銀黎のファルシリア

秋津呉羽

翡翠の疑問

 ことの顛末を思い出して、ファルシリアはもう一度重いため息をついた。

 どうしてばれると分かっているのに、あの男は懲りることなく、しょーもない手を使って金儲けを企もうとするのか。まぁ、根っこの部分は正直で、熱血漢な男だからこそファルシリアも一緒に行動をしているのだが……。

 どうやってこの仕事を乗り切ろうかなぁとファルシリアが考え込んでいると、不意に誰かが近づいてくる気配を感じ取った。フッと顔を上げてみれば……そこには、少し緊張気味な表情をした翡翠が立っていた。

「あ、あの、今日はご一緒に仕事をさせてもらう翡翠です! よろしくお願いします」
「あぁ、どうも。冒険者のファルシリアです」

 ペコッと礼儀正しく頭を下げる翡翠に、ファルシリアも笑みを浮かべて挨拶を返す。 顔を上げ、ファルシリアを見る翡翠の瞳にあったのは……羨望と憧憬。幾度となくこの手の瞳を見てきたことのあるファルシリアは、若干嫌な予感がして身を引いた。

「数々の偉業を打ち立てたS級冒険者のファルシリアさんと一緒に仕事できるなんて……感激です! 私、一度、ファルシリアさんとお話ししてみたいと思っていたんです!」
「あ、あーそう? 別に私は大したことしてないけれど……」
「いいえ! 『奈落』での活躍は冒険者の中でも有名ですよ! なんでも、巨大なボスモンスターを何度も一人で屠ったとか……!」
「うーん、それはそうだけど……」
 それは事実だが……ファルシリアとしてはむしろ、その武勇を誇るよりも、ソロで戦わざるを得なくなってしまった状況に追い込まれたことを恥じるところだ。真に有能な冒険者ならば、ソロでボスモンスターと戦わなければならない事態に追い込まれるようなことはないのだから。
 何とも複雑な気持ちになっているファルシリアを尻目に、翡翠はキラキラとした瞳でファルシリアのことを見つめてくる。

「私、皆さんが『奈落』の攻略に出ている時まだDランクで……攻略に参加できなかったのが凄く悔やまれます。できるなら、皆さんと一緒に『奈落』を攻略してみたかったです!」
「……え、待って。『奈落』攻略時にDランク!?」
「はい!」

 その言葉が真実ならば、たった一年でDランクからAランクまで昇格したことになる。噂には聞いていたが、尋常ではない昇格速度だ。 ギルドは冒険者の昇格については割と慎重になる。ランクが上がるということは、ギルドのお墨付きを得るということに他ならない……つまりギルド自体の信用に直結するのだ。

 Bランクまではあるていど順調に登れるものも多いが、Aランクはそうはいかない。Aランクまで来るとギルドから品格、実力共に一流と認められた者でないといけない。 そのため、Bランクの所持者と比較して、Aランクの所持者は極端に少ない。
 Sランクの実力を持ちながらも、品格と経歴がダメダメすぎて未だにBランクなククロがいい例だ。

 ――つまり、この子はそれだけの素養と実力を持ち合わせているということか。

 簡単に言ってしまえば、努力を惜しまない天才型という訳だ。単純な素養だけで言ってしまえば、ククロを超えるかもしれない。
 なるほど、これだけ若手冒険者にリスペクトされる理由も分かるというものである。
 ふむ、とファルシリアは口元に手を当てながら一つ頷く。ファルシリアもこの若き天才冒険者に少し興味が出てきた。
「なら、仕事の合間にお話しさせてもらおうかな。と言っても、私が語れることも少ないと思うけれど」
「はい! ぜひよろしくお願いします!」

 そう言って翡翠がにっこりと笑うと、撮影の責任者と思われる男が声を掛けてくる。

「ファルシリアさん、翡翠さん、撮影を始めます! こちらへ!」
「…………気は乗らないけれど、とりあえず仕事を頑張ろうか」
「気楽に。気楽にですよ、ファルシリアさん」

