きみのその手はやさしい手
第45話
「──私、自分の名前が嫌いなの」
「いきなりどうしたんだ? 会長」
協力交渉と言う名の会議は踊り終わってみれば、西日がすっかり傾き、部屋を赤く染める夕暮れ時の一幕。もはや当たり前のようにベランダから帰る会長達を見送りにサンダルを踏む俺に会長が唐突に告白する。
「いいから聞きなさい」
「……あぁ」
思わぬ迫力に一瞬、たじろぐ。
「姫子って名前がね。今はいいけれど、この先二十代、三十代、それ以上になった時を考えてみなさい。いい年をした女が、"姫"子よ──痛々しくて、年を取るのが怖いわ」
「なるほど」
なんとなく、ピンクのフリフリを着た、しわだらけの手足が思い浮かぶ──顔は本能が拒否しているのか、うまくイメージできない。だが、いかに脅威を感じているかは充分に伝わった。
「だから、私は誰にも名前を呼ばせない。例外は私の両親と天之宮当主だけ。辛うじて我慢できるけど、それでも、かなりのストレスよ」
「何が言いたいんだ?」
「呼ばせてあげると言っているのよ。特別に」
「それって──」
「もちろん、呼ばれたら睨むわよ。殺意が湧くもの」
「だよな! ──って、だったら、何で呼ばせるんだよ!」
「それでいいのよ。じゃないと──」
比較的、標高の高い日原山から吹く風はかなり強い。当然、寮の最上階の一角であるうちのベランダにも建物の隙間から時折、気まぐれに流れていく。その風に阻まれ、会長の言葉が届かない。
「? 何て言ったんだ」
「──聞き返さなくていいのよ」
そういって会長は自らを抱えている真田さんに目配せし、名残惜しさの欠片も見せずに対岸の女子寮へと去っていく。──なんだったんだ、あれ?
「──ほだされてしまうから。そう言ったんだ」
会長の隣にいたせいか、帰り際の台詞を拾っていた飛鳥が聞こえなかった部分を補足する。
「って、それ言っていいのかよ?」
「──さあ?」
特に悪びれる様子もなく、平然と言ってのける飛鳥。無粋な俺でもわかる補足はお節介というよりは普段俺が瞳子から受ける“それ”だ。いったい、誰の影響なのか、その悪戯っぽい顔はとても新鮮で、とても魅力的だった。
「──そうむくれるなよ、瞳子」
「別にむくれてないわよ。ついでに言うけど、私ばかり損な役回りだな、なんて思ってないわ。えぇ、欠片も」
「いや、思いっきり根に持ってるじゃねぇか! ──会長の次はこいつかよ」
今しがたまで会長達が使っていたソファーを占領するや否や、うつ伏せに寝転がっては鬱屈したものを吐き出すように足を忙しなく上下に振り回す。……こいつ、自分がスカートなの忘れてないか?
「──見た?」
「気にするくらいならやるなよ」
残念ながら、太ももの裏とスカートの裏地が見えただけで大してめくり上がる事はなかった。……不可抗力なんだから睨むなよ、瞳子。
結局、話し合いは協力するという結論を決めるだけに留め、その確約をどこに持っていくか(書面に示すのか、口約束でいいのか)を詰めるだけとなった。以下、こんな感じで。
「──ってなわけで、つつがなく協力する事になったわけだけど……」
「つつがなく、の意味知ってる?」
「あぁ、そうだね。全然つつがなくというわけにはいかなかったよね。でもそこは蒸し返さないで流してくれたら、結果的につつがなく収まると思うよ? 揉めた元凶」
「だけど、なんだ? 御村」
ここで会話の修正に入ったのは真田さん。話し合いの山場を越えたと判断したらしく、その手には再び、茶葉の香りを漂わせたカップを弄ばせている。いつの間に淹れ直したのか、人ん家の台所をどんだけ我が物にしてるのか、は多分野暮なんだろう、この場合。
「……協力についてだが、基本的な対応は俺達に任せて欲しいんだ」
「私達に戦うなという事か? 優之助」
飛鳥の問う声は硬い。瞳子に言われた、飛鳥と真田さんでは異能者に勝てない、というのを気にしているのだろう。真田さんのこちらを見る目にも咎める色が強い。そういう反応をされるだろうと予想はしていたので、手を横に振り、そうじゃない、と否を示す。
「仕掛けるタイミングをくれって意味だよ。実際、戦闘になったら二人の力が必要になるさ。ただ、因縁については俺達の方が先約だ」
「だから、そちらの意向を優先しろというわけか──私が協力を頼んだ時のように」
真田さんが愛刀の仇に視線を向ける。剣太郎と真田さんと斬られた愛刀。おりしも、キャンプ場での事を蒸し返すには条件が整っている──因縁という言葉は拙かったかもしれない。
「──心配するな。おまえが思うような事にはならない」
「そ、そうか。えと、つまり、"そういう事"になる──会長、それでいいか?」
こちらの内心を察した真田さんのお墨付きは、どう言い繕ったらいいか悩む俺には、か細いながらも安心の為のよすがだ。これ以上、地雷を踏まない内に天之宮の代表である会長に最終決定のお伺いを立てる。
「当真側が主導でも構わない。こちらで出来る事なら協力も惜しまない。でも話が漠然とし過ぎよ。いつ、どこで襲撃するのか、具体的な戦術プラン──相手をどうするつもりなのか、それらの説明はあるのかしら?」
協力相手に求める至極当然の権利として、会長が情報のすり合わせを要求する。一時、瞳子に圧されていた調子はすっかり元通りのようだ。その証拠に、かしら? の聞き方が例によって、質問というより詰問に近い。
「その時がきたら連絡する──ってのは駄目か?」
「それで納得しろと?」
