きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第41話

 時宮高校元序列十位、『皇帝』エンペラー月ケ丘つきがおかみかど。月ケ丘というのは時宮の隣に位置する地名であり、そこを代々統べてきた一族の姓でもある。つまりは当真と同じ武士の家系だ。

 ただし、当真とは違い、祖先──この場合は家系の始まりを指す──に異能者はおらず、世間が一般的に想像する有力な豪族や大名から土地を与えられた一族。言い方はなんだが普通の"お武家様"である。

 そんな普通の"お武家様"であった月ケ丘家だが自らが守護する場所からほど近い所に当真が隠れ住んでいた事、月ケ丘の危機を当時の当真家当主が救い、そこから両家に友誼が生まれた事──そのおかげで当真家は迫害を免れ、現代まで生き残ってこれたといっていいらしい──は一般的から外れるには大きな要素といえる。

 とはいえ、始まりはあくまで要素止まり。しかし、生まれた縁を断ち切らず、密かに交流を続け、やがて婚姻という繋がりによって結ばれた世代が出てきた時、月ケ丘はどこに出しても申し開きのできない世間一般から外れた家系となってしまった。

 一族で異能が発現したのは遡る事三代くらい前、百年ほどと歴史そのものは浅い。だが、確実に異能者の一族として、権威や影響力を隣の異能者が集まる地時宮に食い込ませていた。

 月ケ丘帝はその月ケ丘家の現当主。高校卒業後、前当主父親の引退を受けて、一族を率いる立場に就いた。流れ自体は元々決まっていたようで、当主を守るのが唯一にして絶対の使命であるロイヤルガードに幼い時分より守られていた。月ケ丘家がどういう思惑で動いていたのかわからないが、ロイヤルガード達の年齢が帝に近い事からもそうなるよう“準備”されていたのは明白だった。

 だが、用意されていたものを本人が望んでいたかどうかは別の話。武家いいとこの跡取りの座も、ロイヤルガード魅力的な少女を十二人もはべらせている日常も、小・中・高子供の世界では妬み嫉み、そして、それ以上にからかいの対象となる。

 『皇帝』エンペラーの名も帝自身の戦闘力の無さ──類まれな異能の有無は別として──から、臣下がいないと何にも出来ない=皇帝という皮肉で名付けられた。本来、序列持ちへ向けて謳われる“二つ名・通称”ですらこの有様だ。虐げられるというには立場も扱える力も強すぎたが、無慈悲に与えられ、受けてきた“痛み”に違いはないだろう。

 傍から見れば羨む立ち位置に突っかかりたくなる気持ちも分からなくはないが、矛先を向けられた側はたまったものではない。お膝元であるはずの月ケ丘で散々な目にあったらしく、高校二年の春に時宮へ転校してきたばかりの頃の帝はかなりの人間不信に陥っていた。今も決して人当りがいいとは言えないが、昔と比べると可愛げすら感じられる、とは瞳子の評。

 傍迷惑の塊瞳子をして"これ"なのだから、初対面だとだいたい帝を誤解したまま没交渉で終わってしまう。しかし、月並みを承知で擁護するなら、それらはただ接し方が不器用なだけであって、帝の本質は強い責任感で出来ている。

 その顕著な例がロイヤルガード達への扱いだ。それは彼女達が扱う得物──弓矢や投げ槍といった飛び道具かトンファーや釵といった護身に長けた武器──であったり、命令の内容──俺や空也、剣太郎には、ほぼ包囲してからの狙撃のみ、唯一の近接は待ち伏せによる奇襲──であったり、一見しただけでは気づきにくくも彼なりの思いやりが伺える。

 にも拘らず、その関係に笑顔一つないのは、彼らを彼ら足らしめたがとても歪だったからだろう。少なくとも帝は、家も、流れる血筋も、自分自身すら嫌っている。

 それでも帝は、投げ出さずあらがい続ける。もはや呪ってすらいる家名を背負い、守りたいものを抱え、沈みそうになりながら、どこまでも足掻く。だからこそ、俺は思う。例え始まりが嘲りからであろうと──月ケ丘帝は正真正銘『皇帝』であると。


「──というのが、『皇帝』月ケ丘帝についてだ」

「唐突にどうしたの? 長々と語りだしたりなんかして」

「いや、事情が分からない面子もいるからさ。一応な」

 リビングに集まった面々を見ながら、不思議そうな──というより、かわいそうな、というのが近い──眼差しでこちらを見る瞳子に弁解する。

「つまり決着をつけられるにも関わらず、そのままのさばらせておくという判断をした──そう解釈していいのかしら? 御村優之助君?」

 皮肉っぽく区切ったのは、その中で最も小柄で最も態度の大きい人物。天乃原学園生徒会長、天之宮姫子だった。横では真田さんが素知らぬ顔で紅茶を傾け、飛鳥は体育座りで長い手足を抱え、時折交互に組み替えながら、こちらの言動を一つ一つ眺めている。

