バミューダ・トリガー
二十幕 幕引きはちぐはぐに
背後に現れた殺意の気配に、やはり実践の経験をもつ輪人が率先して感づく。
「秋仁、後ろだ!」
「っ!」
ヒュッ
「避けたか・・・」
秋仁が左足を軸に身体を反転させるのと、降り下ろされる電撃棍が空を切る音が同時。
当てを外した永井が、反撃の余地を持たせまいと眼光を鋭く尖らせながら再び虚空へ潜り込む。
「倒すとは言ったが、神河、こんなのが続いたんじゃあ勝ちようがないぞ」
「それは全くもって同感だ。でも・・・っ?!秋仁、跳べっ!」
「!」
―ブォンッ
先程より速度を増した一撃が横殴りに、並んだ二人の足をはらいに来る。
僅かに反応が遅れたせいか、秋仁の靴底を電撃棍の打撃部が掠めた。
「チッ」
「ククッ、及第点にも及ばないが・・・」
手応えあり、とでも言いたげな、一種の満足感をはらんだ一言を残して、三度永井は異次元空間へと入り込む。
無意識に、輪人は己の左手首に触れる。
そこにあるのは、《バミューダ》に遭った生徒たち自らが、「能力」をもつ者と戦うための唯一の手段。
神河輪人の《トリガー》、ミサンガだ。
無論これは、輪人が《バミューダ》に巻き込んでしまった実の姉、恭香から貰ったものではない。なぜならそれは先日、明日香の家で戦闘をした際に一度切れているからだ。
今つけているそれは、切れてしまったミサンガを、襲撃者・千葉 逸を拘束した後に拾ったものだ。
元のミサンガに使われていた糸と見比べながらなるべく似た色の糸を探し、切れたミサンガの残骸と組み合わせて、紗奈が修復してくれた。
(修復後のミサンガでも、武器消去の力を使えるのか?)
その正否は大きな問題である。生身の体で、電撃棍を保持している上に棒術に長けていると見える永井を相手取って戦闘をするのは、至難の技だ。
「おや?輪人君は考え事かい?」
「なっ?!」
背後。
既に電撃棍を振り上げきっている永井が、深く笑みを見せて言う。
降り下ろすと同時、秋仁が輪人を突き飛ばし、なんとか射程から外す。
そして―
―ガァンッ
「ぐっ・・・」
前のめりになり両手をつき出した秋仁の、その無防備な背中に、電撃棍の打撃が直撃する。肺の空気を完全に出しきるほどの衝撃と、肩甲骨の辺りに走った鋭い痛みに、秋仁は顔をしかめてうずくまる。
足元に転がって呻く秋仁を見下ろして、永井が笑ってこちらを見据えた。
「輪人君はそこで見てるといいよ」
そう言って、今度は打撃部ではなく電撃部を秋仁に突き付けた。明らかに、人間の気絶を目的としたスタンガンの電流・電圧を越えている、死を告げるかの如く響く電光の音。
青白く軌跡を描くそれを、秋仁の頭を破砕すべく振り上げる。
―もう、手遅れは御免なんだよ。
輪人が駆ける。
距離はたかだか数メートル。
紗奈が襲われたとき、明日香が胸を貫かれたとき、多目的エリアの皆をおいて先へ走ったとき。
己の怠慢や自己中心的な考えが招いた結果を思い起こす。
(俺のせいで、人が、秋仁が死んでいいわけねぇだろぉがっ!!)
しかし、遅い。
時間が止まったかのようにゆっくりと進む光景のなか、己の足も声も、遅く、遠く。
降り下ろされる電撃棍のみが異常に早く降り下ろされる。
そして―
動かない秋仁の頭に、電撃棍が―
「怠惰ッ!即ちぃいッ!!!」
刹那、秋仁の姿が永井の射程を外れる。
携帯間―
―通信機器間の移動。
秋仁自身の持つ二つのスマホ以外の機器、輪人のスマホへの転移。永井との戦闘が開始されたとき、秋仁自らが輪人の携帯に触れることで、移動対象に追加したのだ。
輪人の側に秋仁が転がる。
降り下ろされた電撃棍は―
「永井、そいつは置き土産だ」
秋仁のスマホに直撃した。
通常では与えられ得ない衝撃と電圧に、耐えられるはずもないスマホは白煙をあげて爆散する。
そして―
(ぐっ・・・!)
