天使が我が家に舞い降りた?!

絢野悠

第12話 〈鈴木 恵〉

光輝を送り出してすぐ、ソファーに横たわって頭を抑えた。


「調子、悪いなぁ」


少々熱っぽい。規則正しい生活をしているし、今まで病気になったこともない。天使だからと言えばそれまでだが、逆をいえば天使なのにも関わらず具合が良くない。


今の状態が人間に近いからだろうと、薬箱から風邪薬を拝借した。少しではあるが光輝のことはわかってきた。ちゃんと「具合が悪かったから風邪薬をもらった」と言えば、勝手に使っても許してくれるだろう。


彼に対して「弱い、暗い、自信がない」というのがファーストインプレッションだった。それが数日の間に変化した。いや、精神的には弱く、根は暗く、今でも自分に自信が持てないのは変わらない。けれど、優しいところや、一本筋が通っているところ、マナーを重んじるところなど、いい印象も見えてきた。


間違ったことをしたとき、いきなり怒り出すようなタイプではないということはわかっていた。怒る前に「この人はどうしてこういうことをしたのだろう」と考えるタイプだ。先日の仏壇の件は、恵に対して怒ったというよりは光輝自身に対して怒ったようにも見えた。


他人には寛容で優しいのに、自分には厳しくしてしまう。もう少しストレスを外に出すことも覚えた方がいいのではと、恵は最近思うようになっていた。


風邪薬を飲んでから部屋に戻った。今は光輝の母の部屋を使わせてもらっていた。両親が死んで数年経つというのに、空いている部屋にはホコリはほとんど積もっていなかった。


この家に来た頃、家の中は一通り掃除して回った。一日中家にいてもやることがないからだ。部屋の中でゴロゴロしているのも嫌いではないが、一カ所にとどまっていられない。家にはいるけれど、ずっとテレビを見ていられるような性格ではなかった。


ソファーに寝転び目を閉じた。テレビから流れてくるニュースを聞きながら呼吸を整えた。


今日の昼食はなにを食べよう、今日の夕食はなにを作ろう。風呂掃除も洗濯もまだしていない。そんなことを考えているうちに時間は過ぎ、気がつくと時計の短針が十二を過ぎていた。


昼食を作る気力はなかった。それ以上に食欲がなかった。


「昨日のご飯の残り、あったっけ」


ソファーから降りて立ち上がった。食欲がなくとも、なにかを胃に入れておかなければという使命感が働いたからだ。これでも人を救うことを仕事にしてきた。人の生活は間近で見てきたし、人の生態というのもわかっている。だからこその使命感だった。


鍋に水を張り、冷蔵庫に保管しておいた白米を入れた。最初は中火で煮立たせて、頃合いを見て弱火にした。その間にも頭痛に頭を締め付けられていた。


胃からこみ上げて来るものがあり、思わずしゃがみこんでしまった。


「休んでなさいな」


肩を叩かれた。


「このみ? なんでここに?」
「私、ちょうど仕事が一段落したところなの。で、様子を見に来たらこんな感じになってた。大丈夫?」
「大丈夫に見えるんなら大丈夫じゃない?」


そう言った後で、急な吐き気がやってきた。口を抑えて顔を伏せた。


「メグちゃん、もしかして出来ちゃった……?」
「そういうのいいから。なにしに来たんだよ」
「キレがないわね。じゃ、とりあえずネンネしましょうか」


浮遊感に身体が揺れる。このみに持ち上げられたのだとすぐにわかった。


筋肉質というわけでもなければ、別段力が強いというわけでもない。そんなこのみが恵の身体を軽々と抱きかかえた。これもまた天使の恩恵であり、当然恵にも備わっている。


病気に対しての抗体力が人よりも高い。物質の重さを羽のように軽くできる。ケガをしてもすぐに治る。一度見たものを記憶できる。


しかしそういった天使の恩恵は、今の恵には使用できない。今の彼女は天使ではないからだ。


優しくベッドに寝かせられた。その後、このみはすぐに部屋を出ていってしまった。


頭から布団を被った。どうしてこんなことをしているんだろう。天使に戻れば、病気などすぐに治るはずなのに。どうして、自分は天使に戻ろうとしなかったのだろう。


「はいはい、布団に潜ってないで出てきてね」


布団から顔を出すと、このみがベッドの横に立っていた。お盆の上に茶碗とコップを乗せている。


「とりあえずご飯を食べてね」


このみがベッドサイドテーブルにお盆を置いた。


上体を起こし、促されるままにお粥を食べ始めた。梅干しが乗っているため、それと一緒に口に入れる。


「少しは食欲出るでしょ? はい、お水」
「ありがと。でもなんでここに?」
「心配だったから」
「心配するようなことなんてなにもないと思うけど……」
「今こうして熱出してるじゃない。どうせこうなるだろうとは思ってたけどね」
「なにわかったようなことを」
「わかってたわよ? 光輝くんの不幸体質は、天使が一人で抱え込めるようなものじゃないからね」
「そんなバカな。それじゃあ私がここに派遣されてくること自体おかしいでしょ」
「この仕事を回した人は光輝くんの不幸体質を甘く見てたんだと思うわ。だから今こうなってる」
「つまり私じゃ力不足ってことか」
「そういうこと。たぶんそのうち中途終了通告が来ると思うから、そうしたら帰ってくればいい」


