底辺召喚師は亡き勇者を召喚す

野草こたつ

◇セヴェリアの追憶◆

 セヴェリア・ユーシウスはもともと平民の出身だった。
 だが、まるで神代の再来かのように彼は非凡な魔術と剣術の才能に恵まれていた。
 両親はそれを喜び誇ったが、彼にとってそれは重荷でしかなかった。
 二人の目には、セヴェリアという一人の人間は映っていないのだ。
 幼馴染のディメリナ・ラングテールもまたそれは同じことだった。
 彼女はまるで自分がセヴェリアの特別な相手であるかのように、彼にひっついてまわっていたが、正直に言うのなら、それはセヴェリアにとって邪魔なことでしかなかった。

 もしかしたら、共に天才と謳われる者同士、分かりあえるのではないかと思っていたのだが、ディメリナには相手の感情を汲み取るという能力が欠落していた。
 もともと感情の希薄なセヴェリアの、となれば、最早まったく分からないに等しい。
 そんな頃だった、ディメリナが「鬱陶しい」「愚鈍な妹」と呼ぶ存在が居ることを知った。

 それはある日の夕暮れ、ラングテール邸の近くでのことだった。
 ディメリナと共に、不本意ながら帰宅しようとしていたとき、小さな子が駆けてきた。
 きっとディメリナにかまってほしいのだろう、けれどセヴェリアが居たからか、幼い少女は彼女の背に隠れる。
 淡い金色の髪に、翠の瞳を持つ小さな少女だった。

『おにいさんは、セヴェリアさまですか?』
 その頃、セヴェリアは特待生として貴族たちが通う学校に居て、すでに天才と名を馳せていたからか、少女は姉のうしろで首を傾げて、そう問いかけてきた。
 そうすると、ディメリナは顔を真っ赤にして怒った。なぜそこで怒るのかセヴェリアにも理解できなかったのだが、理由はすぐに察することができた。

『フィロメーナ! でしゃばらないでよ! あんたみたいなうすのろの能無しがくっついていたら、私が恥ずかしいじゃない!』
 セヴェリアは眉を顰めた。妹に対して、それもこんな小さな子に対してなんて言いようだろうか。
『ディメリナ、私は気にしていない。その子はきみの妹か?』
『え、ええ……そうよ。でも気にしないでちょうだい、この子ったら愚鈍で、なんの才能もないのよ、いまだに召喚術だって一回も成功していないんだから! まったくラングテール家の恥だわ!』
 セヴェリアはより表情を険しくしたが、ディメリナはまったく気にしていない。
 その一方で、フィロメーナと呼ばれた少女はセヴェリアが怒っているのに気づいたのだろう、姉の袖を一生懸命にくいくいと引っ張って、何か伝えようとしているが、それがまたディメリナの逆鱗に触れたのだろう。

『いい加減にしてよ! このうすのろ! あんたなんか私の妹じゃないわ!』
 振りあげたディメリナの手がフィロメーナの頬を打つ前に、一瞬で距離を詰めたセヴェリアがその手を掴んだ。
『ディメリナ、きみは召喚術の勉強があるんだろう? この子は私があとでラングテール邸まで送り届ける、だから、もう行くといい』
『っ……この……』
 ディメリナは憎しみのこもった目でフィロメーナを睨みつけたが、セヴェリアに礼をしてその場を去った。

『……大丈夫だったかい?』
 セヴェリアがしゃがんで声をかけると、両目いっぱいに涙をためたフィロメーナは彼に抱きついた。
 よほど怖かったのだろうが、それにはセヴェリアも驚いた。
『ご、ごめんなさい……。ねえさんは、わるぎがあるわけじゃなくて、わた、わたしは……うすのろだけど、ねえさんは、セヴェリアさまを、おこらせたいわけでは、なくて……』
 支離滅裂になって、ぐすぐすと泣きだした少女の頭を撫でる。
 もしかして、彼女はいつもこんなふうに扱われているのだろうか?

