底辺召喚師は亡き勇者を召喚す

野草こたつ

◇別離◆

 すぐに、王都では誰が彼を召喚してしまったのかという噂が飛び交い始めた。
 それは、再び各地で変死が相次ぐようになったからだ。二年前のあの頃のように。
 真っ先に疑われたのは彼女が予想したとおりフィロメーナだった。
 夕暮れ。父親の執務室でフィロメーナは俯いていた。

「フィロメーナ、おまえは我が一族のために、英雄として生きる姉のために、犠牲になってくれるのか?」
 父親の言葉に彼女は頷いた。
 だが、父の眼差しは遠いものだった。
「……そうか。おまえの覚悟はよく分かった。だがフィロメーナ、私はつらい。妻が遺した愛する娘がありもしない罪で責めたてられるのが。おまえは、確かに召喚師としての腕前を証明したというのに」
 セヴェリアの件に関してはまだ公表される前だった。
 彼は亡くなったばかりの英雄であり、公にすべきかどうかを議論しているあいだに、ディメリナが彼を召喚してしまったのだから。

「本来、罪を背負うべきはディメリナであり、我が一族もまたそれと命運を共にする義務というものがある。何も、おまえを人柱のようにすることはない」
「でも、そうしたら姉さんは地の底まで失墜することでしょう。ラングテール家も、後世まで汚名を残すことでしょう、私はそれを望みません。お父様」
 一度は華々しく英雄と謳われた姉が、今度は裏切りの魔女とでも謳われるのだろう。
 それにきっと姉は耐えられない、どちらにしろ、最悪の事態が待ち構えていることだけがフィロメーナには分かる。
「お父様、私は不出来な娘でしたが……お父様は私を見捨てずにここまで育ててくださいました。周囲にお父様がどう言われていたかも、私は知っています。そのご恩は、ここで返すべきなのです」
 召喚師名門に生まれながら、才能を持たなかったフィロメーナ。
 父はずっと庇ってくれた、それでも、十六歳になっても何とも契約できていないというのは、さすがの父でも庇いきれない事態だったこともフィロメーナは分かっている。
「……分かった。ありがとう、そしてすまないフィロメーナ、おまえは、とても優しい娘に育ってくれた。おまえは……この家に選ばれるべきではないほど、優しい娘だよ」
 父の言葉は、フィロメーナにとって嬉しいものだった。
 何もできなかった自分が、やっと、ラングテール家のために役立てるのだ。
 たとえそれが、どんなに最悪な形であったとしてもだ。

 ◇◇◇

 彼を召喚したのはフィロメーナだと申告された。
 告知が出るなり、街は大騒ぎだった……とは言っても、怒り狂うのは一部の者だったが。
 一部の者はそれを冷ややかに眺めて、また一部の者は天命には逆らえぬのだからと不幸そのものを笑い飛ばした。
 ラングテール邸の前で罵声を飛ばす連中を掻き分けて裏庭から敷地に入りこんだレイスルトは苛立っていた。ことの顛末がなんとなく予想できていたからだ。
 召喚師と引き寄せあう精霊というのは、触媒に影響されることもあるが、基本的には召喚師と似た波長の存在が喚びだされる。

 だとすれば、あののんびりやのフィロメーナが魔王なんて物騒なものを召喚できるはずがない、セヴェリアは触媒と憎たらしいことに互いを想う心が繋げたのだろうが。
 精霊の手助けで鍵を開け、裏口から屋敷に入りこむと老齢のメイドが悲鳴をあげた。

「悪いけど、正面からじゃとても来れないんで、こっちから来させてもらったぜ」
 レイスルトだと分かると、老婆は安堵したかのようにほっと胸を撫でおろす。
「レイスルト様でございましたか……まったく朝も夜もなく我が屋敷は今あの有様でして。お嬢様もどれほど心を痛めていらっしゃるでしょう」
 使用人たちはディメリナが召喚したという事実を知っているふうだった。
「おまえたちは知ってるのか? 本当はどっちが召喚した?」
「ディメリナ様でございます、あぁ、なんてことでしょう! あのかたが地下に入ってしばらくして、あの男が出てきたのを恐ろしいことに多くの者が見てしまったのです!」
「あー……やっぱり」
 レイスルトはあきれたというように瞳を細めた。
 ディメリナのほうだろうと思っていた、出会ったときから高慢で……まぁそれにも理由はあるのだろうが、それでもさすがに度が過ぎている。

「フィロメーナ様はお優しいので、きっとおつらいことでしょう。レイスルト様がいらしてくだされば、幾分か休まるでしょう、すぐにお茶をご用意いたしますので」
 そう言って老婆は慌てて去って行った。
 フィロメーナは使用人にもよく慕われている、彼女はどこで姉と道をはずれたのか分からないが、使用人の扱いに関しても姉とは正反対だった。
 本当なら当主の了承を得るべきなのだろうが、長居できるかも分からないし、あの英雄殿がどうしているのかも分からない。
 レイスルトは二階に向かうと、フィロメーナの部屋の扉をノックした。
「フィロ、居るんだろう?」
 すぐに、ばたんと音をたてて扉が勢いよく開く。少し憔悴した様子のフィロメーナを見て、レイスルトは困ったように眉を下げた。
「……少しやつれたか?」
「覚悟はしていたのですけれど」
 そう言って弱く微笑んだ彼女の頬に、ガーゼがあることに気づいた。

