シャッフルワールド!!外伝──scarlet──

夙多史

『 battaglia 』

 犬猫が高いところを登りきれず、お尻からずり落ちるような落下だった。
 後ろ足とオタマジャクシのような尻尾で支えるようにアスファルトへと降り立ったそれは、前足のバランスも取る為に前のめりに倒れて地面を踏み砕くと、甲羅の穴から大蛇が首を伸ばす。
 尻尾はオタマジャクシ。手足はトカゲのようで、胴体は亀の甲羅。最後に頭は蛇と──その姿はまるで、東洋のモンスターを彷彿させる。
 落下地点に人がいなかったのは幸いかもしれない。人間、危険だと感じれば本能が遠ざける。既に逃げ出していた。

「最悪ね」

 言う割には冷や汗の一つもかかず、冷静に物事を見据えてライアーは前進する。騒然とパニックに陥る人々の中を横切りながら、腰のポーチから自動小銃のマガジン(装填済み)を取り出す。
 到着したパトカーのサイレンが響き渡る中で避難を手伝っていたアツィオが、怪物の方へ向かうライアーを慌てて呼び止めた。

「何をなさるつもりですかライアーさん! 危険ですよ!」
「ええ、そうね」
 対して気にもとめずライアーは、右手を横に伸ばす。開いた掌の中心に光の風が生まれ渦を巻く。アツィオは目を疑った。何の錯覚かと目を擦るも、やはり彼の手は緋色の光を放っていた。
 胸元で握り拳を作ると、光が拳銃へと変わっていた。アツィオの記憶が正しければあれはベレッタ社のM93Rだが、どちらかと言えば昔の某ロボット警察映画の主人公ロボが使っていた銃に近い形状をしている。

 え? ど、どこから?

 目を丸くするアツィオの疑問を余所に、ライアーは言う。
「今、この怪物を対処できるのは、私だけよ」
 そう、止められるのは、元イタリア異界監査局ミラノ支部の支部長であるライアーだけだと。
 異獣戦は数年ぶりだが、問題ない。過去に三十メートル級の化物や異世界の兵器とも戦い、すべて鎮圧してきた。あの頃の要領でやるだけだ。張り詰めた空気に懐かしさを覚えつつライアーは、得物を片手に颯爽と駆け出す。


 ただ、戦う為に動いた訳じゃない。あくまでも守る事が目的だ。ライアーの視界に入っていたのは、逃げようにも足が竦んで動けない親子だった。
 少年を庇うように、その母親は抱き締めて蹲っていた。悲鳴をあげるこの親子が最初の餌だとばかりに、異獣は観光バス一つ分は丸呑みするであろう口を最大まで開き、鋭い牙を剥く。

 しかし凪ぐような動きで喰らい付こうとした異獣の頭が次の瞬間、小刻みの銃声と共に跳ね上がった。

「悪いけど、あなたの餌はここにはないわよ」
 茫然自失の親子の前に、ライアーが悠然と立つ。異獣の方はうなり声を上げ、忌々しげに彼を睨んだ。食事を邪魔されたことに腹を立てている。欲しくもない、美味しくもない弾丸を文字通り喰らわされたのだから、お怒りは尤もである。だが、この世界で、この場所で、このタイミングにおいてはルール違反だ。


 餌は後で用意してやる。でも今は──


「罰を受けてもらうわ」
 再度牙を向けて襲い来る異獣の前に、ライアーは右手を翳す。既に左手へシフトした銃は、空のマガジンを残して粒子となり消えていた。

 モノリスを生成し、ガードするッ!

 同時に、ライアーの右手から緋色の石柱が複数出現。彼と親子を囲い防衛する。構わず噛み砕こうとする異獣だが、石柱は異獣の口には収まらず、牙をも折る硬度を見せつけた。

 生成──スタンロッド。

 異獣が顔を引く前にモノリスが粒子となり消え、高圧電流の流れる警棒を右手に握りしめたライアーが踏み込む。
「この好機。逃がさない!」
 異獣の頭へと力一杯に叩き付けた警棒が、乾いた破裂音と共に火花を激しく散らす。迸る電流がやはり堪えたか、異獣はまたもや苦痛の悲鳴をあげてのたうつ。重い甲羅を支える足が折れ、異獣は前のめりに地面へと倒れた。
 倒れた拍子に地響きが生まれ、そして埃を混ぜ合わせた突風が巻き起こる。ふわりと、ライアーの衣服と髪が靡く。
「す、すっげぇ……」
 わずか数秒の間に行われた攻防を目の前で見ていた少年が、興奮の声を漏らす。
 街のネオンを浴びて煌めくヴァイオレットの髪は、ライアーの横顔は、芸術に関心のない少年にも美を感じさせる。受けた印象を、少年はそのまま質問に出した。
「お姉ちゃん……魔法使いなの?」
 少年の問いに振り返った彼は、人差し指を振りながらノンノンと返す。
「お姉さんじゃなくてお兄さん。そして、魔法使いではなく──」
 柔らかい笑みを浮かべ、パーンとライアーは指鉄砲を少年に放つ。ふぅっと人差し指に艶めかしく息を吹きかけてウインクする。
「怖いこわーいギャングのボスよ」
 そのセクシーで柔らかそうな小さい唇に人差し指を添えて、ライアーは悪戯っぽく笑う。つぶらな瞳を輝かせる少年の頭を撫でて、彼は言った。
「だからお逃げなさい坊や。ここにヒーローはいない。あなたがヒーローになって、お母さんを守るのよ」
 哀愁感ある表情は、白い肌は荒んだ街の背景とマッチして儚さを覚える。絵画となり得る美しさがあった。 
 頬を紅くして少年は頷くと、母親と手を繋いで走り出す。礼を述べて頭を下げる母親と、振り返らず母を引っ張り走る少年に手を振ってからライアーは、鋭い眼差しに切り替え、立ち上がった異獣の方を向いた。
「止めときなさい。暴れるだけ、痛い目を見るわよ」
 言葉が通じる筈もない。意思疎通を図ろうなど、普通なら誰も考えたりはしない。だが、敢えてライアーは語りかける。ほんのちょっぴりの『もしかしたらの可能性』と、『やるだけ試みた』という、後腐れなく叩きのめす理由を得るために。
 闘志を宿した眼光が『威圧』という名の矢となり、異獣の心を射抜く。冷や汗をかける体質ならば、ドッと噴き出していたことだろう。
「私は、殺すと決めたら急所潰すまで止めない質なのよ」
 鷹の眼に異獣は後退りする。一瞬だけライアーが大きく見え、その迫力に圧されて異獣は、頭をはじめに手足と尻尾を甲羅の中へ引っ込めた。
「ん?」

 生物の中には、外敵への対策となる戦い方を持つモノが多くいる。擬態や異臭を放ったり、身体の針や毒で身を守ったりと様々だ。
 食べる場合は牙を、口を使う。獲物に対してはそれ。だが、異獣はライアーを獲物ではなく、敵として認めた。
「これは……」
 だからこそ、異獣は狩りから戦闘態勢へと切り替えた。

「なるほど……ね」

 ここからが本番であると、肌で感じ取ったライアーは気を引き締めるのだった。

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