『私が怒っているとよく分かったね』
 セヴェリアは彼女を褒めた。すると、ぱっと離れた小さな子は困ったような顔をした。
『……セヴェリアさまは、こころのあるひとだから。わかります』
 フィロメーナはそう言うが、セヴェリアが怒っていることに気づく人間は稀だ。
 そもそも、彼の感情にいちいち気づける人間自体が稀だ。
 この小さな子は、今セヴェリアが怒っていないことも分かっているのだろう。
 そのことに、奇妙な安心感を覚えた。初めて、誰かに分かってもらえたように思えて、セヴェリアはフィロメーナという少女に興味を抱いた。
 他人に興味を抱くのも久しぶりだ、両親を始め、誰もセヴェリアという人間を見ていないと気づいてからは、誰にも興味を持つこともなかったのに。

『そうか、きみくらいだよ。私の感情なんかに興味を持ってくれたのは』
『セヴェリアさま、さみしいんですか?』
 フィロメーナにそう問われて、心の奥底を暴かれたような不思議な気分になったが、怒りや羞恥は覚えなかった。
『……ああ、そうだね、寂しいよ』
『わたしも、さみしい。わたし、あんまりいいこじゃないから、あんまり、しょーかんじゅつもうまくできないから、いつも、みんな、おこらせてしまうから』
『きみの歳では無理もない。大丈夫だよ、いつかきっと、きみはとびきり強い精霊を召喚するだろう』
 そう言ってまた頭を撫でると、しばらくフィロメーナは不思議そうにしていたが、やがてヒマワリのように微笑んだ。

『ほんと? わたし、りっぱなしょーかんしになれる? セヴェリアさまがそういうなら、きっとそうなる!』
 庇護欲を掻きたてられたのだと思う、最初は。
 この小さな子を守ってあげたいと、思ったのだと思う。
 この子よりいくらか召喚術の才能に恵まれても、ひとの感情などまったく分からないディメリナや、セヴェリア自身のことなど興味も持たない両親より、この子はずっとまともな人間に見える。

 ◇◇◇

 セヴェリアとフィロメーナはそれから、幼馴染として育った。
 彼は彼女よりいくつか年上だったので、小さなフィロメーナの心が潰されてしまわないようによく彼女を褒めて、庇護した。
 フィロメーナはそんなセヴェリアによく懐いたし、二人の仲はとても良かった。
 ディメリナはフィロメーナが勘違いして迷惑がるセヴェリアにくっついているのだと思っていたようだが、それはどちらかと言わずともディメリナのほうだ。
 だが、フィロメーナが十歳になる頃から、二人の関係はぎくしゃくしはじめた。
 彼女がセヴェリアを一方的に避けるようになったのだ。
 その頃のセヴェリアにとって彼女はすでに特別な存在だった、家族でさえ分かってはくれない感情を理解してくれる稀な相手だった。
 彼女と居ると心が落ち着く、だから、フィロメーナとすごすのは好きだったのだが。
 どうやら彼女はそうではなくなったらしい。

『フィロ』
 だからその日は、いつものように教師に怒鳴られて居残りをしているフィロメーナを校門で待っていた。
 とっぷりと日が暮れた頃になってようやく出てきた彼女に声をかけると、大袈裟に肩を揺らす。
『一緒に帰ろう、こんな時間に一人で歩くのは危ないよ』
『……セヴェリアさん』
 様、というのはやめてくれと頼んでから、彼女は「さん」づけで呼ぶようになった。
 本当はそれもいらないのだが、そこは彼女の性格でもあるのだろうと諦めた。
『待っていてくださったのですか?』
 無理に笑みを作ったのがすぐに分かる、彼女は嘘や腹芸というものが苦手だ。そこも好ましいところだったが。
『……ああ、きみと話がしたくて』
『そう、ですか』
 そう言って、彼女はゆっくりとセヴェリアの隣に並ぶ。
 随分と身長にも差がでてきたと思う、一時は追い抜かれそうになった背も、今はまた、初めて会った頃のようにセヴェリアが見おろす立場になっていた。

