箱庭の役者

あやね

箱庭の役者

 忘れてしまった。何もかも忘れた。いや、そもそも何も知らなかったかも知れないな。——そう思い込まなければ、やってられなかった。
 今日が終われば、無常にも明日が来る。かつて俺は、それがとてつもなく嬉しくて楽しみだったのに——。
 うるさいウルサイ五月蠅い。そう言われ続ける事に慣れてしまった自分がいる。それが俺にとって、苦痛だった。
 ——この世界に慣れる事が恐かった。

   「ひろし君当日アポ決定素晴らしい!」
   佐伯部長のこのセリフも何度聞いた事だろうか。しかし、褒められている訳だから当然嫌な気はしないのだが。
   「手強かったですね。森本商事の社長、ずっと怒ってるんですよ本当に。でも、何故か今回だけは優しかったです」
   「それはもう、ひろし君の押しの強さに向こうが折れたって事でしょ!   さ、それじゃあ外勤組、後はよろしく!」
 この人は本当に調子が良い。さっきまで自分のデスクで仕事そっちのけでガンプラを作っていたのに。それでも部長になれるんだから、きっと仕事はそれなりに出来るのだろう。まぁ、俺には関係ない事だ。
   「さて次はっと……「MAT」か」
 俺はパソコンの画面に表示された美容室「MAT」の番号を確認し、電話をかけた。
 プルルルル——、プルルルル——。この時間が一番緊張する。
   「お電話ありがとうございます!   MAT、佐藤が承ります!」
 電話に出たのは女性だった。恐らく若い。これならいける……!
   「あ、お世話になります。電気料金の見直しの件で——」
   「あ、そういうのいいんで」
 ガチャッ、ツー——ツー——。
 こんなもんだ。アポが取れてテンションが上がったって、次にはまた断られる。中には怒鳴って来る奴だっている。さっき奇跡的にアポ決定になった森本商事の社長だって、前回までは喋り出しからあからさまに怒っていた。一体俺がお前らに何をしたんだ?   そう言ってやりたい気分になる事は多々あった。

 帰宅後、部屋の電気を付けると相変わらず部屋の隅に女がいる。そう、俺は曰く付き物件に住んでいる。理由は簡単で、家賃が破格だからだ。仮に幽霊が襲って来たって、こっちには魂に加えて肉体があるのだから、どう考えても俺の方が強い。そう考えれば、この部屋の隅にいる女も怖くない。むしろ最近はルームシェアをしている感覚ですらあった。向こうも特に何もして来ないし、多分いなくなったら逆に心配になるかもな、とまで思っていた。
 女を尻目に、俺はスマホのメールアプリを開いた。友達は多くない。学生時代には五十人いたはずの友達も、今は二人だけ。一人は高校の友達、もう一人は大学の友達。その二人の間に接点はない。その二人から、面白い事に同じ時間にメッセージが届いていた。
   『今日の夜メシ行かねぇ?』
   高校時代の友達、コウスケだ。こいつはいつも突然連絡してくる。しかし、別に嫌ではない。
   『僕の妹が作ったんだ。いいだろう?』
 こっちは大学時代の友達、タイチだ。メッセージにはスイートポテトの写真が添えられていた。相変わらず妹への愛が半端ではない。
   『明日休みだしメシ行くか』
   俺はコウスケにそう返信した。

