シャッフルワールド!!外伝──scarlet──

夙多史

一章 悪の胎動(5)

 幸せなんてない。


 自分の存在する世界なんて、いつも自分に対し優しくなくて、周りばかりが幸せに満ち溢れていた。


 信頼なんてない。

 いつも裏切りばかりだった。気を許せた者は、日に日に減った。いつしか約束とは破って騙すもの、仲間とは利用し切り捨てるものと定義づけた。

 愛情なんてない。

 生まれて直ぐに理解した。僕は、世界に必要とされてない命だと。害虫よりも始末に負えない、嫌われ者だと。


 そう……ずっと、ずっとそんな風なことを思っていたんだ。


 あの人、ライアー・アークライトに抱き締めてもらうまでは──


 開店前のクオーレ。店内の掃除中に事務室側の扉が開いた。小太りの中年男性が、僕の方へと歩いてくる。このクオーレの全てを任されている人だ。
「おう、アデル」
 お互いに軽い挨拶を交わし、掃除を再開する僕に店長は、人の良さそうな顔をニッコリさせ話し掛けてきた。
「いつもそうだが、今日は一段と早いな」
「アッハハ……明日から長期休暇ですからね」
 この店はシフト制だけど、その自由度といったら非常に高い。何せ一年ぶっ通しで働いたら、使ってない休暇分を全て回すことが可能なのだから。現に一年働いて一月の休みを貰い、旅行に出掛ける人もいる。そして僕もその一人というわけだ。
 旅行のプランは立ててない。大掛かりな旅ほどノープランの方が良いのだとか。なので、ただある時間を気ままに使い旅をすることにした。
 貯金も充分だし、充実した旅を実現したいな。


「あ、そうだアデル。数分前に指定予約が入ったぞ」
「僕のですか?」
 おお、と店長は頷く。勿論やるよなと、含みの籠もる笑みを付け加えて……まいったな。先月から指定予約は受け付けないよう断っていた筈なんだけど。
 指定予約──クオーレで働く料理人達は、皆それぞれ得意なジャンルを持つ。この指定予約はその料理人の技と味を独占出来るもので、料理人が出す条件──例えば、料理人が指定する通常よりも高い料金を払うとか──さえクリアすればどんなお客でも予約可能となっている。
 僕もスープ関連には自信がある。毎日自腹で材料を買っては無料でトマトスープをお客様にご馳走して、帰りには孤児院やホームレスの人々にも分け与えている。美味しいってスープを啜るみんなの笑顔が、自信をつける力となり還るんだ。
 店長やシェフが『金になるから、材料は用意してやる』と、僕に売り物として作るよう要求してきたけど、その時は迷わず断ったな。だってそのスープは、僕とあの人が初めて出逢った時、あの人が馳走してくれたスープだから。

 暖かかった。初めてだった。あんな、心が癒され、満たされるスープは。

 あの時は、邸に住んでいる人達もいたな。子供も見ていたのに僕は、みっともなく泣きながらスープを啜ってたっけ。

「おいアデル。聞いてるか?」
「あ、はい」
 物思いに耽っている場合じゃないか。お客様や収入を得たい店長には申し訳ないけど、ここは断っておこうかな。
「間違っても断るとは言うなよ。ライアーさんとルーポさんが入ってるんだから」
 矢先、釘を刺されてしまった……って、え?
「指定予約は、ライアーさんが?」
「いや違う。すんごい美人のお姉さんだ」
 すんごい美人の……お姉さん……だと?
「ど、どんな感じですか?」
「ムチムチ」
 で、デブって意味じゃないですよね?
 たまにいるんだよ、ぽっちゃりと混合しちゃう人。前に、紹介で待ち合わせ場所に向かった際、ある意味ムチムチのお姉さんに拉致されそうになったんだよね。
 せめて画像送ってほしかったなアレは……ま、いいや。ライアーさん達も入るなら話は別だ。その人の指定予約を受けよう。



 とまあ、掃除を終えて僕は外で開店待ちしているだろうお客様に迎える為、クオーレの扉を開いたのだけど。
「え……」
「やあやあ初めまして」
 正直、あまり期待してなかった。それだけに、衝撃が大きかった。
 スベスベの白い肌、煌めく白いショートヘア、血のような赤い瞳。そして愛嬌含む童顔。白人以上の白さから一見アルビノかと疑ったけど、違う。ヴァンパイアをイメージする白さだけど、どこまでも生気溢れる感じだ。
 しかしそんな白さとは対照的に、服の色は真っ黒。おそらくオーダーメイドのトレンチコート。 ストームストラップ【※袖口の絞りベルト】かな? D型リングも含めて二の腕や胸にも付いている。張り付くようなぴっちり感から、強調されるボディライン。出るとこは出て、締まるとこは締まっている。な、なんてエロボディ。

 胸元は大きく開いていて、押しちゃうと二つのマシュマロが零れ落ちそう!

 ルーポ姉さんに引けを取らない美女。だけど、姉さんとは違った艶やかさ、そう、ダーティーかつクールな感じが、ワイルドなルーポ姉さんとはまた違った魅力を醸し出す。

 そんな彼女が穏やかな笑みを浮かべてふわりと、僕の目と鼻の先まで歩み寄った。ヤバい、近い、近いって!?
「予約していた者です。よろしく」
「え、ええ」
 切れ長の眼が、大きな瞳が僕の顔を覗き込んだ。表立って狼狽える以上に、僕の心臓は躍動感ある鼓動を刻む。こんな美女に息が掛かる距離まで詰められたら、そりゃあこうなるだろう。
 けど、それだけじゃない。この人、どことなく、ライアーさんに似ている。うまく言い表せないけど、似ているんだ。
「んん、どうかされました?」
 握手がてら僕の手を両手で包む彼女が、小首を傾げて訊ねてくる。そよ風のようなふんわり感を纏う笑み、誰だろうと分け隔て無く接する姿勢もそっくりだけど、表面上の仕草より……そう、雰囲気が近いんだ。
「いえ、何でもありませんよ。さ、どうぞこちらへ」
 だから僕は、安心した気持ちで彼女を二階の部屋へと案内出来たんだと思う。
「フフ、よろしくお願いします」

 この時、この瞬間が運命の分岐点であり、決定付けるものだと知らず。
「ついてきて下さいね」
 僕は、歩を進めてしまった。

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