「いや、あの、気持ちはわかるけど、あまり睨まないでくれると助かるというか──ま、まった。いや、ほんと、近い! 近い! ちょっ──」
声とは真逆の笑顔が怖い。細くなる瞼の奥から飛ぶ視線が痛い。間を挟む机などお構いなしに徐々に体を寄せてくるから圧力で苦しい。こっちはとうの昔に降参しているが、会長の手は緩まない。百八十ある図体で頭二つは低い小柄な女子に追い込まれる光景はかなり見苦しかっただろう。見かねた瞳子から助け船が出る。
「優之助なりに考えての事よ。言いだした理由──この場合は、言えない理由ね──にも思い当たる節がある」
「言えない理由?」
「おいおいわかるわ。先手をとりたいから──理由はそれ以上でもそれ以下でもないわ。今はそれで納得して」
「言葉だけで納得しろと?」
瞳子が口添えするも、会長の態度は渋い。春休み前にやらかした事や、ついさっきまでの態度を考えるなら、口だけで念押しするにはいささか物足りないと感じる気持ちはわかる。
「たしかに言質しかとれないのは歯がゆいでしょうけど、信用してもらうしかないわね。これでも当真慎吾の姪よ。彼と私が繋がっているのは知っているでしょ? ──なんなら、理事長の立場で書類に起こしてもらう?」
「──そこまで言うなら、ひとまず信用するわ」
さすがに理事長の名まで出されては、無下にはしづらいようで、渋々ながらも了承する会長。本音を言えば一筆欲しい所だろうが、今日明日で準備できるわけもなく、俺達の出方次第で今後どうするか決めるつもりらしい。
その後、会長は真田さんが紅茶を飲み干すのを待ってから、お開きを宣言。俺に自分の名前を呼ぶ事を強要し、真田さん、飛鳥と共に帰っていった。
要は、信用の置き所はもとより、突きまわしたいのを我慢して大人しく引き下がってくれた会長のおかげで話し合いは極めて穏当に終了する事が出来たというわけだ。とはいえ、いろいろ後回しにしただけにすぎず、会長の譲歩に甘え続けるにも限度がある。それも遠からず、破綻するだろう。
「──やはり、つつがなく、とは言えないかなぁ」
一言で言えば、"三歩進んで二歩下がる"だろうか。しみじみと思い返しては、ため息交じりにポットの残り湯で溶いた紅茶を胃に流し込む。
「あのねぇ、天之宮と当真は共同出資の関係を結んでいるとは言え、仲良しこよしでやってきたわけではないのよ。そこの所、理解してる?」
憤りを通り越したのか、瞳子の声に疲れがにじんでいる。癇癪を起した子供が突然電池が切れたように大人しくなる──例えるならそんな感じ。
「でも、瞳子ちゃんがあんな風に煽らなけられば、もう少し穏便に話は進んでたよね」
「終始漫画読んでただけのあなたに言われる台詞じゃないわよ、空也。というか、人の首に足刀を寸止めした恨みは忘れてないし」
瞳子の恨みがましげな睨みに空也は、お~こわいこわい、と視線からそそくさと逃げる──俺を壁にして。絵面としては俺が瞳子を怒らせたみたいに映るだろう。
「いや、空也を睨めよ。今、完全に俺に向けてるよね、視線」
「どっちも似たようなものでしょ。私の邪魔をしてくれた時点で」
「無理もない。優之助が瞳子の思惑通りに動いた試しがあるか?」
それでフォローしたつもりか剣太郎。そんな疑問も当人にとっては興味の外、相も変わらずページをめくる手は止まらない。単に聞こえたから思った事を言い放っただけ──火種を投下するだけ──の投げっぱなし男。本当にこいつ、ただ漫画読みに来ただけだな。
「そう睨むな、優之助。俺が話し合いに参加した所で出来る事はない。出来るのは剣を振るうだけだ」
「かっこいい事言っている風だが、かなり駄目な発言してるの気づいてるか?」
これで意外に付き合いが良かったり、面倒見がよかったりするのだから、人っていうのはわからない。それがなければ、ただの駄目人間だ。
まぁ、興味がないにもかかわらず話し合いに同席していたのだから、たしかに付き合いはいいのかもしれない──単に漫画が読みたかったからという可能性を捨てきれないが。
「まぁまぁ、逆に言えば戦闘に関してはキッチリやるって事だよ。僕も剣太郎もね。──そういう展開になるんでしょ、優之助?」
取り成す空也の言葉には、ある種の確信が込められている。異能者──特に序列持ちが集まって何事もなく済むはずがない。そういった意味で。
「当然そうなる。ともかく、会長がどうにか食い下がってくれてよかったよ。変にこじれていろいろ明かすのは避けたかったからな。なにせ──」
「──当真瞳呼の計画にハルとカナが一枚噛んでいる、だったわね」
瞳子のよく通る声が俺の発音を上書きし、先回りして紡く。それは昼のいざこざで国彦が俺を焚き付ける為に吐いた台詞だった。
「やはり、聞いてたか」
一言一句まで相違なく再生された国彦の台詞。それはつまり、俺と国彦との戦いをかなり前から観戦していた事を指している──俺が地面に転がされている間も、ずっと。多分、あの時、俺が水を向けなければずっと出てくる気もなかったに違いない。
「えぇ。──気づいてたの?」
「途中からな。じゃないと、あんな居る前提で振る事が出来るわけないだろ」
いなかったら完全にピエロだ、そう言っておどけてみせる。
「そうか、『優しい手』の攻撃補正に『制空圏』を利用してるんだっけ。国彦みたいなゴリ押し一辺倒の力バカに『制空圏』を使う必要ないと思って油断してたわ」
「(えらい言われようだな国彦)」
