きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第22話

「──少し、肌寒いな」

 会長の案内で用意された部屋に荷物を置いた俺はお言葉に甘えて周囲を散策する事にした。といっても、すぐに昼食なのであまり遠くへ行けないのでコテージ近くにある水場をブラブラするのが関の山である。水場は日原山を流れる川を利用していて、川を遡ると頂上の近くまで伸びている。その根元はちょっとした滝になっており、頂上で休憩した時、遠目で見たそれは木々で隠れていながらも、はっきりとわかる位に大きな滝だった。昼食の後、時間はたっぷりとある。暇潰しに行ってみるのもいいかもしれない。

「──相変わらず、しまりのない顔だな。御村優之助くん」

 背後から掛けられる失礼な言に振り返ると四、五十代の男性が立っている。上は長袖シャツにベストを羽織り、下は速乾性の高そうな長ズボンに長靴、肩にはクーラーボックスを掛け、見た目は完全に渓流釣り目的のおっさんだ。だが、日原山は天乃原学園の私有地、一般人は入れない。つまり、ここにいるのは学園の関係者しかあり得ない。

「……面接の時以来ですね。その節はお世話になりました"理事長"」

 いったいどういう風の吹き回しなのか、あまりにも唐突に姿を見せたのは、瞳子の叔父であり、俺の直接的な雇用主の天乃原学園理事長、当真慎吾だった。

「学園にいらしてたんですね。瞳──姪御さんから時宮に戻ると聞いていたのでてっきり一緒だと思っていました」

 瞳子と言いかけたのを誤魔化しつつ(この人が瞳子を溺愛しているのは半月前に嫌というほどわかっている)、疑問を口にする。多くは語らなかったが、わざわざ俺に「時宮に戻る」と言ったのだ。学生が週末に実家へ戻るのとはわけが違う。当真家当主候補の一人として、何らかの集まりに出席する為だと考えるのが自然だろう。

「私に出席する資格はない──わかるだろう?」

 質問の返しとしては要領を得ない言葉にどういう意味だ、と質問を重ねようとして気づく。あぁ、そうか──

「──集まりは本家の"ごく一部"だけだからですか」

 それは質問ではなく、確認。瞳子の叔父である理事長は本家筋の人間だ。ただし、当真慎吾は今回の集まりに参加できない。なぜならば、その名に目、瞳を意味する字を与えられていない──異能を発現できない──からだ。例え本家筋の人間でも異能を持たなければ、一族内の立場は低いのだと聞いた事がある。代を重ねるごとに異能を使う者の量と質が徐々に減ってきた現代で次世代に異能を伝える為の措置なのだというのはわかるが、それだけに固執するのは正直納得できない。むしろ愚かしいとすら思う。

「(……まぁ、こんな"手"を持っている俺が言っても説得力はないな)」

 そんな自嘲を滲ませながら、新たな疑問が浮かぶ。

「だとしても、キャンプ場にいるのはなぜですか? まさか本当に釣りに来たわけじゃないですよね?」

 高そうなスーツを隙なく着こなしていた初対面の時とは打って変わってカジュアルな装いで身を固めた理事長は当たり前だが、大分印象が違う。だが俺を見る目、その一部だけはあの時と変わっていない。当真家特有の異能は伝わらなくてもその目力の強さだけは充分に受け継がれているようだ。むしろ落ち着いた感じすらある口調や声音も、趣味を満喫しますって格好も、その強烈さに負けて不機嫌さを隠しきれていない。

「そんなわけないだろう。顔だけではなく、頭の中も緩いようだな」

 あくまで会話の接ぎ穂として聞いたみただけなのに……。どんだけ瞳子を溺愛してんだよこのおっさん。ストレスで胃が空きそうな錯覚を感じながら、どう話を進めていいのか悩んでいると、あちら側もそれ以上、無駄な会話をするつもりがないのか、軽いため息を吐く(ため息を吐きたいのはこちらの方だ)と肩に掛けたクーラーボックスを置いて、そこに腰を下ろす。どうやらまともな会話ができそうだ。こちらも適当な大きさの石を見つけ、それに倣う。

「なぜ、あの子が時宮に戻ったのか。その理由はわかるな?」

「……この学園で騒ぎを起こした事が原因ですか?」

「さすがに気づくか」

 そりゃあ、タイミング的にそれしか思いつかない。どんだけ馬鹿だと思われてるんだ?

