騎士と魔女とゾンビと異世界@異世界現代群像のパラグラフ

木木 上入

96話「ペイングロース」

「貴方達は……」 サフィーはミズキとエミナが居ることに驚いた。いくらエミナの回復魔法が優れているとしても、あまりにも治療にかかる時間が短すぎると思ったからだ。 狡猾なマッドサモナーのことだから、次の手を打ってきたのかとも思ったのだが……どうやら違うようだ。ミズキはまだ、体のあちこちから流血をしている状態で、エミナは、そんなミズキを支えている。
「ミズキだったかしら……大丈夫?」 サフィーは、半ば呆気に取られている。ミズキはエミナに支えられていてもなお、立っているのがやっとの状態に見える。「あんまり大丈夫じゃないですけど……でも、やらなきゃいけないことがあったので……」「やらなきゃいけないこと……」「あの虫、止めなきゃいけなかったんです」「虫って……」 サフィーの頭に改造バエという単語が浮かんだ。しかし、改造バエだとすると、止めなければならないというミズキの言葉には矛盾を感じてしまう。いや……人の良さそうな、この少女の言うことだ。マッドサモナーを救いたいなどと考えているのかもしれない。
「貴方の言う虫って、改造バエの事かしら。頭が大きくて、口の鋭い牙で人の体を噛むの……っと!」 会話に気を取られていたサフィーに、ブラッディガーゴイルが爪での一撃を放ったが、サフィーはそれを軽々と避けると、剣で一閃し、倒した。
「ああ、多分、それです。改造バエって言うんだ……それが……っ!」 ミズキが、改造バエの呪いについて話そうという時だった、マッドサモナーが動いたのが見えたミズキは、すぐさま手の平をマッドサモナーの方へと突き出した。
「ちょ、ちょっと……」「話は後でします。今は……!」 戸惑うサフィーを尻目に、ミズキは魔法を唱え始める。
「穢れしその身に解呪の……ぐっ……あぁぁ!」 体を一ミリ動かすだけで激痛が走るミズキは、その痛みに耐えながらディスペルカースの呪文を唱えていたが、突如、その痛みは倍増し、ミズキにのしかかってきた。 急激な痛みの増加にミズキは思わず詠唱を中断し、悶えながら地面に倒れた。「あっ……ぐあぁぁ……!」 凄まじい痛みがミズキを襲う。最早、何も考えることが出来ない。意識も吹き飛びそうだ。
「ミズキちゃん!」 ミズキの異様な様子を見たエミナも叫ぶ。
「何……はっ!」 ミズキの様子を見たサフィーの脳裏に、ある闇属性魔法の名前が浮かぶ。
 ペイングロース。
 対象の痛みを増加させるペイングロースは、直接体を傷つけたりはしない。物理的なダメージや抑止力はゼロだ。それ故、使用するシチュエーションは限定される。 ペイングロースは、主に拷問用に使われたり、相手を驚かせたりといった用途で使われる。酷く限定的な場面でしか効果を発揮できないため、覚えている魔法使いは少なく、知名度も低い。 しかし、マッドサモナーならば、拷問をはじめとするペイングロースの有効活用をする機会はいくらでもありそうだ。現に今も、ペイングロースを有効に活用して、この場を切り抜けたのだ。 サフィーはマッドサモナーを睨んだ。
 マッドサモナーは、たったいま、ペイングロースを最大限に活用した。魔力の消費量が少なく、ノーエフェクトで効果を発揮するという点ではペイングロースは有効だが、拷問以外の用途。まさに今行われている戦闘下においては、相手を一時的に驚かせるという効果しか発揮しづらいので、一般的な魔法使いはペイングロースよりも、ファイアーボールやセイントボルト等の軽めの攻撃魔法を優先させるだろう。それらの方が、同じ魔力の消費量で、相手を驚かせるだけでなく、牽制としても使えるからだ。戦闘においては驚かせることに特化したペイングロースは、相当に使いづらい部類の魔法なのだ。
 しかし、この場においては、ペイングロースは有効に働くだろう。それは、魔力の消費量が少ないのと、不可視だという性質に加え、もう一つ、対象の傷が深ければ深いほど、それに比例して増段する痛みも大きくなるという性質も、最大限に発揮できるからだ。 対象が深い傷を負っているほど、痛みを増大させたときの苦痛も凄まじいものとなる。今のミズキにはうってつけの魔法ということだ。
 マッドサモナーは、ペイングロースで時間稼ぎをしてまで、あの瓶の中の改造バエに自分を噛ませたいのだ。この事実は、サフィーに自分の勘違いを気付かせるきっかけとなった。マッドサモナーは、苦しまぬ自殺のために改造バエを使うのではない。何か、別の……起死回生の一手を放つ目的があるからだ。
「く……誰か! あの瓶を……」 改造バエを使わせてはならない。サフィーはそのことを叫んで仲間に伝えようとしたが、ディスペルカースを詠唱する声に掻き消された。
「穢れしその身に解呪のげんを……ディスペルカース!」「ブリーツ!」 サフィーが後ろを向く。そう、ディスペルカースを唱えたのはブリーツだった。ブリーツのディスペルカースは見事に改造バエの入っている瓶を貫いた。「ふー……良く分からんが、成功したみたいだな」 うまい具合にディスペルカースを瓶へと当てることができたので、ブリーツは、ほっと息を吐き出した。
「おお……」 マッドサモナーは、空になった小瓶を見て、絶望に顔を歪めた。
「ブリーツ、よくやったわ。でも、どういうこと?」「いや、知らんがな」「知らんがなって……」「この女の子がやってたから、なんとなく……ほら、安らかにそよぎし凱風がいふうよ、傷付きし者を包み込み癒さん……イヤシノカゼ!」
 ブリーツは、苦痛に目を白黒させているミズキを指さすと、近くに歩み寄って、まだ自らの体を抱え込んで震わせているミズキにイヤシノカゼをかけた。
「あ……」「怖がらなくて大丈夫だよ、ミズキちゃん。痛みはじきに引いてくから」「あ……う、うん……」 ミズキは、何が起きているのか理解できないまま、耐えがたい苦痛に顔を歪ませ、その恐怖に耐えていた。しかし、エミナの言葉とトリートに加え、同じく回復魔法のイヤシノカゼをブリーツがかけたこと、更に、ペイングロースの効果が切れたために、痛みは急激に引いていきミズキは我を取り戻すことができた。
「はぁ……はぁ……」 ミズキはふらふらと立ったが、手、そして体の震えはまだ収まらない。ショックで頭がパニックになるほどの、強烈な苦痛に見舞われたからだ。今も傷口からは激痛が走っているが、さっきまでの痛みに比べれば、まだましだと思えるくらいだ。
「あれはペイングロースっていうの。あまり聞かない魔法だけど、体の痛みを増幅させる魔法だよ。多分、ミズキちゃんがディスペルカースを使おうとしたから、マッドサモナーの方も、それを阻止するためにペイングロースを使ったんだと思う」
「そう……なの……あっ! そうなんだよ! マッドサモナーの、あの瓶!」「それが私も聞きたいの。痛いのは分かるけど……」と、サフィー。「いえ、大丈夫です。もう収まりましたから……」 ミズキはエミナに支えられて立ち上がると、改造バエと呼ばれている虫、そして、それが放った黒い煙のようなものについて話した。

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