言葉の端々に強いアクセントを込め、述懐する瞳子。それが隠れている事に気づかれた理由の考察なのか、単に国彦への暴言なのか、判断しかねる俺の肩をしなやかな指が二度三度と叩く。振り返ると、空也が内緒話をするように手を当てて俺の耳へと持っていこうとするので、軽く腰を落としてそれに合わせる。
「あのね。瞳子ちゃん、国彦に協力を断られたらしいんだよ」
なるほど、と思う。国彦本人から向こう側ついた理由を聞いていたが、瞳子に断りを入れた上での事だったらしい。よくよく考えてみれば、俺が思いついた程度の事を瞳子が実行しないはずがない。二人の間では既に敵として関係が成立してたようだ。まぁ、それはそれとして、
「他に言う事ないのか? 加勢に加わらなかった言い訳とか」
「他に言う事なら確かにあるよね。ハルちゃん、カナちゃんの事とか」
「──それもそうだった。国彦の言う通りだった場合、どうなるんだ?」
「仮定の話じゃないわよ。ハルとカナが当真瞳呼に協力しているのは事実だから。国彦の発言はあくまで確証の補強に過ぎない」
微かな期待を込めた確認を瞳子があっさりと打ち砕く。
「知ってたのか?」
「ハルとカナの留学先に当真瞳呼が接触した形跡があったと聞いているわ」
確証に至った事実を告げる事で追い打ちを掛ける瞳子。天之宮と当真のお膝元である学園内ならともかく、留学先に常時監視の目を貼りつかせるなど不可能に近い。だが、当真瞳呼が外で妙な行動をとれば、その察知は決して難しくない。
「──そういうことは早く言えよ。確定じゃねぇか」
お手上げのポーズで茶化して見せる。しかし、ため息が交じって内心が誤魔化しきれない。裏付けはとれてしまった。いずれ生徒会は帝達との繋がりを辿って、ハルとカナの敵対を察知するだろう。そうなれば、確実に処分に動く。そしてそれはそう遠い未来の話ではない。
「そりゃあ、ハルとカナが望んだ展開だろうけどさぁ……」
考えの違いはあれど、学園の現状を好ましく思っていないのは双方同じだ。もう少しやり方はあったのではないかと、そう思ってしまうのが止められない。少なくとも、瞳子の関係者である俺が絡まない限り、ハルとカナは直接、当真瞳呼の企てに関与する事はなかった。踊らされるかも、と危惧する事もなかった。
「さっきも言ったけど、あまり気負う必要はないわよ。当真瞳呼が誰かを利用する事には変わりなかった。それが、たまたま私の手駒の親類だっただけの話よ。つまり、学園で事が起こるのは必然。むしろ当事者になってくれた方がただ巻き込まれるより守りやすい」
「その分、別の難易度が上がるけどね」
「空也、所々鋭い指摘はありがたいんだけど、それは俺を凹ましたいだけだよな?」
「それでどうするの? 今からでもハルとカナの側につく?」
「まさか。ハルとカナが生徒会を対立するのなんて、とうの昔に知っているさ。その上で生徒会──というか、瞳子に協力してんだろうが」
「つまり、生徒会に協力するのは変わらないと?」
「基本は俺が連絡し、事を起こす。生徒会は適宜協力。騒ぎが起きても、こちらに便宜を図る。やる事は変わらないし、頼まれた仕事くらいちゃんとするよ。だから俺は──俺は講堂での件からこのかた、おまえについて行くつもりで協力しているんだけどな──一応、振り回される覚悟くらいしているさ」
「──そう、ならいいのよ」
瞳子がそっけなく返す。ソファーに伏せた顔からは表情が、喉ごと押しつけくぐもった声が、それぞれ瞳子の感情を覆い隠す。それは自分の反応を誰にも見せないという拒絶の意志表示。
不貞腐れちゃったね、再び俺に耳打ちしながら淡い笑顔を見せる空也。この場にいる元同級生縛りの面子には、思いの外あっさりと決断した俺を瞳子が生意気に思っているのだと気づいているのだ。
そして周りに気づかれているのを瞳子は理解している。だからこその不機嫌。お互い険悪ではないとわかっているので、普段なら放っておいても問題ないのだが話題の大元は当真に関する事だ、いつまでも脇に追いやったままでは困る。
しょうがないなぁ、とばかりに空也がぬるま湯の様な気まずい沈黙を破りにかかる。
「どう動くと思う? 瞳子ちゃん」
言うまでもなく、ハルとカナが、である。瞳子がぶっきらぼうに口を開く。
「決まっているでしょ。解任要求に動くわ。生徒会への対抗戦力として国彦と帝が協力関係にあると公言した上で」
「するのか? 公言」
意外だと思う。いずれはバレるにしても、当面だけでも、無関係を装って混乱に乗じた方が物事がうまくいく様な気がするが。
「私達が繋がりを把握している以上、隠すメリットはないわ。例え、私達が生徒会に暴露しないとしてもね。それなら、早い内から関係を明かして一般生徒の関心を得た方がいいでしょう。国彦がいいデモンストレーションをやって見せた事だしインパクトはあるでしょうね」
「解任要求の為の意志統一というハードルはかなり低くなる、か。ハルとカナがたった一年で生徒会を打倒する勝算とはそれか」
「でしょうね。もし、このままなら本当に、ハルとカナはこの学園を去らなければならなくなる」
奇しくもそれは時宮のファミレスで告げられたこの学園に来る羽目になった瞳子の脅し文句。だが、その言葉はあの時よりも重く聞こえる。
「そうならないようにするにはどうすればいい?」
「理想は解任要求をさせない事ね。生徒会がその気になれば、あっという間に退学処分まで発展するわよ」
解任要求は一片の言い訳も許されない完全な形での敵対。生徒会にいながら反抗的な態度を示していた飛鳥のケースとはわけが違う。いくらなんでもそれ穏便に収まるわけはない。
