シャッフルワールド!!外伝──scarlet──

夙多史

『 monocromo 』

 降り立つカーインを見据え、ライアーは構えた。戦いはここから熾烈を極めるのだと、張り詰めた空気が肌に染み渡ってゆく。
「解せんな」
 ふと、睨み合いの中でカーインが呟いた。
「先程の攻撃。あれに殺意はなかった」
 だからこそ避けられなかった。しかし、そういう戦術ではないとカーインは知っている。あれは彼を殺さない為の、殺傷力を最低限に押し留めた攻撃だ。
 ライアーは、彼を飽くまでも“殺さず”に“倒す”つもりなのだ。生成した武器、仕掛けた罠にしても、カーインが間抜けな行動を取らない限り死に至らしめることはない。
 ライアーの行為に腹立たしさはない。彼はこちらを舐めてはいないし、それは戦いを通して感じることが出来たから……故に、解せない。
「刃と拳交える戦いの中で、貴殿をほんの少しだけ理解した。命を絶つことに情は挟まぬ者とな」
「違うわ」
 穏やかに、ライアーは首を横に振った。
「私は……命を絶つ時でさえ、相手に対する情は捨てないと決めているの」
 真っ直ぐ見据える菫色の瞳は、人殺しを出来る者特有の、ギラギラした光を宿している。それも、カーイン以上に眩い光をだ。なのに、暖かさがある。敵を敵としてではなく、敵を尊い命として見ている。

 何故だ。何故こんな極端な意思が、矛盾とならず混ざり、その瞳に宿る?

 不思議な眼だ。猛禽類の如き気高き野性と、命への慈愛、その両方を併せ持つとは……。

「それでも私は、あなたを殺さないわ」

 ふと、疑問を遮るようにしてライアーが宣言した。そんな彼を睥睨して、カーインは問う。
「俺を生け捕りにして、有益な情報を得るためか?」
 確かに、カーインを捕獲できれば王国の戦力を削ぎ、敵の勢力もある程度把握できるだろう。もっとも、彼が仲間を売る人種ではないと、会話を交わさずとも理解できる。だが、どちらであろうともライアーにとって関係のないことだ。彼の“不殺”にそういった損得勘定はない。
「ならば、一体……」
「私が殺さないのは、想う人達の為よ」
「想う人……だと?」
 困惑から茫然とするカーインに、ライアーは言う。
「あなたの死を望まない。あなたの幸福を願う者が、きっといる。生きている者、亡くなった者問わずね」
 想いが強ければ強い程、叶わなかった時の絶望感は計り知れない。何の罪も犯してない者が、辛い思いをする。酷ければ後を追う者だっている。死というだけに、取り返しがつかないこともあるのだ。
 思うところがあるのか、カーインは俯いた。そんな彼に対しライアーは、胸を張ってそこに手を当てると、静かに瞳を閉じた。
「あなたにはこの意味、よく解るんじゃないかしら? その重さが」
 すうっと開眼した菫色の瞳は黒騎士を鮮明に映し、穏やかな声で投げかける。その心へと。
 ピクリと、僅かに反応を示したカーインが、俯けていた顔を上げた。
「なに……」
 彼の声に潜む、本人でさえ気付いてない微かな動揺の震えを、ライアーは聞き逃さなかった。心の隙間風を聴いた以上、放っておけない性分故に彼は、怒りを買う覚悟の元その心へと囁く。
「私も、戦いを通してあなたのことが少しだけわかった。……あなたの剣には、悲しみが、やるせなさがある」
 おそらくは想い人が、それと大きく関係しているのではないかとライアーは睨んだ。ならば尚の事、この男を殺すべきではないと思う。
 今もどこかで、彼の生と幸せを願い続ける者達を悲しみに染めない為にも、彼は殺さないとライアーは決めた。

 それに──

「もしかしたらその想い人は今のあなたの在り様を、望んでないのかもしれない」
「何だと?」
 訊ねるライアーへ、カーインは鋭い視線を送る。仮面越しでも解る。彼の眼に、心に僅かな揺らぎが生じていると。やはり、この男は──
「あなたの剣は、その裏返しな気がしてならないの」

 どこかで、自分が止まることを望んでいる。

「……知った風な口を──」
 お前に俺の何が解る! そう内側から煮え立つ憤怒をぶつけようとしたところで、カーインは思い止まる。対峙する彼の瞳がそうさせた。

 見えてくる。奥に秘められた悲しみが。この男は、失うとは何かを知っている。無力を痛感した時の苦しみを、味わっている。
 彼は間違いなく茨の道を歩んだ者。限り無く自分に近い道を通り、果てしなく遠い所にいる。

