きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第26話



      *


「──さて、どうする?」

「……どうするとは?」

 飛鳥も真田さんも戦えない状況の下、時宮高校との交渉を決裂させた責任から当真晶子の立ちふさがる決意をした俺はここから先は俺と時宮高校との喧嘩だとばかりに自ら矢面に立つ。

 ──そういえば、瞳子ともこんな感じで戦ったんだよな。少し前の講堂での事を思い出しながら相手をなるべく煽れるよう嗤って見せる。

「だからさぁ、このまま戦闘を再開するのかって聞いてるんだよ。なんなら、こっちは三対一でも構わないんだが。──まぁ、仮に戦っても意味はないんだけどな。万が一、そっちが勝ってもうちの会長はお前らと交渉する事はない。目的はすでに頓挫している」

 ──そちらに意味はなくてもこちらには意味があるんだけどな。内心でそう呟きながら当真晶子を挑発していく。

 理事長の言が正しいなら、時宮高校との提携は次期当主の選定に大きく関っているイベントだ。瞳子が当主になりたいかどうかはともかくとして、瞳子がいない状況で出しゃばってきた以上、当真晶子は間違いなく瞳子の敵だ。雇われた身の上、友人である俺としては少しでも当真晶子の足を引っ張っておきたい。

 ただ、それがどこまでできるかは疑問だ。当真晶子の後ろに控える二人をちらりと見やりながら思う。当の二人は、一方は笑顔を崩す事なく、もう一方はしかめたような顔のまま(本人としては一応、普通にしているつもり)で特段、動く気配はない。とはいえ、二人がその気になれば一瞬で間を詰め、仕掛ける事なんて容易い。結果として、出方がまったく伺えず、厄介な事には変わらないのだ。

「……」

 当真晶子の方も、二人がいれば戦闘そのものはどうとにでもなる事を理解してか、二度三度と二人の方へ視線を向けている。……俺に悟られないようにしているつもりのようだが、バレバレだぞ。

「会長、今日の所は引いた方がいいと思いますよ。今日から三日間は顔を合わせる予定ですし、ずっとギスギスしていたら身が持ちません」

 さすがに見かねたのか、笑顔を張り付かせた生徒──篠崎空也が当真晶子にそう耳打ちする。所作は耳打ちのそれだが、こちらに聞こえるような声の大きさ。このあたりが落としどころだというあちらからの提案だろう。

「……そうね。着いたばかりで泊まる部屋の確認もしていないし、このままというわけにはいかないわね。……お願いできるかしら?」

 耳打ちでどうにか持ち直した当真晶子は会長に向かって、部屋の案内を依頼する。いや、たしかにホストは会長だろうけど、わざわざ目の前の俺を飛び越して会長に話しかけなくてもいいんじゃね?

「それでは私がお連れします」

 軽く挙手して、案内を買って出たのは要芽ちゃん。会長はそんな要芽ちゃんに微妙な反応を示すが、少し考えて渋々了承する。多分、案内できるのが要芽ちゃんしかいなかったからだろう。飛鳥は食堂の椅子を並べた即席ベッド──会長が真田さんの戦いを見ている間、俺と要芽ちゃんとで用意した──の上に寝かされたまま意識が戻る気配はなく、真田さんも断たれた刀を手放さなさずに茫然としている。会長の許可を得た要芽ちゃんはテキパキとした動作で当真晶子達を先導し、あっという間に食堂の人口密度は半分になる。

「もうひと悶着あると思ったんだけれど……」

 拍子抜けした、と会長の独り言が寒々しく響く。こっちとしてもそのつもりだったので、正直耳が痛い。そんな肩透かしの感覚と沈黙で構成された気まずい空気が食堂を覆う。

 いよいよ沈黙に耐えきれなかった俺は食堂がしっちゃかめっちゃかになっている事を思い出し、いそいそと片づけ始める。幸いにというか物が壊れている様子はなくあちこち散らばっている椅子を直すくらいで大して労力は掛からない。

「……ねぇ」

「ん?」

 黙々と椅子を並べていく俺をしばらくただ見ているだけだった会長だが、やがてそれも飽きたのか口を開く。

「序列って何?」

「言葉通りだよ。当真家が将来の構成員の暫定的な格付けと生徒間の競争を推奨する為に敷いた時宮高校におけるランキング制度。もちろん測るのは戦闘能力。つまりあの二人は 時宮高校の主力というわけだ」

