底辺召喚師は亡き勇者を召喚す
◇フィロメーナとセヴェリア◆
その日、フィロメーナは明朝ベッドの中でうとうととしていたのだが、背中から誰かに抱きしめられている気がして目をさました。
「……あの」
そして、ほどなくして心臓がばくばくと主張を始める。
頬に熱が集まり、冷や汗が頬を伝う。
さらり、と、髪を撫でる大きな手に彼女はいっそう頬を赤くした。
「セヴェリアさん、なんてことしているんですか」
今の彼には寝食も必要ないはずなのだが、なぜか、フィロメーナは彼の腕の中でずっと眠っていたようだ。
「きみに触れたいというのは、そんなにおかしいかな?」
「答えになっていません!」
飛び起きて離れようとするが、ぐっと身体を抱き寄せられてそのまま腕の中に沈みこむ。
背から伝わる彼のぬくもりに、恥ずかしさからフィロメーナは身じろぎをした。
「セヴェリアさん、こんなことをするなら、やっぱりあなたは姉さんに預けますよ」
「私の同意もなしにそれはできないだろう、フィロ」
そう言って彼はフィロメーナの耳にキスをする。
じつに、やりたい放題である。
これではやはり、どちらが主人であるのか分からない。
「もうっ! どうしてこんなことをなさるのです!」
「生前私はきみにすべて話したはずだが? きみの記憶からは消えてしまったのかい?」
「……ええ、さっぱり、綺麗に。消えてしまいました」
フィロメーナがそう言うと、少しのあいだがあった。
「そう……そんな意地の悪いことを言うのか。じゃあ、思いだしてもらおうかな、すべて」
セヴェリアはそう言うと、フィロメーナの身体に手を這わせる。
「え、ちょっと……! セヴェリアさん⁉」
結局、フィロメーナは自分の発言を後悔することになった。
いったいどうすれば、彼は自分と一線を引いてくれるのだろうか?
◇◇◇
穴があきそうだと思った。
昼食を終えて、自分の部屋のソファで本を読んでいたフィロメーナは小さく息を吐いてそれを閉じる。先程から、一時も逸らされない視線が痛い。
「何かご用ですか、セヴェリアさん」
じとっとした目つきで、壁に寄りかかっている彼に問いかけると、彼は軽く肩をすくめてみせた。
「きみが可愛らしいから、つい」
「暇なんですね? そうなんですね?」
フィロメーナはあからさまに話題を変えた、そうしなければ一線を保つことができない。
「でしたら……セヴェリアさんにはあまり関係ないかもしれませんが、召喚術の本でしたら、図書室にたくさんありますからこの機会に学んでみてはいかがです? あなたなら、それも使いこなせるでしょう」
「現時点でも使えないわけではないのでいいよ。それより、きみに勉強を教えてあげることくらいはできると思うけど」
やはり彼と自分は違うのだとまた痛感した。むしろ、セヴェリアにできないこととはなんだろうか。
「……結構です、どんなに素晴らしい教師に恵まれても、生徒が凡俗では意味がないでしょうから」
突き放すようにそう言うと、セヴェリアがこちらへやって来る。
「フィロ、きみは私をどれほど苦しませるつもりだい?」
彼にとって天才という言葉は重荷でしかない、それを知っていてあえて口にした。
「それはお互い様です」
きっぱりと言い放って、フィロメーナはソファから立ちあがった。
「暇なのでしたら散歩にでも行ってきてください、私の傍にいつもいつも居る必要はないでしょう」
フィロメーナがそう望めば、いつだってセヴェリアはすぐに呼びだせる。
「それに、姉さんとだってまともに話していらっしゃらないのでは? 姉さんは、あなたと話をしたくてしようがないようですが」
「……それで、私とディメリナが話しているあいだに、きみはどこへ行くんだい?」
その言葉で、すべて見透かされているように感じた。
じつは、フィロメーナは彼が姉と話しているあいだにレイスルトに会うつもりでいた。
彼ならば、いい助言をくれるかもしれないと。
「ど、どこにも行きません。部屋に居ます」
「本当に?」
セヴェリアはフィロメーナのすぐ傍まで来ると、青い瞳を細めて。
そして、彼女が予想だにしない行動に出た。
