初めての恋

神寺雅文

交錯する恋心35

「お昼にしましょう雅君」
 春香の微笑みだけが救いである。僕に何が出来るかなんて分からないし、拓哉がサッカー部をどういう経緯で辞めたのかも分からない。ただ、膝を痛めて辞めざるを得ないとしか聞いていない以上、彼らの後を追いかけて間違えを正すこともできなかった。
 まさか、こんなシチュエーションで拓哉の過去を知る由になるとは思いもよらず、僕は正直気が滅入りそうであった。

 子供たちの楽しそうな声と大人たちのそれを制する声、カップルが必要以上にイチャイチャして発する嬌声も、全部がGWだからこその当たり前なのだ。みんなが休日を楽しむためにここにきているのだ。
 それなのに、僕は上手く笑えなくなってしまった。今度は春香に促されて水族館の敷地から繋がる「芝生の広場」へ出て、中身を秘密にされていた籠からレジャーシートとお弁当がお披露目されるまで僕は生きる屍と化していた。
「この前、食べてみたいって言ってたから作ってみました」
 謙虚な言葉とは裏腹に見栄えが頗るよろしいキャラ弁が、すでに様子がおかしい僕の前に差し出される。
 僕の些細な独り言を覚えていてくれたのか。それだけでも天にも昇ってその足でまたこの時代まで逆走してきても、一向に苦に思わないであろう幸福感が僕の胸を膨らませる。  
 巷で話題のモンスターを象ったご飯の山を箸で崩すなんてもったいない。どうやって食べたらいいか、フレンチを初めて食べるおじいさんのような気分になっている僕に、春香がさらに二割増しの微笑みを添えてくれる。
「そんなに大事そうに見ても、お弁当は逃げたりしないよ。おにぎりもあるし、こっちから食べる?」「そうだね! もうちょっと見ていたいからおにぎりから食べる事にする」
 バケットから出されたショッキングピンクのトレイから芳醇な磯の香を纏った鮭おにぎりを拾い上げ頬張る。ただのおにぎりでも春香が握ったおにぎりだと思うと三ツ星レストランなんて比ではない。これは絶品である。
 朝早起きしてせっせと丹精込めて作り上げられたお弁当の数々、春香が眠気眼を擦り、懸命に作ってくれたことが容易に想像出来た。だから、わざわざ中身を秘匿していたのだろう。隠し味は愛情と誰かが言っていたが、間違いなくそれは大切な調味料であるとこの身で感じずにはいられない。
 吹き抜ける風と芝生の香がなんとも心地良く、周囲の家族連れも和気あいあいと一家団欒をコバルトブルーが鮮やかなレジャーシートの上で堪能している。これが幸せなのだろうか。父親たちが仕事で疲れているにも関わらず、遠出する気持ちが今なら分かる。
「たこさんウインナーってどうしてこんなにも美味しいんだろ」「たしかに、昔からずっと食べてるけど飽きることない」
 小さなフォークで四足のウインナーを取り上げた春香につられて僕も昔ながらの味がするウインナーを食する。そして、鮭おにぎりを頬張る。これが幸せの味か。
「あ、お弁当つけてどこにお出かけするのかな?」「あ、春香……」
 すべての言葉を言いきる前に体を僕の方に傾けた春香が、何を思ったのか僕の口の脇についていたご飯粒をそのまま食べてしまった。突然のことで僕は返す言葉もなく、件のウインナーの様に顔が赤くなるのを感じた。
「へへ、なんだか恋人同士みたいだね」
 ああ、神様、どうしてあなたはこんなにも素敵な女の子をこの世に生み出してしまったのだ。年齢=彼女いない歴の男の前に舞い降してしまったのだ。こんなにも恋に焦がれることを、どうして僕に強いるのか。
「……、春香、あの……」
 気持ちの高鳴り。極限を迎えた恋心が織りなす心拍音――心音がいままでにないくらいの爆音で鳴り響いている。これは、もう言うしかないんじゃないだろうか。この胸に巣くう熱き想いをぶちまけるしかないのではないか。
 僕は、ついにのどの奥に熱いモノが出かけていることを感じ、目の前にいる想い人に一世一代の告白をしようと思い立った。

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