クロノスの森

九九 零

5話「肉玉」




おそらく、年頃の女の子がするような行為ではない光景が湖の側で大っぴらに行われています。

「おえぇぇぇ…」

口から吐き出された吐瀉物が少年の掘った穴の中に撒き散らされているのです。

しかし、どれだけ吐き出そうと、彼女の口の中は混沌とした味に満たされたまま。

「こ、これ…く、口、スッキリする…はず…」

少年に食べさせられた肉玉。
それは、想像を絶するほど不味かったのです。

甘みと酸味。それに加えて強い渋みと苦味があり、ネチャネチャと粘り気のある噛み堪えがあり、噛む度に腐臭が口内に充満するのです。

決して、勇んで食べようとする物ではありません。食べ終えた後ですら、食べ物ですらないと感じてしまいます。

助け舟として少年に渡された木ノ実を受け取ったミリアは、その木ノ実を一瞬だけ訝しみましたが、何の木ノ実か知った途端に口の中に放り込みました。

「はぁぁ…」

それは、ミントの実と呼ばれる木ノ実です。

スーッと口内に広がる清涼感に口内に残ってた悪臭は掻き消され、口の中でミントの実を転がすと、舌に残っていた味覚が掻き消されました。

そして、主に口内の問題が一段落したミリアは緊張も忘れて脱力し、ゲンナリしながら地面に座り込みます。

「……ありがとう。助けてくれて。でも、最後のは無かった方が良かった…」

「け、怪我してた…から…」

少年の視線が彼女の肩と腹辺りに向けられます。

そこには、切り傷と酷い打撲痕がありました。それ以外にも、浅い切り傷が身体のあちこちにありました。

しかし、先程までは興奮や焦燥感などで忘れていた痛み。

今となっては血痕しか残っていません。

「痛くない…?治ってる…?」

それらがいつの間にか消えており、ミリアは『あれ?あれ?』と疑問を口にしながら何度も目を擦り、服をめくって至る所にあった筈の傷を確認しますが、傷跡一つ残っていません。