 恵比寿で日比谷線に乗り換えて中目黒へ向かった。コウスケの話だと、安くて美味いパスタの店があるらしい。
 改札を出たところでコウスケと合流した。相変わらず永遠の十八歳みたいな、少し前の爽やかヴィジュアル系みたいな風貌だ。
   「こっから歩く?」
   「いや、そんなに」
 俺たちの挨拶はこんなもんだ。高校生の頃はちゃんと挨拶をしていたが、いつしかこうなった。同じクラスになって出会った頃は、絶対にこいつとは友達にならないだろうと思っていたが、分からないもんだ。
 あまり広くないパスタ屋の、奥のテーブル席に座って、それから俺はナポリタンを、コウスケはオススメメニューを注文した。
 店員が「少々お待ちください」と言った後、厨房に注文を通す声が聞こえた。そして、それを確認してからコウスケがジャケットを脱いで壁にあるハンガーに掛けた。
   「最近どう?」
   「んー、まぁ普通」
   「仕事は?」
   「テレアポのバイトだけ」
 コウスケが笑った。いや、お前この歳で何やってんだよと言いたげなその表情は少し腹立たしくもあった。しかし、本気でそう思っている訳ではない事は知っている。
   「てか、お前社長だろ?   天津神財閥——だっけか?   忙しいんじゃねぇの?」
 そう言った途端、コウスケの笑顔が曇った。不穏な空気。只事ではない空気を察して、俺は一瞬何も言えなくなり、とりあえず手元にあった水を飲んだ。
   「潰れるかも知れない」
 コウスケの声は震えていた。
   「ひろしの力が、どうしても必要なんだ。手を貸して欲しい」
 全く意味が分からなかった。さっきまでの楽しそうなコウスケはそこにはもういない。この一瞬でまるで別人のように怯えた、且つあまりに真剣で必死な訴えに思わず頷きそうになった。
   「どうした?」
 俺は、なんとか口を開く事が出来た。
   「信じてもらえないかも知れないけど、鬼に襲われたんだ。それで従業員が殆どビビって辞めちまって……今は嫁にも手伝ってもらって何とかやってるけど、そろそろ限界が近い——」
   「——。」
 支離滅裂な内容で、俺は返答に困ってしまった。鬼は元々コウスケの話にはよく出てくる。神だの妖怪だの、そう言う話が大好きな男だから今さら鬼がと言い出しても驚きはしない。が、今回ばかりはふざけているようには見えない辺りが逆に不自然だった。
   「鬼って、どういう事だ?   殺人鬼とか、そういう意味か?」
   「いや、違う。桃太郎とかに出てくるやつと同じ、本物の鬼だ」
   ——お手上げだ。俺には、コウスケが頭がおかしくなったとしか思えなかった。オシャレなパスタ屋に似合わぬ重い空気——今は耐えるしかないのか?
   「お待たせしました、ナポリタンのお客様?」
 店員の声と、運ばれて来たパスタの香りで少し空気が和らいだ。俺が手を軽く上げると、店員は俺の前にナポリタンを置いた。コウスケが頼んだオススメメニューも同時に運ばれて来た。
 少し不穏な空気は残っていたが、いきなり申し訳なかったと言ってコウスケはいつもの表情に戻っていった。俺はどこか違和感を感じながらも、ナポリタンを食べ終えた。会計を済ませて店を出ると、俺たちはいつも通り普通に別れた。

 どれくらい寝ていただろうか——。今日はバイトが休みだ。かといって特にする事もない。昨日のナポリタンの味がまだ口の中に残っているような気がした。また今日も食べに行こうかと考えていると、充電中のスマホが鳴った。画面を見ると大学時代の友達からだった。
   「もしもし?」
 電話に出た瞬間、向こうから鼻歌が聞こえていた。随分と機嫌が良いらしい。
   「あ、もしもし?   昨日送った写真のスイートポテト、妹が張り切りすぎて沢山作りすぎたみたいなんだ。良かったら今から食べに来ないか?」
 声のトーンからして、むしろ食べて欲しい。食べて感想を聞かせて欲しい。美味しいという感想を、聞かせてくれ!   さぁ、早く!   と、言う雰囲気だった。暇だし、久しぶりに会いに行く事にした。

