バミューダ・トリガー
八幕 標的・明日香
「あ、あれ・・・?輪、人君?」
まずい事態になった。
意中の人の部屋に、親の許可があったとはいえ本人の許可は無いままに立ち入り、こっそり抜け出そうとしたところを見つかった。
(これじゃただの不審者か泥棒じゃねぇかっ・・・!)
神よ、俺が何をしたというのか。
(お、俺はただ、親の許可という大義名分を振りかざして9割の私欲をもって明日香の部屋に踏み込んだだけで、何も責められることなどあるはずが・・・)
ばっちりあった。
そんなことを考えている間にも緊張の時間が流れる。背中越しに感じる明日香の視線が気になりすぎて頭が回らない。
全身を伝う冷や汗はすでに、夏の暑さを完全に無力化しつつあった。
(だがっ、弁明をしなくてはっ!)
俺は最後の覚悟を決めて振り返り、状況と経緯を話すべく口を開こうとした。
だが、そんな俺の最後の覚悟は、一瞬で葬り去られた。
振り返った先に見えたのは、どうしていいのかわからず体を硬直させながら布団を握りしめた、一糸まとわぬ明日香の姿であった。
そんな状態の明日香とばっちり目が合う。
初期状態ですでに赤かった明日香の顔が、より一層紅に染まる。
(ああ、終わった・・・)
俺は精神的な意味での人生の終焉を感じた。
明日香に嫌われる。
その予感はどうやら現実になってしまったようだ。もう俺と口も聞いてくれなくなるかもしれない。
弁明をしようとしていた俺の口は開くことなく、自ら穴を掘ってでも穴に入りたいという感情に焼かれて、灰となって消えようとした俺の魂は―
明日香の言葉によって引き留められた。
「ま、待って輪人君!」
「え?」
何を待てばいいというのだろうか。俺はすでに、明日香どころか、もはやこの世に存在する女子を全て敵に回したようなものだというのに、まだ何かやらかしているのか。
しかし、明日香が紡いだ言葉は俺の予想の逆を行っていた。
「こ、これはっ!違うの・・・!私、寝るとき服着ない派で・・・じゃなくて!暑いから着てなかっただけっ!ってのもおかしいよね・・・あわわわっ」
今度は明日香の方が弁明を始めた。
どうやら俺があらぬ勘違いをしているのだと思い込んだらしく、俺に負けず劣らず焦っているようだ。
その様子はさぞ可愛いのだろうが、直視しないよう首を百度ぐらい回しているので見えはしなかった。
だが、そう言われればそうだ。指摘はできなかったが、明日香が服を着ていないという点において俺に非はないはず。
(これでお互い様だね!的な雰囲気に持っていけるかもしれないっ!)
明日香に嫌われないために全てを捧げる俺は、そんな最低なアイデアを採用することにした。
(ごめんよ、明日香・・・!)
だがまずは彼女に服を着てもらわないと話ができない。
「あ、明日香さん!とりあえず服を着ないか?」
縮こまって、なにやら自問自答をしていた明日香に話しかける。
「っ!そ、そうだよね、ごめんね!」
明日香も冷静に判断をくだしてくれた。
しかし、ここで小さな問題が生じた。
「あっ・・・」
「どうした?」
「輪人君、私の服、そこのタンスの中。」
「そこのタンスって・・・」
ここにきて気づいたが、部屋の入り口で立ち往生していた俺のすぐ横に、明日香の服やらが入ったタンスがあったのだ。
「とってくれる・・・?」
「できない」
できるはずがない。下手をすれば今以上に危機的状況になる。
「なら・・・絶対見ないように部屋から一旦出ててくれる?」
「もちろん!」
(ナイスな機転だ明日香!)
今まで気づかなかった俺もそうとうなものだが、明日香に言われて気づけたのでギリのギリギリでセーフだろう。
(よし、このまま順調に事を進めて、明日香に弁明をしてからこないだの翔斗との話を伝えよう!)