「減らず口を叩くだけの過去が、あるようだな」

 納得したように彼は、剣の切っ先をライアーへと向けた。

「だが、自分を基準に語らぬ事だ。俺と貴殿は……違う」
 だから俺の心を探るなと、カーインは威圧的な視線を当ててくる。貴殿の経験から導き出した答えが、俺に当てはまるとは思わぬ事だと。拒絶を身に纏う。頑なな態度にライアーは、仕方無いと首を横に振った。
 聞く耳を持たず、という訳ではない。今の彼は、誰の言葉も受け入れたくない。感化されて、変わりたくないだけだ。逆に言えば心の揺らぎがある。良心が呻いている。けれど、下手に彼を苦しめるだけなら、もう口を挟むべきではない。
「そうね、謝るわ。でも……あなたを讃えているからこそのお節介よ。悪くは受け取らないでほしい」
 この気持ちをどう捉えたかは、仮面の下も無表情だろう黒騎士からは掴めそうにない。ただ彼は、黙するのみ。けれど耳を傾けているのは確かだ。
 だからライアーは一番言いたい事を、これから彼に伝える。
「でも……一度、埋めた思い出を掘り返してみるのも悪くないわよ。もしかしたら、見落としている本当の自分の道が、見つかるかもしれない」
「本当の道……?」
「ええ、少なくとも。私は見つけたわ。今は亡き友のおかげもあってね。あなたもいるんじゃない? 親しかった人」

 今一度、訊いてみては? ヒントがあるかもしれないわよ。

 そう、優しく微笑みライアーは語りかけた。

 耳障りとは思わなかった。彼の声は、言葉は、深い暖かみと切実な想いが伝わってくる。

 思い当たる節は、ある。彼の言葉から、一人の少女の姿が浮かんだ。自分を慕う銀髪の少女。弟子であり、今は亡き家族を除けば数少ない親しき者と思う。

 つい最近、彼女と再会した。だが、彼女とは敵対していた。あの時、自分の事を想ってくれていた彼女の言葉を、剣で語れなどと口にして遮り、まともに聞く耳を持たず斬り伏せようとした。

 今思えば、彼女を避けていた。ちゃんと向き合ってなかったかもしれない。

 彼女は、この男の言う『本当の自分の道』を知るヒントをもっているのだろうか?

 いや……やめよう。もう、彼女は自分とは関係ない。何よりも、自分はもう後戻りはできない。

 後戻りするつもりも、ない。

 ……長話もすぎた。

 そろそろ、始めようと思う。
 剣を構えて彼は言った。
「本当の道……貴殿の言葉、一理ある。今一度、我が道、我が意志に迷いや間違いなどないと、決意を固めるものとしてな」
 物思いに耽るのは、貴殿を殺した後にしよう。そうカーインは、先程の気迫が霞む殺気をライアーにぶつけてきた。その重圧は、もはや常人が耐えきれず過呼吸を起こし窒息するレベルだ。

 怒らせたのは、マズかったかしら……。

 流石に危機感を覚えた。それでもライアーの心は、彼を殺すことは望まない。彼を救えるとは思っていない。初対面だし、どんな人間かも解らない。

 でも、放ってはおけないのよね。

 本人も言っていたが、ライアーと彼は違う。だとしても、どこか押してやりたくなる背中を前にすると、心が疼く。だから、彼が変われるかもしれない可能性。きっかけへの橋を架けてみた。

