きみのその手はやさしい手

芦屋めがね

第3話

 高原市に来てから二日目。それはつまり、天乃原学園での高校生活初日を意味する。

 結局、昨日の午前中は町と山道を歩きっぱなし、午後は事前に寮に送った荷物の荷解きに追われて、一日が終わってしまった。本当なら昨日の内に学園内を回っておくつもりだったのだが、完全に予定が狂ってしまった。

 瞳子のやつがちゃんと迎えを寄越していたら、と思うべきか、瞳子の性格を読んで手を打たなかった、と反省すべきか、どちらが精神衛生的にいいのだろうか?

 そんな予定外の行動と生産性のない考えに追われ、体と心は疲れに疲れきっていたが、新しい生活への緊張のためか一睡もできず、結局眠りに落ちたのはもう朝といっていい時間帯だった。そのせいで記念すべき高校生活を寝坊で遅刻寸前という朝からせわしないスタートを切ることになってしまった。

 おざなりに掛けてあった制服を無理やり着込み、朝食を食パン一枚咥えて出るという今時どこのラブコメでもやらないであろう一場面を演じながらひとまず職員室へと大急ぎで向かう。

 寮を出て十五分ほどで着いた職員室では他のクラスの担任が出払っている中、ただ一人初老の男性が俺を待っていた。なんというか、窓際で定年までひっそりしてそうな──かなり失礼だが──印象で初日からギリギリまで来なかった俺を特に責めることもなく、淡々と教室へと向かう姿に正直かなり肩すかしをくった。道中、二言三言場繋ぎとばかりにたわいない質問を交わし、そうこうしている間に目的地である俺の編入した二年C組の教室に到着する。

 ──出席を取ってから紹介するからここで待っていてほしい。そう言い残し、教室にとっとと入っていった担任に従い、教室から聞こえる淡々とした担任のホームルーム進行をBGMに大人しく出番を待つ。

 余談だが、俺の転校時期はあまりタイミングがよろしくない。ファミレスでもそのことに触れたが、あと三日ほどで春休みなので編入してもあまり旨味はないからだ。目立つ云々もそうだが、春休みに入るとほとんどの生徒が帰省していなくなるため、調査もへったくれもない、というのも理由の一つだ。

 中途半端な時期の転校で悪目立ちする可能性を考えると、春休み期間中に転入すればよかったはずで、デメリットしかないのでは? とほとほと疑問だ。まぁ、俺にとって潜入時期はおろか目的そのものが二の次なので正直なところどうでもいいのだが、あまり仕事が出来ないというのもそれはそれで心苦しくある。

 そうこうしている内に出席が済んだのか入りなさい、とお呼びがかかる。その声に応えた声が震えてしまう。ここへきて、制服姿を大勢の高校生に見られるという現実が一気に襲ってきた。見た目の年齢幅が大きい時期であり、そもそも年をごまかして編入するなんて想像の外、まずバレることはない。

 しかし、バレないからといってコスプレだと自覚しながら衆目に晒されるのとは話が別だ。かといって立ち止まっていても状況がどうにかなるわけもなく、悪目立ちだけだ。逡巡は一瞬、悪態と共に捨て払い教室へと入る。

「失礼します」

 中に入ると当然ながら複数の視線がこちらに向けられる。視線はみな一様に無関心とわかる冷めたものだった。それが転入生が珍しくないことからくるのか、それ以外からくるのかはわからない。

 だが、なるほど瞳子が問題だと言ったわけがわかる気がする。その当人はすました顔で窓際後方にある席に座っていた。別段、驚きはしない。自分で監査役などと言っていたわけだし、同じクラスになるよう仕向けたのは想像に難くない。だが、わかっていたこととはいえ、すまし顔に少々イラっとする。

「……御村くん?」

 いつまで経っても無言な俺に不信なものを感じたのか怪訝な顔の担任になんでもないですと身振りで返し、自己紹介を始める。

「はじめまして、今日から二年C組の一員になる御村優之助です」

 そんな感じの出だしで始まった自己紹介は特に誇張することもおもしろくすることもせず端的に時宮という土地の出身であること、好きな食べ物が云々、果ては慣れない土地での生活に慣れるかどうか心配だのつらつらと並べていく。目の端で瞳子の体が慣れない土地の件で若干揺れた──たぶん笑いを噛み殺しきれなかったのだと思う──のを見て、これ以上は誰の得にもならないと判断した俺は、

「──これからよろしく」

 そう言って自己紹介を締め括る。そんな俺に向けられたお義理全開の短く、まばらな拍手がホームルーム兼転校生挨拶の終わりの合図となった。その後は用意された席(一つだけ開いていたのでそれが自分の席なのは予想がついたが、それが瞳子の後だったのは勘弁してほしかった)に座り、記念すべき天乃原学園、最初の授業を受けることになった。



「──こんな誰もいない教室に私を連れ込んでどうする気かしら? "転校生"の御村君?」

「打ち合わせだよ。"転校生"の当真さん」

 記念すべき初授業──といってもつい最近まで大学生だったわけでそこまで新鮮味のあるものではなかったが──からあけて初の休み時間、どうにか見つけた人気のない空き教室へと連れ込んだ瞳子の飛ばす頭が痛くなるような冗談をそっけなく返す。