降り下ろした電撃棍がコンクリートの床を殴ったのだ。当然、電撃棍が床を砕く事などはない。行き場を失ったエネルギーは、手へと跳ね返る。
思いきりよく降り下ろした張本人である永井の手に、反動が来ないはずがない。
携帯の爆散、白煙に、強烈な反動。
攻撃を与える間もなくスルスルと空間を行き来していた永井の、動きが止まる。
「神河ぁッ!行け!」
秋仁の声に、先程までの迷いは消える。
今のミサンガに武器消去の力が宿っているかは分からない。
―だが、やるしかない。
「うぉぁああっ!!」
左手のミサンガを瞬時に外して、右手の拳に絡める。
「くッ!」
瞬間、初めて恐れの表情を見せた永井に構わず、電撃棍に拳を打ち込んだ。
そして、永井の得意とする殺傷武器・電撃棍は、その存在を失う。
「ナイスだ神河!」
「そっちこそだぜ、秋仁」
「なに・・・くそっ!」
「っ、させるかっ!」
いよいよ血相を変えて、虚空へ逃げ込むために空間を開く永井を、しかし、すぐ側まで肉薄した輪人が掴み倒す。
抵抗する永井を押さえ込もうと、身を屈めて―
カラァンッ
音がした。
倒れ込んだ永井の側に落ちているのは―
「な、何でっ!」
「・・・!電撃棍!?」
「なんだか知らんが、形勢が変わりそう、だッ!!」
腹筋の力で上半身を捻った永井が、電撃棍を手に取る。
乗り掛かろうとしていた輪人を突き飛ばし、尻餅をついたその喉元に、電撃棍を突き付けた。
―――――――――――――――――――――――――
「な、今のは・・・」
同時刻。
暗い地下室の一角で、コンピューターの画面越しに、「永井」対「輪人・秋仁」の戦闘を見ていた男が息を飲む。
「迫間さん、大変です!これは・・・」
「そんなに慌てて、どうしたのかな?」
ゆっくりと、自らのデスクから顔をあげた迫間 喋悲が、立ちあがり、歩み寄る。そして、深く黒い色を宿した相貌で画面を覗き込み、次いで息をはく。
「・・・・・・ほう、そうか」
瞬間、喋悲の目に光が指したのを、隣にいた男はしかし、画面に見入っていたがために気づくことができなかった。
「作戦を、変える必要があるな。この少年・・・神河輪人は我々にとって、いや、この世界にとっての、二度とない奇跡を起こすピースなのかもしれない・・・必ず手にいれる」
「はっ、了解しました」
掛け合いの後、別働隊として散った「双蛇の輪」の仲間に連絡をするため、男が退室する。
ただ一人、ゆっくりとデスクに向かい直した迫間は、どこか物々しげな―懐かしげな顔を、隠すことなく浮かべる。
「人ならざるものに、打ち勝つために・・・これが最後の手段だ」
これは―
彼は我々の、この世界の希望だ。
―――――――――――――――――――――――――
視界に入らぬ至近距離。喉元に突き付けられた電撃棍が、青白い光を纏う。相も変わらず死をもたらさんとする電撃音。
神河輪人は、危機のなかにいた。
「惜しかったね輪人くん、どうやら俺の勝ちのようだ。・・・秋仁くんも動かないことだ。お前の「怠惰即ち」をもってしても、この距離の一撃からは輪人くんを守りきれないさ」
ドクンッ
「ぐ・・・」
突然に、電撃棍を突き付けた永井が苦渋の表情を見せ、片手で頭を抱える。
「どうしたんだ・・・?」
「・・・何だ?」
俺と秋仁の声がほぼ同時。
次いで、永井が横目にこちらを見遣る。
手にしている電撃棍から閃光が消え、追従して電撃音も消える。
「了解したよ・・・だが、チッ・・・そりゃあ一体どういうこった?」
何者かと会話をしているように見えたが、内容は全く聞き取れない。無線かなにかを用いているのかもしれなかった。
内容を推測しようにも、そもそも、永井の正体がはっきりとしていない。そして、怪校の存在も裏があると見える。
第一に、手掛かりにしても不十分な組織「双蛇の輪」の概容、存在。永井に聞きたいことは山のように募っていたが・・・。
「俺はここで引く。お前たちには、近いうちにまた会うだろう・・・神河輪人」
「・・・なんだ」
「覚えてろ。お前はどうやら、この世界にとっての、唯一無二の希望らしい」
「!?」
「神河が希望? 何を、言ってんだ」
永井は最後に冷たく微笑んだ後、秋仁の問いに答えることなく虚空に消えた。
「・・・そうだ!皆は!?」
「永井が消えたってことは、異次元空間が解除されるんじゃねぇのか?」
秋仁の言葉は現実となる。
数秒おいて、永井に放棄されたらしい異次元空間はその効力を失い、怪校の生徒たちを解放した。
―――――――――――――――――――――――――
「一時はどぉなるかと思いましたよ」
未だ棘の抜けない響きの声は、怪校・高校生一年部の生徒、亜襲 蒼真のものだ。
俺と秋仁が永井との戦闘を繰り広げていた間は当然、異次元空間内に閉じ込められていた彼らは状況など把握し得なかったわけで。
解放直後に至っては翔斗から、「り、輪人お前、無事なのかよっ?!」などという心外な感想を持たれた。
二人の大怪我などを考慮して解放後の手順を練っていたというのに、存外早く空間から解放された上に、秋仁が軽度の打撲を負った以外は二人とも特に負傷もしていなかったのだからさぞ拍子抜けだったのだろう。
正直、無事だったのだから結果オーライだろうと言いかけはしたが、俺たち二人を心配しての発言だったはず(恐らくは)なので、大人な俺と秋仁はぐっとこらえた。
「ああ、悪かったな。気になることは大いにあるが、まずはここを出よう」
「はぁ・・・まあ、そうですね」
「輪人くんも秋仁くんも、ほんとすごいよね。永井先生を、その、倒したってこと?」
言い終わって諒太は首をかしげる。
そう、俺たち二人が勝ったのであれば当然この場にあるはずの永井の身体がない。
「チッ・・・あいつは逃げた」
秋仁は忌々しげに舌打ちをする。
「永井は逃げる前に、よく分からないことを言ってたんたが・・・趣旨は全然わからなかった」
俺は補足をした。
「神河輪人」が「希望」だ、と。
それだけは確かに口にした。
「そうなんだ・・・」
諒太も黙ってしまったので、その話はここでは終わりとなった。
驚くべきことに、時刻は既に翌朝の六時となっていた。
朝の日差し、と言うには少し強すぎる光に、俺は目を細める。やりとげた感はあまり無く、新たな疑問に対する不安が強かった。
しかし、強い日差しはその心さえも、やさしく包んでくれているように思えた。
――――――――――――――――――――――――
家につくなり、それはそれは心配していたという紗奈に抱きつかれ、永井との交戦以上に俺の骨が悲鳴をあげたというのは―
―また別の話。
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