり直す事にした。

「先輩、お久しぶりです」

「えぇ──本当に久しぶりね、優之助」

 最後に別れてから数えて五年と少し。時宮高校元序列二十位『サイコダイバー』海東心かいとうこころは吹きつけた風に髪を遊ばせながら、穏やかな声で再会を認めた。


  時宮高校元序列二十位、『サイコダイバー』海東心。その能力はサイコメトリー。漫画やドラマのおかげ(?)か数ある超能力の中では世間一般での認知が比較的高いと思うので説明は省くが、まぁ、触れた対象物の記憶を読み取る能力とわかっていれば差し支えないだろう。

 序列認定において評価が最下位二十位なのも、能力が戦闘向きでない事と、程度の差はあれ、時宮ではこの系統の異能者が数多くいるという事情でなんとなく想像はつくと思う。むしろ先輩について言及するなら、能力よりそれ以外の部分か。

 まず、その名前──というより名字だが、海東はハルとカナの偽装戸籍としてのわ《・》である以前に当真の傍流として表社会との橋渡しの顔を持つ。やがて表社会に進出するのが狙いである当真にとってまるまる嘘で固めて一から作るより、血族としての末端を早い段階で切り離し、裏のにおいの無い属性この場合は家格かを持たせた方が何割かの真実が含まれた分、戸籍の説得力としては強固というわけ。つまり瞳子の親戚だ。

 当真家に連なる異能者でありながら名前に“目”の一字が入っていないのは前述の理由から本家とは距離を置いているので、そのあたりのしきたりや当主候補の選定から除外され無縁だからだ。

 時宮高校に在籍していたのも発現してしまった異能に悩まされず現代社会で生きていけるよう最低限の制御を身につける為であり、本来ならば進学は県外にある実家から近い、あるいは本人の学力に合わせた時宮とは無関係のところを選ぶはずだった、と聞いている。離れて暮らす両親は異能が発現しておらずその事で親子関係は持て余していた、とも。

 と、ここまで訳知り顔で語ってはみたが、実のところ、先輩との付き合いは俺の高校入学から程なく出会い、先輩が卒業するまでの一年いくかいかないかのあたり。しかし、上級生というだけならそれこそ数百いる中にあって、それでも俺にとって先輩と指すのはこの人しかいない。

 憧れであり、先達であり、返しきれない恩と取り返しのつかない罪の返済相手。俺にとって、目の前の人はそんな存在なのである。



「この三年間、何してたんです?」

「異能の研究よ」

「月ヶ丘で、ですか?」

 この状況においてそれ以外ないだろう、と思いつつ、質問を掘り下げる。再会の挨拶をして定型ともいえる問答からはやや脱線しかねないのだが、時宮の序列持ちであった先輩と研究の実在は疑いようもないが外部の人間にやすやすと開放するはずのない月ヶ丘。両者との接点が微妙に見出せない。

「当真瞳呼よ。彼女経由で月ヶ丘清臣──異能研究の責任者に渡りをつけてもらったの」

 一瞬、瞳子友人の顔がよぎるが、すぐに別人の方だと思い直す。言われてみれば、当真瞳呼は先輩と同じく俺の二つ上で同時に遠縁とはいえ親戚に当たる。先輩の返答から当真瞳呼と月ヶ丘家との付き合いが思った以上に根深いという示唆がされているのはさて置いてひとまず納得する。

「それにしても、よく信用されましたね。聞いた話じゃあ、かなり用心深い性格のようでしたけど?」

「それは月ヶ丘清臣の話?   それとも当真瞳呼の方かしら?    私からするとどちらもそう難しい話ではなかったわよ。月ヶ丘前者は私の能力と当真瞳呼後者は……そう、、って言えばね」

「……なるほど、嘘ではないですからね」

「勘違いないで頂戴。敵討ちってのは単なる方便よ。異能を研究する為には月ヶ丘に近づく必要があったけど、その研究部門の長が当真瞳呼と組んでいたから仕方なくそう吹いただけ」

「でも嘘じゃない」

「……えぇ、たしかに嘘じゃない──でもね」

 言うや否や、即席で作られた机を乗り越え顔をこちらに寄せる先輩。突然の行動にあっけを取られた俺は反応らしい反応が出来ず、少し遅れて伸びた手に制服のタイを掴まれると、なすがままに目線を揺らされ、そして先輩の高さまで引き落とされる。

「──でもね、事実と真実は似ているようで全然違う。あの場に居た人間──いいえ、私にしか真実はわからない。優之助、自分を責めるのはやめなさい」

 牧歌的な名前と見た目にそぐわない苛烈さに思わず首が縦に揺れる。自力か他力か、その反応の元は自分ではわからなかったが、先輩としては満足するものだったらしく、よろしい、とばかりに力強く握っていたタイをようやく離す。

 首回りの圧迫がなくなった事で滞りがちだった酸素が送られて若干むせるが、先輩も俺もそれ以上この方面での話題を蒸し返そうとはしなかった。

「──それで、研究とやらの収穫はあったんですか?」

 締められた喉の調子を整えるのに苦心しながら、引きつりの残る声で話を戻す。これも間抜けな質問か。収穫もないのにこの三年音沙汰のなかった先輩が行動を起こすはずがないだろうに。

