アルミと藤四郎の失敗無双

しらいさん

尻の上に失敗

 彩小井綴にとって娯楽とは小説だった。
『私は小説を買い、小説を読む、故に小説を書く』
 その破綻した三段論法が、まだ当時の中学生だった綴の全てだった。 しかしそんな井の中の蛙の自分に優しく手を差し伸べ、新たな娯楽を与えてくれたのが目の前の男性。東堂藤四郎だった。
「よし、革命だ」「じゃ、じゃあ革命返しで……」
 暇を持て余していた二人は綴の提案により大富豪をしていた。 これも最新ゲーム機を持たない彼女に藤四郎が教えてくれた遊びの一つだ。
「うーん……じゃあ革命返し返し!」「えっ……と、革命返し返し返し……?」「今度は革命返し返し返し返し!」「か、革命返し返し返し返し返しで……」「やるねえ綴ちゃん……」「い、いえっ……」
 ただ年々このゲームは二人用じゃないと感じていたのだが、それがまた綴にとっては面白かった。 何よりも藤四郎とこうして遊べれば綴は何でも良かったのだ。
「こうなったら奥の手の革命返し返し返し返し返し返し返し!」「あ、あの……か、『返し』が一個、多い、です」「んー? あるぇー?」
 首をひねると指を折って出されたトランプを確認する藤四郎。
「ひーふーみー……あ、ほんとだ。つい失敗しちゃってたね」「あっ、はい」「ていうか綴ちゃん。よくそこまで数えてたね」「あ、い、いえ、すみま……」「謝らなくていいの。褒めてるんだから」「わっ、あ……ありがとう、ございます」「うん。どういたしまして」
 そうして卑屈な自分にも眩しい笑顔で話しかけてくれる藤四郎は、綴にとってかけがえのない友人の一人だった。
「でも本当に仕事の邪魔しちゃって良かったの? いくら学校卒業したって言っても、綴ちゃんはその分原稿書いてるんじゃ……」「あ、あのっ、いえ、全然っ」
 それは綴にとって本音だ。 藤四郎は否定するが、何せ彼なくして自分の作品はなかったのだから。 彼と共に過ごした三年間こそが作品を成長させたのだと綴は確信していた。
「も、もう、今日の、は、おわ、終わってるの、で」「あれ、もしかして徹夜で書いてたの?」
 ぷるぷると首を左右に振る綴。
「あ、朝。お、終わりました……」「終わるの速っ! 確か僕が来たのが十時前だったと思うんだけど……」「きょ、今日は…………は、早く起きた、ので」「そうだったんだ」「そ、その……こ、声で……」
 言われて藤四郎は「あー」と今朝の花凛とのやり取りを思い出した様で、
「なんていうか…………起こしちゃって本当にごめん……」「ぜっ、全然っ、全然っ、です!」
 本当に全然だ。 精一杯の否定を示そうと、綴は残像を残しながら両手と首を振り続けた。
「おか、おかげで。い、いつも、より、は、早起き、できた、ので」「そ、そう……? ならいいんだけど……」
 予想以上の反応に若干の困惑を見せる藤四郎。 綴にしてみれば、むしろ朝の一件は有難いくらいだった。 何せ朝から小説のネタになりそうな会話を聞けたのだ。 感謝こそすれど、決して迷惑だなんても思っていない。
「……ていうか、いつ頃戻ろうかなあ」
 そう藤四郎は何気なく呟いた。
「あ、いや。別に退屈って訳じゃないんだけどね」「は、はい」
 綴も藤四郎が皮肉でそういう事を言う人間じゃないと心得ている。 ともすれば、
「……と、燈子さん?」「うん……。まだ怒ってるかなあって」
 あれは失敗だったよなあ、と藤四郎は思い出してしゅんとなった。 この人は好きで失敗を繰り返している訳じゃない。 むしろ真面目過ぎて誰よりも失敗を悔いている──
「だ、大丈夫、だと」「本当に?」「と、燈子さんは、良い人っ、です、し……。き、っと……もう、お、怒って、ないと」「そうかなあ。そうだといいけど……」
 心配そうに俯く藤四郎に、綴は一番力強い理由を授けた。
「そ、それに……」「それに?」「い、いつものことですし」「うっ…………いや、まあ、そうだけどさ……」「ふ、ふふふ……」「ハ、ハハ……。まあ、そうだよな」「はっ、はい」「もう頭下げれるだけ下げて、一発くらい叩かれて、一緒にゲームして、仲直りするしかないよなあ」「はいっ……」
 ──だからこそ、このアパートの人間は彼を憎めないのだろう。 だからこそ、みんな彼の事が好きなのだろう。 そして自分も──
 そうして二人して笑い合っていると、
『ぴーんぽーん』
 気の抜けたドアチャイムが狭い部屋に鳴った。
「ん?」
 藤四郎は怪訝そうな声を上げると、綴と顔を見合わせた。
「ア〇ゾン……?」「う、噂を、すればっ……で、ですね」「噂……? あっ、燈子さん?」「た、多分」
 綴がチャイムに出ようと立ち上がると、
『ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん──』
 連打された。こんなにチャイムを鳴らす宅配便はいないだろう。
『おい居るんだろプータロー! 綴に迷惑かけてんじゃねえ!』
 怒声と罵声の区別の仕様がない声が玄関のドア越しに轟いた。 間違いなく燈子の声だ。 尋常じゃない様子だが居留守という訳にもいかない、と綴が歩き出すと、
「は、はーい。い、今、出ま──」『綴か?!』「だ、駄目だってマズイって!」『今助けてやるからな! おいトーシロー、聞こえてんだろ! 殴られたくなかったらさっさと開けやがれ!』
 顔を青くして顔を震わす藤四郎。 怖いのか綴のスウェットパンツの裾をきゅっと掴んで引き止めた。
「え、あ、いや、でも」「マズイよめっちゃ怒ってるじゃん! 開けたら絶対殴られるって!」「え、ええ……」
 一発は許可したばかりなのに目の前にして藤四郎は情けなく狼狽しだす。 恐怖に混乱しているのか、裾を掴むどころか下半身にしがみ付き始める始末だ。 どうすればいいのか綴も困ってしまう。
「駄目だよ綴ちゃん! そっちに行っちゃ駄目だ!」「ひ、引っ張ら、ないでっ……」『こんのアホンダラァ、もし手ぇ出してたらどうなるか分かってんだろうな!』「殺されちゃうよおおおおおおおおおおおおお」「あっ、それ以上はっ……」
 ずるずる下がるスウェットに足を滑らせ。 びたん、と擬音が聞こえてきそうな勢いで、後ろから抱き着く藤四郎に押し倒されるように綴は床に倒れ込んだ。 気が付くとスウェットどころか、露出したピンク色の縞パンに顔を押し付けられていた。 なお本人は必死過ぎてまだ気が付いていない模様。
「わ、わ、わわわわわっ……」「やめろおおおおおおおおおおおおお死にたくないいいいいいいいいいいいい」
 と、不意にドアが開けられた。 そういえば燈子に鍵を片方預けていたことを綴は今になって思い出す。
「とーうーしーろーおー……?」
 扉から這うようにゆっくりと現れたのは、怒りに染まり血に飢えた燈子という名の獣。
「は……はい…………」「死ぬ前に、何か言い残したい事はあるか……?」
 判定、情状酌量の余地なし、死刑。
「…………もしかして、また失敗しちゃいましガハッ────!」
 燈子の鉄拳制裁を頭蓋骨に受けた藤四郎は、あえなく綴の尻の上に沈むのだった。 そして藤四郎からもう何度目かも分からない辱めを受ける綴だった。

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