悪役令嬢は麗しの貴公子
42. それぞれの帰省(クランver.)
 港近くの外交省管轄の建物内にて。
 漁師や商人達の活気に賑わう声が、開いた窓から潮風と一緒に流れてくる。
 「なぁ…俺、必要か?」
 建物内の一室で、ここ数ヶ月間にツィアー二家が所有する王都の港に離着岸した船や積荷の内容物のリストを確認していたクランが、近くにいた職員に話しかけた。
 急に話しかけられた職員は、困り顔で苦笑いを浮かべる。
 「必要ですよ。せっかく書類を作成しても、クラン様のサインが頂けなければ王城に提出できませんから」
 「本当に必要なのは、親父のサインだけどな。俺はただの代理だし」
 「それでも、クラン様が来て頂いたお陰で我々は十分に助かっていますよ。人手はいくらあっても足りませんから」
 「嬉しくねーよ」
 そう、クランは外交長官である父親の代わりだ。この国では、外交と貿易が一括りにされているので、他の管轄に比べて仕事量もその分増える。しかし、一つの管轄に割ける人員は他と変わらないので、常に猫の手も借りたい状況にあるのだ。
 (折角の休暇なのに休めないとか……最悪かよ)
 短くため息をついたクランは、会話中にざっと目を通した書類の束を職員に手渡した。
 職員は、全ての項目にサインされてるのを確認すると会釈して立ち去っていく。
 そんなことには気に留めず、クランは自分の執務机の端に山積みになった別の書類の束を手に取ると、また一枚ずつ目を通していく。しかしその隙に、職員達が一枚、また一枚と書類を持ってきては『確認をお願いします』と置いていくので、どれだけ仕事をこなしても一向に減ることはない。
 その事に少しずつ苛立ちが募るクランだったが、感情に身を任せても無駄に時間を消費するだけだと知っているので、ひたすらに目と手を動かし続けた。
 やがて日が陰り始め、夕刻を告げる時計塔の鐘の音で、無心だったクランの心は現実に引き戻された。
 筆を置いて窓の外を見やると、港に留まっていた船は全て離岸していて、人々の姿もほとんどなかった。
 ……視界の端に見えた山積みの書類は全く減ってはいなかったが。
 「お疲れ様です、クラン様。本日中にやるべき職務は全うされたので、もうお休みになられて下さい」
 凝り固まった身体をほぐそうと、伸びをしていれば先ほど愚痴を漏らした職員に話しかけられた。
 態々淹れてきてくれたらしい紅茶の入ったカップを受け取り礼を言う。
 
 「いいのか? なんなら、明日の朝一に王城に提出する分もやっちまってもいいけど」
 「いえ。侯爵様からは、クラン様には本日分のみの仕事を、と言付かっておりますので大丈夫ですよ」
 「真面目かよ…。こういう時くらい便乗したっていいんだぜ?」
 苦笑したクランに、職員の男はいたたまれないという顔をして首を振った。
 「有難いお言葉ですが、本当に大丈夫ですよ。それに…、自分より断然若いクラン様にこれ以上仕事を押し付けるのは、大人としてバツが悪いのです」
 『本日は本当に助かりました』と頭を下げる職員の男に、クランは面食らった後、少し照れ臭そうに笑った。
 (本当に、真面目だよなぁ…)
 少しだけ呆れを含ませた言葉は、声に出す前に口に含んだ紅茶と一緒に喉の奥へと消えた。
 ……
 「あら遅かったじゃない、クラン」
 「……他人ん家で何してる、ルミ姐」
ク ランは思わず、顔を不愉快そうに歪めた。仕事の疲れもあって、いつもより眼光が鋭くなっていることに本人は気づいていない。
 紅の空が夕闇に変わる頃、漸く邸宅に着いたクランを待ち構えていたのは、屋敷の人間よりも悠々とした様子で寛ぐルミエールの姿だった。
 「なんでお前が家にいんだよ。領地に帰ったんじゃなかったのか?」
 