「だが、どうしてその件の集まりに本家のごく一部だけが呼ばれるのかはわかるまい」

「それはまぁ……そうですね」

 当真家としての問題なら集まる人数が絞られ過ぎるし、理事長が呼ばれないはずがない。瞳子への個人的な叱責だとするなら瞳子本人のみ、あるいは俺を含めた数人の当事者だろう。本家筋に連なる他の異能者を呼ぶ必要がない。

「なぜですか?」

「あと数年経てば、その"ごく一部"の誰かが学園の理事長に就くからだ。当真家当主としてな」

 あまりにもあっさりと自分の任期が残り数年だと匂わせる理事長。そして同時に当真家当主が代替わりする事も。……あれ? これってかなり爆弾発言なのではないだろうか。

「あ、あの理解が追い付かないんですが……。つまり、もしかすると瞳子があと数年で当真家当主になる可能性があるという事ですか?」

「そうだ」

 なんの衒いもなく肯定する。その態度にたちの悪い冗談という可能性は完全になくなり、今度こそ俺は掛け値なしの驚きを近年出したことのない(病室で妹達に感謝を述べた時以上の)大声で表現した。



「──落ち着いたか?」

「……えぇ、まぁ」

 俺のリアクションを特に咎める様子もなく、淡々と聞いてくる理事長にようやくそれだけ返す。時宮の土地とそこに住む人々、そして異能者達の未来を守り、次代へと引き継がせていく。当真家の当主になるという事はそういう事だ。

 時宮に生まれた者からすれば、自分達の生活に直結する分、国の首相が変わるよりも重大なニュースと言える。なにせ、その舵取り次第では最悪、生き死にも関わるのだから……。もちろん俺も例外ではない。そんな立場に瞳子がなるかもしれないのだ。驚くなという方が無理な話だろう。

「たしか理事長も現当主も還暦はまだ、かなり先のはず。こう言っては何ですが、いくらなんでも早すぎませんか?」

 何より瞳子が当主候補だという事が問題だ。俺の知る中でもかなり優秀ではあるが、軍隊に劣らない戦力を持つ集団を束ねるにはあまりにも力不足(少なくとも今は)。年齢の若さも相まって、担ぐ神輿にしてはあまりに露骨。他の候補を立てる可能性も高く、最悪、当真家が割れる。

「急に変わるわけではない。当主としては降りるが、当分は後見人として支える立場になるだけだ。……私も含めてな」

 その位の事など想定しているとばかりに先手を打つ理事長。まぁ、俺程度が思いつく展開など端から読んでいるか。どの道、当真家の決定に俺が口を挟めるものではない。気を取り直して、質問の切り口を変えてみる。

「……そうまでして当主交代を早める理由はなんですか?」

「当真側における天乃原学園の役割を知っているかね? もっと言うなら学園創設にまで関わろうとした理由だ」

「いえ……」

「有り体に言えば、表社会での肩書が必要になるからだ。当真家の存在を知るのは世界の裏側を知るごく一握りのみ、それは請け負う仕事が褒められたものではというのも理由の一つだが、それ以前に当真は異能者を束ねる一族だ。日の元に出れば迫害を受ける。だからこそ、表に出ない、いや、出る事が出来ない」