 数年前の、だがな。とはもちろん言わない。

「知っているの?」

 質問している風だが、確認のニュアンスが強い。俺と二人の目線か何かで察するものがあったのかもしれない。

「まぁな。有名だし」

 嘘ではない。はぐらかしてはいるが。

「……そういう事にしておきましょう。とりあえず、情報が欲しい。知っている事を吐きなさい」

「……お手柔らかに頼むよ」

 ちょうどよく椅子が並べ終わった。腰を落ち着けて語るのも悪くないだろう。そういえば、飛鳥が当真晶子達の分の茶を用意していたな。会長に飲み物を取ってくる、と伝えキッチンへ向かう。

「──さて、どこから話せばいいんだろうな」

 少し冷めていたお湯を温めなおし席に戻ると会長だけでなく真田さんも席についていた。一時のショックから立ち直ったらしく、弱々しくはあったが、目の焦点はしっかりと俺を捉えている。少なくとも話を聞く程度はできるだろう。一方、飛鳥の方はまだ目を覚ます様子は見られない。頭を強打したわけではないので深刻なダメージはなさそうだが、カウンター気味に蹴りが入ったのだ。無理に起さず、安静にした方がよさそうだ。茶を配り終え、一服しながら席に座る。

「あの二人の素性からでいいでしょ。もう一度戦う可能性もあるわけだし」

 とは会長。可能性などと言っているが、再戦は確実だろう。ここで降りるようなしおらしさがあるなら、そもそも当真晶子に煽られた程度で戦端は開かない。

「じゃあ、飛鳥と戦った方から。名は篠崎空也。本人も言ったが、序列七位の『空駆ける足スカイウォーカー』だ」

「『スカイウォーカー』?」

「空をも踏破できる足って事で名付けられた異名だ。戦闘は足技中心のスタイル、どんな態勢からでも蹴りが飛ぶから要注意な。投げ技、絞め技のような密着戦闘対策にムエタイを集中的に習っているから不用意に懐に入るのも厳禁。ほら、ムエタイの試合であるだろ、首相撲ってやつ」

 首相撲とはボクシングでいうクリンチの事だ。しかし、攻撃から逃れたり、体力を回復させる為に行う目的のクリンチとは違い、首相撲は組んでから肘打ち、膝蹴り果ては投げにまで発展する組み技といっても過言ではない代物であり、実際の試合でも攻防の開始は首相撲から始まる事が多い。

「足技に特化しているから投げたりはしないが、その分、膝は強烈だ。──だから、次戦う時は、不用意に攻めるのは気を付けた方がいい」

「──あぁ」

「起きていたの?」

 会長と俺が見つめる先には意識を取り戻した飛鳥がストレッチをしていた。椅子を並べただけのベッドに寝かされていたのだから当然と言えば当然か。大きく伸びをしてストレッチを締めた飛鳥はテーブルの脇にあったカップ(飛鳥が目覚めた時に渡せるように俺が用意していた)を取り、起き抜けの一杯とばかりに紅茶を注ぐ。その間、なんとなく話を中断し飛鳥を見ていたが、こちらに気にせず話を続けてほしいと言う言葉に甘えて、再開する。

「そして、真田さんと戦ったのが時宮高校序列三位『剣聖』刀山剣太郎。その異名が示す通り、剣に関する事なら最強。古流剣術当真流、皆伝の当真瞳子も確かに凄腕だが、次元が違う。『剣聖』は形のないもの──瞳子の『殺刃』すら斬れるからな。瞳子と互角以上に渡り合える奴はごまんといるが、『殺刃』を正面切って対処できるのは俺の『優しい手』かあいつの剣くらいだよ」

「とんでもないわね」

「あぁ、とんでもない。同じ剣士だから嫌でも比べられてしまう。たしか瞳子の序列は十四位だったかな。判定は当真家がやるから細かい所で異論も出るが、仮に剣太郎がいなければ、五つくらいは上がっている計算になるな。……まぁ、それだけ剣太郎が凄いと見られているって事さ」

