高校で幼馴染と俺を振った高嶺の花に再会した!

御宮ゆう(ミーさん)

43.藍田との登校

 澄み切った晴天を携えて、炎夏の季節がやってきた。
 あれだけ幅を利かせていた入道雲は何処へ行ったのか、突き抜けるような空には雲一つ見当たらない。
 灼けるような日差しは陽炎を生み出し、俺の視界をゆらゆらと歪めていた。

「あっちい」

 喉から声を出すと益々汗が吹き出る。たかが登校の間に水分補給を取りたいと思案してしまうほど、半月前と比べて気温は著しく上がっていた。

「ほんとに最近暑くなったね。私達が小学生の頃ってこんなに酷くなかったよね?」

 藍田が掌を軽く扇ぎながら、うんざりとした調子で言った。
 最近二人きりになると、藍田の猫は完全に剥がれている。
 この暑さのせいで気を回すのにも余計体力がいるのだろうと、俺は一人で結論づけていた。

「もうすぐ期末テストだけど、こんな暑さでテストって憂鬱になっちゃう」
「うちの高校クーラー無いもんな。熱中症だなんだって騒ぐならまずクーラー付けろクーラー、万事解決」
「そっちに回せるほどのお金がないのかも。でも、生徒側としては無理してでもクーラー付けてほしいっていうのが本音だよね」

 藍田は気怠そうに鞄に手を伸ばすと、ペットボトルを取り出した。

「いる?」
「いや、いい」
「そう」

 中にはスポーツドリンクが入っているようで、やはり受け取っておけば良かったと少し後悔する。

「体育館にもクーラーが付いてれば、みんな気持ち良く練習できるのにね」
「あー、まあな」

 叶うはずもない願望に同意する。そんな要望は、学校側も耳にタコができるほど聞いているはすだ。
 それでもクーラーを設備するという噂さえ流れないのは、そういうことだろう。

「クーラーが設備されたら、みんなもっとやる気出るかもね」

 藍田はにこやかに言った。
 先月行われた、地区大会準決勝戦。
 万年初戦負けだった高校が準決勝まで駒を進めた時点で、異例の年だったと言えるだろう。
 強豪に牙を剥く弱小というのは観客の期待を集め、前年より盛り上がっていたと聡美は言っていた。

 だが、届かなかった。
 北高は負けた。
 61-72。

 3ポイントシュートの成功率はとても千堂高校に追いつけるほどのものではなく、少し差を縮めたものの結果を変えることはできなかったのだ。
 及ばなかったものの、保身を捨てて挑戦したことに悔いはない。
 悔恨がないのは北高の選手も同様で、負けはしたものの悲観する選手はいなかった。

 その大きな要因となったのは、当初北高男子バスケット部が抱えていた目標。
 三年間部活を続けることを先生たちに認めさせるという目標を達成したからだ。

 元々地区大会ベスト4が条件だったわけだが準決勝戦前に返事を渋られたこともあり、皆んな最後まで不安だったのだ。
 学校側はバスケ部のやる気を底上げする狙いだったのだろうが、やる気が上がるというより与えられたプレッシャーの方が大きかったように思える。

 善戦したが、及ばなかった。
 目標を達成しても、この一点の想いが未だに心の中で燻っていた。

「ね。覚えてる? 準決勝戦前に私が言ったこと」
「試合のことか?」
「違うよ。思い出してみて」

 藪から棒に訊いてきた藍田に、俺は素直に首を振る。
 正直、あの時は試合のことしか頭になかった。

「忘れた。なんだっけ」
「夏休みのことだよ、放課後に約束したじゃん。動物園とかに遊びに行こうって」

 確かに、そんなことを聞いた気がする。藍田は動物が好きで、夏休みが暇になれば動物園に行きたいと言っていたこと朧げに思い出した。
 だがあれは約束というより提案で、俺は返事もしていなかったはずだ。

「夏休みの前に期末テストだろ、まだ考える余裕ないよ」
「あれ、桐生くん成績悪かったっけ」
「中の中だよ、普通」
「桐生くんの言う普通って何位くらいのこと?」
「んー、まあ五十位くらいじゃねえの」
「それじゃみんなに顰蹙を買うよ。二百人中五十位は中の上でしょ」
 藍田は呆れたような声を出しながら、先ほど出したペットボトルを鞄に戻した。

「じゃあ藍田はどんくらいなんだ?」
「二位だったけど」
「嫌味かよ!」
「えー、知らなかったことが意外なんだけど」

 北高はひと学年二百人の高校だ。
 特筆するべきことは山の上にあることくらい。
 去年の進学実績を見ると確か上位七十人くらいは名の通った大学に進学していたので、どこにでもありふれた進学校なのだろう。
 だが二位ともなれば有名大学に入るには苦労しないくらいの学力はあるはずだ。
 そういえば今まで藍田の成績がどれくらいなのか聞いたことがなかった。
 藍田とこうして話す仲になっても、知らないことはこの目に映り切らないほどある。そんな思考が脳裏を掠めた。
 これから知らないピースを、一つずつ埋めていくのだろうか。

「なあ」

 ずっと気になっていたことがある。
 今までバスケのことで頭がいっぱいだったが、もうそのしがらみも無い。
 不意にそのことを訊く気になった今だからこそ、少し語気を強めて問い掛けた。

「お前、付き合う直前に俺の学校生活をめちゃくちゃにできるとか言ってただろ。あれ本気か?」

 ここでまた、藍田は冷徹な顔を覗かせるのだろうか。
 そんな一抹の不安があった。
 だが意外にも、彼女の表情が変わることがなかった。

「できるけど?」
「けど、なんだよ」
「やるとは言ってないと思うよ。世間体いじるくらい、なんてこともないとは言ったけど」
「……そっか」

 安心した。
 最近藍田は俺に素を見せている。
 少なくとも、俺はそう思っていたが。
 まだ隠している面があるのではないかという疑念がどうしても拭えなかったのだ。
 だがそれもどうやら杞憂きゆうだったらしい。

「ていうか私、めちゃくちゃにするなんて言ってない。世間体いじるって言っただけ」
「いや、同じだろ!」
「印象が違うじゃない」

 唇を尖らせる姿は、いつもの大人びた雰囲気とは程遠い高校生のそれだ。
 間違いなく距離は縮まっている。
 それを確信することが、良いことなのか悪いことなのか。

 坂の上にそびえ立つ北高校舎に、斑らな雲がかかった。

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