シャッフルワールド!!外伝──scarlet──

夙多史

『 fiducia 』

 異世界人の力が発現したばかりの頃だ。監査局の存在すらも知らず、何も解らぬまま虚空より現れた異世界人との初戦闘を強いられた時の事。

 能力の使い方に戸惑うライアーは、異世界から来た侵略者の特殊な力に苦戦。肩を並べる仲間もいない、一人だけの孤独な戦いには限界がある。そこをつけ込まれ、人海戦術で追い詰められてしまった。
 そんなピンチの時、彼女は現れた。
 彼女はライアーを守護するように、膝をつく彼の前に佇んでいたのだ。

 あなたは──誰?

 ライアーは問い掛ける。白い狼の、半獣半人の美女へ。彼女は最初、驚いた顔をして、そして悲しげに尋ねた。

「お前……俺のこと、忘れちまったのか?」

 その口振りは、過去にどこかで会ったことがあるのだとライアーは理解する。しかし覚えがなかった。
「……チッ、あのクソ野郎。あれは、そういう意味だったのか」
 思い出そうと悩ましげ頭を抱えるライアーに、彼女は何やら納得して悔しげに歯を軋ませる。鋭い八重歯を剥き出しにして憤りを露わにしていたが、直ぐに不快な気分を振り払いライアーに説明した。
「俺とお前は昔、山で会ったんだ。でも俺は死んだ。今は、狼の霊。お前の守護霊になったんだ」

 そうだったの……ごめんなさい。あなたのこと、思い出せなくて。

「いいさ、後で色々教えてやっから」

 それなんだけど──

「ん?」

 私が自力で思い出してみせるから、話はしないでほしいの。

「自力でだぁ? これまた随分無茶いうな」

 あなたから聞いても、それは思い出したとは言わないもの。それに──

「それに?」

 何かの拍子で思い出すかもしれないなら、それこそ劇的な出来事であったなら。その方がロマンチックだと想わない?

 彼女はポカンと呆けた顔をしていたが、次には盛大に噴き出し、腹を抱えて笑い出す。

「フッハハハハッ! ンッハハハッ! いやぁ、安心したぜ。やっぱりお前は変わらねえなあライアー」

 そう? あまり、よく解らないわ。自分が過去と比べて変わっているかなんて。

「変わってねえよお前は。ああ、変わらなくても良いんだ。良いぜ、待っててやるよ。何時までも、テメェが思い出してくれるまでな」

 ありがとう。

「なら、本名は言うべきじゃねえな」

 彼女は豊満な胸を乗せるように腕を組んで唸る。そして何か閃いたか、垂れていた耳がピンと立つ。決めたとばかりに手を叩いた彼女は、自分を親指で差して名乗り出た。

「ワイルド・ホワイトウルフ! どうよ?」

 どや顔の彼女に、ライアーは苦笑する。

 ……それは、ちょっとね。ルーポで良くない?

「それ、まさか意味は狼か?」

 ええ、ここはイタリアだし、ちょうど良いかなって……どうしたの?

「お前、やっぱり変わんねえよ」

 ケラケラ笑う彼女、ルーポは炎に包まれた敵へと向き直った。ライアーも立ち上がり、倒すべき相手を見据える。

 そして二人は互いに瞳を合わせると頷き、駆け出した。



 これが、ルーポとライアーの出逢い。初めての戦いだった。


「へへ、懐かしいな」
 今の状況は、あの頃にそっくりだ。
「フフ、そうね」
 感慨深い気持ちを胸にライアーは、好戦的な笑みを零すルーポの隣へと立つ。
 ライアーが右手を掲げた時、菱形の腕輪が姿を現す。ルーポの細いうなじからも同形の首輪が形成されすっぽり収まると、緋色にうっすら輝く鎖が現れ、彼の腕輪と彼女の首輪を繋いだ。
 赤い糸ならぬ、緋色の鎖。恋人と言うよりも、まるで主と飼い犬。そう二人の関係を表すかのようだ。しかし二人はそれ以上の繋がりを、絆をもつ運命共同体である。
「さぁて、御命令をどうぞ、ご主人様」
 執事を演じるようにして、ルーポが会釈しながら要求を待つ。ライアーは呆れたように笑い『はいはい』と、悪ふざけを軽く流して異獣を指差す。眼は量産型デュラハンを捉えていた。