「わかってはいたけど、やる事なんて決まっていたな。──と、いうわけだ、聞き耳を立てても無駄だぞ、帝。これ以上はそうそう作戦を漏らしたりしねえっての!」
ここに居ない人間に向かって悪態をつくその姿は、傍から見れば正気を疑われても仕方がない。しかし、この部屋にいるのは空也、剣太郎、瞳子、そして俺の四人。誰も俺の不可解な対応を止めはしない。帝──月ケ丘帝の異能を知っているからだ。
当真の血筋を受け入れた月ケ丘家の異能は当真と同じく、瞳を介して発動する種類の異能だ。そして、月ケ丘家現当主、月ケ丘帝の異能はある意味で世界を手に出来る異能とすら言われている。
その名は『導きの瞳』。発現した能力は遠視と透視、そして共感覚。
共感覚とは、絶対音感などにみられる"音が色づいて見える"といった複数の五感で物事を知覚する能力の事だ(例えに出した"音が色づいて見える"現象は『色聴』と呼ばれ、絶対音感の中でもポピュラーなものらしい)。帝の場合、視覚を通じて他の五感全てを感じる事が出来る。つまり、見るだけで手触りや味、匂い、音を聞き分ける事すら可能というわけだ。
その共感覚に遠視と透視が加わり、五感情報を得られる異能。その射程は『制空圏』を超え、精度においても触覚だけの『優しい手』に対して『導きの瞳』はタンパク質やアミノ酸、周波数、紫外線等を本来の器官を介さずとも文字通り見て感じ取れるのだから比べるべくもない。それはこの情報化社会では"運動エネルギーの制御"や"殺意を形に出来る"などよりもはるかに有用な人の上に立ち、率いる王としての力。世界を手に出来るというのもそう大げさな話ではないのだ。
当真瞳呼が帝を引き入れた理由の一つは少なくとも、敵に回すと政治的な駆け引きにならないからだろう。瞳子や会長の二人が現代社会の全てを決するとまで言い切ったな地味な根回しを始めとした──政治的な搦め手は完全に意味をなさない。
「それにしても、生徒会が帝の異能について、つっついてこないのはありがたかったわね。優之助の説明には異能について一切触れなかったのにね。普通、あれで納得しないわよ?」
「キャンプ場の時も大したアドバイスは送ってないぞ──真田さんが気を遣ってくれたおかげなんだけどな。それに、おまえもそうする必要があるのわかっているから珍しく口添えしてくれたわけだし」
帝の異能を防ぐ手段はない。さすがに読心までは出来ないものの、常時隣で見聞きされているのと同義だ。知ってどうなるものでないなら、知らずに過ごした方がストレスはない。会長達にはそんないらない気苦労を背負わせたくないが為に要点をぼかして会話を進め、今も瞳子や空也、剣太郎に俺のやろうとしている事をつまびらかにはしていない。いや、もしかしたら、気づいているのかもしれない。それは俺がはじめから覚悟していた事でもあるのだから。
「天之宮は根掘り葉掘り聞きそうだったけどね。最後の方、かなり恨みがまし気に見てたわよ」
「それでも、俺が言わなかったから聞く事はしなかった。あっちも何かあるって気づ──っっちょ、いて、痛てぇよ! なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」
*
──ねぇ、優之助。あなた気づいてる? 本当に手強い相手を。私や当真瞳呼なんて、その前では塵芥も同然のはかない存在だって。
私がらしくもないやり口を選んでまで生徒会を追い込もうと考えた理由が本当にあなた達の為だったしたら、笑うのかしら? でも真実がそうだとしたら?
気づいてる? 天之宮姫子──天之宮家がその気になれば天乃原学園の運営を自らの手に戻す事が出来る事を。しかも、この瞬間、今すぐにでも。
それをしないのは、ただ世間の批判を恐れているだけ。誰が見ても無茶だとわかるシステムを強行して失敗した時の嘲りや失笑から逃れたいだけ。でも、その傷口を少しでも小さくする事は出来る。"今なら"出来る。
一つは天之宮姫子が生徒会長になったから。学園側から権力の返上を実行すれば、たとえ、身内がそれをやったとしても"民主的に"選んだ会長がやった事として言い訳がたつ。
そして、もう一つ。これが私達にとっては致命的。権力を返上するに至った理由を私達の暴走による秩序の維持が困難だとすれば、結局、教育は大人の力を借りなければならないと結論づけられるから。つまり、私達の小競り合いを口実にされるのよ。私達の自らを掛けた闘争を他者の道具に使われる位なら、私の主義なんて捨てても構わない。
でもそうしなくていいと言ってくれるのなら。私はあなたをただ信じる──例え、結果が敗北になるのだとしても、一緒に破滅してくれるのならそれでいい。そう思う。
でも、そうでないのなら、私はどうすればいい? このまま手をこまねいて、当真の取り分や個人的な好悪などどうでもよくなるくらいに、私達が築いてきたものが他者のおもちゃにされ、汚され、打ち捨てられるのが怖い。
大丈夫よね? 天之宮姫子にほだされてはないわよね? 天之宮は自分のプライドが高い事を自覚して、なおかつ、それを利用──捨てる事すら計算──できる。普段偉そうな女が突然窮地に追い込まれてしおらしくなる。そうやって味方をする様に仕向けるのが彼女のやり方だとしたら? あなたはそれでも生徒会に協力する事に迷いはないの?
信じていいのよね? 私について行く覚悟があるって言ったもの。信じていいのよね? 優之助 私の不安を笑い飛ばして
──私を選んでくれるよね?