 彼は訊ねるだろう。想い人の誰かに。彼の心を動かすとしたら、きっとその人だけだ。ならば信じて、その人に託す。

 良き結果になることを祈ろう。


 さて、人の心配より、今は自分の心配をしなくてはならないのだが、まあ必要ないだろう。いつも、自分以上に自分を心配してくれている者達が、傍にいるのだから。

「ライアーッ!」

 後ろでルーポの声が轟いた。不安を帯びた声、ライアーの命を想いやる、優しさを帯びた声だ。

「ルーポ」

 振り返らずに、ライアーは彼女の名を呼んだ。穏やかに、それでいて力強い意志を込めて。

 押し寄せる力。圧倒的な死の津波。こんな状況にもかかわらず、正面から浴びているライアーの表情は綻んでいた。

「大丈夫。私は死なない」

 掲げた右手が緋色の輝きを放つ。今まで以上の強烈な光と魔力の流動。放たれる闘気は、肌に纏わりつくカーインの殺気をも押し返す。

 どちらも相手の耐久力を超える、必殺の一撃を見舞おうとしていた。

「行くぞ。ライアー・アークライト」

 渦巻く剣気、殺気を乗せた黒き魔力の風。その中から、黒騎士が紅い眼光をギラつかせる。ぐっと、腰が下がる。一気に切り込む気だ。

「ええ……勝負よカーイン」

 僅かに前屈み。右手は後ろへ。対するライアーも、カウンター狙いの迎撃態勢に入った。

 次の瞬間。

 互いは交錯し。

 勝負が決まる……はずだった。

「はいはいお二方。そこまででーす」
 緊迫感あるこの状況に似つかわしくない陽気な声が、ぶつかる寸前の二人の耳に届いた。
「え?」
 ライアーは攻撃を止めた。
「ぬっ!?」
 カーインは勢いを殺さず突き刺した。

 二人の間に突然現れた、女の背中を。
「あらー? 普通、剣を止めません? なーんで刺しちゃうのかな?」
 苦笑いする彼女の口調は軽い、そして雪のように白い。比喩ではなく、本当に白い毛色と肌の女性だった。至る所にベルトが巻かれたロングコートにパンツ。チャップスからブーツまで、すべてが黒ずくめだ。
 着ている服が体との間にゆとりを取っておらず、 布地が張り詰めている。細く滑らかなボディラインが際立つ彼女は、顔立ちは幼く、しかし不釣り合いな妖艶さを醸し出していた。

 白黒モノクローム魔女ウィッチ

 眼にする皆が思い浮かべたイメージが、まさにそれだった。

 彼女は、横目にカーインを見て血色の瞳を細め、艶笑を浮かべる。刃が突き刺さっているにも関わらず平然としていた。背筋に冷たいものを感じたカーインは、一旦離れて距離を置こうとするも、どれだけ力を込めても剣が抜けないことに気付く。
「なに……っ?」
「あん。乱暴に抜こうだなんて、だ・い・た・ん」
 背中を反らせて身悶えする彼女が、恍惚に唇を吊り上げた。
 動きに合わせて胸の膨らみが左右に揺れて、どこか艶めかしい。二つの双丘に眼が行くが、ライアーの関心は彼女の胸から刃が突き出てない事についてだ。
 尺が足りない。貫かれたなら、刃はライアーの身体にまで達する長さの筈。自分の位置からでは彼女の背中を確認できないが、足元に血が広がってないことから、おそらく出血はおろか、傷口すらないと思われる。

 どういった能力なのかしら……。

 敵か味方の以前に、そこが気になってしょうがないと、真面目な顔で熟視するライアー。そんな彼の視線に気付いたか、彼女は愉しげに色を孕んだ瞳を煌めかす。
「わぉ……随分と情熱的ですね。関心があるのですか? このボディに」
 両手を広げてワクワクとした様子でアピールする彼女に、ふむ、とライアーは頷く。
「そうね。男を虜にしそうな魅惑なボディもだけど、一番の関心は、あなたの能力かしら?」
「あらら、そっちですか。それは残念」
 何が残念なのかは分からないが、期待外れと彼女が口を尖らせたところで、胡座をかいていたルーポが立ち上がった。
「おいテメェ、何もんだ」
 指差して彼女へと、ドスの利いた声で問い掛ける。敵か味方かも分からない、得体の知れない能力者だが、激化しつつあるライアー達の戦いに割って入ってきたのだ。相当な実力者であることが窺える。
 返答によっては自分も参加してライアーを守らねばならない。カーインまでなら彼の我が儘に付き合ってやれるが、この女も敵として立ちはだかるならば話は別。防衛を任されたスヴェンや異獣よりも、そちらを優先するつもりだ。

「ふふ、まあまあ落ち着いて。私のことはそのうちね。それよりも──」
 警戒心から牙をむいて威嚇するルーポへどうどうと、まるで馬を落ち着かせるように手で制止を掛けて彼女は、ここに現れた目的を述べた。
「熱くなってるとこ悪いのですが、この戦い。ここらで止めてもらえます?」


 人差し指を立てて言うなり、彼女はライアーへとウインクした。

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