銀黎のファルシリア

秋津呉羽

幼い頃の記憶

 その記憶はモノクロで構成されていた。
 まだ物心つく前の幼い頃……両親と死別したククロは、一人山野を彷徨っているところで、とある剣士に拾われた。

 その剣士の名はフェルネス――裏の冒険者社会で名を馳せた、外道剣士であった。
 なぜ、フェルネスに拾われたのかは分からない……もしかすると、ククロの剣の才を見抜いたのかもしれないし、単なる気まぐれだったのかもしれない。
 ただ、拾われてからというものの、常軌を逸した訓練を課せられた。
 基本的な筋肉トレーニングはもちろんのこと、マメが潰れてその中にできたマメが更に潰れるまで真剣を振るように強要され、毎日、気絶するまで訓練が続いた。時には、酒に酔ったフェルネスの気晴らしに剣の相手をさせられ、危うく腕を落とされそうになったこともある。

 毎日が地獄のような訓練の日々。

 だが……ククロにとってこの地獄こそが日常であった。
 だからこそ、そこに何の疑問も抱かなかったし、気絶するまで鍛錬することはごく普通の事だと思っていた。幸い……と言って良いのか、食事に関しては山のようなパンとチーズ、生肉、果実を投げ与えられ、それを貪り喰らうことで何とかなっていた。今になって思えば、そうして食事にありつく自分の姿は野生の獣のそれで……もしかしたら、フェルネスは個性的なペットでも飼っているつもりだったのかもしれない。

 死んだ目で、死んだ心で、死んだ剣を、ただひたすら振るう日々。魂の抜けた人形のように繰り返される日々は、けれど、ある日唐突に終わりを告げる。

 フェルネスが殺されたのだ。

 『仕事』から帰ってきたフェルネスが、致命傷を負っていた。
 腹に負った傷から臓器がはみ出るほどの致命傷。背中には矢を何本か生やし、左腕は落ちて酷い流血が地面を濡らしている。そんなフェルネスの姿を見たククロは……無心。
 あぁ、そうか、ヘマをしたんだな――そう思うだけだった。
 そんなククロに、フェルネスは歪んだ笑みを浮かべて、自分の持っていた剣を投げ渡した。

「さっさとどこかに行け……追手が来るぞ」

 そう言って、何かを悟ったように壁に背を預けてずるずると座り込んだフェルネスは、どこか恍惚とした笑みを浮かべ、最期にこう言った。

「あぁ……ようやくこの地獄から……おさらばできる……」

 剣を持ったフェルネスを観察していたククロだったが……やがて、彼が事切れたのを看取ってから、家の中で使えそうなものをまとめ始めた。そして、フェルネスが愛用していた道具袋を持って……再び山野へと足を踏み出したのだった。

 ようやく解放されたククロ。

 世界は広く、何とか地図に従って訪れたユーティピリアは大きく、新たな街と、新鮮な風景、そして、見たことないようなたくさんの人々。

 目の前に広がっていた色とりどりの世界は――――新たな地獄に繋がっていた。

 当時のユーティピリアは、世界中の人々が集まり、過剰ともいえる熱気に溢れた、まさに弱肉強食の世界。『自由都市』という名が冠せられる前の、闘技場にも似た街だった。
 その理由としては、四ヵ国非干渉地区として法整備が未完成で穴だらけだったとか、当時は混成騎士団が駐屯しておらず、脆弱な警邏ではほとんど治安維持が為されていなかったとか、まぁ色々あるのだが……そんなことはククロが知る余地もなく。

 世間に関する知識と理解がなかったククロは、数日ともたずに騙され、欺かれ、盗まれ、持っていた路銀と道具のほとんどを盗まれてしまった。
 手にしていたのは、肌身離さず身に着けていた剣一本。
 そして、そうなった時点で、日々の糧を得ることができる職業など限られていた。