 迫害という言葉に妹達との事がよぎる。俺が距離を置こうとした理由の根幹がまさにそれなのだから。

「だが、我々はあまりにも隠れすぎてしまった。末端ですら当真の存在を知る者は少なくなりつつある。今、手を打たなければ方々への影響力を維持できない」

 真田さんへ瞳子に関する情報が下りてこなかったり、代々付き合いがあるはずの天之宮家当主の孫である天之宮姫子生徒会長が当真家当主の名前すら知らない。身近に例があり過ぎて、とても絞り切れない。

「その為に全国区での知名度がある天乃原学園卒業生という肩書を足がかりに表社会での居場所をつくる。卒業生に会社を設立させ、天之宮を相手に表の仕事をする。実を結ぶのはそれなりに時間が掛かるだろう。だからこそ、今なのだ」

「表への影響力ならば、地元の市議や県議にもある程度顔が利くはずでは?」

 当真家は時宮の実質的支配者。下手な名士よりも発言権は上のはずだ。その気になれば市政くらいは関わろうとすれば出来るはずなのだが……。

「向こうにとって、当真は影響力はあっても得体のしれない集団だ。こちらとしても取り込んでその正体に踏み込まれれば破滅への道は免れない」

 そうならないよう関わりを絞ってきたはずが、今になって裏目に出るとは皮肉な話だ。

「当真家当主は後数年で替わるのはもはや決定事項。で、ある以上、当真はその数年の間に天乃原学園における悪評の元を断ち、時宮の人間、特に異能者が学園に適応できるのかを見定めねばならない。ゆえに計画の立案、進行にあの子を含めた次期当主候補が関わり、実行者兼適応実験のテストケースとして君に白羽の矢が立った。今回の呼び出しはその任命責任の追及が主だろう。なにせ君を推したのはあの子だからね」

「……ようやく、説明らしい説明を聞いた気がします」

「一から十まで話して構えられても困るからな。何も知らないからこそ自然なデータを採ることができる。……まさか、目立つなと言われてあそこまでの大騒ぎになるとは思わなかったがね」

 理事長の視線に皮肉が混じる。返す言葉がない俺としては恐縮しきりで縮こまるのが精一杯だ。それはそれとして、今思えば、昨日食堂で瞳子ははぐらかす事なく話そうとしていた。同様に理事長がここでバラすのはある程度データを確保できたからだろう。

「──まぁ、あの子のやる事は私もおおよそ知っていたわけだし、想定の範囲内だ。本人も呼び出しそれは承知している。それに最悪の状況下という名のデータは計画をよりよく詰められよう。その意味では感謝している。皮肉抜きでだ」

「……そういっていただけると助かります。ただ、この後、俺はどうすればいいですか?」

「無論、今の生活を続けてもらう。継続的にデータを採る必要があるからな。いろいろあったが、今日はそれを言いに来た」

「そうですか……」

 そう言った瞬間、俺の携帯から着信が鳴る。ディスプレイに表示された見慣れない番号に困惑するものの、理事長に断りを入れ、とりあえず出てみる。

「はい、もしも──」

「あなた、どこにいるの! 一時に昼食と言ったはずよ!」

 通話が成立するやいなや、そうまくし立てたのは会長だった。番号はおそらく要芽ちゃん伝いで知ったのだろう。自ら言ってやらねば気が済まないとばかりに苛立った声は、理事長にも聞こえるのではと思うほど周囲に響く。思わず耳を離しモニタの時計を確認すると一時を三十分以上回っている。なるほど、お怒りはごもっともだ。

「すまん。すぐに戻る」

 慌てて立ち上がり、携帯をしまう。だが、一方で理事長の話をここで打ち切っていいものか迷う。それを察したのか、理事長はまるで猫か何かを追いやるようにシッシと手を振るう。

「あぁ、いい。話はだいたい終わった。私がここにいると知られるのも面倒だから、ここでの話を内密にできるなら問題ない」

「すみません。それでは失礼します」

 走ってどうにかなるものでもないが、待たせる時間を少しでも短くしたい。なんとかそれだけ言うと、取りも直さず、管理棟まで一目散に駆ける。

「……そう、計画は動き出した。全てはあの子の望むままに」

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