まるで、今までの出来事が夢だったかのように思えてきます。

ですが、すぐそばに寝かされているリールットの姿が夢でない事を物語っています。

「これは…あなたが…?」

「オ、オデさんの肉…ま、不味い…けど、か、回復効果…ある」

「回復効果…」

復唱し、回復効果の意味を考え直します。

この世界には回復薬と呼ばれる回復ポーションが存在します。
一番グレードが低い物で、多少の擦り傷を癒す程度。それらは下級ポーションとも呼ばれます。

次に、多少の打撲などまでなら癒す事の出来る中級ポーション。

最後に、多少の骨折や傷までなら癒せる上級ポーションがあります。

しかし、上級ポーションはたった一本で膨大な金額を要し、並みの冒険者では指先一つ届かない高級品となっております。

そして、今回、少年が使用したのは、全身の傷。大小関わらず全てを癒し、傷跡一つ残らず治癒した事から上級ポーションに類似する回復薬だと判断できます。

そこまで考え、ミリアの思考は一時停止しました。

「…ど、どうしよ…」

上級ポーションは、今のミリアでは到底手の届かない代物です。

そうとは知らず、安易な気持ちで渡された物を口にしてしまい、あまつさえ無碍にも吐き出してしまったミリアは、薬代の請求に冷や汗を掻き始めました。

「そ、その…」

兎にも角にも、恩人を前に、リールットを置いて逃げ出すわけにもいかず、値段だけでも聴こうと口を開いた途端、少年が被せるように声を発しました。

「ご、ごめん…。ぼ、僕の所為で…」

「……」

突然の謝罪にミリアは開いた口を閉じ、キョトンとした表情を浮かべます。

「ま、巻き込んで…ごめん…」

少年が何の話をしているのか理解できないミリアは、困惑するしか出来ません。

「え、えっと、何の話なの…かな?」

「ぼ、僕、作った罠、巻き込んだ…そ、その…ごめん…」

余りにもチグハグな言葉で理解するのに苦労したミリアでしたが、罠と言われて思い当たる節が一点ありました。

それは、宙吊りにされて殺されてたバーサク・ベアーの子供の姿。

おそらく、それを行なったのが目の前の少年であり、バーサク・ベアーの親を誘き出すための餌だったのだと想定できました。

「もう謝らなくても良いよ。今はこうして生きているんだし、私達を助けてくれたじゃない」

「で、でも…た、助け、遅かった…」

「別に良いって。現に、助けてくれたんだから!それより、あなたの名前教えて!」

「ぼ、僕の名前…?」

「そうそう。私達、まだお互いの名前すら知らないでしょ?あ、私はミリア!」

「ぼ、僕…佐藤。佐藤 正木。で、でも、みんなシロって呼ぶ」

「サトウ・マサキ?うーん…呼び難いから私もシロって呼んで良い?」

「う、うん…」

少しは打ち解けた雰囲気になったのを機に、ミリアはずっと気になっていた事を尋ねます。

「それで…シロは、どうしてここに?シロも冒険者なの?」

「ボウケンシャ…?た、たぶん、違う。ぼ、僕、家、分からない…け、けど、人間、怖くて…」

要約すると、家の場所が分からず、けれど、人間が怖くて、このマリューの森に引き篭もっている。と言う事になります。

それと同じような感じにシロの言った事を理解したミリアは苦笑いを浮かべました。

「でも、ずっとここに居たら、お家に帰れないよ?」

「………」

彼は知っていました。ここに居る限り『帰れない』と。
しかし、彼はずっと考えないようにしていました。『きっと、家族が迎えに来る』と、思い込むようにして思考の奥底に沈めていたのです。

