純白の女神×漆黒の剣士と七色の奇跡

神寺雅文

第一章―抹消×新生8

「よかったです」「何がじゃ?」
 四度、自分の頭がコンクリート製の壁とミニバンの間で粉砕する音を聞いた結希は、幾度も深呼吸をすると自分を静かに見下ろす魔王様に笑顔を向けた。
 その純真無垢な笑みに魔王様が驚きのあまりに声を上ずらせてしまった。
「菜月じゃなくて、僕がこんな目に会ってよかったです」「……、死にかけたのじゃぞ? 化け物に殺されそうになったのじゃぞ? そのどこが良かったんじゃ?」
 童子だからこその澄んだ瞳を魔王様は見つめ、その中に潜む感情を探る様に今更な確認をする。そこに隠れた感情に語りかける様に、結希の言葉を真っ向から否定する低い声で淡々と話すのだ。
「良いんです。良いんですよ、僕は生きてますから、それで良いんです。これで良いんだ,良いんだよ」「……」
 不自然なほどに悲劇を肯定する結希の瞳がユラッと揺れる。鎌を掛けられ動揺した証拠であった。
 それを見逃さなかった魔王様は一呼吸置き、自分を自分で必死に慰めている強がりな子供に、もはやどうやっても変えられない真実を突き付ける決意をした。それが幼い結希の為になる一番の優しさだと思ったから、魔王様は魔王らしく悪を演じる。
「お前はもう人間ではない。誰からも愛されない、誰からも感謝されない、ここから一望できる狭い世界からも外れたならず者なのだ。家族も愛する人も、もう誰もお前を覚えてはいない、菜月、そうその娘もすでにお前――神寺結希の存在を毛一本も覚えていないのじゃ」
 矢継ぎ早に告げられる真実が、狂気と異常に支配された現状と不釣り合いな純真で無垢な笑みを浮かべる結希へと突き付けられる。
 一種の現実逃避とも言える程の弾けた笑顔が、魔王様には嘘で出来た痛々しい偽りの能面にしか見えなかった。己の存在が抹消したにも関わらず、子供が他人を思いやり自己犠牲をいとわないと言える事が不自然極まりないのだ。泣くどころか笑うなどあり得ないのだ。
「なんで、なんでそんなひどい事言うんですか? 僕は、人の不幸を祝う程卑しい人間じゃない! 人の不幸で自分の幸せを守る人間じゃない!」「ならば、お前の人生は簡単に捨てられる程の価値しかなかったんじゃな? お前を激痛に耐え産んだ母親の愛を、唾の様に路傍へと吐き捨てるのじゃな? お前をここまで育んでくれた数多の純愛を結希、お前は捨て去り生きていけるのじゃな?」「そんな……そんなの……」「今日までの楽しかった日々を諦められるのか? 歓声を浴び栄光で満ちた過去も、約束された未来をも、あんな化け物一匹の存在でこの世から抹消されたのじゃぞ? 悔しくないのか? 憎くないのかあいつが……?」
 偽りで出来た強がりなど何も生み出さない。優しいだけの言葉は人を腐敗させるだけである。
 魔王様はそれを知っていた。だから、奥歯を噛みしめながら子供相手に酷な事を言い続けた。子供に自分の考えを改めさせる為に、あえて見え見えの継ぎはぎだらけの笑みを正面からぶち破る非道を選んだ。
 それに結希は何も反論できなかった。言い返そうと思っても、喉元で何とか留めている本音まで一緒に出てしまいそうになり、せめてもの悪あがきで微笑んだまま嘆息を吐き出した。
「泣け、喚け、嘆け、そして恨め。なんでこうなる前に助けに来なかったんだと、ワシを責めるんじゃ。お前にはお前の人生があるんじゃ、こちら側の勝手な都合に合わせる義理はないんじゃよ? だからな、泣いてくれ、子供らしく泣きわめいて魔王様を責めてくれていいのじゃよ?」
 片膝を地に付け英国紳士が貴婦人に挨拶する様に、魔王様が結希の目線に合わせて眼光をソッと和らげ初めて笑みを見せた。目尻にある烏の足跡に似たシワが弧を描き、口元は引き攣りながら不器用な笑みを浮かべている。「魔王さま……魔王さま……僕……僕……来るのが遅いよ……」「すまんかった、本当にすまんかった」「うう……うう……」
 帝王学を学び冷酷な仕打ちも遂行出来る完璧な王にもなれるであろう魔王様が、朗らかな初老の男性が放つ独特の人情味を、その不器用な笑みから漂わせる。威光ある姿をしていても、心は温かく清らかであった。
 故に、結希が一生懸命に押し殺していた感情が、せきを切って氾濫してしまった。どうにか我慢していた哀感が、涙腺を押し広げ大粒の涙を頬に押し出す。
「子供は素直に生きるのじゃ、大人はそれを寛大な心で見守り時には受け止めるのが仕事なのじゃ」「うう、菜月……お母さん、お父さん、メイ……皆に会いたいよ、会いたいのに……」「すまん」
 やっと涙を見せた結希を魔王様が優しく抱きしめる。震える童子の身体を外敵から守る様に包み込む。
「どうして僕なの? ただ運動神経が良いだけなのに?」「それが神人なのだ。せいみょうを纏うにはそれに相応しい強靭な肉体と生命力が必要なのじゃ」「セイミョウ?」
 魔王の息吹が項を擽ったからなのか、結希の身体がまた熱を帯びる。何かと共鳴している様な鼓動が全身を震撼させている。