 撮影開始前からゲンナリしたファルシリアとは対照的に、はつらつとした様子で翡翠は明るく笑っている。モデルをやっているだけあって、こういう現場も慣れているのだろう。
 結果だけを言うと、ファルシリアにとって、初めてのモデルの仕事は苦労の連続であった。

 愛想笑いが割と得意なファルシリアとしては、これ一つで何とか乗り切れないかと考えていたのだが……撮影者の要求が細かい細かい。
 どうやら、今回の撮影のコンセプトは『イケメンで中性的な先輩冒険者ファルシリアと、可愛い系後輩冒険者の翡翠』らしく、ファルシリアに要求されたのは、『イケメン風な表情』だった。

 イケメン風の表情ってなんだ!? と配布資料を地面に叩き付けたくなるのを必死に堪えるファルシリアである。更に要求はここからさらに細かく派生し……大切な後輩を見守る大人びた先輩のように! とか、後輩の成長を喜びながらもどこか寂しそうな様子で! とか、俳優顔負けの要求をしてくる。

 どうやら、撮影者はファルシリアをアンニュイなイケメン冒険者に仕立て上げたいようだ。
 別にファルシリアは大根役者という訳ではないのだが……さすがにこんな細かい要求を出されたことはない。対して翡翠は慣れた様子で撮影者の要求に笑顔で対応し、見事に応えてみせた。ここはモデルの面目躍如といったところか。
 更に、着替えの回数もかなり多い。
 もちろん、モデルの仕事なのだから色んな服を着るのは承知の上だったが、早着替えを要求される上に、ファルシリアに渡される衣服がまた、妙にウエストが細いものが多いのだ。
 ファルシリアの名誉のためにここに記すが、彼女は決して太い訳ではないし、ウエストの値を誤魔化して申請などしたりしていない。これもまた、ファルシリアが疲れる要因の一つだった。
 そして、度重なるリトライの果て……ようやく、周囲が薄暗くなろうとする時間帯に、撮影は終了した。「お疲れ様でしたー!」という声が響く中、ファルシリアは椅子に座ってゲッソリとしていた。

「つ、疲れた……」

 数々のダンジョンを攻略し、『奈落』を開拓したSランク冒険者である彼女にしては珍しい表情であった。ここにククロがいたら、腹を抱えて彼女を笑っていたことだろう。
 完全にグロッキーなファルシリアの横では、首にタオルを掛けてスポーツ飲料を飲んでいる翡翠が、溌剌な笑顔を浮かべている。
 仕事に貴賤はないというが、一見華やかそうなモデルの仕事も、やはり最終的には体が資本なのだなーと思い知ったファルシリアであった。

「大丈夫ですか、ファルシリアさん?」
「うん、大丈夫大丈夫……」

 心配そうな翡翠の声に、ファルシリアはひらひらと手を振って答えてみせる。 今回の撮影で収穫があったとすれば、それは翡翠と仲良くなれたことだろう。撮影の休憩時間中に、ちょこちょこ話したが……翡翠が冒険者をしている背景を色々聞くことができた。

 家族構成は姉と妹の三人。親は東の農業・酪農が盛んなイーストルネに住んでいるらしい。
 引きこもりの姉と、新米冒険者である妹の生活費を稼ぐために冒険者だけでなく、モデルも兼業しているのだとか。翡翠本人としては冒険者一本に絞りたいらしいが……冒険者は色々と金がかかる。これはなかなかに難しい問題であった。
 使用武器は剣。イーストルネの元軍人の叔父に基礎を習ってから、我流で強くなったとか。

 ――しかし、随分と真っ直ぐに冒険者をやってる子だね。

 翡翠から渡されたスポーツドリンクを飲みながら、ファルシリアは改めて思う。 とかくこの少女、まっすぐな性格をしている。まさに正道を行く、とでも言えばいいのか。
 冒険の成否が直接生活に直撃する冒険者は、その性質上、どうしてもギスギスしたり、スレたりする者が多い。もっと簡単に言えば、現実の前に、理想の冒険者像をへし折られるのだ。
 そんな中で、翡翠は『冒険者』という職業に未来を見ている。

