天使が我が家に舞い降りた?!

絢野悠

エピローグ

恵はずっとムスっとした顔で食事をとっていた。


その後、光輝が洗い物をしているときに「お風呂」と言ってバスルームに向かっていった。


それを確認してから、一旦洗い物を止めた。静かにリビングを出て、バスルームの前を通過した。抜き足差しで階段を登って自室へ。


パソコンデスクに備え付けられている引き出しの一番上、鍵が掛けられる引き出しからあるものを取り出してポケットに入れた。


それから速やかに部屋を出てリビングに戻った。洗い物を急いで済ませると、ソファーに座ってテレビを見始めた。


三十分後に彼女が戻ってきた。ドカッと、光輝の横に腰をおろした。


恵を一瞥した後で立ち上がった。今度は光輝が風呂に入る番だった。


入浴中も、緩んだ頬が治らなかった。怒っているくせに横に座る。乱暴に見えて甘えたがりで、そこが可愛いところでもあった。


風呂から上がって、けれど髪の毛はその場で乾かした。いつもはバスタオルで髪の毛を拭きながらリビングに行くのだが、今日だけはそれをしなかった。


私服のポケットからある物を取り出し、パジャマのポケットにねじ込んだ。


リビングでは、クッションを抱いた恵がテレビを見ていた。クッションで口元を隠しているが、ブスっとした顔なのは目元だけでも十分伝わってくる。


恵の横に座り、彼女の太ももに触れた。


「やめてくれる? 私べたべたするの嫌いなんだけど」
「ヤなの? でもいつもは恵さんの方がべたべたしてくるじゃないか」
「いつもはいつも、今は今」
「さすがのボクでも、そこまで気分屋な人に合わせることはできないよ。それにボクはいつでも恵さんに触っていたいんだ」
「そうやって言っておけばいいとか思ってない?」
「思ってないよ。本心から言ってる」
「ふん」と言って、彼女は光輝がいる方とは反対の方へと顔を向けてしまった
「恵さん」


そんな彼女に、光輝は優しく言う。


「なによ」
「こっち向いてくれない?」
「ヤダ」


頑なに拒む恵に対し、光輝は小さなため息を吐いた


「ごめんね恵さん。ボク、ちゃんと気づいてるから」
「気づいてるって、なにを」
「さあ、なんだろうね」


ようやく恵がこちらを向いた。が、その顔は明らかに怒っていた。鬼の形相とまではいかないが、目端がつり上がっていた。


普段は気弱で、他人を弄ぶような発言をしない。彼を下に見ているわけではない。単純に、彼がなにを考えているのかわからないようだった。元々あった怒りと相俟って、彼女の憤怒は爆発寸前だった。


「コイツめ! コイツめ!」


持っているクッションで何度も何度も頭を叩いてくる。叩かれるたびにホコリが舞い、空気がどんどんと悪くなっていった。二人の間も、徐々に悪くなっているようだった。


そんな彼女の手を掴み、強引に降ろさせた。最初は抵抗したが、一分も経たないうちに力が抜けていた。素直に従ったのは、光輝の真面目な顔を見たからだ。瞳を直視されて、言うことをきくべきだと直感した。


「ボクはね、恵さんのことが好きだよ。愛してるんだ。愛って確かに難しいよね。どうすることが愛していることなのかとか、正直ボクにはまだわからないよ。でもボクはキミと一緒にいたいし、手を繋いでいたいし、触りたいし、いつでも抱きしめたいって思うよ。ボクはそれが「愛する」ってことだと思う。恵さんはどう?」


交わっていた視線が外れる。恵が顔を反らしたのだ。


「私だって好きだよ。いつでも触りたいし、キスもしたいし、食べちゃいたいと思うこともあるよ。でも、でも……」


目を閉じて「うー」とうなり始めてしまった。


考えたこともない。愛ということについてなど、彼女は今の今まで考えたことがなかった。相手と一緒にいたい気持ちがあれば成立する。その程度にしか考えてなかった。だから光輝の考えを聞いて頭を抱えそうになってしまった。


仕方がないと、光輝はポケットからある物を取り出した。そして、自分の目の前までもってきた。


「ボクがキミと出会ってから一年だ。去年の今日、キミがボクの鍵を拾ってくれた。ボクらの関係が始まった日だ。だから、これをキミに贈りたい。愛なんてのは相手に伝えなきゃ意味がない。ボクはその証拠にこれを贈りたいんだ」