「っ⁉」
ぎゅうと抱きしめられて、フィロメーナの唇から小さな悲鳴がこぼれる。
なぜ彼はこうするのだろう、というのは愚問かもしれないが。
フィロメーナとセヴェリアは、少なくとも彼が死ぬまでは恋仲であったのだから。
だがずっと、ずっと、フィロメーナは彼と自分ではつりあわないという胸の痛みを抱えていた、今だってそうだ。
「きみがどこにも行かないのなら、私もここに居る。きみと一緒に居たいんだ。少しでも長く」
「……やめて、ください」
フィロメーナは震える声を絞りだした。
つらいのだ、彼と一緒に居ることが。
自分のせいで彼が悪く言われるのも嫌だ、そして、天才である彼と凡俗である自分の差も苦しい。
別に、フィロメーナも魔王討伐のメンバーに選ばれたかった、などというわけではないのだ。そんな大それたことは望んでいない。
ただ、彼の力になるには、自分はあまりに平凡すぎるのだ。
「もう……やめてくださいセヴェリアさん、私の中で、あなたというひとは……もう亡くなったひとなのです」
自分勝手だと承知している。召喚の際に彼の助力を願っておいて。
それでも、こうして彼を喚びだしてしまった以上……責任がある。
そう、自分では彼のあるじにふさわしくないという、責任だ。
「命令ですセヴェリアさん、あなたは姉さんのところへ行ってきてください。何も、契約を破棄しようというのではありません。積もる話もあるでしょうから……それだけです」
フィロメーナの言葉にセヴェリアは小さくため息を吐いた。
彼女の震える肩を見て、涙のたまった翠の瞳へ視線を移し、彼はしようがないといった様子で離れた。
◇◇◇
ディメリナという女性はなぜ、フィロメーナを嫌悪するのかとセヴェリアには長年疑問だった。
魔王討伐任務の際も、彼女は出来の悪い妹の話をよくしていた。
自分とは違う凡俗だ、取るに足らない俗物とさえ言い放った。
それがセヴェリアには理解しがたく、そして今も、そうだった。
フィロメーナの命令である以上、従うべきだと。しようがなくディメリナの部屋をたずねると、彼女は満面の笑みで出迎えてくれた。
「セヴェリア! やっと来てくれたのね! 待っていたのよ!」
確かに、ディメリナのサポートには助かったこともあるのだが、セヴェリアが魔王を討ち果たすのに役立ったかと言われると疑問だった。
正直に言うのなら、彼女はさんざんなほどに足を引っ張った。
なぜなら「あれ」は、ディメリナという女を嫌悪していたからだ。
だが、ディメリナが命を落とせばフィロメーナが悲しむだろう、たとえ、どんなに相容れない姉妹だとしても。だから、戦いは彼女や他のメンバーを庇いながらでもあった。
「お茶は何がいいかしら? あなたは確か、ええと、東の国のものが好きだったわよね」
嫌いではないが、別に好きでもない。ディメリナと意思疎通がうまくはかれないことは、とうの昔に諦めたことの一つだった。
セヴェリアは部屋を見回した。フィロメーナの簡素な部屋と違って、色々なものがごてごてしく置いてある。
金、赤、そう、そういう色だ。
「ねえ、セヴェリア? あなた、あんなうすのろのあるじじゃあ、本当の力を活かせないんじゃなくて?」
お茶を用意してソファに座ったディメリナに反対側のソファを勧められ、セヴェリアも着席した。
「私と組みましょうよ。そうしたら、すぐに王城に招かれるに違いないわ!」
「私はあまり地位などに興味はないよ。フィロメーナがあるじで幸いだと思ったほどだ」
「ああ、そうよね、あの馬鹿女じゃあ、せいぜい辺境の警備くらいでしょうし。あなたのような謙虚なひとはきっとそう言うと思ったわ」
苛々する、と思った。
ディメリナという人物はいつもそうだった、天才と呼ばれ賞賛されることを当然として、それ以外の努力する人々を凡俗とそしる。
だが、セヴェリアの機嫌などに彼女は気づかない。
「でもセヴェリア、考えてみてよ。あなたのような有能なひとは有能な人間と組むべきだわ。そうでなくてはいけないわ。だってそういうものでしょう? この世では、選ばれた人間が力を持つべきなのよ」