「──っっちょ、いて、痛てぇよ! ──なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」
「いきなりどうしたんだ? 会長」
協力交渉と言う名の会議は踊り終わってみれば、西日がすっかり傾き、部屋を赤く染める夕暮れ時の一幕。もはや当たり前のようにベランダから帰る会長達を見送りにサンダルを踏む俺に会長が唐突に告白する。
「いいから聞きなさい」
「……あぁ」
思わぬ迫力に一瞬、たじろぐ。
「姫子って名前がね。今はいいけれど、この先二十代、三十代、それ以上になった時を考えてみなさい。いい年をした女が、"姫"子よ──痛々しくて、年を取るのが怖いわ」
「なるほど」
なんとなく、ピンクのフリフリを着た、しわだらけの手足が思い浮かぶ──顔は本能が拒否しているのか、うまくイメージできない。だが、いかに脅威を感じているかは充分に伝わった。
「だから、私は誰にも名前を呼ばせない。例外は私の両親と天之宮当主だけ。辛うじて我慢できるけど、それでも、かなりのストレスよ」
「何が言いたいんだ?」
「呼ばせてあげると言っているのよ。特別に」
「それって──」
「もちろん、呼ばれたら睨むわよ。殺意が湧くもの」
「だよな! ──って、だったら、何で呼ばせるんだよ!」
「それでいいのよ。じゃないと──」
比較的、標高の高い日原山から吹く風はかなり強い。当然、寮の最上階の一角であるうちのベランダにも建物の隙間から時折、気まぐれに流れていく。その風に阻まれ、会長の言葉が届かない。
「? 何て言ったんだ」
「──聞き返さなくていいのよ」
そういって会長は自らを抱えている真田さんに目配せし、名残惜しさの欠片も見せずに対岸の女子寮へと去っていく。──なんだったんだ、あれ?
「──ほだされてしまうから。そう言ったんだ」
会長の隣にいたせいか、帰り際の台詞を拾っていた飛鳥が聞こえなかった部分を補足する。
「って、それ言っていいのかよ?」
「──さあ?」
特に悪びれる様子もなく、平然と言ってのける飛鳥。無粋な俺でもわかる補足はお節介というよりは普段俺が瞳子から受ける“それ”だ。いったい、誰の影響なのか、その悪戯っぽい顔はとても新鮮で、とても魅力的だった。
「──そうむくれるなよ、瞳子」
「別にむくれてないわよ。ついでに言うけど、私ばかり損な役回りだな、なんて思ってないわ。えぇ、欠片も」
「いや、思いっきり根に持ってるじゃねぇか! ──会長の次はこいつかよ」
今しがたまで会長達が使っていたソファーを占領するや否や、うつ伏せに寝転がっては鬱屈したものを吐き出すように足を忙しなく上下に振り回す。……こいつ、自分がスカートなの忘れてないか?
「──見た?」
「気にするくらいならやるなよ」
残念ながら、太ももの裏とスカートの裏地が見えただけで大してめくり上がる事はなかった。……不可抗力なんだから睨むなよ、瞳子。
結局、話し合いは協力するという結論を決めるだけに留め、その確約をどこに持っていくか(書面に示すのか、口約束でいいのか)を詰めるだけとなった。以下、こんな感じで。
「──ってなわけで、つつがなく協力する事になったわけだけど……」
「つつがなく、の意味知ってる?」
「あぁ、そうだね。全然つつがなくというわけにはいかなかったよね。でもそこは蒸し返さないで流してくれたら、結果的につつがなく収まると思うよ? 揉めた元凶」
「だけど、なんだ? 御村」
ここで会話の修正に入ったのは真田さん。話し合いの山場を越えたと判断したらしく、その手には再び、茶葉の香りを漂わせたカップを弄ばせている。いつの間に淹れ直したのか、人ん家の台所をどんだけ我が物にしてるのか、は多分野暮なんだろう、この場合。
「……協力についてだが、基本的な対応は俺達に任せて欲しいんだ」
「私達に戦うなという事か? 優之助」
飛鳥の問う声は硬い。瞳子に言われた、飛鳥と真田さんでは異能者に勝てない、というのを気にしているのだろう。真田さんのこちらを見る目にも咎める色が強い。そういう反応をされるだろうと予想はしていたので、手を横に振り、そうじゃない、と否を示す。
「仕掛けるタイミングをくれって意味だよ。実際、戦闘になったら二人の力が必要になるさ。ただ、因縁については俺達の方が先約だ」
「だから、そちらの意向を優先しろというわけか──私が協力を頼んだ時のように」
真田さんが愛刀の仇に視線を向ける。剣太郎と真田さんと斬られた愛刀。おりしも、キャンプ場での事を蒸し返すには条件が整っている──因縁という言葉は拙かったかもしれない。
「──心配するな。おまえが思うような事にはならない」
「そ、そうか。えと、つまり、"そういう事"になる──会長、それでいいか?」
こちらの内心を察した真田さんのお墨付きは、どう言い繕ったらいいか悩む俺には、か細いながらも安心の為のよすがだ。これ以上、地雷を踏まない内に天之宮の代表である会長に最終決定のお伺いを立てる。
「当真側が主導でも構わない。こちらで出来る事なら協力も惜しまない。でも話が漠然とし過ぎよ。いつ、どこで襲撃するのか、具体的な戦術プラン──相手をどうするつもりなのか、それらの説明はあるのかしら?」
協力相手に求める至極当然の権利として、会長が情報のすり合わせを要求する。一時、瞳子に圧されていた調子はすっかり元通りのようだ。その証拠に、かしら? の聞き方が例によって、質問というより詰問に近い。
「その時がきたら連絡する──ってのは駄目か?」
「それで納得しろと?」