 そんな俺にノリが悪いわねという表情を浮かべているが、こっちはそんなアホなやり取りをしている暇──話し合いにちょうどいい場所を探す道中でも白々しい小芝居が続いたせいでいらん時間をくっている──ない。とっとと話を進めたいところだ。

「休み時間だって無限にあるわけじゃないんだ。さっさと本題に入ろうぜ。お前だって、学園内でしょっちゅう俺に声をかけられるのは避けたいだろ?」

「……それもそうね」

 その一言で底意地の悪い同級生から当真家の責任者としての顔へと変わる。これでようやく実のある話に移れるというものだ。

「とりあえず学園に入り込めたわけだが、何から手を付ければいいんだ?」

「当面は生活に慣れてもらうために指示は設けないわ。まぁ、報告するような出来事があったら連絡は必須だし、明日いきなり何らかの命令を下す可能性があるかもしれないけれど、その時はその時よ」

「ずいぶんと適当だな」

「臨機応変といってちょうだい」

「……さいですか」

「あと、この先接触するのは原則禁止ね。連絡は寮の自室から通話かメールで。直接会う必要がある時は事前に決めた場所で会うようにする事。ОK?」

「ОKだ」

「それでどうだった? 久しぶりに体験する高校の授業は」

 切り替え早いな。話す事がこれ以上ないにしてもさ。

「その辺りはさほど感慨は湧かないな。中身は違えど授業自体は大学でも受けてきたわけだし、俺達の母校でもないからな」

「ま! 可愛げのないこと!」

 どことなく年寄り臭い仕草で口に手をあて心外とばかりにリアクションする瞳子。……おまえは近所のおばはんか。

「そういえば、ハルとカナは何組なんだ?」

「さあ?」

「さあ? って、お前……」

「だって、私はハルちゃん達に会うために来たわけじゃないもの。あくまで当真家の人間として学園内の問題を解決するのが目的。つまり、あなたとは優先順位が逆なのよ。退学にされるかもしれないというのも報告にそうあったからであって、具体的に何をしたかまでは知らないわ」

「ということは、あれか? 俺を信憑性があるかないかわからん与太話で煽るだけ煽って、あとは知らんと?」

「当真家が私に報告した内容よ。仮にガセや与太話だった場合、担当者は腹を切れって言われても仕方ないくらいの信憑性はあると思っていいわ」

「……信用するよ」

 瞳子個人ではなく、当真家の太鼓判だ。ガセだったら、報告した担当者が本当に腹を切らされるだろう。
「まぁ、そのあたりの事情は本人達に聞いたらいいんじゃない? いくら学園が広いといっても探そうと思えばできなくはないわけだし」

「そうだな」

 この学園に在籍していることには変わらないのだ、探そうと思えばいつでもできる。合間合間で他のクラスを覗きに回れば、すぐ見つかるだろう。

「まぁ、二人を探すのは当面禁止にするけどね」

「……何を言ってるんだ? おまえ」

 ついさっき、事情は本人達に聞けばいいと言っておいて探すのを禁止とは意味が分からない。

「下手にうろちょろされると困るの──わかるでしょ? 偶然会ってしまうのは仕方がないけれど、当分の間は普通の転校生として過ごして」

「転校生ならあたりを散策するのは不自然ではないだろう?」

「駄目よ。あなた結構迂闊な所があるから、普通だと思っていた行動が周りからするととんでもないことをしていることなんてしょっしゅうだもの」

「……信用ねぇな」

「ともかく学園に来たばかりだし、学園に溶け込めるように振舞って頂戴な」

 一理あるが、どことなくはぐらかされているような気がする。しかし、瞳子の方は話が終わったとばかりに教室から出ようとする。

「おい」

「次の授業の準備もあるし、話はここまで。とりあえず、なにかあるまでは現状待機でお願い。いいわね?」

 そう言い残して、本当に急いでいるていで──実際、授業を抜けるような真似はよろしくないが──俺の返事を待たず足早にこの場を去って行く。

「……」

 残された俺は、どうしたものか困ったが、ひとまず瞳子の言う通りにすることにした。

 唯々諾々と従うのは癪だが、学園に巣食う問題にしても、ハルとカナのことにしても、一日かそこらで解決するものでもないのだ、焦るよりも腰を据えてかかった方が得策だろう。

 そのためにまずは学園の状況をこの目と耳で確かめてからどう動くのか決めよう。そう結論付けるとタイミングよく休み時間の終わりを告げるチャイムが学園に響き渡る。

「(次の授業ってなんだっけ?)」

 ここから教室まで若干距離がある。ひとっ走りしないと遅刻になってしまう──そこまで考えてから、いくら高校生を演じる必要があるとはいえ、半ば本気で遅刻の心配をしている自分に妙なおかしさを感じながら慌ただしく教室を出ていく。もとより鍵がかかっていなかったとはいえ、放置しておくことに気が咎めながら。

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