 決して現実を見ていないわけではない。現実を見たうえで、冒険者という職業に将来を見出しているのだ。これはとても珍しい。

 ――このまま、まっすぐに強くなって欲しいものだねぇ。

 どこか他人事のようにファルシリアは思う。 ファルシリアやククロは『裏』を知りすぎている関係で、冒険者という職業に対する認知が少々黒い。そう言う意味では、翡翠はギルドが望む冒険者の象徴としてはピッタリなのかもしれない。

 ――ヒーローっていうか、ヒロインっていうか……。

「あの、ファルシリアさん……」
「ん、何かな、翡翠さん?」

 ぼんやりと疲れた頭でそんなことを考えていると、不意に翡翠から名前を呼ばれた。 顔を向けると、翡翠はどこか躊躇うような表情をしていた。何か聞きにくい事でもあるのかと、ファルシリアが内心で疑問を抱くと、翡翠は思い切ったように口を開く。

「あの、ククロという剣士と一緒にペアを組むことが多いそうですが……よければ話を聞かせてもらっても良いですか?」
「うん?」

 予想もしない方向からのアプローチである。 ここにはいない黒いおバカ剣士のことを聞かれて、ファルシリアは思わず変な声を上げてしまった。今度はいったいどんな悪さをしたんだ……と、内心で失礼なことを考えていると、翡翠が言葉を続けてくる。

「ファルシリアさんと良く組んでいるそうですが、その、何か理由があったりするんでしょうか?」
「理由、理由ね……縁かな?」
「縁、ですか」
「そうそう。誤魔化しているわけじゃなくて、本当にそうとしか言えないんだよね」

 ファルシリアが、あのいい加減な黒剣士と組んでいるのは、まさに巡り合せとしか言いようがない。言葉にするのはなかなかに難しい。 縁、と答えるファルシリアに、翡翠は不思議そうな表情をする。

「ファルシリアさんほどにもなれば、組む相手は選び放題だと思うんですけど……」
「何だかんだで、ククさんとは組んで長いからね。冒険者としては頼もしいし」
「すごい業績ですよね。『奈落』攻略組ですし。ファルシリアさんと並んでも確かにおかしくないレベルの業績だと思います」

 うんうんと頷く翡翠に、ファルシリアは苦笑を浮かべて問いかける。

「翡翠さん、聞きたいことがあるなら直球で聞いていいよ。尋ねにくい事なのかな?」

 ファルシリアが苦笑交じりに言うと、翡翠は困ったようにモゴモゴと口元を揺らめかせ……そして、思い切ったように言う。

「どうして、Sランク冒険者であるファルシリアさんが、ギルド捕縛対象者の人と組んでらっしゃるのかな……と」

 その言葉に、一瞬キョトンとした後、ファルシリアは思い出したようにポンッと手を打った。

「…………あーそういえばそうだったなぁ。忘れてた。えっと、ソードマンギルドだっけ」
「はい、そうです。ソードマンギルドで『冒険者ククロの捕縛クエスト』が出てます」
「改めて言葉にするとスゴイね」

 基本的に冒険者は二つのギルドに所属することになっている。
 一つは冒険者ギルド。
 そして、もう一つは職業ギルドだ。
 ソードマンギルド、シーフギルド、ナイトギルドなどなど……規模の大小こそあれど、職の数だけ互助組織であるギルドは存在する
。 そして、その一つであり巨大な規模を有するのがソードマンギルド……剣士たちが所属する職業ギルドである。このソードマンギルドでも、冒険者ギルドとは別に様々なクエストが出ているのだが……その中でも異色なのが、翡翠の言ったクエストだ。

 『冒険者ククロの捕縛』――まさにその名の通り、ククロを捕縛して来いというものだ。
 ファルシリアも詳しくは聞いていないが、あの男……過去に相当ヤンチャをやらかしたらしく、ソードマンギルドの信用を著しく傷つけたという理由で捕縛クエストまで出されているのである。冒険者個人に捕縛クエストが出るなど、前代未聞である。
 だが、このクエスト……有名無実の代物と化している。

