マルチな才能を発揮してますが、顔出しはNGで

青年とおっさんの間

顔出し中は好きにやらせていただく 11

 私が勇志と出会ったのも、今日みたいな酷い雨の日だった…

「こんな雨の日なのに、わざわざ来てくれてありがとうね、歩美」「うん、大丈夫! わたしお母さんに会いたかったから!」

  私が覚えているお母さんの姿は、大きな大学病院の一室のベットの上でいつも横になっている姿だった。

 その時は何とも思わなかったが、ベッドで上半身を起こしているお母さんには幾つもの機械とチューブやコードで繋がれていて、今思えばそれがお母さんの病気の重さを物語っていたことに他ならなかった。

  部屋に短くノックが2回された後、馴染みのある顔が中に入ってくる。

「歩美、良い子にしてたか?」「うん!」「そうか、偉いぞ~!」

 その人はすれ違いざまに私の頭をクシャと撫でて、お母さんがいるベットの枕元でお母さんの顔色を伺う。

「恵美、体調はどうだい?」「今日はすごく体調が良いわ、雨だと元気な日が多いみたい」
「湿度が高くなるのと気温の影響もあるのかもしれないね、肺の音を聴かせてくれる?」

 白衣を着たその人は、首から下げていた聴診器をつけて、お母さんの胸に軽く押し当てる。

「……… うん、大丈夫みたいだ」「今日は体調が良いって言ったでしょ?」
「そうだけど、僕は医者だよ? ちゃんと仕事しないと怒られちゃうよ」「もう貴方ったら」

 この白衣を着た医者が私のお父さん。よく笑う人で、笑うとクシャっとなる笑顔が私は大好きだった。
 お母さんが病院に入院してからはお父さんが仕事の合間を縫って幼稚園のお迎えに来てくれて、そのままお母さんの病室で1日過ごすのが日課だった。

「じゃあ僕は他の患者さんを見て回るから、また後でね。 歩美、良い子にしてるんだよ?」「はーい!」

 私の病室での過ごし方は、お母さんが調子の良い時には幼稚園の出来事とかを話したり、あまり調子が良くなくて起きれない時は、部屋の隅の小さなテーブルでお絵描きしたり、絵本を読んだりして過ごしていた。
 今日は体調が良いというお母さんとしばらく話していると、病室にノックもなしにドアが開く音が響いた。
 振り返ると、ドアの前に私と同い年くらいの歳の男の子が立っていた。

「誰?」「愛美いる?」
「そんな子いないよ? 私は歩美」「おかしい… 部屋の番号は合ってるのに… 」
「坊やはもしかして小児病棟に行きたかったのかな?」

  部屋の隅に立ち竦んだ男の子にお母さんがやさしく問いかける。

「うん、妹のお見舞い」「それじゃあ隣の建物に行けば良いけど、連絡通路は1階と5階にしかないから1度戻って… 」
「ん~… 」

 男の子はお母さんの説明を聞きながら、左手の指を1つ立て、右手の指を5本立てて覚えようとしているみたいだったけど、すごく難しそうな顔をしていた。

「歩美ちゃん、よかったらこの子を妹さんのところへ案内してあげてくれない?」

 私は男の子とお母さんの顔を交互に見て、お父さんの「困っている人は助けてあげなさい」という言葉を思い出して、二つ返事で了承した。

「ねえ、名前はなんて言うの?」「入月勇志」

 廊下を歩きながら後ろについてくる男の子に名前を聞くと、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。

「私は桐島歩美、6歳、あなたは何歳?」「6歳」
「何月生まれ?」「12月」
「私は8月だから、私の方がお姉さんね! 『歩美お姉ちゃん』って呼びなさい!」
「うんわかった、歩美お姉ちゃん」「ムヒヒヒヒッ、えっへん!」

 今では信じられないかもしれないけれど、この頃の勇志はまさしく美少年というに相応しいほど可愛かった。
 だから、私はこの男の子に頼られているという感覚が嬉しくて、小さな胸を精一杯張っていたのを今でもよく覚えている。
 しかし、お姉ちゃんというのは思ったよりも大変だった。
 隣の病棟に行くだけだというのに、ふと目を離すと勇志は居なくなっていて、近くを探すと知らないおばあちゃんから飴玉を貰っていたり、看護婦さんたちに囲まれてチヤホヤされていたり、いつの間にか漫画を読んでいたり、とにかく一筋縄ではいかなかった。