 異獣を護りながら戦うから、デュラハンの撃破をお願いね。

 言わずもがな。ルーポは最初からその気とばかりに拳を鳴らし、物言わずとも伝わるライアーの意思を承知して前へ出た。

「いっちょ、行ってくら、なっと」

 ピョンと後方にバク転を披露──したかに思えば、最後まで回らず途中で停止。そして縮こまると腕の力、全身のバネで弾丸の如く、デュラハンを目掛けてルーポは飛んだ。
「オレ流ッ! ミサイルキイィックッ!」
 音速を想わせる速さで、突きだしたルーポの両足が量産型デュラハンの胴体を、分厚い装甲を軽々と貫く。
「続けていくぜ!」
 そのまま建物の壁に突き刺さるか貫通するかと思いきや、軽快な三角跳びでデュラハンの頭上を飛ぶ。そしてグラマラスな肉体を丸め、回転しながら落下。
「メテオダイブだ!」
 ムササビみたく大の字に身体を広げ、ルーポは風穴から火花を散らしてフラつくデュラハンへと飛び込んだ。斜めから来るボディプレスを受けた鋼鉄の巨体が空中へと、バラバラに弾け飛ぶ。
 組み立てた積み木を子供が叩いて壊す図が、見ていたライアーの中で連想された。
「にっひひひ。次はどいつだぁ?」
 身体を動かすのが楽しくてたまらない──そんな笑みを浮かべて起き上がるルーポの背後から、剣を持つデュラハンが得物を高く掲げる。振り下ろす気だ。
 眺めていたライアーが所作に気付き、不意打ちへの注意を呼び掛けようとするも、既にルーポは気付いていたようだ。
「ライアーッ! マリオネットリンクだ!」
 敵へと振り返りながら、ルーポは彼にお願いする。鎖を通してライアーがルーポを、そしてルーポがライアーを操るものだが。ライアーは初めて聞いた為、覚えのない技名に一瞬だけ戸惑い眉を顰めた。
「またそんな変な名前を付けて……まあ、わかったわ」
 鎖が互いの心を伝える役割を担っているので、語らずとも何となく解る。それに使う機会も多い技だ。ライアーは返事代わりに構えで応えた。
 両手を前に出せば、ルーポも同じ動きをする。足取りから腰の据えまで、野性的かつ開放的な姿勢から理性を宿す武の型へと入った。

 流麗な所作で弧を描くルーポの両手は、脳天へと振り下ろすデュラハンの剣の腹を弾くのではなく、触れて、押して軌道を変えるという神業をやってのけた。
 空振りによって前のめりとなるデュラハン。がら空きのボディにふわりと、風に舞う木の葉みたく潜り込み、ルーポは肩口からの体当たりを叩き込む。戦車の正面みたいな形状のボディがアルミ缶のように凹んで、二機目のデュラハンは背中からジェネレータらしきパーツを噴き出して機能を停止する。
「ワォ! やっぱりすげぇな。ライアーの八極拳」
「違うわよ。捌きは太極拳で、反撃に放ったのは心意六合拳の技」
 同じ構えと動きを取っているライアーが、苦笑しながら指摘する。
「あり、そうだったか? 中国拳法ややこしいな」
 などとリンクを解除して地を駆けるルーポは、ラリアットで量産型デュラハンの片足をへし折り、倒れところでボディを持ち上げて残った量産型に投げつけた。
 数トンは下らない量産型が、プロのピッチャー顔負けの速度で飛んできたので、当然機動速度に問題を抱える量産型は躱すことが出来ず。ぶつかって両者は派手な花火を上げた。