 理由は二つ。
 一つは、報酬額に対して難易度が伴っていないからだ。
 過去、幾度もククロに刺客が襲い掛かってきたが、全て鎧袖一触にされている……そう、ククロという男が強すぎるのである。その実力は、ファルシリアにこそ及ばないもののSランク相当と言っても遜色なく、漆黒の大剣から繰り出される技の破壊力は『凄まじい』の一言に尽きる。実際に、あの男は『奈落』で大量の敵を一人で屠ってきている。
 そんな男を生きて捕獲して来いというのだ……ファルシリアでも難しい。

 そして、二つ目は、ククロのペアとして最優良冒険者のファルシリアが傍にいるということ。 例えは悪いがククロの手綱をファルシリアが握っているような状況にあるから、という感じか。実際に、ファルシリアと組んでからというものの、ククロが何らかの規定違反を犯したことはなく、割とまっとうに冒険者をやっている。
 ギルドとしても、Bランク冒険者としては破格の成果を叩き出し続けているククロを捕縛するのはもったいないと感じているのだろう。

 そんな理由もあって、ククロという剣士は現在放置状態にあるのだ。ごくたまーに、自信過剰な冒険者がククロに挑んでくることもあるが、徹底的に叩きのめされるのがオチである。
 だが、今……実力と、行動力、そして正義感の伴った若き冒険者が、そのクエストに目を付けたようだ。
 あー、とファルシリアが何とも言えない声を上げて顎に手を当てる。

「うん、すっかり忘れてたな。とりあえず、私が面倒見てるから保留ってことになってたと思う」「俗にいうヒモですね!」
「それ、本人の前で言ったら死ぬほど落ち込むと思うから、止めてあげてね。ちなみに聞きたいんだけど、今になってどうしてそんな古いクエストが表に出てきたんだい?」

 ファルシリアが言うと、翡翠は何かを思い出すように、頬に人差し指を当てる。

「えっと……ソードマンギルドというよりも、四ヵ国騎士団から要請が来たんですよね。こんな違反者がいて、手が付けられないって」

 ――深緑の洞窟で面目を潰されたから、当てつけに来たか……ショッパイことするな。

 これは確証のない予想でしかないのだが……恐らく間違ってはいまい。 深緑の洞窟でファルシリア達に良い所を全て奪われた当てつけに、新進気鋭のAランクであり、かつ、冒険者として経験の浅い翡翠をけしかけたのだろう。 さらに翡翠は言葉を続ける。

「調べてみたら、一般人に対する暴行、商店や露店からの窃盗、罪人と組んで様々な悪行などなど……確かに目も当てられないんですけど、同時に、『奈落』での凄い業績や、『深緑の洞窟救助作戦』の遂行などの善行も行っていて、人物像が良くつかめないんです」
「改めて並べると本当にロクでもないな……」

 確かに、過去のククロは凄まじく尖っており……暴力上等な上に、『近接職以外は全てクズだ』と言い切るような男だった。まぁ、ファルシリアに叩きのめされて改心したのだが。

「あぁうん、まぁ、過去に色々とやらかしたみたいだけど、割といい人だよ。究極の自由人だけどね。だから、あんまり気にしなくて良いんじゃないかな」

 その言葉に、翡翠は小さく首を横に振る。

「でも、きちんとやってしまったことは謝って、償うべきだと思うんです。ソードマンギルドの人達に話を聞いてみましたが、捕縛できるならそうして欲しいと言っていましたし」「うん、正論だねー」

 ――さて、どうしようかなぁ。

 翡翠の言っていることは至極まっとうだ。 だが、ファルシリアとしても同業者であり、折角息の合う仲間を失うのは痛い。何とか言いくるめられないかと頭を捻って……不意に、名案を思い付いた。
 そう、今回、ファルシリアを勝手にモデル登録したククロに対する、仕返しという意味も込めた名案が。
 ファルシリアはニコッと笑みを浮かべると、翡翠に向かってこう提案した。

「ねぇ、翡翠さん。じゃぁ、ククさんを討伐してみない?」

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品