「愛美、いる?」「お兄ちゃん?」

 やっとの思いでついた病室には、勇志が言っていた通り、中央のベッドには私より小さな女の子が寝ていて、その奥にはお父さんとお母さんらしき人が座っていた。

「ユウくん遅かったわね、心配したのよ?」

 すぐに勇志のお母さんが駆け寄って来て勇志の頭を撫で回す。

「全く、急にいなくなるから心配したんだぞ?」

 勇志のお父さんらしき人も、ベッドの反対側から勇志に声を掛ける。
 すると、ベッドの上で寝ていた女の子もお兄ちゃんが来てくれたことを確認するように身体を起こそうとしていた。

「お兄ちゃん、来てくれたの?」「うん、愛美のお見舞いに来た」
「嬉しい… お兄ちゃん大好き」「大袈裟だな愛美は」
「ユウくん、この素敵な女の子はどちら様?」

 勇志のお母さんが入り口の近くに呆然と立っていた私を見つけて勇志に訪ねる。

「歩美お姉ちゃん、ここまで案内してくれた」「桐島歩美です、あの… 初めまして」
「ユウくんをここまで案内してくれてありがとう」「えっと… はい、どういたしまして… 」

 勇志のお母さんの笑顔はすごく優しくて、すごく綺麗で、お礼を言われただけなのに物凄く照れてしまった。

「お姉ちゃん、お兄ちゃんを連れて来てくれてありがとう」

 私は勇志のお母さんに手を引かれ、勇志の妹が寝ている枕元へと導かれる。
 勇志の妹は少し辛そうな顔をしていたが、すごく整った顔をしていて、勇志のお母さんの面影があり、女の私から見てもすごく可愛い女の子だなと思った。

「初めまして、入月愛美です」「私は桐島歩美、よろしくね」

 こうして、私と入月家との付き合いが始まった。
 それから、私はほぼ毎日病院で勇志と遊んで過ごした。
 お母さんが調子が良い時は、お母さんの病室で勇志と2人で絵を描いたり、愛美ちゃんの病室で3人でトランプをしたりしてすごく楽しかった。
 ある日、勇志に連れられて病院の裏を抜けたその先にある、小高い丘まで探検した。
 山の麓にある病院の裏側から見える壮大なパノラマは、自分の目に映る狭い世界しか知らなかった私に大きな感動を与えてくれた。
 眼下に広がる町や建物、車や電車が動いている様子も、その奥に見える山々も小さな私がなんだか大きくなったようで気持ちが良かった。

 「歩美ちゃんの鼻歌、何ていう歌?」「え…?」

 勇志に指摘され、その時初めて自分が鼻歌を歌っていることに気付いた。

「うーんと、名前はないの! ただ思い付いたメロディーを歌っているだけ」「ふーん、すごいね」
 「すごくなんかないよ、こんなの… 」

 そうだ、凄くなんかない…
 私は3歳の頃からピアノを習っていた。思い通りに音を奏でられるのが楽しくて夢中になっていった。
 でも、最近は与えられた楽曲を譜面通りに忠実に再現するという作業が苦痛だった。
 目の前の鍵盤には無限の可能性があって、自分の気持ちをメロディーにすることが出来るのに、どうしてそれをしたら怒られるのだろうと思っていた。
  いつしかそれはいけない事、悪いことだと思うようになった。そうすればピアノの先生に怒られることはないし、自分が傷つかないから…