「いや、あの、気持ちはわかるけど、あまり睨まないでくれると助かるというか──ま、まった。いや、ほんと、近い! 近い! ちょっ──」
声とは真逆の笑顔が怖い。細くなる瞼の奥から飛ぶ視線が痛い。間を挟む机などお構いなしに徐々に体を寄せてくるから圧力で苦しい。こっちはとうの昔に降参しているが、会長の手は緩まない。百八十ある図体で頭二つは低い小柄な女子に追い込まれる光景はかなり見苦しかっただろう。見かねた瞳子から助け船が出る。
「優之助なりに考えての事よ。言いだした理由──この場合は、言えない理由ね──にも思い当たる節がある」
「言えない理由?」
「おいおいわかるわ。先手をとりたいから──理由はそれ以上でもそれ以下でもないわ。今はそれで納得して」
「言葉だけで納得しろと?」
瞳子が口添えするも、会長の態度は渋い。春休み前にやらかした事や、ついさっきまでの態度を考えるなら、口だけで念押しするにはいささか物足りないと感じる気持ちはわかる。
「たしかに言質しかとれないのは歯がゆいでしょうけど、信用してもらうしかないわね。これでも当真慎吾の姪よ。彼と私が繋がっているのは知っているでしょ? ──なんなら、理事長の立場で書類に起こしてもらう?」
「──そこまで言うなら、ひとまず信用するわ」
さすがに理事長の名まで出されては、無下にはしづらいようで、渋々ながらも了承する会長。本音を言えば一筆欲しい所だろうが、今日明日で準備できるわけもなく、俺達の出方次第で今後どうするか決めるつもりらしい。
その後、会長は真田さんが紅茶を飲み干すのを待ってから、お開きを宣言。俺に自分の名前を呼ぶ事を強要し、真田さん、飛鳥と共に帰っていった。
要は、信用の置き所はもとより、突きまわしたいのを我慢して大人しく引き下がってくれた会長のおかげで話し合いは極めて穏当に終了する事が出来たというわけだ。とはいえ、いろいろ後回しにしただけにすぎず、会長の譲歩に甘え続けるにも限度がある。それも遠からず、破綻するだろう。
「──やはり、つつがなく、とは言えないかなぁ」
一言で言えば、"三歩進んで二歩下がる"だろうか。しみじみと思い返しては、ため息交じりにポットの残り湯で溶いた紅茶を胃に流し込む。
「あのねぇ、天之宮と当真は共同出資の関係を結んでいるとは言え、仲良しこよしでやってきたわけではないのよ。そこの所、理解してる?」
憤りを通り越したのか、瞳子の声に疲れがにじんでいる。癇癪を起した子供が突然電池が切れたように大人しくなる──例えるならそんな感じ。
「でも、瞳子ちゃんがあんな風に煽らなけられば、もう少し穏便に話は進んでたよね」
「終始漫画読んでただけのあなたに言われる台詞じゃないわよ、空也。というか、人の首に足刀を寸止めした恨みは忘れてないし」
瞳子の恨みがましげな睨みに空也は、お~こわいこわい、と視線からそそくさと逃げる──俺を壁にして。絵面としては俺が瞳子を怒らせたみたいに映るだろう。
「いや、空也を睨めよ。今、完全に俺に向けてるよね、視線」
「どっちも似たようなものでしょ。私の邪魔をしてくれた時点で」
「無理もない。優之助が瞳子の思惑通りに動いた試しがあるか?」
それでフォローしたつもりか剣太郎。そんな疑問も当人にとっては興味の外、相も変わらずページをめくる手は止まらない。単に聞こえたから思った事を言い放っただけ──火種を投下するだけ──の投げっぱなし男。本当にこいつ、ただ漫画読みに来ただけだな。
「そう睨むな、優之助。俺が話し合いに参加した所で出来る事はない。出来るのは剣を振るうだけだ」
「かっこいい事言っている風だが、かなり駄目な発言してるの気づいてるか?」
これで意外に付き合いが良かったり、面倒見がよかったりするのだから、人っていうのはわからない。それがなければ、ただの駄目人間だ。
まぁ、興味がないにもかかわらず話し合いに同席していたのだから、たしかに付き合いはいいのかもしれない──単に漫画が読みたかったからという可能性を捨てきれないが。
「まぁまぁ、逆に言えば戦闘に関してはキッチリやるって事だよ。僕も剣太郎もね。──そういう展開になるんでしょ、優之助?」
取り成す空也の言葉には、ある種の確信が込められている。異能者──特に序列持ちが集まって何事もなく済むはずがない。そういった意味で。
「当然そうなる。ともかく、会長がどうにか食い下がってくれてよかったよ。変にこじれていろいろ明かすのは避けたかったからな。なにせ──」
「──当真瞳呼の計画にハルとカナが一枚噛んでいる、だったわね」
瞳子のよく通る声が俺の発音を上書きし、先回りして紡く。それは昼のいざこざで国彦が俺を焚き付ける為に吐いた台詞だった。
「やはり、聞いてたか」
一言一句まで相違なく再生された国彦の台詞。それはつまり、俺と国彦との戦いをかなり前から観戦していた事を指している──俺が地面に転がされている間も、ずっと。多分、あの時、俺が水を向けなければずっと出てくる気もなかったに違いない。
「えぇ。──気づいてたの?」
「途中からな。じゃないと、あんな居る前提で振る事が出来るわけないだろ」
いなかったら完全にピエロだ、そう言っておどけてみせる。
「そうか、『優しい手』の攻撃補正に『制空圏』を利用してるんだっけ。国彦みたいなゴリ押し一辺倒の力バカに『制空圏』を使う必要ないと思って油断してたわ」
「(えらい言われようだな国彦)」
言葉の端々に強いアクセントを込め、述懐する瞳子。それが隠れている事に気づかれた理由の考察なのか、単に国彦への暴言なのか、判断しかねる俺の肩をしなやかな指が二度三度と叩く。振り返ると、空也が内緒話をするように手を当てて俺の耳へと持っていこうとするので、軽く腰を落としてそれに合わせる。