シロは、何も言い返せずに俯き、黙り込むしか出来ません。

「シロ。あなたが良かったらでいいんだけど、私と一緒に冒険者してみない?」


〜〜〜


快晴の空。眩しく瞼の裏側まで照らす太陽。
小鳥の囀りに紛れて獣達の雄叫びが響く。

「ぅん…ぅうう…」

あまりの眩しさと周囲の音にうなされて目を覚ましたリールットは、まだ開ききらない瞳を彷徨わせます。

「あ、リールットさんっ!おはようございます!」

「ぉぅ…ミリアか…オレは寝てーーッ!?バ、バーサク・ベアーはどうなった!?」

その勢いで身体を起こそうとしたリールットでしたが、身体が全く言う事を聞かない事に気が付きました。

「それに…オレの身体は…」

下半身のみならず、全身に力が入らず、感覚すらない。

今、寝転んでいるのか、座っているのか。地面に足を付けているのか、浮いているのかさえ分からないのです。

ですが、ミリアは無邪気に笑って彼女の質問に答えました。

「えっと、バーサク・ベアーは倒されました!それから、リールットさんの身体は薬を飲んだら治るらしいです!」

「倒された?薬で治る?どう言う事だ?」

「えっとですねーー」

事細かとは言えませんが、ミリアの身に起きた事。シロと出会った事。あの後、どうなったかをリールットに説明しました。

「成る程な。んじゃあ、オレは後数日ぐらいここに居なきゃならねぇのか?」

今動く目だけを動かして周囲を見渡してみれば、湖の側には魔物の群れが敵意を剥き出しにして彼女達を睨み付けています。

「ここに…か」

もし襲いかかられる事があれば、身体が動かせず無防備なリールットは一溜まりもないでしょう。

同じく、新米冒険者のミリアも力及ばず敗北してしまう事が容易に想像出来ます。

ですが、魔物達はこちらへ寄ってくる事はおろか、近寄る事すらしません。
逆に、彼女達を見るなり怯えて逃げて行く魔物も居る程です。

「はぁ…まぁ、本来なら、あの時に死んでるんだし、今更だよな…」

ボソリと呟いた言葉は、ミリアには届きませんでした。

「あっ!そう言えば、薬貰ってるんです!」

今思い出したかのように、ミリアはポーチから薬として渡された肉玉を取り出しました。

「薬?あぁ、さっき言ってたやつか。……身体、動かねぇんだ…飲ませてくれねぇか?」

「はい!でも、少し覚悟が必要かもです!」

「覚悟?何の覚悟だ?」

「吐き出さない覚悟です!」

「は?何言ってーーッ!?」

リールットが言葉を最後まで言い切る前に、ミリアは肉玉を彼女の口に突っ込むと、

「ーーーッ!!」

声なき悲鳴が湖に響き渡りました。


〜〜〜


あれから数分間。

リールットは格闘した。

超が付く程の不味さに、何度も口の中にある全てを吐き出したくなった。

それでも、我慢し、なんとか呑み込んだ。が、しかし、口内に残る独特の風味などによって吐き気を催した。

しかし、それさえも乗り越えたリールットはーー。

「動く…動くぞ…身体が動く!」

歓喜しました。

身体の先端から徐々に感覚が戻り始め、ぎこちないながらも体を動かせるようになったのです。

それにはミリアも驚きました。

彼女の時は、全身の傷を癒すだけでした。
ですが、まさか重症のリールットでさえ同じ薬で治せるとは思ってもみなかったのです。

それに、普通ならば血液が足りずに立ち上がる事すら出来ない状態にも関わらず、それすらも回復させている事に驚きを隠しきれずにポカーンッと口を半開きにさせました。

「こんなにも早く…兎に角、治って良かったです!」

「ああ!助けてくれたシロってやつには何て礼を言ったらいいか……って、そういや、そのシロってのはどこに居んだ?」

今の今まで忘れていた、とても素朴で重大な疑問を今更思い出したリールットは、軽く辺りを見渡します。

しかし、視界に入るのは、彼女達から距離を置いて水を飲む魔物ばかり。

そんなリールットの疑問にミリアは苦笑い気味に答えます。

「彼なら、ずっとそこに…」

指差した先は、すぐ近くの森ーーの、一本の大木の陰。

ビクビクと体を震わせながらも、顔を覗かせて彼女達の動向を観察する長い長髪が特徴的な少年がそこには居ました。

「……アレが…か?」

「はい。彼が、です」

神妙な顔つきで顔を合わせた二人は、再度、シロへと視線を向けると、彼はビックリした様子で顔を引っ込めてしまいました。

「……お、おい!お前がオレ達を助けてくれたのか!?」

「………」

リールットは彼に聴こえるぐらいの大きな声量で尋ねますが、返答はありません。

「ちっ。なんだってんだよ。人を助けといて礼すら言わせねぇ気かよ」

「それ、なんか違う気が…」

二人は、彼が出てくるのを待つ事にしました。

「「………」」

しかし、待てども待てども彼は木の裏から出てくる事はありません。

「ちょっと行ってきます」

遂に痺れを切らしたミリアは立ち上がり、木の裏へと向かいました。

そして、数分後。

木の裏から疲れ切った顔をしたミリアがビクビクと怯える少年を引き連れて出てきました。

「そ、その…僕…」

「アンタがオレ等を助けてくれたんだな?あんがとなっ!」

「っ!?」

少年に握手を求めるように手を突き出したリールット。

しかし、その行動だけで少年は驚いたように身をビクつかせ、一瞬にしてリールットの眼前から姿を消しました。

「…は?どこ行った?」

そう言いながら周囲を見渡し、ミリアの背後に隠れてビクビクとする少年が目に映りました。








コメント

  • 虎星 馬仁(とらぼし ばじん)

    誤字報告失礼
    「おこなう」は「行なう」ではなく、「行う」です

    1
  • のだ星じろう

    ストーリーめっちゃ面白いと思います!
    頑張ってください!

    2
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