「でも、僕は好きだなその歌」「え… ?」
「まるでこの景色の一部みたいでとっても綺麗だよ? もっと聴かせてよ、歩美ちゃんの歌」

 それが生まれて初めて私の歌を褒められた瞬間で、私はありのままの自分を認められたようで凄く嬉しかった。

「よーし、じゃあ歌っちゃうよー!」

 それからこの場所は勇志と私の秘密の場所であるのと同時に、私だけの特設ステージになった。






……
………




 ある日、勇志の妹の愛美ちゃんがもうすぐ退院するという知らせを聞いた。
 凄く嬉しかったけど、もう病院で勇志と遊べないと思うと内心複雑だった。
 勇志が病院に来なくなってからしばらく、私は元気がなかったちゃんみたい。あとからお母さんが教えてくれた。
 その時、私はお母さんに「お母さんはいつになったら元気になるの?」と、心ないことを言ってしまって、お母さんを泣かせたのを今でも忘れられない。
  小学校の入学式、お父さんと2人で記念写真を撮った。
 本当は家族3人で撮りたかった。お父さんは写真を撮ると、1度病院に戻らなきゃと言い残して行ってしまった。
 入学式の後のクラスルームでは、前の席の子が教室の後ろに立っているお母さんに振り返り、手を振ったりしていて、そんな光景を見たくない私はずっと顔を伏せて過ごした。
 クラスルームが終わり、他の子たちがそれぞれ親の元に駆け寄る中、私は自分の席で顔を伏せたままだった。
 すると、視界にポケットティッシュのようなものが割り込んでくるのが見えて咄嗟に顔を上げると、右手に持ったポケットティッシュを差し出す勇志が目の前に立っていた。

「歩美ちゃん、泣かないで」「勇志…?」
「うん、また会えたね」

 勇志との出会いはきっと運命だったんだ…
 それからは毎日学校で勇志と会えたから、勇志のことは誰よりもよく知ることができた。
 まず、何事にもやる気がない。
 授業はもちろん、掃除や給食係、運動会も、勇志にはやる気が全くなかった。
 でも、何でもやれば出来る子で、工作も上手だし、宿題も出された瞬間に取り掛かるし、リレーで1番になったらお菓子をあげると言われれば、1人で4人抜いて1位になったり、驚くことばかりだった。
 やればできるものだから後から後から女の子が言い寄ってきて、特にリレーで1番活躍してからは、しばらくの間、勇志の周りの取り巻き女子を解散させるのには本当に苦労させられた。
  幸い、面倒くさがりの部分が目立つようになってくると、取り巻き女子たちも目を覚ましてくれたから良かったけれど、やっぱり勇志は誰かが面倒を見てあげないといけないんだと、私はある種の使命感のようなものを感じていた。
 小学校も高学年になったある日、お母さんがいつもの病室から集中治療室というところへ移された。
 私は集中治療室には入ることが出来ず、ガラス越しにベッドで横たわるお母さんを見ることしか出来なかった。
 やっと触れることができたのは温もりのない、動くこともない、白い布を顔にかけられたお母さんだった。
 お父さんは三日三晩泣き続けた。
 私はそんなお父さんを見ても涙すら出てこなかったし、まだお母さんがどこかにいるような気さえしていた。
  それからお父さんは笑わなくなった。
  毎日、自分を苦しめるように仕事に明け暮れていった。
 本当は私と顔を合わせなくなかったんだと思う。私を見るとお母さんのことを思い出してしまうから…
 別に悲しくなんてなかった、ただ何もかもどうでも良くなって、ある日学校に行くと言って家を出て、あてもなく道を彷徨ったことがあった。
 気付いた時には病院の裏の丘にいて、辺り一面暗くなっていた。
 この丘から初めて見る夜景は言葉にできないほど綺麗で、かなり長い時間見惚れていたと思う。
 この景色を見ていると、私の中からメロディーが溢れて出てきて、爆発してしまわないようにメロディーに合わせて口を開いて逃していく。

「悲しい歌だね… 」

 振り返ると茂みから勇志が私の方に歩いて来ているところだった。

「勇志… ごめんね、こんな歌しか出てこないの…」「そっか」

 そう言って勇志は私の隣に腰を下ろした。

「歌わないの?」「だって… 」
「押しつぶされそうなんでしょ? 溢れてくる想いに… 」「…… 」
「なら、全部吐き出せばいい、その想い全部、俺が受け止めるから」

 勇志の言葉が辛うじて蓋をしていた私の心をそっと開き、溢れて出てくる想いを私はただメロディーにして歌うことしかできなかった。
 眼下に広がる街の光を背景に、行き場のない想いを風に乗せて… 
 全ての想いを吐き出した後、まるでその想いが私の涙を押しとどめていたかのように、私の目から大粒の涙が溢れてきた。
 止めようとすればするほど、溢れる涙の止め方がわからず、どうすればいいのかわからなくなっていると、急に視界が真っ暗になった。
 心が落ち着く優しい匂いと、ゆっくり聞こえてくる心臓の鼓動に包まれて、私は少しずつお母さんが死んでしまったという現実を受け入れられるような気がした。

「落ち着いた?」「うん… 」
「なあ歩美、俺が歩美を歌わせてやる… 悲しい歌じゃなくて、誰かを笑顔にする希望の歌を俺が歩美に歌わせてやるよ」
「うん、約束だよ」「うん、約束だ」

 その言葉が私のすべてになった。

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