 というか、そもそもの話、随一ではあるがただの一サイコメトラーだった先輩が何をどうしたら他者の異能を使ったり、第三者に移譲出来るというのだ。

「あったわよ。それなりに、だけどね」

「それなりに、ですか。謙遜も過ぎればただの嫌みですよ」

「実証はこれから先の話だもの。本音を言えば、準備にもう少し時間を掛けたかったところよ」

 推測をどれだけ重ねても想像の域を出る事はない、というわけか。どうやら手放しの本意ではないというのは本当らしい。当真瞳呼か、月ヶ丘清臣か、あるいはその両方か。そちらの都合が優先されたようだ。

「それで、そのそれなりの成果というのは?」

「まずわかったのは異能者も体のつくりは人間とそう大差がないという事、かしら」

「こんな真似が出来るのにですか?」

 ノックをするように間を挟む机を小突いてみせる。異能によって手も触れず形作られた家具用品は中身も敷き詰められているのか手ごたえはがらんどうのそれではない。それを一瞬で生み出す事が果たしてただの人間に出来るというのか。

「まぁ、たしかにただの人間では出来ない事をやってみせてるわね。でも、別に一から十まで全てを己の力でやっているわけではないの」

「?」

「例えるなら、リモコンかな。赤外線とか電波とかそういうのを使った信号を送って本体に命令を下すじゃない? あ、人体も一緒か。脳からの信号を受けて体を動かしている」

「って事は、炎の異能者が炎を出すとしたら、その信号とやらを炎かその元に送っていると? それこそ手足を動かすように」

「そう。『ジアース』という能力が珪素に信号を送る事で土や石を操った様に、私達異能者はその信号を送ることが出来るから異能を操れるの。より正確に言うと、ただの人間が気づいていない能力を発揮している」

「じゃあ、ただの人間も実は同じ事が出来ると?」

「絶対音感や共感覚に代表される知覚現象。火事場のなんたらに由来されるリミットカット。これらだって、信号によってそれぞれの身体にもたらされる生体活動。一種の異能よ。異能者はそれより一歩先、つまり自らの肉体だけではなく、他者、そして世界にもその影響を及ぼす事が出来るというだけ。そしてその信号の強弱は信念や執着、欲望といった精神的なもの。自我が形成される前後の時期に発現するのは、その時期が最も獲得しやすいからでしょうね。絶対音感を人為的に育てる試みでも幼児期が一番重要とされているようだし」

「だから、ヒトと大差がないという結論に繋がるというわけですか。遺伝子がほんのわずか違っているだけでヒトとオランウータンとなるって話を聞いた事がありますが……」

 言われてみれば思い当たる節がないわけではない。『怪腕』である真田さんの筋力や『王国国彦』の頑丈さと回復能力は人並み外れているが、ヒトが本来持ち得る能力だ。

 瞳子にはじまり、空也と剣太郎、帝に逆崎、それに創家。ここ一ヶ月あまりで出会った異能者の能力にしても似通った現象、エピソードなんて探せば古今東西、枚挙に暇がない。実在に関する真贋はともかくとして与太話と乱暴に片付けるには無視出来ないほどに。

 そんな中で先輩が控え目ながら断言したヒトと異能者にさしたる違いはないという結論。類まれなるサイコメトラーである海東心が三年もの間、異能研究の為にその能力を振るってきたのだ。月ヶ丘の研究主任である月ヶ丘清臣とやらが差し伸べられた協力を拒まなかったのも道理。

 記憶や思考は言うに及ばず本人の与り知らぬあらゆる生体情報を暴き我が物とする、それをいったいどれだけの異能者に触れて得た──いや、どれだけ犠牲にして得た回答なのか、積み重なったものの中に含まれていただろう創家の姿が頭をよぎる。

「──軽蔑する?」

 そう問いかける先輩の声と表情には先ほど感じた苛烈さは微塵も残らず消え失せ、姿形に相まった怯えを見せる。

 その怯えの根源は一介の読心能力では感じ取れない奥底へと潜り込める事にある。学問では心や精神はしばしば海や水に例えられるという。

 それに起因する二つ名を持つ目の前の小柄な先輩は深く潜れてしまうがゆえにそれに比する見たくもないものを見てきた。俺に見せた強気は自分を奮い立たせ続けた内に身に付けた後付けの性分、本来の性質はカナのそれに近い。

「──嬉々として聞ける話じゃないのは間違いないですがね。だからと言って先輩を毛嫌いするのとは話が別でしょ?」

 人に自分を責めるなと言っておいて、いったいどう飛躍させれば先輩を軽蔑するという話になるのだろうか。

 ほんの少し憤りすら覚えながら先輩の言葉を否定する。そんな俺の内心を触れるが本領の能力を使わずとも察したらしく、

「──そう」

 先輩が短く頷いて見せる。こころなしか少しほっとしたように。

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