『きみが私を避けるようになった理由はなんだろう?』
 帰り道、単刀直入にたずねた。
 フィロメーナは少しあいだを置いてから、困ったように笑った。
『……セヴェリアさんは姉さんと同じ学校に進むのですよね? 二人とも、天才だから』
 その言葉は、できれば彼女の唇から聞きたくはなかった。
 フィロメーナは分かっていてあえて口にしたのだろうか? そう思ったのは、続く言葉を聞いてすぐだった。
『セヴェリアさん、私は凡人なのです。あなたや姉さんのように、大海原を泳ぐ力もない、川にたゆたうただの笹舟となんら変わらないのです。つまり、私は、あなたと一緒に居るのがつらくなってしまって……』
 その言葉は胸を抉るようだった。
 きみの口からそんな言葉を聞きたくない、そう言いかけて、けれど別の言葉をセヴェリアは口にした。
『それは、きみが凡人で、私たちが天才と呼ばれているからつらいと? それとも……自分が私とつりあわないからつらい、と?』
 うぬぼれではないと自覚していた。
 フィロメーナもまた、セヴェリアに特別な想いを持ってくれていると。だからそうたずねると、フィロメーナは立ち止まった。

『セヴェリアさん、残酷なことをおっしゃらないでください。大空を羽ばたく鳥と、ただ地べたを這い蹲るだけの蟻ではつりあいがとれないのですよ』
 セヴェリアは黙ったままフィロメーナに近づくと、その頤に手を添えて、翠の瞳を覗きこんだ。
『残酷なことを言っているのはきみも同じだフィロ、人々の価値観など私はどうだっていい。きみはいつも自分を卑下するが、きみくらいしか私を私として見てはくれない』
『私では、あなたをサポートすることもできないのです。この世界に脅威が迫る今、あなたに必要なのは私ではなくて――』
 彼女が言い終える前に、その唇を自らのそれで塞いだ。

『いいや、私に必要なのはきみだフィロ。もし私が魔王討伐を任されたとして、その帰りを待っていてくれるのはきみがいい、きみが居れば、私はきっと負けることはない』
『セ、ヴェリアさ……』
 驚いて目を丸くして、けれど状況を理解して頬を赤い林檎のように染めていく彼女が愛しかった。
 華奢な身体を抱きしめると、あたたかな体温が伝わってくる。
 それが、なんとも幸福なことに感じられた。

 ◇◇◇

 けれど、自分は死んだ。
 彼女と約束したとおり、無駄死にをしたわけではない。
 魔王を道連れにできたのは幸いだった、あれは、きっと彼女に害をなすと分かっていた。
 そしてセヴェリア以外の誰も、あれを討つことはできないのかもしれないとも。
 いや、討ち果たすことはできるだろう。だが、それには多くの犠牲が必要になるだろう。
 セヴェリアだからこそ、相手の手の内がすべて分かるからこそ――最小限の犠牲ですんだのだ。

『なんて……忌々しい、おまえがここにも居たとはね』
 それは最期にそう呟いた。
 互いの剣が、互いの身体を貫いていた。
『だが、ざまあないな……二度はない、私は何度でも、蘇る。だがおまえはこれで最期だ』
『どうだろうか、私は、多くの人々に語り継がれるだろう、語り継がれるかぎり、私が消え失せることはない』
 ひとは二度死ぬ。
 最初は肉体の消滅、そして、二度目の死は……人々に忘れ去られたときに。
 セヴェリアという人間は、そういう意味では消えないだろう、何百年、何千年、だから、これと自分は同じなのだ。

『忌々しい、じつに、忌々しいよ。おまえが邪魔をしなければ……彼女、を……』
 そうして、それは消滅した。
 そして、セヴェリアもまた命を落とした。
 しばらくは光の中に居た。だが、彼女の声が聞こえた気がして目をさました。

 ――きみも、まだ私を覚えてくれているのか。
 あれから何年、どれほどの時間が流れたのだろう。
 セヴェリアには分からない、ただ、目をさますことができたのだから、彼女が呼んでいるのだから、もう一度剣を取らなければ。
 けれど再会はなかなか無残なものだった。
 フィロメーナは十歳の頃と同じように自分を拒む。
 それがひどく胸を焦がした。

 ――愛している。
 彼女を。とても、とても大切なひとだ。
 ――それなのに、きみにとっては立場や、身分や、戦績が、才能が、そんなに重要なことなのか?
 ただ触れたい、ただ微笑んでほしい、以前のように。
 それが叶わないことが、彼の心を淀ませた。
 ――ああ、どうしたって、運命は変わらないのか?
 自分は、セヴェリア・ユーシウスという人間の行き着く先は……。

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