「彼女って、いつもあんな感じなのかい? 大変だねぇ、優之助」

「そう思うなら、助け船の一つくらい出してくれてもいいんじゃないかな? 空也」

 会長達に対峙する形で一角を占めるのは、今しがた茶々を入れた空也、

「生徒会室からおめおめと逃げ出した人がいう台詞かしら。ねぇ、生徒会長さん?」

 と、よくわからない事をのたまい、会長を挑発する瞳子、

「優之助、これの続きはあるか?」

 そして、一人マイペースに漫画を読み漁る──堅物そうな外見からは見えないが、意外と漫画好き──剣太郎の当真家側──というより同級生側と言った方がいいだろう──の三人。ほんの一、二週間前、瞳子と餅をつついていたリビングはそんな濃い面子同士が顔を合わせ、寛いでいるのか、緊迫しているのか──主に瞳子と会長の間で、だが──よくわからない空気を醸し出していた。

 そもそも、なぜ一堂に会する羽目になったのか。時間を少し遡る事、一時間ほど前。帝が立ち去った後、ほどなくして国彦も帝を追うように下がっていった。そこそこ離れていた位置から聞こえる腹の虫を察するに雇い主に飯をたかりに行ったのだろう。

 命令違反を半ば許されて──というか諦められて──いる立場でよくもまぁぬけぬけと要求できるな、と呆れていると、飛鳥から着信が来て、始業式後に起こった乱闘の事情聴取というの元、事態についての情報交換と当真瞳呼達への善後策を検討する為に集まる運びとなった。

「(それ自体はいいんだけどなぁ……)」

 どうして、集合場所が俺の部屋になったのか? 飛鳥との通話やその後の瞳子の会話を記憶から漁ってみても思い当たる節が欠片も出てこない。未舗装の急坂を登って学園に戻ると生徒会の仕切りですでに混乱は沈静化し、三々五々に解散していた。

 そこで会長達と合流し、競うように先頭を行く瞳子と会長について行くと、立ち止まった先は学生寮の前。

 ごく自然に周りが止まった為、聞き逃しでもあったのかと不安になる俺を尻目に、じゃあ中で、などとプールの待ち合わせみたいな一言を残しさっさと女子寮へ入っていく女性陣と、それに了解で返す空也と剣太郎。気が付けば、空也に急かされ部屋の鍵を開け、されるがままに中に案内する始末。とはいえ、そこまでくれば流石にどういう手筈なのか気付く。あの時をなぞってベランダへ続く窓ガラスに手を掛けるとすでに到着していた女性陣が次々とリビングに押し入り、思い思いの場所に座り込んだ。

 独り暮らしを前提にしていたので、人数分の椅子など用意しているはずもなく、テレビ鑑賞に合わせたソファに会長と真田さん。ソファの端に持たれる形で飛鳥。瞳子と餅を摘まんだ時に使ったテーブルを挟んだ対岸に俺や瞳子、空也に剣太郎が直に座るという構図に落ち着き、今に至る──やはり、俺の部屋を使う事になった経緯も必要性も何一つ出てこない。

「まさか、あんな方法で男子寮と女子寮を行き来できるとは思わなかったわ……完全に設計ミスね」

 少しずつ伸びて入り込む昼下がりの日差しに軽く目を細めていると、独り言に近い響きで会長がぼやく。日差しの先には女子寮。どうやら遠い目をしていた理由を若干勘違いして話を振ったらしい。

「いや、普通実行しようとは思わんから。心配しなくても、実行できるのはほぼ一部の規格外だけだ」

 飛鳥を送った際、女子寮に潜入した俺があまり突っ込めた話ではないのだが一応フォローしておく。バレたらどう追及されるか想像もつかない。……視界の端で飛鳥こちらを見ているのは気のせいだと思いたい。

「それより会長はどうやってここに?」

「凛華におぶさって、よ。……あの浮遊感と下から来る風は正直二度と味わいたくないわ。あれなら生徒会室で振り回された時の方が──いえ、どちらも地獄ね」

「何の話だ?」

「こちらの話よ」

「そんな話をしに来たわけじゃないでしょう? そろそろ本題に入りなさいな」

「至極もっともなご意見どうもありがとう当真瞳子。あなたがそんな正論を吐けるなんて感心したわ。そもそも人間社会に適したモラルがあるとは思わなかったもの」

「あら、これでもある程度の常識は弁えているつもりよ。ただ相手をするに値しないか、使い倒す手足に対してはその限りでないだけ」

「本題に入るんじゃなかったのかよ」

 あと、瞳子。その使い倒す手足に俺は含まれてないよな?