「ああ、感じるじゃろ? もう一つの血脈が脈打っているのが」「うん、なんだか不思議な力が湧いてくる」
 それが聖明と言われる神人特有の新たな血の流れであった。
「オーラ、気力、法力、魔力、エナジーと呼ばれる神人の源じゃよ。これを感じる事が出来る人間は、もはや普通ではないのじゃ」「これが神人の力なんだ?」「うむ、せっかくじゃ試してみるか?」「うん!」
 絶望を吹き飛ばしてしまう程の鋭気がこみ上げてきている。一つ一つの細胞が呼吸してエネルギーを大地から吸収している様だ。魔王様の温もりを感じてから人が変わったように、結希の身体は不思議な力――聖明で輝いている。
「かっかかかかかか、じいさん遂にそっちの趣味に走ったか? 昔からガキをよく助けるとは思っていたが遂にそこまできたか」
 初老の男、しかも威厳ある魔王様と患者服を着た精神的に弱っていた少年が身を寄せ合い視線を交わしつつ頷き合ったのを目撃した何者かの声が、漆黒の上空からそんな二人に飛来した。
「阿呆、馬鹿鳥が何をぬかすか」「え、だれ?」「まだ見えんのも無理はない、エシキの素早さだけは神獣の中でもピカイチだからの」「かっかかかかか、この俺様の動きにクソガキ如きが付いてこれる訳がないな!」
 下品な笑い声は、病院内で聞いたもう一つの声であるのだが、その正体は声の主が言う様にまだ結希には目視出来ていない。エシキと呼ばれる鳥――神獣を見つける為に結希は立ち上がり漆黒の空を、切れ長の双眸を目一杯に凝らし見上げる。
「どこを見ている馬鹿が。そんなんじゃ直ぐおっちんじまうぜ?」「なにをー? すぐ見つけてやるからね」「焦るな結希。お前になら出来る、あの時と同じようにすれば、まだ本気じゃない馬鹿鳥など直ぐ見つけられる」「あ、じいさん卑怯だぞ!」「黙っとれ化け鳥、ワシはまだじいさんなのではない」
 神獣なのか、馬鹿鳥なのか、化け鳥なのか、正体不明のエシキと呼ばれる鳥を見つける為に、結希は“奴”の大鎌を防いだ時と同じ要領で、今度は全神経を目に集中させる。
 バサッ、バサッ。
 眼球、網膜で初めて感じる熱が徐々に温度を高めていくと、何もいない上空から大きな風切音がしてきた。微かにその音と空を滑空する何かの黒い残像が見える様にもなっている。
 ――やるじゃねーかクゾガキ、この短時間でもう俺様の動きが見えてきたか。なら、少し本気出してオチョクッテやるぜ。
「おいクゾガキまだか? 俺は本気じゃないんだぜ? 何ならもっとゆっくり飛ぶか?」「そう言うわりには少し早くなってるみたいだけど? 今すぐ見つけるから大人しく飛んでて!」
 言葉とは裏腹にスピードを増したエシキの動きに、身体を躍らせながら付いていく結希。
 ――ほほう、この年で神人になるだけの素質はあるようじゃな。おいエシキ、ワシは決めたぞ。 ――何がだジン? 忙しいんだから話しかけんな。
 神人として目覚めてまだ半日も経過していない結希が、その説明も聖明の鍛錬もしないで自由自在に空を飛ぶ神獣の俊敏な動きを、時が経過すればするほど正確に把握していく。
 その最中、それを脇で見ている魔王様と焦りを見せるエシキが不思議な力で意思の疎通をし合う。
 ――決まってるじゃろ、結希をワシらで育てるのじゃ。 ――はあああああ、ふざけんなクソジジー!また重大な事を勝手に決めるなよ!
 無言の屋上。聞こえるのは結希が四方八方を振り返る音と、エシキが発生させる風切音である。その中で、ファンタジーな特性を持つ二人がこれまたファンタジーな方法で会話をし、魔王様の思わぬ提案にエシキは思わず動きを停止させてしまった。
「いた! 大きな鷲だ! 三本脚の黒い鷲だったんだねエシキは」「あ、くそ! ジンてめーマジでどうかしてるぜ! あんなことがあったにも関わらずまた子守だと! どうかしちまったのか?」
 甘く見ていた結希に発見されて悔しがるが、それは一瞬であり直ぐ三本脚の大鷲に酷似した姿をしたエシキはその場でジンと呼ぶ魔王様に抗議を示す。
「すごい! 大鷲が喋ってる! なんで脚が三本あるの?」
 魔王様が怒号へ明確な返答をする前に、エシキの姿を目の当たりにして無邪気になる結希が弾けた声を発する。
「な、俺様は鷲如き下等鳥類じゃねー! 畏れ多くも偉大な太陽神である八咫烏様の末裔であるエシキ様よ! 鷲なんかと一緒にするなじゃねえええ」「八咫烏? カラスなの! 鷲の方が――」「まだ言うかクソガキが!」「うわああ、何するんだよ! 痛いよ、痛い!」
 どうやら陽射しを浴び艶めく黒い翼と鋭角な嘴を持つエシキは、日本神話において高皇産霊尊たかみむすびのかみの命により神武天皇じんむてんのうの元に道案内をする為に遣えた太陽の化身である八咫烏の末裔であるらしい。
 そう言われれば三本脚で身体が大きい以外はカラスと言った方が表現としては正しいかもしれない。それを当事者である彼も望んでいる様で、一口に烏と言えばゴミを漁るイメージしかない結希の発言に激怒して烏らしい嘴攻撃を繰り出している。

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