 これで、量産型はすべて撃破。残るはスヴェンの搭乗型デュラハン一機のみ。


 彼はコクピットの中で、モニターを眺めて鬼の形相を浮かべていた。

 あの怪力半獣人を分析して判明した事がある。あれは生命体ではなく、魔力に近いエネルギーの塊。それに意思が伴ったものだ。そう、世間で言う幽霊なる存在。
 本来なら目視も不可能だろう。おそらくあの鎖、腕輪と首輪は彼女のもので、生成能力があるライアーの右手と繋ぐことで共鳴効果を引き起こし、入る器となる仮初めの肉体を形成しているのだ。
 だが、それはもうスヴェンにはどうでも良いこと。
「ふ、ふふふ。またか、また量産型を……もう良い」
 目の前にあるキーボードを打つ。その指の動きは、ピアニストがシューマンの曲を難なく弾くような、品ある速さだ。見るものがいたら思わず感嘆の声を漏らすだろう。しかし目的がミサイル兵器などサブウェポンへのシフトと、皮肉にもメインカメラ隣のモニターに表示されている。
 彼の技術は、どう述べようが自分の欲求を満たす為にしかない。そう開き直るかのように、スヴェンは発射ボタンを弾いた。
「多少の損傷、損失も構わない!」
 モニターに映るロックオンカーソルには、ライアー達だけでなく異獣も捕捉されていた。纏めて吹き飛ばす気だ。

 デュラハンの腰辺りのガトリングが旋回して彼らを狙い撃ち、ミサイルポッドが発射ポイントから火が噴く。煙が立ち上る。

「やべえな。仲間いなくなったから、逆に攻撃しやすくしちまったんじゃね?」
 自分に当たる弾丸のみを弾いて、ルーポが独り言のように唸る。
「そうね……ルーポ。異獣を頼めるかしら?」
 モノリスで空から降ってくるミサイルを防ぎつつ、後退しながらライアーは彼女にお願いした。
「あいよッ!」
 異獣を軽々と片手で持ち上げて、ルーポは駆け出した。襲ってくる攻撃はすべてライアーがモノリスで防御する。まずは、この異獣を安全な場所へ運ぶ。勿論それだけではない。この後退には、確実に倒せる場所へとスヴェンを誘うことも兼ねている。
「ふん……」
 当然ながら、スヴェンは気付いている。鼻で笑っているも、彼はライアーの挑発に敢えて乗る。ライアーの選んだ道が、左右建物で並んだ直線道路だからだ。
 異獣は建物が邪魔で攻撃は出来ないが、それは互いに好都合。異獣を無傷で確保でき。数キロ先にいるライアーとルーポへ、何も気にせず弾丸やミサイルを叩き込める。いざとなれば充填完了の胸部ビーム砲を撃てば良い。
 奴らはもう、袋の鼠なのだ。何をしようと、こちらの弾の餌食──そう思ったスヴェンは、この時点で敗北していた。もし『窮鼠猫を噛む』という言葉を知っていれば、きっと思い止まったはずだ。




 窮鼠猫を噛むとはいうが、生憎ながら彼らは鷹と狼。鷹も狼も、銃を前にしても怖じ気づかない。知っていながら、敢えて立ち向かうのだ。孤高の王は、何者よりも気高いから。

 だからライアー達は、威風堂々と立ち尽くす。鋭い眼光を以てデュラハンを射抜く。意を決した表情がそこにあった。
「ルーポ。あれやるわよ」
 腕輪を掲げた右手が、緋色の輝きを放つ。その様子を見て、首輪のズレを直しながらルーポは不敵に笑う。
「あれか、なるほどな……この一直線なら、当てられるか」
 防御自慢の敵を相手にする際、決め手として使う必殺の一撃だ。
「んじゃま、行くとしますか」
 ピンと立つ尻尾と耳。瞬間、ルーポの身体が白い光を放った。その間にライアーは駆け出す。緋色に輝く右手を正面に翳して。

『フェンリル──チェンジッ!』

 夜空に煙を引いて広がるミサイル。弾幕の嵐を恐れず突き進むライアーの後ろで、ルーポが人間の女性から三メートル近い白狼へと変身を遂げた。
 風を切り裂く。そんな比喩が生ぬるく感じる速さで、ルーポはライアーに追い付く。ぶつかるという手前でライアーは跳躍。彼女の背中に騎乗した。
 鞍と鐙も生成し、首輪から伸びる鎖を手綱代わりにして、バランスを取りながらライアーは更なる生成を施そうとする。最中にルーポは土砂降りの弾幕を難なく突っ切って行く。

 生成──獣の鎧ライガーアーマー

 それは、ルーポがPCで見ていたアニメから考案された鎧だ。命名も彼女である。一角の頭部を始めに全身を、騎手も護るようライアーにデザインされた緋色の鎧を身に着け、速度を落とさずルーポは更に加速する。
 ミサイルや弾幕が彼女に直撃するも、鎧は弾丸をモノともせず弾き、ミサイルの爆風に飲まれても煙の中から無傷で飛び出す。

 モノリス以上の集約が成された強度は、ライアーの魔力と精神力そのものを物語る。これを壊す武器はあるだろうか?

