廃クラさんが通る

おまえ

009 朋友の父

「う゛お゛お゛おぉ……」
 泣きながら俺の隣で寿司を頬ばる柏木。 さっきまで気絶させられていたが、特に何事もなかったかのように今、俺たちと寿司を食べている。
「なんで泣いてるんだよ。わさびがみたとか?」「おで、初めで寿司ずじっだよ゛…。ごん゛だに゛う゛ま゛い゛も゛ん゛だっだん゛だな゛って…」「まじかよ…、柏木、寿司食うの初めてなのかよ…」
 ここのところ散々柏木の貧乏話は聞かされていたが、まさか寿司さえ食ったことがなかったとは…。 しかも回転寿司の一皿100円の寿司で泣くほど感動できるとは安上がりにもほどがある。
「釣った鮒や鯉で似たようなもの作ったことあるけど、とても食えたもんじゃなかったよ」「いや、それはそうだろ」
 俺たちはジルのおとーさんに連れられ回転寿司店に来ていた。 当初は廻らない高級寿司店に行こうとしていたのだが、急な予約が取れないということで回転寿司になった。 まあ結果的にそれで良かったのだろう。 長田さんや美麗さんは高級寿司店に行くと聞いて緊張しきっていたし、柏木は100円の寿司でさえ狂喜乱舞おおよろこびだ。 そしてジルとそのおとーさん。 流れてくる寿司を片っ端から掻っさらい、皿のタワーを次々と積み上げていく。 廻らない寿司屋だとこうは食えなかっただろう。 ジルはいつも大きな弁当箱を二つ持ってきていて、それを平らげていることから大飯喰らいだって事は知っていたけど、おとーさんも負けてはいない。 まあこの巨体だからね……。
「なんやスカイ君、あまりうてへんみたいやけど、ほれ、もっと食べんさい」
 と、玉子の載った皿をレーンから取ると俺に差し出す。
「いえ、十分食べてますから…」
 二人がレーンに流れてくる皿を片っ端から奪い取るもんだから俺たちは個別に注文したものくらいしか食べていないため、おとーさんにはあまり食べていないように見えているのかもしれないけど。 ちなみにこの二人がいくら食べたとしても、個別に注文すれば別レーンで席のところまで自動的に届くシステムがあるので、マナー的にどうかは別として一応は問題はない。
「えーと、お父さんは仕事で日本に来たんですよね? いったい何の仕事をしているんですか?」
 ジルのおとーさんの名前も知らないし、なんて呼べばいいのかわからないからつい『お父さん』と呼んでしまった。
「はっはっは、わしの仕事? そーやな、わかりやすく言うゆーと、ちーと元気のない会社をつついて元気にさす仕事ってとこかいな?」「……?」
 元気のない会社をつついて元気にさせる仕事? 俺にはまったくイメージがわいてこない。
「ファンドマネージャーって言うんやったっけ? うちもよく知らないんやけどね」「なるほど、あなたは投資家なのですね」「すげーじゃん、ジルのお父さん。エリートなんだ」
 ファンドマネージャーと聞いても俺にはまったくピンと来なかったが、美麗さんと長田さんの二人には理解できたようだ。 ともかくジルのお父さんは『投資家』で『エリート』だということなのだろう。 この二つのワードから想像するにきっとお金も結構稼いでいるんだろうな。 と、俺にはそんな下衆な想像くらいしかできない。 まあ、俺たちをいきなり高級寿司店に連れて行こうとしていたくらいだからそのくらいの稼ぎはあるのだろう。
「あー、おとーさん、それ、うちが取ろうとしてたのに!」「残念やったな、ジルちゃん。早いもん勝ちやで」
 寿司の載った皿を取り合う二人。 先ほどの空前絶後むちゃくちゃ戦いバトルに比べればずいぶんと小規模なかわいらしい戦いバトルが繰り広げられる。 こうして見ればどこにでもいるような普通の親子なんだな。 テーブルを挟んで俺の向かい側に座る長田さんは箸を止め、遠い目でそれを見つめている。
「長田さんどうしたの?」
 どこか心ここにあらずな様子だった長田さんに俺は尋ねると
「仲のいい親子だなぁ、って」
 そう寂しげに答える。
「うん、そうだね、ちょっと羨ましいよね」「……」
 俺の答えも虚ろに聞き流す長田さん。
「……あっ!」
 と、突然何かに気づく。
「ごめん、奥原! そういうつもりじゃなかったから」
 あたふたと何かを否定する長田さん。 ん? 何のことだ? 長田さんは何を否定した? ――ああ、そうか。 そういえばこの前長田さんには、俺がお姉ちゃんと二人暮らしだってこと話したんだったっけ。
「いいよ。俺、慣れてるから。長田さんが何に対して謝ったのか一瞬わからなかったくらいだから」
 俺が許したにもかかわらず手を合わせて頭を下げなおも謝る長田さん。
「……」
 長田さんの隣に座る美麗さんはそれを横目で見つつ、無言のまま箸で寿司をつまみ口に運ぶ。
「はー、ーた、ーた。ごっそさん。そろそろおいとましよか? みんな腹一杯ーたか?」