やっと本題へ入れそうな流れに安堵し、軽くなった肩を回してからドアノブをひねり、開いたところで―
明日香の母親と鉢合わせた。
―――――――――――――――――――――――
同時刻。
住宅地に二つの人影が到着した。
「やれやれ、だな」
「本当に、です」
住宅地に似合わない異質な雰囲気をまとった二人の男が呟く。
整った顔立ちの二人は、一見全く同じ人物に見えるほど、それこそ鏡に写った虚像のように、その姿が似ていた。
「時々、準備はいいか?」
「貞命兄さんも心配性ですね。よくないはずが無いでしょう、里音様に叱られてしまいます。」
「それもそうだな」
「今日の仕事はこれで終わりですから、頑張りましょう」
「里音様のおやつも用意しなくてはならないからな」
二人が会話を終えると同時、二人の背から黒く染まった翼のような物が拡がる。数は、それぞれ1つずつ。時々は右方に、貞命は左方に。それは、二人合わせて丁度ひとつの生き物のようである。
その翼が二人の前方で合わさり、繭のように造形される。
一瞬の後、黒い繭が意思を持った生き物の大群のように散り散りになる。
残された人影は、1つ。
「復讐、復讐ね。明日 明日香・・・可哀想に。能力を持ってしまったがために、今日が君の命日、だね」
―――――――――――――――――――――――
俺の人生は終わったのかもしれない―
と思ったのだが、何とも意外なことに、そうでもないらしかった。
結論を言うと、明日香の母親は怒っていなかった。それ以前に、明日香が裸であることを、明日香ママは知っていたらしく。
奥手な娘に彼氏を作らせるためには、刺激的なイベントが必要だという結論を出したらしい。ドアのところで鉢合わせたのも、ずっと聞き耳をたてていたかららしく。
つまるところ、あの場で最も非があったのは明日香ママであったのだ。
「ごめんね神河君。明日香ときたら、高校生の癖に男の子のこと全っ然話さないからさぁ」
初めて会ったときの間延びした口調はつくっていたらしく、明日香の母親とは思えない程、活発な口調になっていた。
「い、いえ。もう済んだことですし」
「かたじけない、かたじけない」
明日香も、話してはいないが大分落ち着いたらしい。
「ホントにごめんね、輪人君」
「いやいや、良いんだって。明日香さんが謝ることはないよ」
「ありがとう。あと、その明日香さんっていうの、堅苦しくない?」
「え?っと、まあ、ちょっとな」
「明日香でいいよ」
「おうっ?!そ、そうか?わかった、次からそう呼ぶよ」
何とも嬉しいことに、思わぬ急展開で親密な感じになった。
「おっ?明日香やるぅー」
「そんなんじゃないからっ!」
(俺、ここに居れて幸せだよ・・・)
一時はどうなることかと思ったが、どうにか丸く収まったようで良かった。
ピンポーン
「お客さんですか?」
「ちょっと行ってくるから、お二人はごゆるりとお過ごしくださいませ」
「お母さんっ!」
明日香の言葉を聞かなかったことにして、明日香ママは玄関へと向かう。
「はい、どちらさんでしょう―」
ザンッ
ドタッ
玄関から、重たいものが崩れ落ちたような音が響く。
「えっ?」
「お母さんっ?」
コツ、コツ
「失礼します。いや・・・失礼しました、ですかね?」
くつをならす音に、丁寧であり、それでいてゾッとするような声が続いた。
「お母さん!!」
玄関に倒れた明日香の母親はピクリとも動かない。
侵入してきたのは、以前俺を襲うために何者かから送られた能力者、代市 冬と同じく、黒いグローブを着けた青年。
怪しく微笑む青年の手にもまた、代市 冬を連想させる黒いエネルギーが宿っていた。
2度目の襲撃が始まりを告げる。
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