中途終了通告。その天使では仕事をこなせないとわかったとき、不慮の事故が起こって仕事の継続が困難なとき、ターゲットが死んだとき。そういったハプニングの際に渡される正式な書状だった。


スプーンを置き、ため息を吐いた。これで終わりなのかと考えると、どうしても釈然としなかった。


「なんでそんなに残念そうなの? 天界では「こんな仕事面倒だ」って言ってたじゃない」
「残念というか不服というか」
「そりゃ、まあ、わからなくもないわ。業務仕分けの不慮で自分の仕事が流れちゃったんだもんね。今までの時間、無駄になっちゃったわけだし」
「そういうことじゃないんだけどな……」
「ふーん、なるほど、ね」
「なにがなるほど?」
「メグちゃん、もしかして光輝くんに情が湧いちゃったんじゃない? いろいろあったもんね」
「そうなのかな、正直私にはよくわからないよ」


人間と同棲するという経験は今までなかった。中級天使になったばかりの恵にとって、共生任務は初めてだった。


不幸体質、幸運体質、呪詛付き、先祖返りなど、変わった特性を持つ人間がいる場合、天使は人間と共生して治す場合がある。仕事が終わるのと同時に、対象となった人間から記憶を消せばいいだけなので問題はない。


この仕事を言い渡されたときはなにも思わなかった。それが、仕事を進めていくうちに疑問に変わっていた。


『本当に記憶を消すだけで全てが丸く収まるのだろうか』


ターゲットは自分の存在を忘れ、体質も元通りになる。周囲の人間と同じような、普通の生活に戻っていく。けれど天使の方はどうだ。記憶を保持したまま、でもそれを思い出として分け合える者はいない。楽しくてもつらくても、その思い出に浸れるのは自分ただ一人。光輝と暮らし始めてから、その疑問はどんどんと膨れていった。


気がついたのは、昨日一緒に食事をとったとき。美味しそうに食事をする光輝を見て、ふと不安に駆られた。彼のことではない、自分のことだ。その考えはいけないと蓋をした。私は仕事中なのだ、ターゲットのことを第一に考えなければいけないのだ。


茶碗を置いて横になる。結局、中身は半分残ったままだった。


キツく絞ったタオルが額に乗せられた。このみを見ると、彼女はニコリと微笑んだ。


「実はね、わかるのよその気持ち」


このみが窓の方を見た。


「私は何度か人間と同棲してるから、メグちゃんがどういう気持ちなのか、なんとなくわかるのよ」
「なんとなくって、それは分かった内に入れていいのかどうか」
「でも自分でも自分の感情がわからないんでしょう? それなら具体性なんてあってないようなものじゃない?」
「そう言われるとなにも言えない」
「天界では一人一室。でも人間とは違って食事も必要ないし排泄もいらない。娯楽もないし、天使たちの会話といえば仕事の話ばかり。だからかな、人間と暮らすと楽しくて仕方がないのよね」
「確かに楽しいよ。ご飯も美味しい。そもそも美味しいって感覚も初めてだった。知識でしかなかった人間の行動を自分が取るって不思議な感じがした。面倒だなと思うこともある。でも、楽しい」
「わかるわ。居心地が良くなっちゃうよね。でも、ダメなんだ。私たちはいずれこの感覚から離れなきゃいけない。そしてまた娯楽のない生活に戻っていく」
「このみはさ、納得できた?」
「天使に戻るとき? うーん、最初は辛かったな。ターゲットとはたくさん話もしたし、遊びにも行ったし、もちろんケンカもいっぱいしたから。泣いて笑って怒って。でもそのうちに慣れるから大丈夫よ」
「元の生活に慣れる、か。それっていいことなのかな」
「いいことなんでしょうね、天使としては。だってそれが平常なんだもの。人間と同じ生活をすること自体が異端なんだから。逆に言うと情を寄せたりする方が問題だわ」
「それも、そうなんだけどさ」
「だから深く考えない方がいいわよ。今はゆっくり休みなさい」
「休めば治るかな」
「うーん、どうだろ。私にはちょっとわからないかな」
「そう……」


目蓋を閉じた。そこには暗闇しかないというのに、なぜだがグルグルと回っているような気がした。目の前が回っているのか、自分が回っているのか。それさえもわからなくなってきた。


額からタオルが取られた。そしてすぐに冷たいタオルが乗せられた。


「いい子いい子」


息が荒くなってきた。吐く息の熱さに、この温度が普通なのではないかとさえ錯覚する。


身体がどんどんと重くなってきた。ベッドに埋まってしまう感覚があって、意識が徐々に遠のいていった。

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