元魔王様(55)が大人しくしてくれない

絢野悠

第27話

ぐるりと世界が反転した。地面に倒れ込む。指先を動かすことでさえも苦労する。いや、もうそれさえもできないほどに血を流しすぎてしまった。


「エリック……エリック……」


駆け寄り、背中に両手を当てるリオノーラ。口を半開きにし、目には涙を溜めていた。


「リオ……逃げ、なさい……」
「いやだ! いやだよ! 死んじゃやだ! わたしを、おいてかないでよ!」
「すまん……」
「エリック!」
「こりゃ最高じゃないか! 拾った孤児がオッサンを慕って泣いてやがる! なにか、映像で残しておきたくなるくらいには滑稽だよ」


大声で笑うランドールを、リオノーラが下から睨みつけた。


「あなたが、やったの」
「ああそうだ! そしてお前はこれから俺が拾ってやるよ! 顔は良いから高値がつくな!」
「ゆるさない……」
「ああ? 許さなかったらどうするっつーんだ? そんな小さい体でなにができんだよ。お前は俺の商品だ。さあ行くぞガキ」
「ゆるさない!」


一瞬だけ、時が止まった。


強烈なほどの魔力の波動。同時に、リオノーラの頭にある角が伸びていく。皮膚を突き破り、メリメリと音がする。痛いのだろうか、彼女は低いうめき声を上げていた。


「なんだよ、なんなんだよこれ。このガキ、ただの混血じゃねーのかよ」


ハッとしたように、ランドールが神経毒用の銃に持ち替えて数発撃った。だが、その針がリオノーラに到達することはなかった。まるで空気の膜があるように、彼女から数センチのところで停滞し、落ちるのだ。


「鬼と人間の混血じゃない。両親のどちらかが鬼と人間のハーフ、それと、またどちらかが竜人! こいつ、魔族のエリートじゃねーかよ!」


風を操り空を律する。竜人の基本的な技能であり、竜人しか持ち得ない力。魔力で風を操ることは可能だが、結局大味なことしかできないのだ。ただ魔力で風を扱うのではなく、より繊細に細かく扱えるのは竜人族だけ。


「あああああああああああああ!」


リオノーラが突進していく。ランドールもまた混血らしく、魔力を使ってそれを防ごうとした。しかし、格が違い過ぎたのだ。


打ち出される拳は強烈で素早い。上手くさばいたつもりでも、気がつけば次の拳が飛んでくる。ランドールもケンカには自信があるのだろう。しかしリオノーラの前では全く通用しなかった。上手くいないしてはいても、ただただ傷が増えるばかりだった。


そんな光景を見て、エリックは立ち上がらずにはいられなかった。前よりも魔力が高いはずだ。治療などはあまり得意ではないが、それでもなんとか出血を最小限に抑えた。ただ、まだ神経毒の方が残っている。


「このままに、しておけるか……!」


きっと、あの少女は男を殺してしまうだろう。それだけはなんとかして止めなければいけない。使命感であり、責任感であった。


腕を振るうと真空波が生まれた。それがランドールの左腕を吹き飛ばし、壁に当たって、数秒後に落ちた。


「なんなんだよこのガキはよお!」


リオノーラが膝をついたランドールへと突進していく。理性もなく、意識もない。


感覚がほとんどない腕と脚を無理矢理動かし、前へ前へとエリックは進む。ゆっくりではダメだ。一瞬でもいいから、彼女よりも早く動かなければいけないのだから。


太ももに違和感を感じた。視線を落とすと、ラマンドが噛み付いていた。


「そうか……ありがとうよ」


ほとんど意識がないラマンドを引き剥がし、そっと地面に置いた。


ラマンドは毒に強い種族である。しかし毒を受けないわけではない。毒を取り込み、自分の身体の中で抗体を生成できるのだ。そして今、その抗体をエリックに打ち込んだのだ。自分の身体に使うべき抗体を身体が大きいエリックに渡した。


神経毒が少しだけ緩和した。これでいけると、一気に脚を踏み込んだ。


「やめろ! やめるんだ!」


エリックがリオノーラを背中から抱きしめた。


「大丈夫だ、落ち着け、そうだ、落ち着くんだ」


太い腕が、小さな手によって傷つけられていく。徐々に真っ赤になり、エリックの腕は血まみれになっていった。真空波が撒き散らされ、肩や太ももも赤く染まっていく。かろうじて、エリックの背中側にいる兵士や従者たちまでは届かなかった。いや、エリックが身を挺して彼らを守っていたのだ。


少しずつ、リオノーラの動きがゆっくりになっていく。呼吸をするたびに上下する身体が鈍くなった。


「え、りっく……?」
「そうだ、エリックだ。大丈夫だ、お前はまだ誰も殺してない。だから心配するな。まだガキだからな、たくさん間違えることもある。でもその度に俺がこうして止めてやるから。何度間違えてもいい。お前が大きくなるまで、俺がお前を止めてやるから。ゆっくりと、大きくなるといい」