 相変わらず趣味の悪い屋敷だ。住宅街のど真ん中にドンッと、圧倒的な存在感がある屋敷。そう、タイチは絵に描いたような金持ちだ。
 インターホンを鳴らすと、中から執事が出て来て門を開けた。
   「これはこれはひろし様。お待ちしておりました」
 俺は軽く会釈して、執事の後ろについて歩いた。通された客室には、誰の作品か俺には分からないが絵画が壁に飾られていた。真ん中にタイチが描かれていて、その周りを個性豊かで幅広い年齢層の人達が囲んでいるような構図だった。どんな関係性なのかはこの絵からは読み取れなかったが、なにやら楽しそうな印象だ。
 それから、何となく部屋の中を見廻した。しばらくして、部屋のドアが開いた。
   「やぁ、来てくれたか」
   「おう。暇だしな」
 相変わらず眼鏡の向こうの目の奥は笑っていない。タイチという男は出会った時からそうだった。大学のゼミが一緒で、偶然同じアクションゲームが好きだった事がきっかけで仲良くなったが、もしそれが無ければ俺の中ではむしろタイチは苦手なタイプだ。
   「タイチお前仕事辞めたらしいな」
   「随分と情報が早いね」
   「風の噂ってやつ?   誰に聞いたかは本当に覚えてねぇ」
   「今はまた新しいビジネス展開を考えてるよ。このまま何もしない訳にはいかないからね」
 他愛もない話をしていると、さっきの執事がスイートポテトを持って部屋に入って来た。その後ろを小学生くらいの少女がついて来ている。
   「——だれ?」
   「こらこらアイリ。まずは挨拶をしないか。彼は友人のひろしだ」
 怪訝な表情を浮かべていた少女が途端に笑顔になり、俺に駆け寄って来た。
   「なんだ友達か!   私はアイリ!   よろしく!」
 ——何だか近くで見ると違和感がある。会話からタイチの妹である事は察したが、こんなに年が離れていただろうか?   それに、どことなく無機質なような、そんな感じがする。何故だろう。
   「兄さん!   私みんなと約束してるから外で遊んで来る!」
   「そうか、気を付けて行っておいで」
   「うん!」
 そう言って少女は疾風のように去っていった。
   「爺、後を追って危険があれば排除してくれ」
   「承知致しました」
 俺はタイチのシスコンぶりにむしろ関心しながらスイートポテトに手を伸ばした。
 ——俺はタイチが羨ましかった。東京大学経済学部を卒業した俺は未だにアルバイトの日々。それに比べてタイチは中退で、にも関わらずまた新たな事業を考えている。俺には到底真似出来ない。自信がない。成績は俺たち二人、あまり大差なかったのに。
   「そうだ。忘れるところだった」
 いつの間にかタイチは真剣に、だが、笑みを浮かべていた。
   「今度の事業はちょっと僕だけでは難しそうなんだ。もし良ければ、力を貸してくれないか?」
 何の因果だろうか。昨日も似たような話を聞いた気がする。接点のない二人が、どこかで帳尻を合わせているような気がして、何やら妙な気分だ。
   「悪いけど、期待には添えない」
   「何故だ?   ひろし程の頭脳があれば、不可能も可能に出来る。僕はそう思っているんだが——」
   「学生時代は、俺もそう思ってたよ。世界を変えるんだってな」
   「なら一緒にやろう。僕達なら、世界を変えられるはずだ」
 俺は場違いな怒りが込み上げて来た。いつまでも短絡的なタイチに。未来を見据えるタイチに。もっと言えばこの世界に。
   「変わらねぇよ!   たかが人間一人に、世界を変えるなんて出来る訳ねぇだろ!」
 止められない。罵詈雑言が次々に溢れて来た。こんな事、タイチに言っても仕方がない事だと分かっているのに。一度火がついたら、止める事は難しい。——いつの間にか、タイチの表情は和らいでいた。可哀想な人を見る目ではなく、憐れみを持っている訳でもない。ただ真剣に、俺の話を聞いているようだった。
   「——そうだな。たかが少数の人間では、この世界を変える事は出来ない。この世界は、僕達の箱庭に過ぎないからね」
 ————は?

 パンパカパーン!   パンパンパンパンパカパーン!