 ある。そうスヴェンはニヒルに笑い、脇にあるレバーを引く。胸部が二つに割れ、隙間からパラボラアンテナに似た砲身が顔を出す。
 中心には水晶体が埋め込まれている。ここからエネルギー充填済みのビーム砲を放つ仕組みとなっており、フルチャージの一撃は如何なる存在も消し炭にする。
「照準セット……終わりだよ」
 キーボードの発射ボタンを押すと砲口から粒子が、蛍の光みたくポツポツと現れた。次には眩い閃光が咆哮を上げてルーポに直撃──したかに見えた。
「……な……に……?」
 強張った表情でスヴェンはモニターを眺めた。

 ライアーが突き出した左手で、ビームを吸収している。魔力で生み出されたビームを。
 有り得ない。許容量を遙かに越えるエネルギーが害となり蝕むことなく、体内へ溜め込むなど……いや、違う。
 同時に、ルーポに装着させている鎧が形を変えて行く。側面から刃の翼が生え、頭部の一角が凶悪な鋭いモノに、そして全身の鎧が薄っぺらい感じから装甲車の様に角張った感じへと変貌して行くではないか。
「ま、まさか!?」

 エネルギーを吸収しながら、そのまま右手に魔力を流して生成へ上乗せしている?

 決して容易な事ではない。一歩間違えば心身が崩壊するし、魔力処理している今だって苦しいはず。常人離れした精神力なくして不可能だ。
 難易度の高さを理解できるだけに、スヴェンは驚きを隠せない。信じられないものを見る目で、突っ込んでくるライアーを眺めていた。
 獲物を捉えたと睨む彼のと、視線が合わさった。
「ひっ!?」

 ゾクリと、彼の背中に冷たい汗が噴き出す。

 伝わる。モニターからでもライアーの眼が、冷徹な鷹の瞳が『今すぐお前を殺してやる……』と押し寄せる、そんな凄みがスヴェンの心を打ち付けて恐怖を煽る。畏怖して怯んだ頃には、ルーポがデュラハンの足下まで詰めていた。
 近付けば近付く程に、ライアーの技巧は困難を極めるが、汗を滲ませる彼の表情に苦の色は見られない。気迫のこもる眼をより鋭くさせ、彼は叫ぶ。
「いぃけええええええッ!」
 気合いは鎧の強度に反映され、ルーポにも力となり伝わって行く。この力を乗せて彼女は、最高速の突進で砲口を、デュラハンの胴体を貫いた。

「し、しまった……ッ!?」

 怯んだ事は、彼にとって大きなミス。
 デュラハンは盾を持っていた。ビーム砲発射を中断し、胸部装甲で塞いだ後に盾で防げば、助かる可能性はあったかもしれない。だが、後悔に暮れる間もなくデュラハンは、空いた風穴から爆裂する。
 彼の技術の結晶。その一つが、炎に包まれ崩壊する。自らの動力炉が生み出した爆炎に飲まれて行くデュラハンを背に、ルーポは勝利の雄叫びを上げた。



「く、くそ……」
 辛うじて脱出装置が作動し、ポッドは破壊されたデュラハンから数百メートル先に落ちた。難を逃れたスヴェンは、焦燥感漂う表情でハッチを開き、這いずるように出て来た。
「甘く見ていた……」
 前にもそれで痛い目を見たのに。同じ事を繰り返してしまうとは。まるで成長していない自分に腹が立つ。しかしスヴェンは気持ちを切り替えた。
「まだ、負けた訳じゃない」
 試作機や新兵器はまだ複数存在する。手の内をすべて見せた訳ではない。今は退いて、一旦戦力を整えてから次で異獣を奪取すれば良いのだ。
「みているがいい。次会うとき、借りは返す」
「アホかお前?」
「え?」
 ガシッと、人の姿に戻っていたルーポに後頭部を掴まれ、間抜けな声を出すスヴェンは軽々と宙吊りにされてしまう。
「言った筈だぜ俺様は。テメェは、フルボッコ確定ってな」
 ニヤリと、サディスティックな笑みを浮かべる彼女と目が合う。スヴェンの表情は恐怖へと引き攣る。そして悲痛な声は私刑執行により掻き消されてしまう。小刻みに鳴る肉の拉げる音と、拳を振り回しながら言い放つルーポの、お子様にはまだ早い禁止用語連発の罵りによって。