「──はー、まさか生徒会室で襲われるとはなぁ」

 微妙におっさんくさいリアクションと自覚しつつ、会長達に起こった出来事を間の抜けた感想で締めくくる。こちらは外壁に傷一つつけるのですら躊躇う所を、下手なオフィスビルより強固なセキュリティを修復不能になるまで痛めつけたのだ。襲撃した奴の向こう見ずさが恐ろしい。

「その点は私も同感。もう少し控え目に攻めてくるものだと思っていたわ。もしかして隠れる気はさらさらないのかも。……それにしても、修繕費はどこに請求した方がいいのかしら? ──ねぇ、当真瞳子」

 皮肉っぽい口調と共に矛先が瞳子へと向かう。冗談交じりに聞こえるが、動く金は冗談で済む額ではないだろう。笑って流すなんてリアクションはまず無理の状況に聞いているこっちが、心なしか胃が圧迫されたように重くなる。

「……」

「冗談よ。いくらなんでもそこまでみみっちい真似はしないわ。一応、味方でしょう?」

「……そう言ってもらえるとありがたいわね」

 さすがの瞳子もあまり強く返すのは躊躇われるらしく、いつもの鋭さはない。

「……しかし、何をやったら、そこまでの打撃を受けるんだ?」

「あぁ、それは──」

「──紅茶はいかがですが、会長」

 突然の割り込んだ人影に驚いたのか、小さく呻く会長──きゃ、とか聞こえた──を尻目にてきぱきした動きで飲み物を配っていたのは『氷乙女』と称される生徒会副会長、平井要芽──要芽ちゃんだ。

「あ、あなた、いつの間に」

「何言ってんだ。最初からいただろう」

「無理もありません。会長からは死角に入り込んでいました。それはもう見事な入り身で。その後はキッチンにいたはずなので気づかなくても無理はありません。……こちらからではキッチンの中を確認できないようですし」

 と、真田さんが会長が気付いていなかった理由を解説する。その横では要芽ちゃんが素知らぬ顔で真田さんに給仕している。一足先に飲み干して、空になった真田さんのカップに再びリンゴやレモンを連想させる果実の淡い香りが立ち込めていく。

「どうして、言ってくれなかったのかしら?」

 隣で誰よりも早く紅茶を飲んでいた真田さんなら、要芽ちゃんが部屋に入ってきたばかりでない事も、それに自分が気づいていなかった事も確実に承知していると思い至ったらしく、もはや瞳子に対しておなじみとなっている皮肉のこもった笑顔で真田さんにする会長。気持ちはわかるが、本当にそれ、止めてほしい。見ているだけで胃痛がまたひどくなりそうだ。

「取り立てて言う事でもないかと。その上、御村が語りだしたので尚更──」

「いや、わざとだよね? っていうか、俺に責任おっかぶせようとしないでくれない? ──会長もこっち見ないで。頼むから」

「──襲撃者の正体は不明。わかるのは、建物の被害から破壊工作に長けた人物だと推察される点のみ。その為、新入生を重点的に調査中です」

 ここで要芽ちゃんの急な話題転換。一瞬、意味を計りかねるが、話が脱線する前は生徒会室襲撃の話をしていたのを思い出す。どうやら要芽ちゃんなりのフォローの様で、会長から見えない位置からの目配せでそれを悟る。

「な、なにを言って」

 いきなり何を言い出すのか、そんな顔の会長。って、まだ気付いてないんかい。心の中で密かに突っ込むが、会長だけではなく、真田さんや会話に加わらなかった飛鳥まで怪訝な表情を隠さず、要芽ちゃんを見ている。その視線を受けながら、剣太郎、空也、瞳子の順を本職のウェイトレスもかくやという動きで配り終え、キッチンへと下がっていく要芽ちゃん。背筋よく、かつ重心の移動を感じさせない軽やかな動きは彼女が打ち込んできた合気道のおかげだろう。何気なく目で追っていると、視界の外で誰かが腰を浮かす気配。

「ち、ちょ──」

調です」

 その反応も予想済みなのか、抗議の声を被せるタイミングでこちらに向き直り、すでに述べた結論を再度強調させる要芽ちゃん。事実は覆らない、あるいはという所か。

 込めたニュアンスは何となくわかるが、それにどういう意図があるのかはわからない。一方、追求しようとした側は、言い切って今度こそ下がる要芽ちゃんを行かせるままにさせ、押し黙る。

「(振り上げた拳を渋々下ろした感じだな)」

 しばらくの間、沈黙が支配したリビングにソファが軋み身じろぎする音が聞こえる。納得はしていないが、一旦はそういう事にしておくというニュアンスが伝わってくる。こちらも何をもってそうする事にしたのかは読めない。

「──だそうよ」

「いや、聞いてたし……」

 不機嫌な会長に俺はそう言うのが精一杯だった。

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