 突然ファンファーレが鳴り響いた。次の瞬間、ピエロが俺の前に現れた。

   「いやぁ、素晴らしい!   ゲームクリアおめでとうございます!   さすがゼウス様。たった二十六年で世の真理に辿り着くとは!   いやはや恐れ入りました!」
   「はい?」
 俺が意味も分からず呆気に取られていると、いきなり部屋のドアが開いて顔見知り達が続々と入って来た。
   「どうも!   森本商事社長役の森本です!   いやぁ今回は怒ってばかりの役で大変でしたよー!   何せ僕はね、怒るのが嫌いなのよ本当に!   疲れますからね!   いやそれにしてもゼウス様、おめでとうございます!」
   「美容室「MAT」従業員役の佐藤です!   私の態度の急変ぶり、いかがでしたか?   楽しんでいただけましたか?   裏表の激しい人を演じられて、私的にはすごく楽しかったです!   ゼウス様、お疲れ様でした!」
   「ひろしのアルバイト先の部長役、佐伯です。私は任侠映画の出身で、なかなかこういう役はやった事がなかったのでとても新鮮でした。また機会があれば、これからも色々な役に挑戦して行きたいと改めて思いました。ありがとうございました」
 ——一体、何が起こっているんだ?   俺はタイチと、部長達と同時に部屋に来たコウスケを見た。
   「コウスケ役のビアー」
   「タイチ役のニーケー」
   「男役楽しかったねー!」
   「ねー!」
   「にしても鬼はないでしょ!   コウスケはタイムスリップした事のある人間だけども!」
   「いや、タイチなんて妹のアンドロイド作った人間だよ!?   やばくない!?」
 二人がそう言うと突然、友人から女神の姿に変わった。
   「え?   ——え?   ————え?」

 突然、俺の目の前にエンドロールが流れ出した。映画みたいに、下から上にどんどん文字が溢れてくる。なんだこれ!   気味が悪い!

 パカッ

 動揺していると、突然目の前の景色が変わった。晴れ渡る青空。雲ひとつない晴天の元にいる。——と言うより、雲の上にいるんですけど!?
   「お疲れ様でしたー!   ゼウス様!   私が開発した人生ゲーム、いかがでしたか?」
 突然の声に振り向くと、非常に整った顔立ちの女が俺に笑いかけている。よく見ると見覚えがあるような——。
   「私もゲームの中でゼウス様と同じ屋根の下で過ごせて幸せでしたぁ——!」
 ——あ!   いつも部屋の隅にいた幽霊だ!
   「てか、何だよ!   ここどこだよ!」
   「あれぇ?   ゼウス様、もしかしてゲームにのめり込み過ぎて自分が誰か忘れちゃったんですかぁ?」
 ——ゲーム——?   ——ゼウス——?

 ——あ、忘れていた。そうだ、思い出した!   次に人間として生まれる魂達により良い人生を送ってもらおうと、俺は彼女にこの人生ゲームの開発を頼んだんだ。人間達が創造したVRの技術を応用して作られたゲームに、俺はいつの間にか熱中し過ぎていたらしい。
   「あ、すまん。全部思い出したわ。ボーッとしてた!   すまんすまん!」
   「しっかりしてくださいよぉ!   あ、最初に言われてた通り、今回ゼウス様がプレイヤーに指定した魂——えっと、ひろしとその周囲の人間達にはそれぞれ人生の転機を特別報酬として与えておきますね!」
   「あぁ、頼んだ」

 そうだ、俺。神だった。

   「じゃあ今からセミナーを開くから、今後人間として生まれる予定の魂達を集めてくれ。今回の人生ゲームで得た教訓と共に、よりスムーズに人生を送れるよう、アドバイスをしよう」
   「まぁ、下界に生まれ落ちた瞬間に全部忘れちゃいますけどね!」
   「それもそうだな!   あっはっは!」

 どうやら俺たちが創造した人間界にはバグがまだまだ多いようだ。人間達がこの先どう動くのか楽しみだが、少しずつ俺も手を加えて行こうと思う。

   「さぁ、今日もジャンジャンバリバリ世界創造して行こう!」

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