 いくつもの皿の山を連ね、満足げなおとーさん。
「うん、もうお腹いっぱいだよ」
 丈の短い制服から覗かせた腹を叩くジル。 いつも見ている縦に筋の入った綺麗な腹筋だが、心なしか少しだけ膨れているようにも見えなくはない。
「もう食えない…、俺こんなに食ったの生まれて初めて……」
 いかにも苦しげだが幸せで満足そうな表情を見せる柏木。 二人には遙か及ばないもののそこそこな高さな皿を積み上げている。
「ごちそうさまでした。今日はありがとうございました」
 長田さんが代表して礼を言う。
「えーんよ、えーんよ。ジルちゃんのお友達なんやさかい礼はいらんで」
 会計をするジルのおとーさん。 レジに表示されている数字は五桁の万の単位。 このほとんどは二人が食べた分なんだよな…。 おとーさんは財布からカードを取り出し、それで支払いをする。
「あ、そうだ」
 おれはあることを思い出す。 お姉ちゃんの分を買わないと。 急遽食事に誘われたから夕飯は適当に済ませてくれとは連絡はしたんだけど、それに対する返信がただ一言「わかった」だけというのがものすごく怖い。
「どないした? スカイ君」「お姉ちゃんにお土産で買っていってあげようかなと思って。もしかしたら何も食べないで待っているかもしれないから」「そーか、スカイ君は家族思いなんやな。よし、わかった。ねーちゃん、お持ち帰りを頼むで。いっちゃんええやつを五つな」
 と、会計の店員に声を掛けるおとーさん。
「え? ちょっとおとーさん? 一番いいいっちゃんええやつって? それも五つって何?」「ワシがうちゃるわ。スカイ君の家族ならワシの家族も同然や。それにスカイ君の分を買うなら他のみんなの分も買うてやらんとかわいそうやろ?」「え? まさかそれ全部おとーさんが? いや、いいですって!」「そうです! 悪いです…え~と、ジルのお父さん」
 長田さんもジルのおとーさんの呼び名に困っていたみたいだけど、そういえば名前を聞きそびれてしまっていた。
「私も結構です。自転車なので持ち帰れません」
 そうだ、美麗さんは自転車なんだ。 たとえ持ち帰れたにしても、帰った頃には寿司は崩れてしまってるだろう。
「えーがな、えーがな。君らがそんなこと気にすることあらへんがな。大丈夫やて、君らの分のハイヤーも頼むから。そーやな、自転車やったか。大きめな車を頼めば載せれるかもな」
 と言うなり携帯電話を取りだし、迎車を頼むおとーさん。
「え?」
 ハイヤー? ハイヤーって何だっけ? タクシーみたいなものだっけ?
 五人分の一番いいいっちゃんええお持ち帰りの寿司ができあがる頃に、丁度五台のハイヤーも到着した。 黒塗りの高級車。 二台はワゴンタイプで、それに自転車が積めるようだ。 お持ち帰りの寿司のはいった袋をぶら下げる俺たち。 一番いいいっちゃんええだけあって結構な大きさがある。
「寿司がこんなにいっぱいある…。嬉しいけどこれ見ておとーちゃんなんて言うだろ…? 怒られないかな?」
 自転車を積み込み、ハイヤーに乗り込む柏木。 そういえば柏木の家んちのおとーちゃんは厳しい人なんだっけか。
「ああ、ならワシの名前出せばエエよ。「スティーブ」からの土産だって言えば北斗はんも黙るやろ」「え?」
 驚く一同。『北斗』って柏木のおとーちゃんの名前? そして、なんでこの人はその名前を知っている?
「なんで? どうして俺のおとーちゃんの名前知ってるの?」
 その柏木の問いに「わっはっは」と豪快に笑うスティーブさん。
「そーか、やっぱそーやったんかいな。いや、最初柏木君見た時、北斗はん思たから一発ぶちかましたろって「どーん」っていったんよ。そしたら柏木君ぶっとんでノビてもうてな。よく見たら北斗はん違う。どないしょ? 思たわ」
 腰を落とし正拳突きをしてみせるお父さん。 …さっきと言っていることが違う。 さっきは確か「ぽーん」と手を振り下ろす程度だったはずだったのだが、本当は思い切り「どーん」だったんだな…。 そんな攻撃を不意に食らってよく柏木も死ななかったものだ。 …いや、それより柏木のおとーちゃんはスティーブさんが「どーん」といっても大丈夫な人なのか?
「……」
 無言で青ざめる柏木。
「ほなら運転手さん車出して! 北斗はんにはまた今度挨拶しに行くからな。柏木君またな!」
 と、手を振るスティーブさん。 ジルのおとーさんなんだから豪快な人なんだろうとは思ってはいたが、想像通り、いや、想像を遙かに超えた豪快な人だった。 しかも『ファンドマネージャー』の『投資家』で『エリート』ってことは世界を股にかけるビジネスマンなんだよね? 世の中にはすごい人がいたものだ。

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