「……あいにく、私はひとの上に立てるような器はなくてね。それより……」
セヴェリアはこれ以上、この不毛な会話を続けたくなかった。
しかしディメリナは食い下がる。
「駄目よ! あなた、分かっているの? あんな無能な召喚師の契約者だなんて、さんざん馬鹿にされるわよ! そんなの、私、見ていられないわ!」
「他人の評価にも興味はないよ。好きなように言えばいい。私は今のままで充分すぎるほどの幸福を感じている」
愛するひととまた出逢えたのだから。たとえ、彼女にとってそれが重荷であっても。
「あんなやつじゃあ、あなたのサポートだってできないわ!」
「私はそもそもそれを必要としていない」
淡々と告げると、ディメリナは悔しげに唇を噛んだ。
「あなたは優しすぎるのよ! あんなぼんくらの何がいいというの⁉ あなたはあれの兄じゃないのだから、いつまでも妹のように面倒なんか見てあげなくていいのよ!」
「ああ、私は彼女の兄などではない。だからこれは私の私情であって、きみに指図されるようなことでもない」
セヴェリアの言葉に眩暈を覚えたのか、ディメリナは額に手をあてた。
「あなたはいったいどうしてしまったの? あんな馬鹿な小娘を庇って……私だったら、私だったら! あなたをもっとうまく使ってあげられる! 私を選ぶべきよ!」
ヒステリックなのも昔からだと思っていた。
セヴェリアは眉一つ動かさずにその言葉を聞いている。
「私ならあなたに相応しいわ! そうよね? だって私とあなたは選ばれた人間だけが通える学園に一緒に行ったし……それに、私があなたをどう想っているか、あなたは気づいているんでしょ?」
「なんのことだろう? あの場所できみと私に何か接点があったろうか? きみは召喚術クラスに進み、私は魔術と剣術のクラスに進んだ。特に会話もなかったと思うのだが」
あえてしらばっくれてやると、ディメリナは顔を真っ赤にして怒った。
彼女はさんざん妹を罵るが、自分が馬鹿にされるのは許せないのだ。
「私とあなたなら、夫婦になれたのにという話よ!」
セヴェリアには、彼女の思考回路が疑問でならなかった。
優秀な者は優秀な者と、それではまるで実験か何かのようだ。
そこでふと、フィロメーナも同じ思考を持っているふしがあるのに気づいた。
姉の影響だとしたら二度と、この女性と口をききたくないと思うほどには嫌悪を覚える。
「私は、そういう考えは好まなくてね。きみには私よりもっと相応しい相手が居るだろう。きっとよく似た思考を持つ男性と出逢えるよ」
「あなた以外の誰が居るというの⁉ だって、今のこの世にあなた以上の戦績と才能を残した者が居るわけないでしょう!」
「……きみと会話をしていると、いつも一方通行であるように感じるよ。私は支えあえる相手がほしいんだ、きみと私では水と油だよ」
「支えあえるでしょう? だって私は天才だもの! そしてあなたもそう、私ならいくらでもあなたの力に――」
セヴェリアは席を立った。これ以上の会話は成立しない。
どこまでもどこまでも一方通行でしかない。
ディメリナという女性は他人の顔色など伺う必要なく育った、だから、他人の言葉も感情もどうでもいいのだ。妹とは違って。
「話を聞かせてくれてありがとうディメリナ。私は、きみと相容れないということだけよく理解したよ」
そう言い残して、セヴェリアは部屋を出て行った。
フィロメーナの部屋に向かう途中で彼は考える。
そうだったのだ、フィロメーナも、姉の影響を間違いなく受けている。
彼女はセヴェリアとつりあわないと、昔から何度もそう言っていた。
自分が英雄と謳われるようになったことで、その劣等感に油を注いでしまったのだろう。
――……こんなとき、彼と話ができればいいのだが。
セヴェリアは戦友の一人、ロレンスを思いうかべて重いため息を吐いた。
そして、フィロメーナの部屋をノックするが返事はない。予想していたので、彼はそのまま玄関ホールへ足を向けた。
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