きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第32話

「──少し寒くなってきたな」

 換気の為に空けた窓から吹き込んでくる思いの外強い夜風に首を竦める。考えてみれば山を切り開いて建った建物のそのまた最上階の角部屋だ。街で吹く風とは一味違うという事なのだろう。

「……予定より早いけど、もう閉めるか」

 角部屋のリビングという構造上、併設されたベランダはL字型で長方形の内の二面が窓になっている。両方をわずかばかり開けて風の通り道にしたわけだが、想像以上に冷えてしまった。一人暮らしでよくある無意識の独り言に気づいて苦笑しつつ、リビングの窓を閉めにかかる。まずは街を見渡すのに最適な南側の窓に鍵を掛けていく。

 高原市の北側にある日原山に建てられた天乃原学園の施設は基本的に南側を正面として建てられている。見晴らしの点もそうだが、高低差のある山でわざわざ高くなる他の方角を正面玄関にするわけはないので、当然と言えば当然の話。反対に山を挟んで学園のある位置に建てられたキャンプ場の施設はその大半が同じ理由で北側を正面としている。

「?」

 もう一方の窓を閉めようとして、止まる。最初に気づいたのは風に舞ったカーテンにわずかばかり映った影。まだ引っ越したばかりでベランダに物は置いていない。俺の性格からして、おそらくこれから先も洗濯物を干す以外の利用する事も、何かを置く事はないだろう。だが、そんなベランダには明らかに人一人分の大きさの影が存在していた。わずかにあった気のせいという淡い期待を打ち壊すように。

 次いで、不規則に揺れるカーテンの隙間から、部屋の明かりに照らされて、人肌が見える。……確定である。すでに驚くタイミングを逃してしまい、冷静に観察していた俺は嘆息が混じりつつも、“彼女”に声を掛ける。

「──何してんだ? 瞳子」

「とりあえず入れてくれない? ここ、思った以上に寒くて……」

 いろいろ言いたいのを飲み込んで当真瞳子の言う通りとりあえず入れる事にした。 


「──で、なんであんな所にいたんだ?」

「ほら、女子寮と男子寮って隣じゃない? 非常階段を伝えば、誰にも見られずにあなたの部屋のベランダに直接侵入できるのよ。まぁ、普通の女の子には到底無理だけどね」

「手段の話してんじゃねぇよ! ……いや、侵入経路がわかってよかったけどさ。なぜ、ベランダに潜む必要があるのか理由を聞いてんだ!」

「驚くかなって……」

「残念ながら驚くタイミングを失って、呆れるしかなかったよ」

「そうは言っても普通に男子寮に女生徒が入るなんて無理じゃない。ああでもしないと部屋に入るなんて無理でしょ?」

 たしかに互いの寮の玄関はオートロックになっていて、住人以外が出入りできないようになっている。宅配や郵便物も寮の管理人が一旦受け取り、配達員が中に入る事はない。例外は引っ越しか内装工事の業者位なものだ。が、それとこれがどうつながるというのか? そこが分からない。

「いいじゃない。お土産も持ってきたんだから機嫌直してよ」

 俺の様子をどう見たのか取り繕う様に笑う瞳子。その手にはコンビニの袋が二つ。天乃原学園には生活協同組合(いわゆる生協)やコンビニといった生活用品を取り扱う施設は存在しない。文房具や制服の予備を販売する購買はあるが、それ以外は通販か家族の仕送り、あるいは学園に申請して自ら外で買いに出るしかない。

 ちなみに自炊用の食材は食堂で仕入れたものを購入する事が出来る。学園の食堂は一流のレストラン並みの質と種類を揃えるだけあって、その食材も高価な品だが、学生割引で好きなだけ手に入る。好きなだけ手に入ると聞くと在庫に不安が残る様に感じるが、そもそも自炊派の存在自体稀なので問題はない……って、あれ? 話が逸れた。つまり、お土産とやらは学園内で手に入るものではなく、瞳子は“実家からの帰り”にコンビニへ寄ったという事であり、しかも俺の部屋に行く事が決まっていたらしい。

 ──そう、俺が当真晶子を倒した夜から三日経っていた。


 当真晶子による会長──天之宮姫子──の誘拐(未遂)が起こってしまった事で、ただでさえ交渉する必要性に疑問を持っていた天之宮家(というより当事者の会長)は天乃原学園と時宮高校との提携話を当分の間、中止・保留という事にした。管理棟に帰った後、物凄い剣幕で理事長に電話していた会長がそう言ったのだ。多分その通りになるのだと思う。

 そして、当然と言えば当然だが、生徒会同士の泊りも中止。結果として当真晶子の暴走による突発的に起こった連れ去りが原因で予定より早く打ち切られたわけだが、元々、急用を理由に帰るつもりだったと空也が言っていたように部屋に持ち込まれた荷物はほとんど空いておらず、五分ほどで帰り支度を済ませた空也と剣太郎は気絶したままの当真晶子を連れて、あらかじめ待機させてあった車で帰って行った。