「そこまでにしときなさいルーポ。殺しちゃダメよ」
 彼女を追ってきたライアーが、制止を呼び掛ける。しかしスヴェンは原形を留めないくらい顔を腫らし、メガネも割れている所為か一見すればまるで別人。思わず『誰この人?』とライアーは眉を顰めた。もう手遅れではないかと、ツッコミを入れたくなる有様だ。
「ちょっと、生きてる?」
「ヒューヒュー息してるから大丈夫だろ」
 全然大丈夫じゃない。それは危ない息だ。
 やれやれと、ライアーは呆れて頭を振る。だがもうこれで懸念は消え、一件落着だ。
 幾つか訊きたい事があったのだが、それはまたの機会にしよう。彼でなくても、法界院局長ならば知っているはずだ。レイジ・シラミネという人物について。
 もしかしたら、捜している本当の父親と何らかの関わりがある……そんな気がしてならない。何よりも自分と同じ能力者というのは興味深い。是非とも会ってみたいものだ。

 何にせよ、スヴェンはこのまま監査局に引き渡すとしよう。異獣もまとめて保護してもらうつもりだ。すべて丸投げというのも心苦しいが、対応出来るのはやはり監査局のみ。辞めた自分達がこれ以上首を突っ込む訳にもいかない。

 そのつもりだったが、もう少しだけ関わらねばならぬようだ。
「ライアー……ちょいと、やべぇぞ」
「ええ」
 空気が一瞬で張り詰めた。凄まじい殺気……否、闘気がライアー達の背中に叩き付けられた。
 振り返った先には、立ち上る炎を自らのオーラで払い、威風堂々とこちらに歩み寄る人影。全身を光沢感ある鎧で包み、口だけを覗かす仮面を付けた、黒い長髪の騎士がいた。
「おいおい、随分質素なマスクだな。そんなんよりヴェネチアンマスクをオススメすんぜ」
 あっちは芸術的だからなと、冗談を仄めかすルーポだが、内心穏やかではなかった。

 本当にやべぇなこいつ。メチャクチャ強え。

 戦わずともヒシヒシと伝わる。ライアーも彼女と同じく、黒騎士の力を肌で感じた。

 黒獅子──この男から浮かんだイメージはそれだ。穏やかながら静かな憤怒。煮えたぎるマグマが噴火を待つ様だ。

 だが、ライアー達も負けていない。

 白狼──ルーポは『喰い殺したろか?』と歯を剥き出しにして威嚇する。

 緋色の鷹──ライアーもまた呑まれず睨み、逆に呑み込まんと威圧感を纏う。

 獣王たる貫禄ありし三人は暫しの間、睨み合う。小動物や一般人がいれば、プレッシャーで意識を失うだろう。それだけこの場は殺伐としている。三人だけの空間が出来上がっていた。