ある物、その小箱をそっと開けた。


「お前、それ」
「そんなに高いものじゃないんだけどさ。そろそろ言わなきゃって思ってたんだ」


箱の中から、銀色に光るそれを取り出した。


右手の人差し指と親指で銀色を持つ。そして今度は彼女の左手を取った。


「一生一緒にいて欲しいよ。ボクと結婚して欲しいんだ」


真顔だったはずなのに、今はもう微笑みになっていた。


恵は目を見開いたあとで、一筋の涙を流した。


「私で、いいの?」
「なに言ってるの。恵さん以外考えられないじゃないか。キミがいたから今のボクがあるんだ。キミと出会わなかったら、ボクはきっと不幸に殺されてた。恵さんはボクのことを本気で怒って、本気で考えてくれた。ボクには恵さんが必要なんだ。だから結婚して欲しいんだ。受けて、くれないかな」
「そんなの――」


彼女は俯き「決まってるじゃない」と続けた。


「アナタの、お嫁さんにしてください」
「うん、ボクのお嫁さんになってよ」


銀色のリングを彼女の薬指にはめた。


細い指にスーッと入ったリングは、彼女の指にぴったりだった。ファッション用の指輪を買うときに、お互いの指のサイズは把握していた。


二つのリングが交差するように交わる婚約指輪。それは二人の関係性を象徴しているようだった。


「私、両親も、おじいちゃんもおばあちゃんもいないし、性格もこんなんだし、光輝にも迷惑かけちゃうし、それに、それにね」
「いいんだって。ボクにも両親はいないし、性格だってこんなんだよ。恵さんにもたくさん迷惑かけてきたし、これからもかけちゃうと思うんだ。でもそれってお互い様じゃないか。今なにかを言っても始まらないんだよ。いや違うな、今なにかを言っても、もう始まってるんだから。四の五の言う前に、もっと前に進もうよ」
「お前ってやつは……!」


恵が勢い良く抱きついてきた。ソファーに押し倒された形になり、必然として顔が近くなる。


「今にもソファーから落ちちゃいそうなんだけど」
「そんなのどうだっていい。どうだってよくなっちゃいそう」
「落ちたら痛いじゃん」
「お前とだったら落ちてもいい」
「もう、現金なんだから」
「現金でもなんでもいいよ。お前が愛してくれるなら、私はなんだっていい」


覆いかぶさり、キスをされた。口に頬に首筋に。一方的な愛情表現。けれどそれを甘んじて受け続けることもまた、一種の愛情表現だった。


寝そべりながら話を続けた。


いつ式をあげようか、人は何人呼ぼうか。いつ届けを出そうか、子供は何人作ろうか。


苦労は当然ある。しかし、たくさんの苦難が押し寄せてくる状況には慣れている。だから大丈夫だ。そう、自分に言い聞かせていた。


どんなことがあってもきっとなんとかなるはずだと。この人とならば大丈夫だと。そして、彼女もそう思っていてくれたら嬉しいと、光輝はそう思っていた。


とても気難しくて、とても感情豊かで、なによりも可愛いかった。


彼女の腰に手を回した。こんな幸せな日が続けばいい。人である以上は幸せ以上の不幸が襲ってくるだろう。それでも、彼女といられるだけで幸せなのだ。そんな不幸など関係ない。


彼女を幸せにするなんて言えない。彼女に幸せにしてもらおうとも思っていない。二人で一つになるのだ。二人で幸せにならなければ意味がないのだ。


恵と付き合うようになったあの日から、いや、恵と出会ったあの日から、光輝はずっとそう考え続けてきた。誰かになにをしてあげようとか、誰かになにをしてもらおうというのは傲慢すぎる。対等な立場で、同等の目線であるのなら、幸せというのもお互いがあって成立するものだと。


考えが変わらなければ、この関係は続いていく。年を取り、どちらかが欠けてしまったとしても思い出が残っている限り、二人はいつでも幸福であり続ける。そうでなくては嘘になる。なんのための二人だったのか、なんのために同じ時を生きるのか。


幸せとはそういうものであるべきだと、光輝は恵の頭を撫でた。サラサラとした髪の毛の感触を、いつまでも忘れたくないと思いながら。


彼女が胸の中で鼻歌を歌う。本人もどこで覚えたのかわからない、光輝も聞いたことがないメロディ。けれど彼女は言う。


「大切な人が教えてくれたような気がするんだ」と。








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