 とりあえずはこんなものか。すでに空になったカップを見てちょうどいいと判断した俺は追加のお湯を用意する為に再度キッチンへ足を伸ばそうとする。

「──待ちなさい」

 そんな俺を会長が呼び止める。おかわりの催促かと思ったが、探るような会長の目を見て、どうやら違うのだと悟る。

「まさか、今ので終わりってわけじゃあないでしょうね?」

「……たしかに俺は意図的に話していない部分はある。あちら側が会長達を知らないというのに手の内を全て話してしまうのを躊躇っているのはたしかだけど、何より知ったところで防げるものじゃないから言わないんだ」

「どういう事?」

「あいつらは付け焼刃でどうにかなるほど甘くはない、って事だよ」

「対策に協力するつもりはないってわけかしら」

 会長の俺を見る目が敵に対するそれに変わる。

「そうじゃないよ。あいつらとも戦うし、教えるべきことは教える。ただ、一から十まで聞いて仮に勝ったとしても会長達はすっきりしないだろ?」

 生徒会の面々は基本的に全部自分達で解決しないと気が済まないタイプだ。知り過ぎて自分で解決しようとする部分をむやみやたらと奪いたくない。それが俺の偽らざる気持ちだ。

「例えば、『剣聖』刀山剣太郎に当真瞳子は勝っている。これは話せる」

 その台詞に一番反応したのは先程から無言の真田さんだった。顔を俯かせたままだったが、耳は興味津津とばかりにピクリと動く。

「あなた、剣の腕は当真瞳子とは比べ物にならないとか言わなかったかしら?」

「言ったな。ついでに異能も苦にしないとも、序列の上でもかなり開きがあるとも言った。それでも勝つ時は勝つさ。勝負ってそんなもんだ」

「どうやって勝ったの? ……それも言いにくい事かしら」

 ネタバレか、と確認する会長に俺はいや、と返答する。

「瞳子の時は『殺刃』を全方位に展開して押し切った。俺と戦った時、あれで包囲したみたいに。俺の場合は『制空圏』でかわしきったけど、剣太郎は全て切り落とそうとして、途中の一本に引っかかって負けた」

 当時を思い出して、答える。思わず、“剣太郎”と言ってしまったわけだが、揚げ足を取るつもりはないらしい(そういえば、さっきも言っていたな)。特に気にした様子もなく質問が飛ぶ。

「攻撃はともかく、守りは弱いという事?」

「というより、相手の攻撃も全部斬るつもりだから、結果守る必要がないって考えた方がいいな。その気になれば、かわせるし守れるよ。そうでなければ、真田さんの打ち落としの刀身を狙って斬る事なんてできない」

 空になったカップを弄びながら会長の発言を訂正する。かの有名な宮本武蔵は自分の額に貼り付けた米粒だけを斬ったなんてエピソードがあるらしい。優れた剣士はそれだけ目がよく、武器を自分の手足のようにコントロールできるのだから相手の攻撃を同様に制する事も可能だろう。

「……どうすれば勝てる?」

 ともすれば聞き逃しそうなほど小さな声で真田さんが俺に教えを乞う。会長達がいる前でなりふり構わずアドバイスを求める彼女を見て、よほど悔しかったのだと改めて伝わってくる。

「なぜそこまで……」

 俺との勝負に負けた時でさえサバサバしていた彼女がこうまで落ちるのか、ふと見ると真田さんの手には刀が添える様に置かれている。

 ……理由は“それ”か。

「この刀は私が『怪腕』を制御できず、物に触れる事すら怯えていた時期に当真家から渡された大切な品だ。触れるだけで壊しそのせいで孤独だった当時の私にとって、この刀は私が初めて傍にいていいと許してくれた唯一の救いであり、家族のような存在だった」

 当時を思い出しているのか真田さんが斬られた部分を撫でる。まるで痛くて泣いている我が子をあやすように、愛おしそうに患部を撫でる。

「……この刀を損ねたのは私が弱かったから、それは認める。だが、そのまま泣き寝入りはできない。だから、御村──」

 ──私に力を貸してほしい。絞り出すような声はもしかしたら、嗚咽だったのかもしれない。思わず目を逸らしてしまった俺には真田さんの顔を確認する術はない。……しなくていい。ただ俺は、

「わかった」

 そう答えるだけで充分だと思った。

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