 「帰ったわよ? でもね、なんにもすることなくて暇だったから……来ちゃった♡」
 「『来ちゃった♡』じゃねーよっ!」
 ルミエールは舌を出しておどけて見せた。自身では可愛いと思っての行動だろうが、クランには微塵も可愛いとは思えなかった。
 「野郎にそんなこと言われて嬉しがる男がいるかよ」
 「あら、いるじゃない嬉しがる男」
 「……あぁ、殿下か」
 クランは、脳裏に浮かんだ人物を面倒臭そうに口にした。
 王太子ともあろう人が、同性で且つクランにとって幼馴染のロザリーを恋愛対象としただけでなく、彼が婚約した今も変わらず想い続けていることに驚き、そして呆れもした。
 
 「気のない返事ね。貴方、殿下のこと嫌いだったかしら?」
 「…嫌ってはいねぇよ」
 嘘はついてない。ただ、今の状況では好きになれないと言うだけで。
 国に忠誠を誓い、王家からも特に信頼の厚いルビリアン公爵家とディルフィーネ伯爵家の婚約に王家は喜びこそすれ、反対する声は皆無だった。
 それもそのはず。国の守護の要である伯爵家と国庫を管理する要である公爵家の二柱が結ばれることで、王家の地盤は更に盤石なものとなるのだから。
 (それに、恋に恋してる殿下の目を覚ますのにも持ってこいだろうし…王家としては一石二鳥ってとこか)
 とはいえ、二家の婚約を正式に発表するのは王家主催の舞踏会。
 リディアのせいで学園内で非公式な婚約発表をせざるを得なかったとロザリーに愚痴られたのは、割と記憶に新しい。
 「ところでルミ姐、パトラン侯爵家は王太子派につくのか?」
 
 「さぁ? 父親が何を考えてるかなんて興味の欠片もないもの」
 酷くどうでもよさそうに返答したルミエールは、自身の髪をクルクルと指に絡ませながら『ただ……』と続ける。
 「宰相様から素敵な贈り物を頂いちゃったからね。それ相応のお返しはしないと失礼じゃない?」
 「……あっそ」
 何かを企んでいる時の微笑を浮かべたルミエールに、おざなりに返事をしたクランはソファにドカッと腰を下ろした。
 「そういうツィアー二家はどうなのよ?」
 「親父だけなら王太子派だな。俺は……まだ決めかねてる」
 「決めかねてる? …貴方が?」
 意外だ、と言いたげにルミエールはポカンとした表情をする。
 
 「俺だって悩む時くらいある」
 「あらそうなの? モットーは即断即決、即行動。考える暇があったら利益の為に動けって感じの突っ走りな考えなしだと思ってたわ」
 「喧嘩売ってんのか」
 「はいはい。それで、即断即決な貴方がどうして珍しく優柔不断になってるのよ?」
 テキトーに誤魔化されたことに苛立ったクランだが、文句は言わずに睨みだけにとどめた。
 スっと片手で合図をし、その場にいた使用人達を下がらせる。それだけでルミエールは何かを察し、先程とは違う真面目な顔つきでクランを見た。
 「ルミ姐は、国際情勢についてどれだけ把握してる?」
 「噂好きな貴婦人達と同じくらいよ。どうして?」
 「メイリンジャネス帝国がまた裏でコソコソと動き始めたらしい」
 「…それ、確かなのよね?」
 クランが頷くと、ルミエールは僅かに口元を歪めた。
 メイリンジャネス帝国。リリークラント国とは、海を挟んで北方に位置する大国だ。元は小国だったが、軍事力の強化を図り、圧倒的強さをもって隣国を喰い物にしてきた強さこそが全ての実力主義国家。
 今は、代替わりした新皇帝が国を治めていて、前皇帝とは違い内政に力を注いでいる、筈だった。
 「馴染みの商人達から聞いた話がきっかけで、親父が宰相に頼んで詳しく調査してもらったから信憑性は高いぜ」
 「…そう。それで、帝国は何をしようとしてるの?」
 「それはまだ調査段階らしい。けど恐らく、リリークラント王国に深く関わる何かだろうとは思ってる」
 そうでなければ、海を挟んだ大国に態々王家の間諜を何人も長期間滞在させる訳がない。
 最近では、宰相から直々に外交長官に極秘命令が出されていて、普段の数倍は忙しそうにしている。……そのせいで、クランが父親の代理としてあちこちに駆り出されている訳だが。
 「まさか…戦争を仕掛けてくる気じゃないわよね?」
 「可能性の一つとしては有り得るな」
 「前王ならまだしも、今の皇帝は比較的に穏健で愚策を講じるような方とは思えないわ」
 「俺も直接会った事はねぇけど、親父の話を聞く限りは聡明らしいからな。何か考えがあってのことだろうとは思ってる」
 眉を顰めてそう呟いたルミエールは、ぬるくなったであろう紅茶のカップへと手を伸ばす。
 