「それは?」
 自らの頬を指さして言うと、フィロメーナは苦笑をこぼした。
「窓を破ってボールが飛んできまして」
「おいおい……」
 レイスルトが眉を顰めると、彼女は悪戯っぽく笑った。
「銃弾ではないだけよかったではありませんか」
「何もよくねーよ、部屋入るぞ」
「またボールが飛んでくるかもしれませんよ? 最悪はナイフや銃弾が」
「おまえだけにそんな思いさせてられるかっての」
 レイスルトは強引に部屋に入ると、ソファに座った。あえて窓側に。
「レイスルト、あなたにもしものことがあっては困ります」
 叱るようなフィロメーナの声にもどこ吹く風で彼は答える。

「平気だよ、俺なら精霊が守ってくれる。あーほんと……ディメリナだってきっとそうだ、それなのにおまえがこんなふうに扱われるなんて、納得いかねーよ」
 彼の返事を聞くと納得したのか、フィロメーナは対面のソファに腰掛けた。
「本当は、あれを召喚したのはディメリナなんだろう? なのに……いや、愚問だな。おまえの献身と優しさには感服するよ。俺だったら、あんな姉を持った日には家を出るか追いだすけどな」
 彼の言葉に、彼女は俯いた。
 フィロメーナはこういった話を好まない。分かっていても言わずにいられなかった。
「あの英雄殿はどうした? 暇してるくせにボール一つ受けとめられないのか?」
「彼は今、姉さんと仮の契約を結んでいて、私の傍には……」
「呼べばよかっただろう、おまえまさか、声一つださなかったんじゃないだろうな」
 ありえると思って言えば、彼女は視線を逸らした。つまりそういうことだ、おそらくセヴェリアは彼女のこの怪我を知らない。

「……おい、本当にあの男がおまえを特別に想っているなら、こんな怪我、知られた日には仮契約なんて破棄にされちまうぞ。助けを求めるときは求めないとな」
「だ、だって、突然のことだったので……混乱してしまって……た、助けを拒んだわけではなくて、ただ、とっさに呼んではいけないと、思ってしまって」
 ぶつぶつと小声で話すフィロメーナに、レイスルトは軽く肩をすくめてみせた。
「おまえがそうでもあの男はそうはいかなかろうよ」
 実際、セヴェリアがこの怪我を知ったらフィロメーナのところに戻ると言って聞かないだろう。あの男は、譲れないものに関しては頑固そうだと思うのだ、そうでなければ相討ちなど受けいれないだろう。
「秘密にしてください。いろいろと理由をつけて、私はセヴェリアさんには会わないようにしているのです」
「あとで知れたら大事だぞ、説教ですめばいいな。ていうか、もう何かあることにはきっと勘づいてるぞ、あいつ」
 気配の消しかたといい、相手の行動を先読みすることといい、セヴェリアという男は逸脱している。おそらくその他も、と思えば、フィロメーナが隠し事をしていることには気づいていると考えるのが妥当だ。
 そして、レイスルトはいまだ遠くから聞こえる野次に眉を寄せた。
「暇なやつらだなぁ、そんなに怖くてしようがないなら家に引きこもるなり軍に助けを求めるなりすりゃあいいのに」
 本気で命が惜しいならそうするべきだ、特に変死事件の多い夜には出歩かず、助けを求めてじっとしているのが一番良い。だが、フィロメーナを責める声は日夜やむことがない、そう思えば、夜という特に危険な時間帯にも怒鳴り散らしたいのであれば、彼らはただ怒りたいだけ、責めたいだけということになる。

「で? フィロ、おまえは見たのか、魔王ってやつの姿を。俺はあらかた予想しているんだがな、それがもし本当に俺の予想のとおりだったら、あの門番みたいなやつら、殺されちまうんじゃないか?」
 大袈裟にフィロメーナの身体が震え、瞳が恐怖に見開かれる。
 どうやら彼女には想定外のことだったようだが、レイスルトの予想にある程度の確信を持ったのだろう。その時点で、おおよその予想は当たったのだろうと彼は考えた。
「セヴェリア・ユーシウスと相討ちになった魔王の、その姿だけは秘匿されているんだがな、相討ちってことは力量が拮抗してたってことだろ? あの人外じみた英雄殿と。それは、つまり、最悪の仮定なんだが、敵が自分自身だったってことはないのかと思ってな」
 たとえば――と彼は続ける。

