悪役令嬢は王子様の首をご所望です。

Anmary

メガイラの足音








「————今、なんとおっしゃいました?」

遡ること数年。当時齢十八歳を迎えたばかりだったエリザベートは今しがた目の前の男に言われたことをすぐには理解できずに呆然と問い返した。
そこは静謐な空気を孕んでいるはずの応接間。見上げると天井が遠いほどの広い空間は赤と金で上品に彩られている。
彼女がひざまずいているところから一段高いところにいるのはユージーン・エルドレッド・エルランジェ。このエルランジェ王国を統べる家、その嫡男だ。そして、私ことエリザベートの婚約者でもあった。
その彼から放たれたのは『エリザベート・イーヴァ・アインハルト。私は貴様を断罪する』という、おおよそ婚約者に向けられたとは思えない敵意の塊のような声。意味が分からない。
どうして断罪などされなければならないのだ。私はアインハルト家の姫だ。そして第一王子たるユージーンの婚約者で。今の王国に存在する女性としては王妃に次ぐ程の発言権を持っているはずだ。

それが、なぜ。

ユージーンは混乱する私に向けてばさりと何かを投げた。白い紙だ。それが一面を埋め尽くしながら私の周囲へと落ちてくる。
無意識に私の手は伸びていた。彼の言葉の意味を知るためにはこの紙に目を通さねばならない、そう思ったからだ。

『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトがメイドのラティーシャに罵言を浴びせているのを見ました』『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトがメイドのラティーシャをこき使っているのを見ました』『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトがメイドのラティーシャの言葉を無視しているのを見ました』『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトがメイドのラティーシャの食事に小石を紛れ込ませているのを見ました』『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトがメイドのラティーシャの髪を無理やり切り落とすのを見ました』『私は、公爵令嬢エリザベート・イーヴァ・アインハルトが

なんだ、これは。私は湧きあがる怒りを処理しきれなくてかき集めた紙束を地面にたたきつけた。これはまるで告発状だ。私を貶めるためだけの。私はわなわなと肩を震わせながら説明を求める。

「なん、ですの……これは。 説明してくださいません?」
「この数か月で私のもとに集まった告発状だ。 ……その反応では、思い当たる節があるようだが?」

返ってくるユージーンの声音はひどく冷たい。怒りを強く押し込めたような、そんな声だ。食い下がる私は、その彼の押し殺した感情を汲むことはできない。それこそが、私が切り捨てられる原因なのだから。

「こんな、証拠も根拠も添えられてない匿名の紙束が告発状ですって!? 冗談も休み休みおっしゃってくださいませ!」
「だがそれだけの数が集まるのならば、私にとって充分に判断材料になる」
「あんまりですわ、婚約者として十年近くも連れ添った私を信用してはくださいませんの!?」
「ああそうだな、君という人間のどうしようもなさを思い知るには十年もあれば充分だ」

無意識にヒュッと息をのむ音が空しく響いた。
私は貴方のためにこの十年を捧げたのに、貴方は私を切り捨てる機会をうかがっていたというの?

「エリザベート・イーヴァ・アインハルト。改めて言おう、私は君との婚約を解消する」
「嫌よ!!」

遮るように私は絶叫する。こんなのあんまりだ、認められるわけがない。私はこの告発状に一切の心当たりがない。あるとしても、それは貴族の息女として恥じぬようマナーを守ったからだ。なぜ、どうして、そんな私はこんな状況に陥っているのか。

「わたくしは認めませんわ、このような侮辱!  この屈辱……受け入れられるはずがございません!」
「既に教会には受理された、君はこれからはただの公爵令嬢だ」
「殿下、お考え直しくださいませ……これは何かの間違いです。誰かがわたくしを貶めようと……」

すがるように伸ばされた手は後ろから伸ばされた腕によりあっけなく宙を掻く。そしてその手を思いきり後ろに引かれ、私は腕で支えることもできず床へと叩きつけられることとなった。
驚いて首だけ何とか振り返ると目に入るのはあまりにも見慣れた幼馴染の顔。

「往生際が悪いな、エリーゼ。  悪あがきはやめたらどうだ?」
「ヴィクトール、貴方まで……!」

なぜ私はこんなにも敵意を向けられているのだ、心を許していたはずの婚約者や友から。戸惑うことしかできず、しかし婚約破棄という最悪の事態から逃れようと私はもがき続ける。
しかしそれでも、私の敵はまだ絶えたわけではなかったのだった。もがきながらも私はなりふり構わず叫ぶ。

「ユージーン様!」

しかし王子はすでに私を見ていなかった。視線が注がれているのは、私を通り越してはるか後方。嘲るような表情で、彼はそのまま言葉を発する。

「だそうだぞ、エミリア」

それは、私の妹の名前だった。



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