「あのね。瞳子ちゃん、国彦に協力を断られたらしいんだよ」
なるほど、と思う。国彦本人から向こう側ついた理由を聞いていたが、瞳子に断りを入れた上での事だったらしい。よくよく考えてみれば、俺が思いついた程度の事を瞳子が実行しないはずがない。二人の間では既に敵として関係が成立してたようだ。まぁ、それはそれとして、
「他に言う事ないのか? 加勢に加わらなかった言い訳とか」
「他に言う事なら確かにあるよね。ハルちゃん、カナちゃんの事とか」
「──それもそうだった。国彦の言う通りだった場合、どうなるんだ?」
「仮定の話じゃないわよ。ハルとカナが当真瞳呼に協力しているのは事実だから。国彦の発言はあくまで確証の補強に過ぎない」
微かな期待を込めた確認を瞳子があっさりと打ち砕く。
「知ってたのか?」
「ハルとカナの留学先に当真瞳呼が接触した形跡があったと聞いているわ」
確証に至った事実を告げる事で追い打ちを掛ける瞳子。天之宮と当真のお膝元である学園内ならともかく、留学先に常時監視の目を貼りつかせるなど不可能に近い。だが、当真瞳呼が外で妙な行動をとれば、その察知は決して難しくない。
「──そういうことは早く言えよ。確定じゃねぇか」
お手上げのポーズで茶化して見せる。しかし、ため息が交じって内心が誤魔化しきれない。裏付けはとれてしまった。いずれ生徒会は帝達との繋がりを辿って、ハルとカナの敵対を察知するだろう。そうなれば、確実に処分に動く。そしてそれはそう遠い未来の話ではない。
「そりゃあ、ハルとカナが望んだ展開だろうけどさぁ……」
考えの違いはあれど、学園の現状を好ましく思っていないのは双方同じだ。もう少しやり方はあったのではないかと、そう思ってしまうのが止められない。少なくとも、瞳子の関係者である俺が絡まない限り、ハルとカナは直接、当真瞳呼の企てに関与する事はなかった。踊らされるかも、と危惧する事もなかった。
「さっきも言ったけど、あまり気負う必要はないわよ。当真瞳呼が誰かを利用する事には変わりなかった。それが、たまたま私の手駒の親類だっただけの話よ。つまり、学園で事が起こるのは必然。むしろ当事者になってくれた方がただ巻き込まれるより守りやすい」
「その分、別の難易度が上がるけどね」
「空也、所々鋭い指摘はありがたいんだけど、それは俺を凹ましたいだけだよな?」
「それでどうするの? 今からでもハルとカナの側につく?」
「まさか。ハルとカナが生徒会を対立するのなんて、とうの昔に知っているさ。その上で生徒会──というか、瞳子に協力してんだろうが」
「つまり、生徒会に協力するのは変わらないと?」
「基本は俺が連絡し、事を起こす。生徒会は適宜協力。騒ぎが起きても、こちらに便宜を図る。やる事は変わらないし、頼まれた仕事くらいちゃんとするよ。だから俺は──俺は講堂での件からこのかた、おまえについて行くつもりで協力しているんだけどな──一応、振り回される覚悟くらいしているさ」
「──そう、ならいいのよ」
瞳子がそっけなく返す。ソファーに伏せた顔からは表情が、喉ごと押しつけくぐもった声が、それぞれ瞳子の感情を覆い隠す。それは自分の反応を誰にも見せないという拒絶の意志表示。
不貞腐れちゃったね、再び俺に耳打ちしながら淡い笑顔を見せる空也。この場にいる元同級生縛りの面子には、思いの外あっさりと決断した俺を瞳子が生意気に思っているのだと気づいているのだ。
そして周りに気づかれているのを瞳子は理解している。だからこその不機嫌。お互い険悪ではないとわかっているので、普段なら放っておいても問題ないのだが話題の大元は当真に関する事だ、いつまでも脇に追いやったままでは困る。
しょうがないなぁ、とばかりに空也がぬるま湯の様な気まずい沈黙を破りにかかる。
「どう動くと思う? 瞳子ちゃん」
言うまでもなく、ハルとカナが、である。瞳子がぶっきらぼうに口を開く。
「決まっているでしょ。解任要求に動くわ。生徒会への対抗戦力として国彦と帝が協力関係にあると公言した上で」
「するのか? 公言」
意外だと思う。いずれはバレるにしても、当面だけでも、無関係を装って混乱に乗じた方が物事がうまくいく様な気がするが。
「私達が繋がりを把握している以上、隠すメリットはないわ。例え、私達が生徒会に暴露しないとしてもね。それなら、早い内から関係を明かして一般生徒の関心を得た方がいいでしょう。国彦がいいデモンストレーションをやって見せた事だしインパクトはあるでしょうね」
「解任要求の為の意志統一というハードルはかなり低くなる、か。ハルとカナがたった一年で生徒会を打倒する勝算とはそれか」
「でしょうね。もし、このままなら本当に、ハルとカナはこの学園を去らなければならなくなる」
奇しくもそれは時宮のファミレスで告げられたこの学園に来る羽目になった瞳子の脅し文句。だが、その言葉はあの時よりも重く聞こえる。
「そうならないようにするにはどうすればいい?」
「理想は解任要求をさせない事ね。生徒会がその気になれば、あっという間に退学処分まで発展するわよ」
解任要求は一片の言い訳も許されない完全な形での敵対。生徒会にいながら反抗的な態度を示していた飛鳥のケースとはわけが違う。いくらなんでもそれ穏便に収まるわけはない。
「わかってはいたけど、やる事なんて決まっていたな。──と、いうわけだ、聞き耳を立てても無駄だぞ、帝。これ以上はそうそう作戦を漏らしたりしねえっての!」