そう言いながら頭を撫でる。エリックの腕の中でもぞもぞと動き、リオノーラがこちらを向いた。


「わたし、わたしは……!」
「いいんだ。痛くない、こんなもの、全然痛くねーよ。俺はオッサンだからな、ガキのおいたなんぞ、これっぽっちも痛くねえ」


強く抱きしめると、彼女もまた応えるようにエリックの身体を抱きしめた。わんわんと泣き、その胸に顔を埋めた。


「そうだ、もっと泣け。泣いた分だけ強くなれ、泣いた分だけ理解しろ。お前はまだ、小さな子どもなんだから」


よしよしと頭を撫で続けていると、リオノーラはいつしか眠りについてしまった。強烈な魔力の放出も相俟って、身体の疲労が限界を迎えたのだ。


リオノーラの身体を地面に横たえ、エリックは立ち上がった。一歩、また一歩と、尻もちをついているランドールの元に歩み寄る。傷だらけで血まみれ、血液が目に入ったのか片目を閉じていた。ヒューヒューと異音混じりの呼吸もあって、すぐに動けないであろうと誰が見ても思える状況だった。


「なんでまだ動けんだよ……」
「俺の部下のお陰だ」
「部下? はっ、魔王城を守りきれなかったクソみたいな部下、まだ飼ってんのかよ。部下が無能ならその上に立つ――」
「黙れよ」


ピシッと、倉庫に亀裂が入った。


「確かに問題がある連中だよ。でもな、俺が選んだんだよ。コイツらなら任せられるって、俺が、俺自身が認めたんだよ。もしもコイツらの悪口を言うんなら、他人には言わせたくねーんだよ」
「どこまで甘ちゃんなんだよ。そんなんだから俺みたいなクズに寝首かかれんだろ。お前は俺を殺さないし、きっと牢屋にぶち込むだけなんだろうよ。バカだよな、お前。嫁さんも殺されて、城も壊されて、その主犯がここにいんのに、お前は殺すことができないんだ。だから俺はお前が大っ嫌いなんだよ。お前みたいなのは魔王に相応しくない。魔王ってのは恐怖の象徴であるべきなんだ。殺して、奪って、蔑んで、自分を満たすんだ。そうやってできたのが魔界だろうがよ」
「そりゃお前の考えだ。いや、一定数はいるんだろうな。だから完全否定はしねーよ。殺されて、奪われて、蔑まれて、そういう逆の立場にお前がなっても、お前はきっと笑ってられるんだろうさ。でも大体の人間は違うんだよ。誰だって平穏な日常を送りたいって願ってるんだよ。不幸せより幸せの方がいいに決まってるんだよ。そりゃ、俺にだってわかんねーよ。他人がなに考えてるかなんてわかんねー。正しいかなんて知らねーよ。でも、俺は俺なりに必死にやってきたんだよ。それを、自分の身勝手で壊すんじゃねーよ」
「くー……やっぱお前はバカだ。出来損ないの、クソ魔王。お前みたいなクソ魔王の嫁に来た、あの美人の人間も浮かばれねーってもんだ」


ニヤリと、口端を釣り上げて笑う。だが、エリックも負けじと笑って見せた。


「かもしれねーな。ああ、幸せにしてやれなかったよ。でもよ、少なくとも、アイツが生きてる間、俺は幸せだったぜ。アイツだってそうだった、と思いたい。今はアイツがいない分幸せは減っちまったかもしれないが、今でも幸せに、なんとか生きてる。それはアイツと一緒にいたから、今の幸せがあるんだ。過去は戻せない。俺は今、どうやって生きるか、どうやって生かすか、それを一番に考えなきゃいけないんだ」
「どこまでいってもハッピーな野郎だ。ははっ、そのうち頭の上に花が咲くんじゃねーか?」


狂ったようにランドールが笑っていた。


「そうしたら見せにいってやるよ。お前が言った通り、花が咲きましたってな」


拳を引き、腰の回転を利用して振り抜いた。横っ面を力いっぱい殴ったのだ。


一発で気を失ったランドール。それを見て、力が抜けた。


「やっと終わった。なにもかも」


ランドールの名前は知っていた。何年にも渡って調査し、調べ上げた。それでも名前や写真を入手するだけでも時間がかかった。


ランドールが悪事を重ねる度、裏の業界での知名度が上がっていく。逆を言えば、彼が派手に動かなければ、エリックは一生見つけられなかった可能性さえあった。


アイーダの死。反帝王派の暗躍。ランドールの策謀。魔王城襲撃。これらを結びつけた時、ようやく見えてくる物があった。魔王が関わる大きな事件が起きればランドールは必ず動く。それも反帝王派と共に。


「ごめんなアイーダ、たぶん、一生、お前の仇はとってやれん。でもガキどもは元気でやってる」


身体の力が抜けていく。まるで自分の身体が羽になってしまったのではないかとさえ錯覚した。


地面に落ちる音も遠くに聞こえていた。


声が聴こえる。誰の声だ。一人、二人、三人、四人いや、もっといる。しかし、誰なのかまでは判別できない。


意思に反して目蓋も落ちてきた。若くもないのに無茶をした自覚はある。だから、そこで諦めた。もしもここで死んでしまっても、やれることは全てやったのだと。もういいのではないかと、そう考えた。


だが、まだ心残りが一つ。二つ。三つ。考えだしたらキリがない。孫の顔も見ていない。帝王とちゃんと話をしていない。リオノーラの成長を見届けていない。子どもたちに別れを告げていない。たくさんの「これから」を考えながら、抗えない微睡みへと落ちていった。


エリックは暗闇の中で、誰にも聞こえない声で一人叫んでいた。駄目だ、と。まだ死ねないのだ、と。そう、叫んでいた。

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