 そうなってしまうと、建前は力仕事として、本命は時宮との交渉の手伝いとして呼ばれた俺に出番はなく、翌朝、管理棟を出た。生徒会の面々はそのまま三日間過ごすらしく、別に残ってもいいと言われたのだが、完全にリゾート目的で残りの日数を消化する事になんとなく居心地の悪いものを感じて辞退した。寮に戻った俺は引き続いて一人暮らしの寮生活をこなし、現在、瞳子がなぜか俺の部屋に忍び込んでいたという事態に陥っているわけである。

「……予定より遅かったな」

「まぁね。わかってるでしょ? 天之宮姫子誘拐未遂の件で帰りが伸びたのよ。と言っても、実際に対応したのはおじ様なんだけどね。……悪い事しちゃったな」

 ここで言う“おじ様”とは、理事長である当真慎吾氏の事だ。瞳子にとって母親の弟である理事長は家族間の対立が珍しくない(今は後継者問題もあるから特にだろう)親戚筋の中ではかなり親しい間柄だ。そんな仲のいい親戚の叔父さんが、誘拐されかけた会長と本家筋とはいえ異能を持たないが故に立場の低い当真家との橋渡しをしているのだ、心配の一つもするだろう。部外者の俺ですら、掛け値なしの同情ものだと思う。

「んで、何買ってきたんだ?」

 戻りが予定より二、三日ズレたのはわかるが、夜遅く(もう十一時だ)に俺に部屋に忍び込む理由がよくわからない事に目をつぶり、Lサイズ二袋に分けられた“お土産”とやらを開けてみる。

 いくら建物が隣合っているとはいっても、それぞれ5mかそれ以上離れている。瞳子の『一本指歩法』なら可能だが(そんな事に古流を使うなよと言いたいがこれまた無意味だろう)、中に入っているものが無事かどうかは別問題だ。中身が漏れていないかを注意しながら一つ一つ取り出していく。

 幸い入っていたのはスナック菓子が多く、袋も破裂しておらず、片方は問題なかった。続いて、もう片方を開けてみる。こちらは先程より重く何が入っているのかと見てみると、真上には500mlのアイスケーキの箱が積み重なっている。……まさか、これ全部食べる気じゃないだろうな? 甘いものは嫌いじゃないが、胸焼けするだろうに……いや、アイスなら先に腹を壊すな。片方スナックで片方がアイスという事は惣菜関係はないらしい。今食べるには太りやすいだの、栄養が偏るだの言うつもりはないが、腹にたまりそうなものが少ないのは少々物寂しい。

「……何か作るか」

 学園の食堂で三食賄えるとはいえ、一人暮らしをする以上、部屋には保存のきく食べ物をそこそこ常備している。有り合わせで一品くらい作れないわけではない。そう思い、キッチンへ向かおうと腰を上げる。

 ついでに積み重なったアイスケーキの箱をひとまず冷蔵庫に入れようと袋を持ち上げると、袋の底からガラス同士がぶつかった時特有の固く儚い音。全部アイスだと思い込んで全て確認しなかったが、飲み物か何か入っていたらしい。重く丸みのある入れ物なら割れないよう底に寝かせて入っていても不思議ではない。

 あまり音を立てないよう冷蔵庫の前まで慎重に運び、アイスの箱を冷凍室に一つ一つしまっていくと袋の一番下に二本の瓶が見える。瓶同士の間には折り畳んだビニール袋が挟まっていて、緩衝材代わりにしているのが見て取れる。

「苦し紛れだなぁ」

 こんな処置で飛び回ってよく割れなかったものである。感心しながら何気なく手に取りためつすがめつして見る。その濃い緑色のガラスは光による中身の劣化を防ぐものとして割とポピュラーなデザインで俺も時々飲んでいた──

「──って、これワインボトルじゃねぇかよ!」

「そんなに珍しいものでもないでしょ。コンビニに置いてた安物よ、それ」

「俺達は何者だ?」

「哲学的ね。……強いて言うなら異能者の星って所かしら?」

「高校生だろがい!」

「いいじゃない。成人なんだし」

「成人だってバレたら困る立場でしょうが。俺とお前は!」

「外から見えないようにアイスの箱で四方を囲ってたわけだし大丈夫、大丈夫」

「やっぱ確信犯か!」

「心配性ねぇ。ボトルはこっちで処分するわよ。……いいから、付き合いなさいな」

 錯覚と言われれば納得しそうな、照明の反射ではあり得ない色合いを放つ瞳が俺を離さず射止め続けている。ここ数日、当真家の目を見る機会が多かったが、やはり瞳子が一番、綺麗だと思う──それはもう、怖いくらいに。

「……わかったよ」

 そうして俺は瞳子に逆らえない自分のヘタレさに呆れながら、ワインに合う一品をどうしようかとキッチンを漁っていくのだった。

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