 冒険者――当時は無頼漢と同義語であった職業。

 安定性はなく、荒くれ者だらけ、おまけにクエスト報酬は低いという、当時は最底辺の人間がしょうがなくなる職業であった。
 だが……ここでククロの今までの努力が報われた。
 採取クエストでは報酬が低賃金過ぎて食っていけないことを理解したククロは、討伐クエストを開始したのだが……鍛錬に鍛錬を重ねた剣は、見事に持ち主に応えてくれた。
 C級冒険者でも狩ることが難しいモンスターを、ククロは冒険者になったばかりで討伐。報酬を得て、何とか日々の生活を営む程度に金銭を得ることができた。
 そうして、ククロは低級冒険者でありながらも、上級のクエストを受けては、モンスターを討伐し続けた。固有スキル『ベルセルク』が戦いの中で発現したのも、大きかったのかもしれない。
 なんにせよ、ようやくククロは安定した生活を得ることができた……と、思われた矢先だった。

 冒険者間で目立った結果を出してしまったのがまずかったのだろう……ククロが持っていた剣が、フェルネスの剣だと裏の冒険者達にばれてしまったのだ。
 その結果、何の覚えもない報復を受けた。
 街から離れた地で複数人に囲まれ、剣を折られ、殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、地に叩き伏せられた。この時、瀕死状態から『ベルセルク』が発動、裏の冒険者達は暴走したククロによって、首をへし折られて全員殺されたのだが……残ったのは不毛な戦いの痕。
 他人と自分の血が地を染め、圧倒的な力でおかしな方向に手足を捻られた死体が転がる中……ククロはただただ天を見上げつづけた。
 この時、初めてククロは明確な感情を得ていた。
 それは憎悪だったのかもしれない、嫌悪だったのかもしれない、怨嗟だったのかもしれない、憤怒だったのかもしれない……当時の事をククロははっきりと覚えていない。
 ただ、思ったのだ。


 誰か助けて、と。

 
 この地獄から、どうか、誰か助けてください、と。


 涙を流し、天に吼えるように声を上げ、初めて子供のように泣きじゃくりながら、『助けて』と泣き続けたのであった……。


―――――――――――――――

「……随分と懐かしい夢を見た」

 ノーザミスティリアの安宿で、ククロは目を覚まして頭を振った。
 壁を背に座って寝ていたククロは、その寒さに軽く身を震わせると、傍らに置いていた火酒をグイッと呷る。荒々しく口元を呷った後、ククロはぼんやりと虚空へと視線を向ける。

「弱音を吐いたのは……あの時だけだったな」

 結局、その後、ククロは新たに剣を新調すると、裏の世界にも足を踏み入れていくことになる。表と裏の冒険者として様々な修羅場を乗り越え、己に妥協せず歩み続けて結果、さらなる力を身に着けた。周囲から舐められないように、当時は傲慢と威圧の塊で……近づく人間には例外なく噛みついては、暴力を振るった。

 現在、素行最悪と言われる由縁になったのはこれが原因だ。まぁ……後に、ファルシリアと出会い、叩きのめされて改心したのだが、それは別の話だ。

「もしも……」

 ――あの時、誰かが手を伸ばして救ってくれたら……。

 そこまで考えて、けれど、ククロは首を振ってそれ以上の言葉を断ち切った。
 『もしも』を考えることほど無駄なことはない。
 ククロという少年は誰からも救われず、荒み、成長して、そして、今に至る。別にそのことを恨みはしない。むしろ、当時の冒険者界隈の荒れっぷりを考えると当然と言えば当然だ。
 誰もが生きるのに必死で……そう、生きることを目的にしなければ、生きられなかったのだから。

「だから、今度は俺が助ける側に回れたら……か……」

 幼いながらに、何とか足掻いて、もがいて、抵抗して、現実に打ち勝とうとしている少女がいる。決して言葉にはせずとも、その瞳が助けを求めていて……だから、ククロはその少女に手を差し伸べた。

「自己満足だな」

 自分自身のらしくない行動を客観的に評価してみると、思わず苦笑が漏れる。
 けれど、今までだって自己満足のために行動してきた。誰かに褒められたかったり、認められたかったりしたいわけではない……そう、自己満足のためにククロはハルを救いたいと願ったのだ。

「さて、明日はノースダンジョンに向かう訳だし……もう少し寝るか」

 ククロはそう言って、薄っぺらい毛布を被ると、再び眠り始めた。
 激戦はもう目の前……戦士は束の間の休息を取るのであった……。

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