「別の時間だとか、世界だとか。俺の予想ではそのあたりかなと」
 フィロメーナはしばらく迷っていた、口を開きかけてはやめて、首を横に振る。
「誰にも言いやしないさ、相手が俺でも信用ならないか?」
「あなたの身に危険が迫るのではと」
 秘匿されているということは、知るべきではないことなのだ。
 レイスルトは楽しげに笑って瞳を細めた。
「そうかそうか、俺の心配をしてくれてたのか、それは悪かった。なかなかいいものだな。じゃ、正体について深追いはすまい、だが、通りの連中についてはおまえも思うところがなくはないんだろう?」
 フィロメーナとしては、あってほしくないし、彼には憎まれているのだからむしろ放置してくれるだろうと思っていたのだが。
 もともと彼がセヴェリアと同じ人物だと思うと、否定しきれないのだ。

「可能性がゼロだとは……言えません。レイスルト、どうすればよいのでしょう……私は……」
「そうだなぁ……」
 野次馬を追い払うという意味では、フィロメーナがここに居るのはいいことではないだろう。
 そうしてレイスルトが口を開きかけたときだった。

「お嬢様! あぁ、お嬢様! 王城から遣いのかたが!」
 さきほどの老婆がノックもなく部屋に雪崩れこんできた。
 嫌な予感はしたのだが、そのあとに続いて入ってきた青年を見てレイスルトは瞳を見開いた。
「いやぁだから取って食いやしないってばお婆さん、落ち着いてくれ」
 輝く銀色の長い髪を後ろで束ね、黄緑色の瞳を持った白い軍服の青年はまいったという様子で頬を掻いた。
「俺はただフィロメーナ嬢の安全と、あの外野を黙らせるために来たんであって、別にあんたの大切なお嬢様を処刑台に送ろうってんじゃないんだってば。お婆さん、心臓に悪いぜ、そんなに慌てるのは」

 フィロメーナも青年を見て驚いた。
 それはセヴェリアやディメリナと並んで、英雄として知られるロレンス・スクワードだったからだ。剣の天才だと言われている。
 この王都の出身ではなく、辺境にある農村の出だというが、天才的な才能を持っている。
「お、すまないねお嬢様、それにレイスルト。話中だったか? けどまぁ分かってほしい、あのままじゃ、あの外で騒いでる連中が血と肉の海に変わっちまいそうなんでね。フィロメーナ嬢、俺と一緒に王城に来てほしい、別に牢屋にぶちこもうなんて話じゃあない。ただあんたの安全を確保する必要があるんだ、セヴェリアのために」
 気さくな青年はそう言うとフィロメーナに手を差しだした。
 彼の言うことはもっともだ、少なくとも上層部は誰がセヴェリアを召喚したのか知っているのだから、フィロメーナの安全を優先するというのも分かる。
 一部の例外を除いて、契約者は召喚師が死ねば長い時間身体をたもつことはできない。
 つまり、フィロメーナに死なれては困るのだ。彼らは。
 もう一人のセヴェリアに関しては、彼は特例なのだろう、召喚師が死んでも長い時間活動することができるのだと見える。あるいは、召喚師は召喚するだけの存在として、その後契約を切り、自らの魔力から肉体を生成しているのかもしれない。

 彼の瞳の色は、セヴェリアとは異なっている。禁忌の術ではあるが、ああなってしまえばもはや禁忌も何もないのだろうか。何より、それを可能とする彼の才能が、魔力が、やはり桁外れである。
「異論はないなフィロメーナ嬢、きみは姉と違って聡いひとだと聞いている。自分がどういう立場にあるかは分かっているだろう?」
「はい、ロレンス様」
 彼女がそう言ってその手を取り、席を立つと彼は大袈裟に肩をすくめてみせた。
「様、なんてやめてくれ、俺はそういう柄の男じゃない。知っているかもしれないが、辺境の農家に生まれた俺にはくすぐったい言葉さ。あんたのほうがよっぽど地位があるってもんだ」
 彼は続ける。
「今でこそ不本意ながら王城なんかに勤めているが、俺なんか、本当は鍬持って畑耕してるのがお似合いなんだぜ、だから、気なんか使わないでくれ。両親だって、俺には向いていないって、王の足元を大根が歩いているようだと言ってるさ」
 彼の言葉に思わずフィロメーナが笑みをこぼすと、彼も微笑む。

「そうそう、女の子は笑顔が一番だ。しかし、あんた、セヴェリアがこんな怪我知った日には、あいつが暴れだすんじゃないかと俺は不安だよ」
 フィロメーナの頬に視線を移してロレンスが言う。
「セヴェリアさんはそんなことしませんよ?」
「あんたのことになると話は別だよ、あいつは大事な大事な幼馴染のことになると人が変わると前々から思ってたのさ。まぁ、とにかく、行こうか。いいよなレイスルト、おまえも気をつけて戻れよ?」
 言われたレイスルトも席を立ち、ロレンスに言う。
「フィロのこと、よろしく頼むぜ」
「あぁもちろん、俺に限って言えば、これは王命じゃなく私情でね。友人の大事なひとは俺にとっても大事なひとだ、それに、何も分からないまま肉だるまに変えられちまう群集ってのも哀れでね」

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