「その男、スヴェン・ベルティルを連れ戻しに来た」
 剣を抜いた男は刺突に構え、より濃い覇気を叩き付ける。これだけでも並みの者は足が竦むだろう。しかし二人は悠然と立ち尽くす。
「あなたは、彼の仲間?」
 男は返さない。訊きたくば、勝負の二文字を以て教えよう。無言の構えが、滲み出る闘気がそう述べているようだった。
「上等!」
 首と指を鳴らしながら、ルーポが前に出ようとしたが。肩を掴んで制止を掛けたライアーが、彼女を差し置いて先へと踏み出す。
「お、おい、ライアーっ!?」
 男が駆け出した刹那、ライアーも戸惑うルーポの声を背に颯爽と地を駆ける。
 距離が詰まれば闘気を銀刃に込め、男は体重を乗せて剣を振り下ろす。だが、振り切る前にライアーは間合いを更に詰め、男の腕と肘を掴みせき止める──瞬時に大地を踏みしめ、そして突き抜ける勢いで押し上げた。
「ぬっ!?」
 万歳の体勢でがら空きとなった男へと、コンパスで円を描くように、左足を軸に旋回──遠心力を味方に付け、背面を使った突進が男の胴体を捉える。
 重みのある轟音が、ライアーの足下に広がった。インパクトの瞬間に震脚動作も加えた為だ。地面に亀裂が走る程の絶大な衝撃力は、彼の身体を駆け威力へと加算。自分よりも体格のある男を軽々と吹き飛ばす。
「八極拳。靠撃こうげき
 スゥッ──と形良い唇が呼吸に震え、華奢な身体を緩やかに動かす。かと思えば、再度震脚動作を行い。ライアーは攻撃から受けの姿勢へと構え直した。
 漲る闘気を包み隠さず彼は、地面を滑りながらもどうにか踏み止まる男へと放つ。応えるかのように男も静かに顔を上げ、真っ直ぐな覇気をライアーへとぶつけた。付近の瓦礫が亀裂と共に欠け、道路標識がずり落ちたりと、二つの魂の衝突は辺りにまで影響を及ぼす。
「おい、ライアー」
 勝手に一人で突っ走るなと、彼の行為をルーポが咎めようとするも、言う前にライアーは謝った。
「ごめんなさいルーポ。この人とは、一対一でやらしてもらえる」
「簡単じゃねえぞ。そいつは多分、監査局の支部一つや二つ一人で潰せるレベルだぞ」
 しかもまだ本気を出していない。それも小手調べでワザとライアーの技を受けて平然としている。過去に何度か使用場面を目にしたが、あれを受けてケロッとしている者をルーポは初めて見た。
 男が強者だと語るには充分だ。負けないにしても、勝った後の被害は大きい。ここは先程同様に二人で攻めて、一気に勝負を決めるべきだ。

 そう意見を述べるルーポにライアーは、構えたまま横目に彼女を一瞥。それは出来ないと首を振って返す。
「この人が、正々堂々だからよ」
「……はぁ?」
 意味の分からない理由を口にするライアーに、ルーポだけでなく対峙する男の方も怪訝を浮かべている。男を見据え、ライアーは訳を話した。
「この人は、私達に奇襲攻撃を仕掛ける事が出来た。なのにしなかった」


 異獣、スヴェン戦と、連戦を続けたライアーは疲弊していた。しかしこの男は、万全のルーポだろうとも一太刀浴びせられる腕を持ちながら、敢えて気を放って存在を知らせたのだ。
 弛みきっていた気持ちを切り替える時間を与えただけでなく、敢えて二対一を挑もうとした。ライアーの疲労を見抜き、最初の狙いもルーポを絞っていた。
「それは何故か? 私に気を使ってでなければ、それは騎士道? 単に強い者を求める強者だから? それとも、そんな事をせずとも私達を軽く屠れると驕っているから? いいえ、どれも違う──」

 ライアーはゆらりと手を挙げ、男を指差した。

「多分、それがあなたの正義だから」

 故にあなたは自分の心に従い、不利は承知の上で選んだ。正々堂々、正面からの対峙を……。

 ならば私は彼の高貴な精神を尊重し、敬意を以て一対一の決闘を申し込むことに決めた。そうライアーは再度、震脚動作を通して武の構えをとる。いつも以上に真剣な表情、しかしどこかワクワクとした様子でライアー言う。
「手合わせ願うわ」
「……フッ」
 変わった男だと、仮面の黒騎士は思ったのだろう。男も予想外とはいえ、こんな展開は好みのようだ。こちらも構え直して不敵に笑う。
「 我が名はカーイン・ディフェクトス・イベラトール ……貴殿の名を聞かせてもらいたい」
「ライアー・アークライト。訳あって、現在いまはその名を名乗っているわ」
 互いの名を明かしてから二人は、会話を交わさず視線を交錯させる。デュラハンが引き起こした火災も鎮火へ向かい、静寂が世界を支配しようと目論む。だがそれも、緊張感がピークに達して動き出した二人のぶつかり合いにより、掻き消されてしまう。

 空気の破裂に生じて、巻き起こる突風が焔を引きずり空へと舞った。

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