初めての恋

神寺雅文

解き明かされる過去61

 天高くホイッスルが鳴り響く。大勢の観客の歓声が地響きの様にピッチを揺らす。超満員の国立競技場で、拓哉の最後の戦いが始まったのだ。
 キックオフは幸先の良いことに我が学園から。三年生であるキャプテンが寺嶋の代わりにセンターフォワードを務め、もう一人のフォワードを連れコート中央に置かれたボールに足を置く。雲一つない天を見上げているところを見ると、深呼吸をしている様だ。
「緊張してんな先輩、まあ無理もないか今日は小さいころから夢見た鹿島レディオスの監督自ら観戦してんだもんな」「他にはどこの監督さんや関係者がいる感じ?」「そうだね~、田中監督の話だと全国のクラブの監督ないし関係者が来てるってさ」「ほえ~、信じらんないな~。これが伝統の一戦か」
 膝の怪我を考慮して前半はベンチスタートとなった寺嶋が僕の質問に、出会ってからの言動を見返したら嘘のように穏やかな声色で答えてくれる。伝統の一戦を前にしてもこの落ち着き。肝が据わってやがる。
 僕なんかは熱狂的な観衆の声、独特の空気感に、この言い様もない緊張感で吐きそうだ。そもそも、ほぼ部外者の僕達がここにいるのも変なのだ。
「みやっちも二人も今は俺たちの仲間だ。一番近くで見ててほしいって言ったじゃんか」「そうだけども……」「ほら、始まるぜ。見ててくれ、我らのエースストライカーの神業の数々を」
 ベンチの一番隅で所在なさげに座る僕と奈緒と春香であるが、誰よりもチームメイトとサッカーをこよなく愛するその男の一挙手一投足に目を奪われることになった。
 その男の背番号は10。本日はトップ下と呼ばれるサッカーでは花形と言えるポジションを担っている。もちろん、その男は我らチームが去年の暮れに失ったはずのエースストライカー様である。
「よし、通った!」
 言っているそばから拓哉へ一直線にボールが渡った。観客がひと際大きい歓声を上げる。まだ拓哉はセンターラインの手前でボールをパスされただけだ。なのにこの歓声である。みんなが拓哉のプレイを待ち望んでいるのだ。
 だが、道明学園の選手三人が拓哉を包囲した。素人から見ると完全な三角形を形成して、徐々にその範囲を狭めておりどうみても突破は不可能に見えた。けど、拓哉はいとも簡単にその包囲網を突破して単身で敵陣深く切り込んだ。
 ボールが拓哉の半身になっている。まるで拓哉の右足の一部とも言えるような、そんな不可思議な動きをしては敵の股を抜け、頭上を越え、拓哉の元に帰ってくるんだ。やっぱり拓哉ってすげーやつなんだと実感してしまう。
 開始から五分、拓哉はいとも簡単に得点圏内に到達。いつでもゴールを狙える位置へとやってきた。が、ミドルシュートを打つのかと思われ敵の選手が拓哉に群がったところで拓哉はスルーパスを放った。寺嶋の代わりでフォワードに抜擢されたキャプテンがボールを受け取るとガラ空きのゴール右隅へとシュートを放つ。
 最初の得点を決めたのは道明学園でもなければ真田拓哉でもない。
「拓哉め~、カチカチに固まる先輩の緊張ほぐすために演技しやがったな」
 先制ゴールを決めたのは来年よりプロを志望しているキャプテンである。先ほど、ガッチガチに緊張してキックオフまでの時間をたっぷり使ったあの人だ。
 その先制ゴールを決めたキャプテンが、拓哉を筆頭に集まってきた仲間から抱き着かれたり頭を叩かれたりと功績を称えられている。とても見ていて気持ちのいい光景だ。
「拓哉のいいところは、ああいうところなんだよ。自分だけが主役じゃない。みんなが主役で勝つためには、自分を囮にできる凄いやつなんだ」
 だから、本来ならセンターフォワードを務める器でありながら、正確な技術力と広い視野、圧倒的なゲームセンスを求められるトップ下に拓哉が抜擢されたのか。誰も異論を唱えなかったことからも、いま拓哉に求められているのはそういう事なのだろう。
「かっこいいな~拓哉」「ああ、カッコいいんだあいつは……」――、目頭を押さえ俯く寺嶋。
 寺嶋よ、まだ泣くのは早いぞ。周りに気づかれない様にそっと僕は彼の震える肩に手を置きタオルを頭に被せてやる。
「最高の試合になるよきっと」「ああ……」
 喜びを分かち合い自軍陣地まで戻る我が仲間たち。
 最初、退部したはずの拓哉が戻ってくると聞いて部員たちがどんな顔をするのか怖かった。もしかしたら、寺嶋達の様に拒絶反応を見せる部員もいると思った。でも、現実は違ったのだ。みんなが拓哉の復帰を待ち望んでいた。
 そして、寺嶋との問題の解決を望んでいた。だから、誰も拓哉のスタメン起用に反発する者はいなかった。逆に、「待ってました!」と言わんばかりに拓哉を円陣に迎え入れて今こうして、帰ってきたエースストライカー――拓哉にパスを繋いでいる。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品