その魔法は僕には効かない。

FU

売買 2

「あー、ぴったりなかった。」
そう言ってお客さんは、
千円札を出して僕からおつりを受け取る。

「ありがとうございましたー。」
繰り返される言葉の中に
感情はこもっていない。

それなのにそのお客さんは、
「ありがとう。」そう言い、微笑んだ。

ピシッと着こなしたスーツ、
整えた眉毛に、腕には高そうな時計をして、
微笑むなんて無縁であるような顔をしていた。






その男は 週に2度、
火曜日と木曜日に僕の働くコンビニで
サラダとビールを買う。
21時過ぎだから、仕事帰りだろうな。
ビールのつまみがサラダって…
サラダとはいえ、キャベツの千切りパック。

まぁそんなことはいいや。

大変そうだなぁ。
僕には遠い遠い未来のような、
なんなら僕には来ない未来のような、
そんな気がしていた。






その日、バイト先に新しく研修生が来て、
人が足りてるからと早上がりをした。

帰宅して久しぶりに早く寝るのもありか。

廃棄のシュークリームを手に取り、
リュックを背負ってコンビニを出た。

家までは歩いて10分。
そんなに遠くない道のりだ。

今日は、雨予報だったっけか、
夜なのに雨が降りそうなのがわかるくらい
雲が浮いていた。

公園の中を通過すると僕の家が見える。
ここは治安が悪いから、
おじさん達がよくベンチで寝ている。

見ないように見ないように…

その時、「おーい」
少し遠くから呼ばれたような気がした。
一瞬ビクッとしたが、

いや、僕じゃないよな。

そう思いながら、
何事も無かったかのように
僕は、歩き続けた。

すると後ろから、
トントンと右肩を叩かれた。

怖い。

振り向くと殺されるかもしれないと思った。

コメント

  • 水精太一

    現れたのは、凌太くんからは遠い遠い世界の住人。社会的地位も分別もある、一見すると完璧な男性。

    コンビニで店員さんに「ありがとう」と普通に挨拶をすると、相手は大抵驚いた顔をする。それはまるで自分はレジスターそのもので、目の前に立つ人間は早く会計を済ませることしか考えていない、つまりは挨拶など無縁のうすら寒い世界に自分はいる。だから決められた言葉のみを発し目を合わせずレジスターに徹する。それでも時折カウンター越しに挨拶し笑顔を浮かべる客を前にすると、恥ずかしいような嬉しいような「自分も世界の一員だった」と思い、それまでの自分の態度を少しだけ後悔する。「アルバイト」とはドイツ語由来で「働け」という意。スーツの男性は凌太くんに挨拶と笑顔を返し「もう君は社会の一員なんだ」と言いたかったのかもしれない。そしてわざわざお釣りを求めたのは、凌太くんの手に触れ「僕たちは同じだ」と言いたかったのかも知れない

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