ここに居ない人間に向かって悪態をつくその姿は、傍から見れば正気を疑われても仕方がない。しかし、この部屋にいるのは空也、剣太郎、瞳子、そして俺の四人。誰も俺の不可解な対応を止めはしない。帝──月ケ丘帝の異能を知っているからだ。
当真の血筋を受け入れた月ケ丘家の異能は当真と同じく、瞳を介して発動する種類の異能だ。そして、月ケ丘家現当主、月ケ丘帝の異能はある意味で世界を手に出来る異能とすら言われている。
その名は『導きの瞳』。発現した能力は遠視と透視、そして共感覚。
共感覚とは、絶対音感などにみられる"音が色づいて見える"といった複数の五感で物事を知覚する能力の事だ(例えに出した"音が色づいて見える"現象は『色聴』と呼ばれ、絶対音感の中でもポピュラーなものらしい)。帝の場合、視覚を通じて他の五感全てを感じる事が出来る。つまり、見るだけで手触りや味、匂い、音を聞き分ける事すら可能というわけだ。
その共感覚に遠視と透視が加わり、五感情報を得られる異能。その射程は『制空圏』を超え、精度においても触覚だけの『優しい手』に対して『導きの瞳』はタンパク質やアミノ酸、周波数、紫外線等を本来の器官を介さずとも文字通り見て感じ取れるのだから比べるべくもない。それはこの情報化社会では"運動エネルギーの制御"や"殺意を形に出来る"などよりもはるかに有用な人の上に立ち、率いる王としての力。世界を手に出来るというのもそう大げさな話ではないのだ。
当真瞳呼が帝を引き入れた理由の一つは少なくとも、敵に回すと政治的な駆け引きにならないからだろう。瞳子や会長の二人が現代社会の全てを決するとまで言い切ったな地味な根回しを始めとした──政治的な搦め手は完全に意味をなさない。
「それにしても、生徒会が帝の異能について、つっついてこないのはありがたかったわね。優之助の説明には異能について一切触れなかったのにね。普通、あれで納得しないわよ?」
「キャンプ場の時も大したアドバイスは送ってないぞ──真田さんが気を遣ってくれたおかげなんだけどな。それに、おまえもそうする必要があるのわかっているから珍しく口添えしてくれたわけだし」
帝の異能を防ぐ手段はない。さすがに読心までは出来ないものの、常時隣で見聞きされているのと同義だ。知ってどうなるものでないなら、知らずに過ごした方がストレスはない。会長達にはそんないらない気苦労を背負わせたくないが為に要点をぼかして会話を進め、今も瞳子や空也、剣太郎に俺のやろうとしている事をつまびらかにはしていない。いや、もしかしたら、気づいているのかもしれない。それは俺がはじめから覚悟していた事でもあるのだから。
「天之宮は根掘り葉掘り聞きそうだったけどね。最後の方、かなり恨みがまし気に見てたわよ」
「それでも、俺が言わなかったから聞く事はしなかった。あっちも何かあるって気づ──っっちょ、いて、痛てぇよ! なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」
*
──ねぇ、優之助。あなた気づいてる? 本当に手強い相手を。私や当真瞳呼なんて、その前では塵芥も同然のはかない存在だって。
私がらしくもないやり口を選んでまで生徒会を追い込もうと考えた理由が本当にあなた達の為だったしたら、笑うのかしら? でも真実がそうだとしたら?
気づいてる? 天之宮姫子──天之宮家がその気になれば天乃原学園の運営を自らの手に戻す事が出来る事を。しかも、この瞬間、今すぐにでも。
それをしないのは、ただ世間の批判を恐れているだけ。誰が見ても無茶だとわかるシステムを強行して失敗した時の嘲りや失笑から逃れたいだけ。でも、その傷口を少しでも小さくする事は出来る。"今なら"出来る。
一つは天之宮姫子が生徒会長になったから。学園側から権力の返上を実行すれば、たとえ、身内がそれをやったとしても"民主的に"選んだ会長がやった事として言い訳がたつ。
そして、もう一つ。これが私達にとっては致命的。権力を返上するに至った理由を私達の暴走による秩序の維持が困難だとすれば、結局、教育は大人の力を借りなければならないと結論づけられるから。つまり、私達の小競り合いを口実にされるのよ。私達の自らを掛けた闘争を他者の道具に使われる位なら、私の主義なんて捨てても構わない。
でもそうしなくていいと言ってくれるのなら。私はあなたをただ信じる──例え、結果が敗北になるのだとしても、一緒に破滅してくれるのならそれでいい。そう思う。
でも、そうでないのなら、私はどうすればいい? このまま手をこまねいて、当真の取り分や個人的な好悪などどうでもよくなるくらいに、私達が築いてきたものが他者のおもちゃにされ、汚され、打ち捨てられるのが怖い。
大丈夫よね? 天之宮姫子にほだされてはないわよね? 天之宮は自分のプライドが高い事を自覚して、なおかつ、それを利用──捨てる事すら計算──できる。普段偉そうな女が突然窮地に追い込まれてしおらしくなる。そうやって味方をする様に仕向けるのが彼女のやり方だとしたら? あなたはそれでも生徒会に協力する事に迷いはないの?
信じていいのよね? 私について行く覚悟があるって言ったもの。信じていいのよね? 優之助 私の不安を笑い飛ばして
──私を選んでくれるよね?
「──っっちょ、いて、痛てぇよ! ──なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」
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