風神さん。
ギルド『天使の誘惑』~3
それから、カンナヅキは毎日緑の丘に通い、また青年も毎日魔法を指導した。
少しずつ健気に魔法を習得しては青年を師事するその姿に感動した青年はさらにたくさんの魔法を教えた。
ある日は風を、ある日は雷を、ある日は雨を、ある日は木を。
全て優しく教えてくれる青年に、カンナヅキは少女なりの淡い恋心を抱くようになっていった。
夏になり、暑さのあまり魔法の勉強に集中出来ないならば冷たい川まで遊びに行き。
秋になり、自然を教科書にするため表情の変えた木々を眺めに森のあちこちを歩き。
冬になり、生き物の息が静まった雪中で操る魔法を練習しているうちに遊びに変わり。
春になり、眠っていた動物の目覚めを感じながら植物の芽吹こうとする力を使い魔法に変える。
四季と共に生きることでカンナヅキの魔法はさらに成長を遂げてゆく。
そうして五年の月日が過ぎた。
カンナヅキは今日も緑の丘に向かうべく、居候になっている家から朝早くこっそり出ていく。村を出ようとした、その時。
「カンナヅキ」
しわがれた声に呼び止められる。この村の、村長の声。
今まで名を呼ばれた事など一度も無かったのに。カンナヅキに緊張が走る。
「お前………魔法を使えるな?」
酷く重い声。カンナヅキはゆっくりと振り返るとそこには緑の髪と髭を伸ばした老年の男が立っている。髪と髭にあしらわれた金属の飾りが時折ぶつかり合い音を奏でる。
「だから、なに」
カンナヅキは動揺を見せずに、静かにそう答えた。
「魔法は我らツキビトにとって忌むべきもの。掟を破るとは所詮、蛙の子は蛙というわけか」
憤怒。
カンナヅキの心には、その一色だけで染められた。
半分はツキビトではない血が混じっているからとツキビトの仲間から外したのは誰だったか。そんな奴らの掟を守ってやる義理などない。
見たこともない母を手にかけ、さらには侮辱するなんて、許さない。
カンナヅキは彼女の心の中で叫ぶ言い分を正義にするため魔法陣を展開させた。
今やもう全ては彼女の味方。
木々がざわつく。空気は凍る。地は痺れる。
「まて、カンナ!」
一陣の優しい風とともに、ふわりと二人の間に割って入ったのは青年。彼の姿に緊張が溶けたカンナヅキの魔法陣はぱっと消えてなくなり、村長は驚いた顔で彼を見て呟いた。
「風神様…!」
風神様、と呼ばれた青年をカンナヅキは不思議そうに見つめる。そう呼んだ村長は苦虫を噛み潰したような表情ですぐに「いや」と否定の言葉を入れる。
「もう様などとつけて敬うべき対象ではありませんでしたな」
青年の、カンナヅキを護るように肩を抱いていた手の力が強くなる。
「長年我らツキビトはあなた達に騙されてきた。それだけでなく、次は何ですか?この子に魔法を吹き込んで何をしようと?」
会話にまったくついていけないカンナヅキはただ青年の黒いローブを握ることしか出来なかった。
「この子には雷神として私と共にもういちどやり直すために…全てを教えてきた」
村長は青年のその言葉を聞くと、はっ、と鼻を鳴らして笑う。
「でっち上げた神に、作られた神に、我々が跪くとでも?そんなもののために我らの掟を破った存在を許せと?」
青年と村長の話し合いに暗雲がかかる。このままでは。
「この子に掟を破らせる必要は無かった、それだけで秩序が守られなくなる。ならば風神、お前だけが尽力すればよかった、ああでもお前たちはただの人間だったんだ、そんな力もない」
壊れたように言葉を並べる老人と化した村長。言葉に潜む矛盾に飲み込まれて逃げられなくなる。
青年はその老人の姿を見て悲しそうに、そして哀れむように「そうか」とひとりごちた。
「彼はもう既に前の風神によって壊されていたのか」
これ以上は話していても埒が明かない、と青年はカンナヅキの目線に合わせてしゃがみこむ。出会ったばかりの頃より浅くなったしゃがみこむ角度。そして青年は「よく聞いて」と切り出した。
「もうカンナはここで今までのように暮らすのは難しいだろう。それは悲しいことだろうから、僕のせいだと思っていい。」
カンナヅキは首を横に振る。こんなところもう暮らせなくなったっていい、おにいさんのせいなんて言わないでと。
「掟を破った君はどこまでもその命を狙われる。それは僕が絶対にさせないから、大丈夫。だから…」
その先の言葉を聞くことに、カンナヅキは恐怖した。
「先にお行き」
青年はカンナヅキの肩から手をそっと離す。
「僕は後で君のところまで行く。必ずだ。」
いやだ、カンナヅキのその想いが言葉になる前に青年は微笑みを浮かべると、軽くカンナヅキの身体を押した。
一瞬にして魔法陣を展開、詠唱を終えた青年がつくりだした風の壁がふたりを引き裂いた。
「風神さん!!!」
初めてカンナヅキは青年を名前で呼んだ。きっと本当の名前ではないだろうけど、青年をさすその単語で呼んだ。
けれど。
風神さんの声も、輪郭も厚い風の壁がかき消してしまった。
必ず。その言葉を信じて、カンナヅキは走った。
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