 (ぜってぇ不味いだろ、それ)
 クランがそう思って見ていれば、案の定ルミエールが渋顔をした。
 無断で居座っているルミエールだが、一応は客人なのでクランは仕方なく呼び鈴を鳴らしてやる。 
 「この件、国内にはどこまで広まってるの?」
 再びカップをテーブルに置いたルミエールが、そう尋ねてくる。
 「俺が知ってる限りだと、国王夫妻、二大公爵家、親父、ユリウス元帥、あとは俺とルミ姐」
 「あら、四侯は含まれないのね」
 「仕方ないだろ。四侯の内、ツィアー二家とパトラン家以外は国より自分の地位を誇示することが重要みたいだからな」
 上に立つ事を当然と思い、ふんぞり返っている名ばかりの連中と同じ爵位を持っているという事実だけで反吐が出そうだ、と嘲笑するクランにルミエールもまた同意する。
 「そういうことなら、アタシも『知らない』方がいいわね」
 「話が早くて助かる」
 肩を竦めて微笑するクランに、ルミエールは『いいのよ』と優雅に微笑み返す。
 その時、タイミングよくメイドが入室し、新しいカップに紅茶を注いでくれた。
 「貴方が悩んでる理由が分かった気がするわ」
 
 早速ルミエールは、湯気とともに放たれる紅茶の香りを堪能しながらそう告げた。
 クランもつられるようにカップを手に持ち、鼻先へと近づける。
 どうやらフレーバーティーらしい。
 「少しずつ成長はしているみたいだけど、まだこの国を背負うという自覚も覚悟も足りてないものね、彼」
 『彼』が誰を指している言葉なのか、それを改めて問うのは無粋。しかし、心の中でどれだけ同意していようと、肯定は不敬。だからと言って、否定も無意味。
 そう考えたクランは、短い溜息一つで返事を返した。
 「だからこそ、ルビリアン公爵の判断は的確だったと思うわ」
 「ついでに、宰相の采配もな」
 
 「どういうこと?」
 「ルビリアン家とディルフィーネ家の婚約は、宰相の差し金でもある」
 「……アタシは何回驚けばいいのよ」
 一瞬だけ瞠目したルミエールだったが、すぐに全てを悟り、呆れた表情で愚痴を漏らす。
 「流石は狸だよな」
 「アタシの目の前には狐もいるけどね」
 ルミエールのボソリと呟いた声に、クランは『違いない』と喉を鳴らして笑った。
 
 ……●い狐と●の狸(ボソッ)
 本日もありがとうございました(´˘`*)
 次回もお楽しみに。
 
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コメント
いちご大福
いやはやきちんと国のことを考えていらっしゃる
更新ありがとうございます